五木寛之の『ふりむかせる女たち―忘れえぬ女性(ひと)たち』を紹介した11年前の私の2009年のブログを読んでいて、よみがえった思い出を以下に書いてみたい。
五木さんがまだ「青年のしっぽをくっつけていた頃」に外国で出会った何人かの女性たちについて書いた本で、いずれの女性も、厳しい環境の中で、せつないほど凛としていて、矜持がある魅力的な女性たちだ。
「マンハッタンの雪の夜に」
ニューヨークの地下のレストランのカウンターで隣り合わせた老婦人は、「私も作家なのよ。・・・まだ一冊の本も出版してないけど・・・」「子どもたちが大学を出て、それぞれちゃんと独立してやって行けるようになったもんだから、それから書きはじめたのよ」・・・「さあ、そろそろ帰ってタイプを打たなきゃ。夜おそくまで寒い部屋で仕事を続けるのって、いい気持ちね。作家であることの充実感をおぼえて、人生ってすばらしいわ、とつぶやいたりするの。だって、わたしには目標があるし、それに向かって努力する力がまだ残っているんですもの」と言う。
そして、五木さんは書く。
「まだ一冊の本も出していないけど、自分は作家なのだ、と、何のためらいも、てらいもなく言い切るその老婦人に、ぼくはアメリカ人の或る良き一面をかいま見せられたような気がしたものです。」「雪の晩、かじかむ指に息を吐きかけながらタイプを打ちつづける老無名作家のイメージは、ぼくを勇気づけ、もっとがんばらなくては、と、自分に言いきかせる力を持っているのです。」
私自身も「いつか小説を書いて」と夢想することはある。ただ、一行目を書くとあとはすらすら出てきて止まらなくなると思っているので、ためらっているのだ。 なんちゃって、私のような軟弱男と違い、かの国の女性は自信満々、胸を張って大股で街を闊歩している。そうしなければ、厳しい競争社会の中で生きていけない不安に押しつぶされてしまうので、必死で凛としていなければならないのだろう。
「バルセロナの大和撫子」
五木さんは語る。「ぼくは日本人として、すばらしい日本女性が次々と異国の男性にさらわれていくのを、心やすらかに手をこまねいて見ている気はしません。そういうときは、なぜか急に愛国者になってしまうのです。」
私のブログ「フリーマントルへ」に以下のようなことを書いている。
朝食後、オーストラリア西海岸のフリーマントルへ車で行った。出店をひやかしていたら、美人で理知的な日本人女性と、頼りなさそうだがやさしそうなオーストラリア人のパートナーが売っていたカセットを利活用した財布が目に付いた。
「日本人女性のパートナーを見ると、2タイプのどちらかだ。一つはやさしいが、お金を稼げない人。もう一つは、お金は稼ぐが、とても厳しい人だ」と言っていた人がいた。
それにしても、いつも思うが、素敵な日本女性はみんな外人さんに持っていかれてしまう。なんとかならないものだろうか。私は既に一人だけ確保しているので、それ以上は無理なのだ。