hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

川崎でコンサート

2007年11月10日 | その他

最寄り駅で東北物産展をやっていて、イベントとして昨日は踊り、今日はなまはげがウロウロしていた。



JR川崎駅西口のあまりの変わりように呆然。何しろ、横須賀線ばかり乗っていて横浜、東京間で川崎は素通りするので、数年ぶりだろうか。前に降りたときは、西口を出ると、南側の明治製菓の建物は撤去されていたが、駅前の東芝の工場跡が大きく広がり、北へ歩いていっても多摩川べりに行くまで大きなビルはなかったと思う。
2006年9月と、できたてのようだが、ラゾーナ川崎などという大きなモールがあった。

駅ビルを出るとそのままモールの中ではなく、楕円形の広場があり、周りを板張りの道が囲む。海老名のビナウォークも2階、3階の通路から真ん中の広場を見下ろす構造だと思ったが、イベントを行う舞台や、憩いの広場を周りから見下ろす構造がはやりなのだろうか。



モールの中は、両側の通路に沿って店が並び、真ん中は吹き抜けになっている。15年ほど前のことだが、ピエール・カルダンが「世界で最も美しいショッピングモール」と賞賛したというオーストラリア・シドニーのクリーン・ビクトリア・ビルディングに行ったとき、吹き抜けになったこのようなモールの構造に感心したものだが、最近のモールの中はどこでも同じでつまらない。



コンサートはJR川崎駅西すぐのミューザ川崎で行われた。NTTフィルハーモニー管弦楽団というグループ社員、OB、家族などの演奏会だが、もう22回目で、とても素人とは思えない演奏だ。ベートーヴェンの歌劇フィデリオ序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と、プロコフィエフの交響曲第5番だ。
ヴァイオリン協奏曲の独奏は「望郷のバラード」で有名な天満敦子さんだ。当たり前だが音が違う。フォルテでも強いというより良く明解に聞こえる。なにしろ、使用のヴァイオリンはアントニオ・ストラディヴァリウス晩年の名作で、弓は伝説の巨匠ウージェーヌ・イザイ遺愛の名弓だそうだ。気のせいか、枯れた音に聞こえた。
指揮の田代詞生(つぎお)さんの足を踏ん張って豪快にタクトを振る演奏に、朝飲んだ風邪薬による眠気にも勝って久しぶりの演奏会を楽しんだ。



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松浦寿輝「川の光」を読む

2007年11月08日 | 読書

松浦寿輝(ひさき)は詩人、小説家で東大のフランス文学の教授。

私は気楽に読める小説のなかでは、へそ曲がりの中年男が散々な目にあっても節を曲げないハードボイルドなどが好きだ。社会から脱落した中年男が出てくる松浦寿輝の芥川賞受賞作「花腐(くた)し」も面白く読んだ。読売新聞に連載された新作が単行本になったと知ってこの本を図書館から借りて読んだ。

読み始めると、ネズミが出てくる。まさかと思ったらネズミが主人公だ。「勘弁してくれ。子供向けの話じゃないの」と思った。あの松浦さんが児童文学??
「ネズミの旅のお話を書きたい」と、松浦さんが文芸誌の編集者に話すと、30秒ほど沈黙のあと、「ところで・・・」と話題を変えられてしまっていたと対談で話していた。それが、読売の新聞小説として平然と応じてくれたのでびっくりしたそうだ。

話としてはたわいない話で、3匹のネズミの一家が、巣穴から追い立てられ、新天地を求めて川を上流へ上っていく冒険物語だ。途中で何度も困難に出会いながら、川沿いに引越しをする。それだけの話だ。悪いネズミの集団ドブネズミ帝国以外の出会う犬も、スズメも、人間も良い人ばかりで典型的童話だ。

我慢して読み進めると、だんだん話の中に入り込んでしまう。何か起こるたびに、ついに3匹のうち一匹がここで死ぬのかなど、ハラハラしてしまう。オチョコチョイで遊び好きの小ネズミがだんだんと分別ある大人になっていく過程も良く書けている。

私の子供のころはどの家でも夜になると天井をガサゴソ、ガサゴソとネズミが走りまわる音がしていたものだ。我家でもネズミ捕りにネズミがかかり、処置に困ったことを思い出した。
この物語の主人公は家やビルに住むクマネズミだが、始終動物や人におびえ、警戒して道路や川べりを移動していく。下から物を見るネズミの視点で書かれていて、気が付くと、自分もネズミになってハラハラしながら、チョコチョコ走っている。

面白く一気に読んでしまったのは、ネズミから見た光景などの著者の筆力もあるが、なにより著者が愉しんで書いているためだと思う。




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毛髪が不自由な人

2007年11月06日 | 個人的記録

毛髪が抜け落ちた状態を「ハ」で始まり「ゲ」で終わる言葉で言うことが多い。私に言わせればこれは差別用語である。言われた人が不快になる身体的表現は婉曲に表現すべきだ。たとえば「毛髪が不自由」との表現はどうだろうか。「え!からかわれているようで、かえって不快だと?」

私自身は若白髪というやつで、40歳過ぎで「ロマンスグレー」、50歳で「きれいなはくはつ」と言われても良い状態になった。歳よりはかなり歳とって見られるようで、会社の人から、「髪を染めたほうが良いんじゃないですか」と言われたが、私自身は白髪がいやでなかったので、そのままにしていた。
同じような若白髪の人が会社にいて、共感を覚えていた。ある日その人が真っ黒に髪を染めて出社したので、何故か尋ねると、「いや、娘が授業参観には髪を染めないといやだと言うものでね」と答えていた。かなり剛毅な人だったが、娘さんには勝てないのだなと思った。

その後も、どんどん真っ白な、ほとんど銀髪と言っても良いくらいの頭髪になってきて、「よし、よし」と思っていた。
しかし、それもわずかな期間で、60歳近くなると、髪をとかすときの抜け毛が少なくなってきているのに気がついた。「よしよし」と思ったが、考えてみたらどうも抜けるべき毛が少なくなったためのようだった。つまり母数が小さくなったのだ。
そういえば、風呂上りに鏡で、髪がぺたりと張り付いた己が頭を見て、ゾットしたことがあった。おまけに、坊主頭にしていた親父の前のほうには毛がなかったことも思い出し、白髪のつぎは薄毛かと、暗澹となった。

60過ぎると知識が豊富になったためか、ひたいが秀でてきた。ときどき、ひたいに髪が一本ヒョロヒョロと生えているのに気が付いた。昔、髪の毛が生えていたところの残り毛であることが、いとおしく、哀しかった。

この頃から育毛剤を使い出したが、説明に壮年性ハ○に有効と書いてあるものはあるが、老年性ハ○に有効のものは見当たらない。年寄りはあきらめろということなのか。
最初は前頭部に集中的に育毛剤をつけていたが、こんな負け戦の戦場で戦っていては一気にズルーとやられると思い、戦線を後退させて「ここから後は絶対に」という場所に鉄壁のマジノ線を築き、集中的につけるようにした。鉄壁が、トタン板になり、板塀になり、やがて、ススキがなびく、つわものどもが夢のあとになってしまった。

現在では、前頭部と後頭部は、要するに側頭部を除く全体だが、可愛い赤子のような状態に近づいている。今や、薄毛さえうらやましく思える状態だ。奥様はこれを、「ひよひよ」と呼ぶ。



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車で鎌倉を巡る(2)

2007年11月04日 | 観光
今回はカナダから来日している知人を案内したので、車で鎌倉の寺めぐりをした。今回はその2回目。

瑞泉寺
瑞泉寺には20台の駐車場があり、拝観料100円で駐車は無料。右側の階段は新しいが、左側の階段は古くて趣がありすぎる。



このお寺は花がきれいなのだが、今は何もない。そのためか、人影がなく、落ち着いて居て、人ごみが苦手なカナダから来た知人には好評だった。本堂には水戸光圀が寄進した千手観音がある。また、ところどころに歌碑があるが、いつもながら、傍の解説板を見ないと私にはくずし文字が読み取れない。




鶴岡八幡宮
八幡宮の西側を走る鎌倉街道には、西側にいくつか個人経営の駐車場があるが、一番安い道路の東側にある鶴岡八幡宮駐車場に止める。一時間400円なり。さすがに満車で観光バスが出るのを待った。
いつもに比べ人は少ないが、それでも他のお寺や神社に比べれば人は多い。早めの七五三や、外国人の姿がチラホラ。横に書いた絵馬が多く、縦書きは少ない。英語のものもけっこう多い。
いつもながら、絵馬を見ていると、健康だけを願う幸せそうな家族、受験やスポーツに一途な若者、問題があり懸命に生きている人の姿などが目に浮かぶ。



階段脇の大銀杏には樹齢一千年余とある。1192-(2007-1000)=185年なので、このイチョウは当時既に150年以上の年輪を重ねていたことになる。実朝に切りつけるために公暁が隠れることができるほど十分太かったのだろう。でも、そもそも本当の話なのだろうか。
階段下の味気ないおみくじの自動販売機は撤去してほしい。



長谷寺
30台入る駐車場(30分300円)があるが、4時半前なのに閉まってしまった。
崖の上にある観音堂へ行くまでの庭園は楽しめるし、高さ9mの金色の輝く十一面観音は迫力あり、見晴台からの鎌倉の海と町並みも見ものだ。


日影茶屋
夕飯は、葉山の日影茶屋に行った。駐車場は10台分くらいある。

日影茶屋の店の案内、冊子には出てないが、日影茶屋事件が有名だ。
アナキストで共産主義者の大杉榮は、妻(堀保子)がいながら、東京日日新聞の記者神近市子や、辻潤(ダダイスト)の妻伊藤野枝と関係し、自由恋愛を主張していた。嫉妬にかられた神近市子は、1916年11月9日、当時旅館も経営していた日影茶屋に乗り込み、大杉榮を刺した(日影茶屋事件)。助かった大杉は、この後、伊藤野枝と共に憲兵大尉の甘粕正彦に連行され虐殺された(甘粕事件)。一方、神近市子は、傷害罪で懲役2年の実刑判決を受け、収監されたが、1953年、社会党から衆議院議員となり4回当選し、売春防止法の制定に尽力し、1981年93歳で没した。

お店に入ったなら、庭に出て池や築山を一見したい。



日影茶屋はお気に入りのレストランだが、いつも椅子席だ。なにしろ、大広間や個室に入ると、昼で8,400円以上、夕食は1万円以上だ。今回は、私はお弁当風の「夕ご飯膳」。



他2人は少量だが、懐石風に一品一品出てくる「茶屋膳」。一品目に鳥かごが出てきた。



中は、そうめんで作った栗のイガ、からし大根など。とてもおいしいとのご評価。



2時間くらいカナダと日本などについて楽しく歓談し、逗葉新道から横横を通り、横浜経由で帰宅した。



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車で鎌倉を巡る(1)

2007年11月03日 | 観光

鎌倉へはおそらくもう数十回訪れたことだろう。しかし、鎌倉の周辺を車で回ったことはあったが、駐車場が少ない中心部を車で回ったことはなかった。
若い頃は北鎌倉から寺寺を回り、江ノ電に沿って江ノ島まで歩いたこともあった。
今回はカナダから来日している知人を案内したので、すべて車を利用することにした。花の季節と紅葉の季節の端境期のせいか人が少なく、駐車場もすべてガラガラで静かで落ち着いたお寺めぐりができた。

円覚寺
まず、北鎌倉駅傍の円覚寺駐車場に車を止める。一時間600円なり。金曜日の11時半で、20台の駐車場に2,3台のみ。
三門をくぐり、きれいになったはずの心で、あかがね色のコインを投げて仏殿の釈迦如来坐像を拝む。



円覚寺と言えば、何と言っても鎌倉で唯一の国宝の建物、舎利殿だ。源実朝が中国から取り寄せた釈迦の遺骨を納めたと書いてあった。1月と11月の数日のみの公開(外観のみ)なので、いつも遠くから眺めるだけだが、山を背にしたかやぶき屋根がさまになっている。



建長寺
鎌倉まで来るのに時間がかかったので、東慶寺、明月院はとばして、建長寺の天下門の中の駐車場に止める。ここも20台の駐車場に3,4台。一時間600円。
総門には「巨福山」の額があるが、「巨の字に勢いあまった点があり、この一点で全体が引き締まり、百貫目の価値があると百貫点と呼ばれるようになった」と、どうでも良い話が案内本に書いてあった。点で話しにならない??



総門から入場し、三門をくぐる。三門の横には高さ2m、口径1.2mの縦長な国宝の梵鐘がある。




ビャクシン(イブキ)は、樹齢約730年で高さ13m、胸高周囲6.5mとあった。冬に雨が多く木々の生長の早いバンクーバーやパースにはこの程度の太さの木は街中に普通にある。しかし、こちらは、年輪の数が多く、硬いのだろう。



仏殿には地蔵菩薩坐像があるが、本尊がお地蔵様とは面白い。やはり、なごやかなお顔である。
その奥の法殿には、千手観音がまつられているが、その手前にやせこけた釈迦苦行像があった。顔にヒゲがあるのも珍しいが、顔立ちが西洋風だ。それもそのはず、ガンダーラ遺産をもとに製作され、05年の愛知万博に出展されていた像をパキスタンから寄贈されたそうだ。



天井には小泉淳作氏の描いた大きな竜の雲龍図がある。



その奥の方丈に靴を脱いで入る。



背後の山を借景にして心字池を配した簡潔なお庭は開山した蘭渓道隆の作とある。短く刈り込んだ芝生が地面の微妙な凹凸をはっきり見せている。奥にある根元から切られた大木は以前からあのままだったのだろうか。



凛林
昼飯は瑞泉寺の山門の脇を抜けてすぐ右に曲がったところにある鎌倉凛林に行った。あっさりした中華料理の店で「凛林昼御膳」2,625円をいただいたが、まあまあと言ったところか。案内された部屋に建長寺の法殿の天井画を描いた小泉淳作氏のかわいい子虎のリトグラフがあった。



続きは次回


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