一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

小山怜央四段、順位戦参加を決める

2024-08-11 23:26:12 | 男性棋士
小山怜央四段が第74回NHK杯で勝利し、規定により来期からの順位戦参加を決めたのは知っていたが、その相手が谷川浩司十七世名人とは知らなかった。
きょうその放送を見たが、小山四段会心一局だった。永世名人に勝ったのだから、順位戦参加の資格は十分にあった(なおこの将棋、投了図は双方居玉だが、小山四段のそれは一回上がって戻っているので、マニア的には価値が低い)。
しかしこれ、プロ編入試験がなかったら小山四段は純粋なアマチュアだったわけで、なぜか私は、プロを倒す実力がありながらアマに甘んじた、小池重明氏を思い出した。
さてこれで、棋士編入試験を受けた棋士は、瀬川六段も含め、すべて順位戦参加を果たしたことになる。順位戦を指すことこそ棋士の本分であって、小山四段は、試験合格の次に、今回の一連の勝利がうれしかったのではなかろうか。
ただ、もし私が同じ立場だったら、タイムリミットから解放されて、遊びほうけてしまうだろう。小山四段は、これからの将棋が大切である。
参考までに、試験合格者が順位戦参加を決めたあとの10局の勝敗を、記してみる。

瀬川晶司六段 2009年 ○○●●●○○●●●(4勝6敗)
今泉健司五段 2016年 ●○○●○●●○●○(5勝5敗)
折田翔吾五段 2023年 ●●●●●○○○○○(5勝5敗)

折田五段は、ちょっと緊張が緩んだか、5連敗。しかしその後5連勝し(その後1勝を加えて6連勝)、借金を帳消しにした。
ついでに、フリークラスに降級してから順位戦復帰を決めた棋士の、直後の10局も記しておこう。

伊藤博文七段 2001年 ●●●●●●○●○○(3勝7敗)
島本亮六段 2015年 ●●●○●●○●○○(4勝6敗)

どちらもなかなかの緩みっぷり。だが、どこか微笑ましい。
いずれにしても、異色の棋士・小山四段の今後に期待だ。
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中座真八段、引退

2024-06-21 23:31:48 | 男性棋士
19日に第37期竜王戦4組残留決定戦・中座真八段VS野月浩貴八段戦が行われ、野月八段が勝った。中座八段は5月に引退を表明しており、これが現役最後の対局だった。
中座八段は2023年3月1日より11月30日まで、体調不良を理由に休場していた。昨年末、ようやく休場が明けた矢先にかくのごとくで、残念でならない。もはや、長時間での対局がままならなかったのだろう。

中座八段は1996年4月1日四段。1995年度後期の三段リーグでは、最終戦を負けて12勝6敗。当時中座三段は26歳で、このリーグ戦を最後と思って指していた。しかし到底昇段できる星ではなく、中座三段は絶望の淵に落ちた。だが、奇跡が起きる。競争相手の3人も最終戦で次々と敗れ、中座三段の四段昇段が決まったのだった。
四段昇段を知らされた中座三段は、ヘナヘナとその場で崩れ落ちた。このときの場面は、いまでも語り草になっている。
1997年の第56期C級2組順位戦で、中座四段は松本佳介四段相手に横歩取りの形から「△8五飛」と指した。ふつうは下段まで飛車を引くところを、中座する形で留め置く。これが画期的な新手で、この日同じ部屋で指していた野月四段はその優秀性を見抜き、以後、連採するようになる。その野月八段が、中座八段の最後の相手になろうとは……!!
そして後手になった野月八段は、中座八段に「中座飛車」を指したのだった。
ときに将棋界は、作り話のようなことが起こる。これもまたその一つであった。
中座八段は、2003年に中倉彰子女流二段と結婚した。
2007年にLPSAが設立された際は、中倉女流二段がLPSA所属になったこともあり、LPSAのイベントでは、中座八段がよく解説で出演してくれた。
その中座八段に、私は一度だけ、指導対局を受けたことがある。角落ちで、下手の私は、本家相手に「中座飛車」を指したのだった(「第10回武蔵の国 府中けやきカップ(2)」「第10回武蔵の国 府中けやきカップ(3)」「第10回武蔵の国 府中けやきカップ(4)」)。
我ながらうまく指しており、自分でないみたいだった。
中座八段は、竜王戦は2組まで昇ったものの、順位戦はC級1組からフリークラスまで降級し、プレーヤーとしては不満の残る成績だったと思う。
だが、自分の望む職業に就き、自身の名を冠した戦法名を残し、美人女流棋士をめとった。棋士として、これ以上の幸せはあるまい。
今後はくれぐれも身体を大事にし、将棋の普及に努めてください。長い間、お疲れ様でした。
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佐藤康光九段の快勝劇

2024-04-14 00:14:00 | 男性棋士
最近びっくりしたのは、10日に行われた第37期竜王戦(主催:読売新聞社、日本将棋連盟)ランキング戦1組準決勝で、54歳の佐藤康光九段が伊藤匠七段に勝ったことだ。
佐藤九段の実績は言うまでもない。元竜王、元名人で、永世棋聖の有資格保持者でもある。順位戦は第81期までA級を張っていた。だから誰に勝ってもおかしくないのだが、相手が伊藤七段とくれば、少々話が違ってくる。
伊藤七段は前期竜王戦の挑戦者で、いまも叡王に挑戦中である。藤井聡太竜王・名人がいなかったら、なにがしかのタイトルを持っていてもおかしくなかった。
そのふたりが対局したら、勢いの差で伊藤七段が勝つと誰もが思う。ところが本局は佐藤九段が勝った。これはびっくりするではないか。
その将棋は佐藤九段の先手で、金矢倉になった。かつて増田康宏八段は「矢倉は終わった」と言った。あまりにも極端な物言いだが、半分は当たっている。しっかり玉を囲って双方端攻めをする牧歌的な「相矢倉」はなくなったが、先手の矢倉自体は細々と生きているのだ。
果たして伊藤七段は、角換わりを思わせる中住まいを採った。これが令和の布陣で、十分戦えると見ているのだ。
だが昭和生まれの私からすると、矢倉城から玉が5二に出てきたように見え、これは先手が勝たなければならないと思った。
先手は一段玉で待ち、後手の居角の直射から逃れる。対して後手は二段玉で、佐藤九段が巧妙に5筋に照準を合わせた。これがハマり、先手が徐々に形勢を良くしていく。
こうなれば佐藤九段はもう逃さない。以下流れるような手順で、後手玉を網にかけ、しぼってゆく。結局、115手まで佐藤九段が勝ったというわけだった。
勝った佐藤九段は、これで決勝トーナメント進出決定。このあと1組決勝に勝てば、スーパーシードのベスト4に置かれる。
そして1組の反対の山は、久保利明九段と山崎隆之八段が勝ち上がってきている。佐藤九段は1組の優勝が2回あるが、久保九段と山崎八段はまだない。よって、誰が優勝しても、話題になる。
また余談ながら、森内俊之九段も4位決定戦で渡辺明九段に勝ち、決勝トーナメント進出まであと1勝としている。
森内九段も53歳。佐藤九段ともども、腕に歳は取らせない、という感じだが、両九段が若手のころはAIがなく、自力で手を読むしかなかった。その苦労がいまごろになって実を結んでいるのではなかろうか。
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宮嶋四段の成績

2024-04-08 20:20:08 | 男性棋士
2023年10月1日付で四段に昇段した宮嶋健太四段。私がお世話になっている大野八一雄七段の門下ということもあり、ライトに応援したい棋士である。
では、この半年間の戦績はどうだったか。とりあえず確認してみよう。

■2023年度
12月19日 第37期竜王戦ランキング戦6組1回戦 ○慶田義法アマ
12月27日 第37期竜王戦ランキング戦6組2回戦 ●黒田尭之五段
1月29日 第74期王将戦一次予選2回戦 ○大石直嗣七段
2月 第74回NHK杯予選1回戦 ●畠山成幸八段
2月24日 第50期棋王戦予選2回戦 ○横山大樹アマ
3月19日 第50期棋王戦予選3回戦 ○出口若武六段
以上、4勝2敗。

順位戦に参加していないと対局数が少なく、6局のみ。それでも4勝2敗はまずまずである。
四段になってのデビュー戦は、もはや定番となっている竜王戦6組の、対アマ戦。アマだからプロ有利ということはなく、このレベルのアマはプロ級であるし、プロ側は出場アマの棋風も知らないから、プロがアマに勝つのは大変なのである。そこをよく勝った。
しかし続く黒田五段に負けたのは痛い。竜王戦は対局料がいいからだ。まあよい、昇級者決定戦で勝ち抜けばよい。
殊勲だったのが次、王将戦の大石七段に勝ったことだ。大石七段は中堅の実力者で、前期順位戦ではB級2組から1組へ昇級した。その大石七段に勝ったのだから大したもの。大きな自信になったのではあるまいか。
次の対局、NHK杯予選で畠山八段に負けたのも痛かった。棋士が顔を売るには、NHK杯で勝って、テレビ出演するのが一番だからである。
まあ1回戦で負けたので、そこまで残念でもなかったが。
続く棋王戦予選で横山アマに勝ったのも見事。横山アマは朝日アマ名人戦6連覇中の強豪で、その辺のプロより有名である(失礼)。そこを宮嶋四段は勝ったわけで、やはりプロはアマより強いのだ。
続く若武六段もタイトル戦経験のある実力者だが、勝ち切った。
2024年度の戦いも楽しみだが、初日の4月1日、宮嶋四段は王将戦一次予選3回戦で、森本才跳四段に敗れた。
ま、本場所の順位戦はこれからだし、宮嶋四段の棋士人生もこれからである。頑張ってください。
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中原誠五段の47勝8敗.855の内訳

2024-03-09 12:49:34 | 男性棋士
年度最高勝率を狙う藤本渚四段は8日、第65期王位戦挑戦者決定リーグで佐々木大地七段に敗れ、46勝9敗.836となった。これにて、1967年度に中原誠五段(現十六世名人)が作った47勝8敗.855の記録を抜けなくなった。
これで残るは、44勝7敗.863の藤井聡太竜王・名人が更新できるかどうかに懸かった。
ところで、いつも引き合いに出される中原五段の1967年度の成績は、どんなものだったのか。棋戦別の勝敗を記しておこう。

第22期順位戦C級1組…○○○○○○●○○○○○(11勝1敗)
第7期十段戦…一次予選○●(1勝1敗)
第17期王将戦…一次予選○○二次予選○●(3勝1敗)
第11期棋聖戦…一次予選○○○二次予選○○本戦○○○○五番勝負○○●●●(11勝3敗)
第12期棋聖戦…本戦○(1勝)
第9期王位戦…予選○○○○(4勝)
第15回王座戦…本戦●(1敗)
第16回王座戦…一次予選○○○○二次予選○○(6勝)
第11回古豪新鋭戦…○○○○(4勝・優勝)
第17回東西対抗勝継戦…○○○●(3勝1敗)
第1回日本将棋連盟杯争奪戦…○○(2勝)
特別対局…○(1勝)
以上、47勝8敗。

東西対抗勝継戦は日本将棋連盟杯争奪戦に変わり、のちに天王戦に変わった。そして1993年、棋王戦に合流した。
古豪新鋭戦は、棋王戦の予選を兼ねた名棋戦へと名称を変え、後に棋王戦に合流した。
NHK杯は、当時は選抜制だったので、中原五段の出場はない。
また新人王戦は、まだ創設されていない。
順位戦C級1組は、当時12局あった。中原五段は6連勝後に木村義徳五段(現九段)に敗れ、デビューからの順位戦連勝は「18」でストップした(「中原五段の順位戦連勝を止めた男」)。
中原五段はこの対局の前まで公式戦でも14連勝しており、この敗戦のあとも9連勝した。勝負事にタラレバを言っても詮無いが、もし中原五段が木村五段に勝っていたら、24連勝というとんでもない記録が生まれていた。
11月21日には、第11期棋聖戦本戦準決勝で大山康晴名人(現十五世名人)と初対局。これに勝って挑戦者決定戦に駒を進めた。
大山名人はこの敗戦で、全タイトル戦での連続出場記録が「50」で途切れた。大山名人はこの敗戦をとても悔しがっていたという(「今日は何の日・11月21日」)。
「初対局」としては、中原五段は7月14日に、同じ棋聖戦二次予選で升田幸三九段(現実力制第四代名人)とも当たっている。もちろん勝ち、大山名人と当たったわけだ。中原五段がこの年に、将棋界を代表する両巨頭と当たっていたとは、なかなかに興味深い。
なお第11期棋聖戦は、中原五段が板谷進六段(現九段)との挑戦者決定戦に勝ち、20歳にしてタイトル戦初登場となった。いまでも20歳のタイトル戦登場は衝撃的だから、当時はもっとセンセーショナルだった。結果は山田道美棋聖に2勝3敗で敗れたが、新鋭中原五段の名は全国区になった。その後の活躍は周知の通りである。
こうしてみると、藤井竜王・名人こそ、中原五段の記録を抜くにふさわしい。そして、藤井竜王・名人が最高勝率を塗り替えても、またその記録を自身が抜きそうな気がするのだ。
コメント (3)
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