一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

阿部光瑠七段の期待はずれ

2024-02-19 23:39:10 | 男性棋士
先日の第82期C級2組順位戦だが、ちょっと気になる棋士がいた。阿部光瑠七段である。
阿部七段は2011年4月、16歳5ヶ月で四段デビュー。藤井聡太竜王・名人、渡辺明九段などを見るまでもなく、デビューが早ければ早いほど活躍するのは道理である。「こうる」という21世紀的な名前、捉えどころのない風貌など、これは大変な棋士が現れたと思った。
ところが阿部七段は、順位戦の1期目に、いきなり5連敗を喫してしまう。順位戦はそこから4勝1敗と盛り返し辛くも降級点を免れたが、おいおいこんなことで大丈夫かと思った。
翌第71期は6勝を挙げ勝ち越し。第72期は7勝を挙げ、ようやく調子が上がったかに見えたが、第73期は4勝6敗で再び負け越しとなった。
この間、2014年の第45期新人王戦では、佐々木勇気五段に2勝1敗で勝ち、棋戦初優勝を飾った。
その後も各棋戦では、竜王戦の4組昇級をはじめそこそこの活躍はするのだが、順位戦はもう一押しが足りない。それどころか第75期は3勝7敗に終わり、降級点を取ってしまった。
第77期では自己最高の8勝2敗を挙げたが、順位の差で昇級できず。ちなみにこのときは、同じ8勝2敗の佐々木大地四段が頭ハネを食らっている。
以下、阿部七段は本日まで順位戦C級2組在籍である。デビュー当時の衝撃はどこへやら。いまはふつうの棋士になってしまった。
では、順位戦の成績だけ記してみよう。

2011年度 第70期 ㊹4-6
2012年度 第71期 ㉜6-4
2013年度 第72期 ⑭7-3
2014年度 第73期 ⑩4-6
2015年度 第74期 ㉜5-5
2016年度 第75期 ㉗3-7
2017年度 第76期 ㊵7-3
2018年度 第77期 ⑪8-2
2019年度 第78期 ⑥6-4
2020年度 第79期 ⑭6-4
2021年度 第80期 ⑱7-3
2022年度 第81期 ⑯4-6
2023年度 第82期 ㉝4-5(9局まで)

降級点を取ったあとに5期連続で勝ち越しているのに、1回目の降級点は消えず。まことに恐ろしいルールだ。
順位戦通算は71勝58敗(.550)。全棋戦の通算が317勝209敗(.6026)なので、いかに順位戦に相性が悪いかが分かる。
そして今年度の順位戦は、5連敗のあと4連勝。いよいよ尻に火がつくと強くなるようだが、16歳の天才少年が、いまだにこのクラスでジタバタしているようではダメである。
C級2組にいると、油断しているとすぐ降級してしまう。とくに阿部七段の場合は、2年連続悪い成績を取ったら、もう降級である。せめてB級2組くらいにいれば、下に落ちるにも相当な年数がかかる。だから早いとこ昇級しておかないとダメなのだ。
佐々木七段と阿部七段は、順位戦の昇級がないのに現役九段になりそうで、恐い。
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青野九段、引退確定

2024-01-12 23:45:59 | 男性棋士
きのう11日の第82期C級2組順位戦で、現役最年長の青野照市九段は、現役最年少の藤本渚四段に敗れ、降級点を取った。これで3つめとなり、規定により、現役引退が確定した。
青野九段は1974年4月、四段デビュー。修業時代に山田道美九段の研究会に入っていたこともあり、居飛車での急戦を得意にした。また文章も達者で、若手のころから専門誌に連載を持っていた。
順位戦は着々とクラスを上げ、1983年、A級八段。十段戦や王位戦のリーグ入りも経験した。
その青野九段を有名にしたのは、1980年代に考案した対振り飛車の急戦策である。これを米長邦雄永世棋聖がタイトル戦で愛用し、ふたりの所在地が中野区鷺宮であったこと、また米長永世棋聖が敬愛する升田幸三実力制第四代名人も同所に住んでいたことから、「鷺宮定跡」と名付けられた。
1989年、第37期王座戦で中原誠王座に挑戦し、一時は2勝1敗とカド番に追い詰めたが、以後を連敗し、大魚を逸した。
しかしこれより有名な戦いは、1991年2月に指された、第49期A級順位戦8回戦、VS大山康晴十五世名人戦である。この期は両者とも不調で、この将棋の前まで、どちらも2勝5敗。すなわち本局が、実質的な残留決定戦だった。
将棋は序盤で大山十五世名人にポカがあり、金桂交換の駒損になってしまう。
しかし大山十五世名人は妖しく粘り、形勢逆転とする。しかし終盤で一失あり、再び青野九段が勝勢となった。
ところがそこで大山十五世名人に意表の受けが出て、動揺した青野九段は悪手を指してしまう。結果は大山十五世名人が辛勝し、青野九段は無念の降級となったのだった。
このときのことを青野九段は、「ああいう将棋は忘れるに限ります」という意味のことを述べている。
しかし本局は紛れもなく、名局のひとつに数えていいと思う。
2010年代には、横歩取り(▲3四飛)の形から右桂を跳ね、▲5八玉型に構える戦法を指す。これも大流行となり、升田幸三賞を受賞した。
このように、青野九段は晩年まで新構想を描いていた。
A級には通算11期。タイトル獲得こそならなかったがタイトル戦に登場し、あらゆる名棋士との対局も実現した。棋士としては大成功の部類に入る(話は脱線するが、青野夫人は大変な美人で、個人的には、これだけでもう、人生の勝利者と思える)。
そんな青野九段は現在、公式戦798勝である。残る棋戦は竜王戦6組昇級者決定戦、C級2組順位戦2局、王将戦、棋王戦、NHK杯である。あと2勝はなんとも微妙なところだが、青野九段の最後の踏ん張りに期待したい。
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藤井聡太竜王・名人、前人未到の八冠王達成!!!

2023-10-12 00:00:41 | 男性棋士
第71期王座戦第4局(主催:日本経済新聞社、日本将棋連盟)が11日に行われ、藤井聡太竜王・名人が永瀬拓矢王座を破り、将棋界史上初の八冠王に輝いた。
では、ときを戻して激闘の模様を振り返ってみよう。
京都市で午前9時から行われた本局、角を変わったあと、永瀬王座が単騎の桂跳ねをし、早くも決戦になった。
永瀬王座はその考慮時間(短考)から、研究量十分。いっぽうの藤井竜王・名人も対策は講じてきたはずだが、単騎の桂跳ねまで視野に入れていたかどうか。
藤井竜王・名人、銀と桂を刺し違えて中央の角打ちに期待したが、隅の香を取っただけでその馬も消された。さらに数手後桂損し、結果的には銀香交換の駒損となった。時間も大量に消費したのに成果が乏しく、もどかしい思いだったのではなかろうか。
対して永瀬王座は順調に戦いを進める。一時は考慮時間に3時間の差が出て、しかもさらに駒得を重ねた永瀬王座が指しよい。これは相当なアドバンテージに思われた。
ただ、相手は藤井竜王・名人である。彼以外の棋士なら九分九厘永瀬王座が勝つが、藤井竜王・名人だとどうなのか。しかも藤井竜王・名人は今期の王座戦、勝利の女神に微笑みまくられており、相当に勝ち運がある。まだまだ予断は許さなかった。
夜戦になり、果たして藤井竜王・名人に形勢の針が振れる。ところがそこから永瀬王座が踏ん張り、再び形勢を我が物にした。
永瀬王座、藤井竜王・名人の竜を徹底的に責め、ついに召し取った。さらに5筋にと金を作り、それを引いた手が金取り。持ち時間も、藤井竜王・名人が1分将棋なのに対し、永瀬王座は少し時間を残している。形勢バーは「永瀬90:10藤井」くらいになり、私には寄せの構想は見えぬが、永瀬王座の勝ちになったと思った。
ここでAIの予想は玉の早逃げだったが、藤井竜王・名人はそのと金を取る。永瀬王座はその金を取る。ここでは永瀬王座、自身の勝勢を意識したのではないだろうか。
藤井竜王・名人が中央に銀を据え、これで「永瀬98:2藤井」となった。これはどう考えても最終局である。
永瀬王座は馬で王手。フッと形勢バーを見たら、「永瀬9:91藤井」になったので、私はひっくり返った。ええー、こんな展開、ある!? 私はキツネにつままれたように、呆けてしまった。
永瀬王座、腰をひねり、髪をかきむしる。永瀬王座も、おのが敗勢に気が付いたのだ。
藤井竜王・名人、歩の王手。この1歩は、先ほど入手したと金だ。勝ち将棋鬼のごとし。藤井竜王・名人においては、たとえ1歩といえども、鬼の働きをするのだ。
永瀬王座、ここで投げたら自身の名誉王座が当分はなくなるばかりか、自身は無冠、相手は全冠という屈辱を味わうことになる。というかそもそも、急転直下の敗勢に心の準備もできておらず、とても投げられないのだ。
しかし、ついに即詰みが生じ、永瀬王座も投了せざるを得なくなった。時に20時59分。藤井竜王・名人、前人未到の八冠なる!! テレビ画面には、臨時ニュースが流れた。
藤井八冠の会見は見なかったが、「実力がまだまだ足りない」と述べたようだ。藤井八冠特有の謙遜はおなじみだが、こと王座戦に関しては、相当な本音だったと思う。本戦全勝、五番勝負3勝1敗だから盤石の結果にも見えるが、内容は厳しいものが多かった。
ただ、藤井八冠が勝って兜の緒を締めた以上、これから藤井八冠はどんどん伸びていく。もちろんほかの棋士も、十分すぎるくらい打倒藤井の炎を燃やしているが、それでも勝てない。よってこれからは、当分藤井八冠の独走が続くだろう。藤井八冠は21歳2ヶ月。これが八冠の最年少記録だが、これから1日ごとに、最年長記録を書き換えることになる。
藤井先生、八冠王、おめでとうございます。
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宮嶋健太四段誕生

2023-08-20 00:44:43 | 男性棋士
第73回奨励会三段リーグの15・16回戦が19日に行われ、宮嶋健太三段(24歳)が連勝し14勝2敗。2局を残して2位以上が確定し、四段昇段を決めた。
宮嶋新四段は大野八一雄七段門下。2011年に奨励会に入会し、苦節12年で大願を成就した。大野七段は多くの弟子を取っているが、棋士は初めて。大野七段もさぞ喜んでいると思われる。私も宮嶋四段とは面識があり、確か角落ちで1局教わったことがある。
前述のように、これまで多くの奨励会員が退会したので、私がその立場だったら素直に喜べないと思うが、大野門下にはそういうケチな性分の男はいないだろう。
宮嶋四段が、これから何が楽しみかといえば、三段リーグの残り2局を気楽に指せることだ。もちろん1位通過をすれば順位戦の順位が1枚上がるのだが、それは置いといても、こうした状況で指せる三段リーグはめったにない。伸び伸びと指して、リーグタイ記録の16勝を狙ってみようか。
宮嶋健太四段、おめでとうございます。
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北村昌男九段、逝去

2023-07-15 23:45:35 | 男性棋士
北村昌男九段が7月9日に亡くなった。享年88歳。
北村九段は1953年、19歳で四段デビュー。以後順位戦で順調に昇級し、24歳でB級1組・七段に昇進した。もうA級八段は時間の問題といわれていたが、そこから足踏みが続き、ついぞA級に昇ることはなかった。A級に匹敵する実力を持ちながら昇級できなかった棋士に西村一義九段、中村修九段、福崎文吾九段らがいるが、北村九段はその先駆けだった。
北村九段は猛烈な攻め将棋で、「攻めさせたら十五段」の異名を持った。詰将棋創作が得意で、将棋世界の別冊付録で発表したこともある。盤面に「と金」を使わず、極力「金」を使っていたのが印象的だった。
語り口はソフトで、NHK杯の解説もたびたび務めた。その際、「こちら側(たとえば先手側)がこれですね」と、両手でマルを作るのがおなじみのゼスチャーだった。「先手がいいですね」と言っても対局者には聞こえないのだが、妙な配慮が可笑しかった。
北村九段は若手棋士との対局で、相矢倉から△6四銀と出た。が、すかさず▲6五歩と突かれて困ってしまった。これを△同銀は▲5五歩で銀バサミ。といっていま出た銀を△5三銀とは引けず、北村九段はいきおい△6五同銀。しかしやはり▲5五歩からの銀バサミが厳しく、以下玉砕した。
しかし私は、「負けても指せない手がある」という北村美学を見たのだった。
棋戦の優勝はあまりなく、1980年、第7回名棋戦で福崎六段に勝って優勝したくらいか。これは棋王戦の予選も兼ねており、出場棋士はB級2組以下に限られていた。
とはいえ、優勝は優勝である。当時の「近代将棋」に、その雄姿がモノクロ写真で1ページまるまる掲載されている。
北村九段は1994年9月8日、突然現役を引退した。この中途半端な日にちはなぜか。私の記憶が確かならば、ある棋戦で北村九段は女流棋士との対戦が組まれた。その対局が迫ってきた中での急な引退だったので、私は北村九段が女流棋士との対局を忌避せんがための引退、と取った。むろん、真相は分からない。
将棋も生き方も一本気だった、「攻め十五段」に合掌。
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