東北大津波は私の想像をはるかに越えるものだった。私は現在自分が置かれている境遇に必ずしも満足していないが、細々とでも仕事があり、毎日ご飯が食べられ、好きな将棋が指せる。それが幸せなことだとつくづく思い知った。
ありきたりの言葉だけど、被災地の方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
(11日の続き)
大野八一雄七段の教えによると、☖2六歩に☗2八歩は、☗2二歩~☗2一歩成の楽しみがなくなってしまうので、☗3八金と辛抱するところだったという。その前の☗6八飛も、下手が無理に動いたので上手に楽しみを与えたらしく、ここは下手が居飛車のまま銀立ち矢倉を構築すれば、上手は困ったという。
まあ確かにそうなのだろうが、上手がどんどん迫ってくるのに、悠然と構えるのは勇気が要る。仮に大野七段指摘の順を指したとしても勝負はこれからで、結局は負かされた気がする。やっぱりプロは強かった。
続いて小学生A君と。4年生か5年生、という感じだが、棋力はアマ四段だという。堂々と「王将」を取られ、面喰らった。
私が後手で、横歩取りの進行になった。A君がポンポン指してくるので、ちょっと停滞させてやれと、☖3八歩~☖4四角。不勉強なのでこのあとの変化は忘れたが、ここでA君の指す手が最善手と思った。
本譜は☗8七歩☖7六飛☗7七歩。たぶんこれが最善なのだろう。以下大駒が乱舞する派手な戦いになった。A君は☗8三角から☗6一角成と金を取り、☖同玉☗7二歩☖同銀☗8二金ときた。次の狙いは☗7一飛だが、私の☖6二角が受けの好手。☗4一飛の王手にも☖5二玉と強く受けた。
以下☗7二金☖4一玉☗6二金の局面は金銀と飛車の2枚換えで私の損だが、先手の金の働きがいまひとつなので、いい勝負と思った。
しかし☖3三銀と壁銀を立て直したのが疑問手。すかさず☗2二歩とされ、☖2二同銀と戻るようでは、立ち遅れた。☖3三銀では☖3三桂と跳ね、3一~2一への逃げ道を確保するべきだった。
以下はA君の巧妙な攻めと私の致命的な見落としがあり、私の負け。いやはや、強い小学生だった。
…とガックリきている間もなく、今度はB君との将棋である。A君もB君も、見慣れぬオッサンが来たので、どんな将棋を指すか興味津々らしい。そんなB君も、王将を持つ。王将だろうと玉将だろうと、小学生には関係ないのだ。
これも私の後手番となり、☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖8四歩と進んだが、B君は☗6六歩。矢倉へ誘導したいらしい。私は相矢倉は好まないので、☖6四歩から中飛車・右玉に変化する。しかしB君の☗4六銀~☗3五歩の攻めが早く、たちまち私の玉は寄せられてしまった。
こんなヘタな将棋の感想戦はやりたくないが、仕方なく付き合う。
B君は
「ここで金を上がるようじゃ、もうそちらがつらいですよね」
と容赦ない。チッ、生意気なガキだ。さらにB君は大野七段を呼び、
「ここでどう指せばいいんですか?」
と、余計なことをいう。私のスットコドッコイな手がバレてしまうではないか。
しかし大野七段の指摘は明快だった。私は☗3五歩に☖3三角と上がったのだが、これを悪手と即断し、代わりに☖3三金と上がる手を教えてくれた。
なるほど、そういう受け方もあるのかと思う。以下☖5七歩と垂らし、☖1三角から☖5八銀の変化で、たちまちこちらが優勢になってしまった。
実戦は先手も変化するだろうが、流れるような手順である。中飛車・右玉の戦い方が分かって、とてもためになった。
このあとはおやつ休憩。果物やお菓子が出る。といっても「休み」はなく、11~15手の詰将棋が4問出題された。これを解きながらおやつを頬張るわけだ。
この問題がまた、頗るむずかしい。W氏は、「見るだけムダ」とハナから敬遠している。賢明である。30分の制限時間だったが、私は1問しか解けなかった。しかし小学生は、全問解けたのではなかろうか。次世代の若い芽は、すくすく育っているようである。
休憩が終わると、再び大野七段が対局に誘ってくれる。
「でも私はもう指しましたから」
と遠慮すると、W氏が
「大沢さん、芝浦サロンが染み付いちゃってるよ。ここは追加料金を取らないから大丈夫だよ」
と笑う。
恐縮しながら、2局目を教えていただく。おカネのことをいうと生々しいが、これで3,500円とは安い。
再び角を落としていただく。大野七段の向かい飛車に、私の三間飛車となった。私が銀冠を構築すると、大野七段も☖4四銀左と攻勢を取る。
と、植山悦行七段が訪れた。植山七段は大野教室のサポーターで、この教室に欠かせない存在である。室内の雰囲気がちょっぴりなごんだ。
大野七段の端攻めが始まった。下手からやむなく攻めを開始するのは上手の待ち受けるところだが、上手からの攻めはどうなのだろう。正確に指せば、下手が余せる気がした。
☖1七同香成。これは2六の銀、2七の金、2八の玉で取れるが、私は2八の玉で取った。
(つづく)
ありきたりの言葉だけど、被災地の方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
(11日の続き)
大野八一雄七段の教えによると、☖2六歩に☗2八歩は、☗2二歩~☗2一歩成の楽しみがなくなってしまうので、☗3八金と辛抱するところだったという。その前の☗6八飛も、下手が無理に動いたので上手に楽しみを与えたらしく、ここは下手が居飛車のまま銀立ち矢倉を構築すれば、上手は困ったという。
まあ確かにそうなのだろうが、上手がどんどん迫ってくるのに、悠然と構えるのは勇気が要る。仮に大野七段指摘の順を指したとしても勝負はこれからで、結局は負かされた気がする。やっぱりプロは強かった。
続いて小学生A君と。4年生か5年生、という感じだが、棋力はアマ四段だという。堂々と「王将」を取られ、面喰らった。
私が後手で、横歩取りの進行になった。A君がポンポン指してくるので、ちょっと停滞させてやれと、☖3八歩~☖4四角。不勉強なのでこのあとの変化は忘れたが、ここでA君の指す手が最善手と思った。
本譜は☗8七歩☖7六飛☗7七歩。たぶんこれが最善なのだろう。以下大駒が乱舞する派手な戦いになった。A君は☗8三角から☗6一角成と金を取り、☖同玉☗7二歩☖同銀☗8二金ときた。次の狙いは☗7一飛だが、私の☖6二角が受けの好手。☗4一飛の王手にも☖5二玉と強く受けた。
以下☗7二金☖4一玉☗6二金の局面は金銀と飛車の2枚換えで私の損だが、先手の金の働きがいまひとつなので、いい勝負と思った。
しかし☖3三銀と壁銀を立て直したのが疑問手。すかさず☗2二歩とされ、☖2二同銀と戻るようでは、立ち遅れた。☖3三銀では☖3三桂と跳ね、3一~2一への逃げ道を確保するべきだった。
以下はA君の巧妙な攻めと私の致命的な見落としがあり、私の負け。いやはや、強い小学生だった。
…とガックリきている間もなく、今度はB君との将棋である。A君もB君も、見慣れぬオッサンが来たので、どんな将棋を指すか興味津々らしい。そんなB君も、王将を持つ。王将だろうと玉将だろうと、小学生には関係ないのだ。
これも私の後手番となり、☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖8四歩と進んだが、B君は☗6六歩。矢倉へ誘導したいらしい。私は相矢倉は好まないので、☖6四歩から中飛車・右玉に変化する。しかしB君の☗4六銀~☗3五歩の攻めが早く、たちまち私の玉は寄せられてしまった。
こんなヘタな将棋の感想戦はやりたくないが、仕方なく付き合う。
B君は
「ここで金を上がるようじゃ、もうそちらがつらいですよね」
と容赦ない。チッ、生意気なガキだ。さらにB君は大野七段を呼び、
「ここでどう指せばいいんですか?」
と、余計なことをいう。私のスットコドッコイな手がバレてしまうではないか。
しかし大野七段の指摘は明快だった。私は☗3五歩に☖3三角と上がったのだが、これを悪手と即断し、代わりに☖3三金と上がる手を教えてくれた。
なるほど、そういう受け方もあるのかと思う。以下☖5七歩と垂らし、☖1三角から☖5八銀の変化で、たちまちこちらが優勢になってしまった。
実戦は先手も変化するだろうが、流れるような手順である。中飛車・右玉の戦い方が分かって、とてもためになった。
このあとはおやつ休憩。果物やお菓子が出る。といっても「休み」はなく、11~15手の詰将棋が4問出題された。これを解きながらおやつを頬張るわけだ。
この問題がまた、頗るむずかしい。W氏は、「見るだけムダ」とハナから敬遠している。賢明である。30分の制限時間だったが、私は1問しか解けなかった。しかし小学生は、全問解けたのではなかろうか。次世代の若い芽は、すくすく育っているようである。
休憩が終わると、再び大野七段が対局に誘ってくれる。
「でも私はもう指しましたから」
と遠慮すると、W氏が
「大沢さん、芝浦サロンが染み付いちゃってるよ。ここは追加料金を取らないから大丈夫だよ」
と笑う。
恐縮しながら、2局目を教えていただく。おカネのことをいうと生々しいが、これで3,500円とは安い。
再び角を落としていただく。大野七段の向かい飛車に、私の三間飛車となった。私が銀冠を構築すると、大野七段も☖4四銀左と攻勢を取る。
と、植山悦行七段が訪れた。植山七段は大野教室のサポーターで、この教室に欠かせない存在である。室内の雰囲気がちょっぴりなごんだ。
大野七段の端攻めが始まった。下手からやむなく攻めを開始するのは上手の待ち受けるところだが、上手からの攻めはどうなのだろう。正確に指せば、下手が余せる気がした。
☖1七同香成。これは2六の銀、2七の金、2八の玉で取れるが、私は2八の玉で取った。
(つづく)