今日9月2日は、中原誠十六世名人の72歳の誕生日。おめでとうございます。
そこで今日は、「中原の名局」を3年振りに紹介したいと思う。
7月26日の記事で紹介した第50期順位戦だが、4者プレーオフのパラマスを勝ち抜いたのは、高橋道雄九段だった。高橋九段はそれまで十段、王位、棋王のタイトルを合計5期獲得し、最も脂が乗っていた。
当時「将棋世界」の名人挑戦者アンケートで、私は高橋九段に投票したのだが、大山フィーバーですっかり忘れていた。ある日、切手シートが送られてきて、懸賞に当選したことが分かり、うれしかった。
七番勝負は第1局から矢倉●、矢倉●、相掛かり○、矢倉●で1勝3敗。よもやの星で名人危うしとなったが、中原名人は第5局に相掛かり、第6局に横歩取りを採用し勝利、何とかタイに持ち込んだ。しかし中原名人は得意の矢倉を採用しなかったわけで、これは当時かなり話題になった。1964年の第4期棋聖戦で、大山康晴棋聖が関根茂七段にカド番に追い込まれた際、振り飛車を捨て薄氷の防衛をしたが、あれと同じ構図である。
そして運命の最終局を迎えた。
1992年6月22日、23日
第50期名人戦第7局
▲九段 高橋道雄
△名人 中原誠
初手からの指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩▲7八金△3二金▲2四歩△同歩▲同飛△8六歩▲同歩△同飛▲3四飛△3三角▲5八玉△2二銀▲3八金△5二玉▲4八銀△7二金▲3六飛△8四飛▲3三角成△同銀▲8八銀△2四飛▲2七歩△6二銀▲7五歩△8四飛▲2六飛(第1図)
先番を引いたのは高橋九段。当然の▲7六歩に、中原名人の応手は△3四歩だった。ここまでくれば当然の選択で、矢倉に絶対の自信を持つ高橋九段は落胆したことだろう。この2手で気分的には、もう差が開いている。
以下、横歩取りに進む。しかし時代的に桂馬が跳ねるようなことはなく、重厚感あふれる指し手が続く。
第1図以下の指し手。△2二金▲7七桂△8二飛▲8五歩△6四歩▲8六飛△8三歩▲8七銀△6三銀▲7六銀△4四銀▲4六歩△7四歩▲同歩△同銀▲7五歩△6三銀▲4七銀△5四歩▲6六歩△3二金▲6七金△9四歩▲5六歩△7三桂▲8九飛△9五歩▲3六歩△8一飛▲6八金△5三銀▲3七桂△4四歩▲2六歩△9六歩▲同歩△9二香▲6七銀(第2図)
△2二金が強情な一手。ここ△2三歩では、一方的に歩を使わされ面白くないと見たのだ。
高橋九段は▲8六飛と回り、ひねり飛車のような形になった。今度こそ△8三歩と受けさせ、これは気分がよかっただろう。ただ中原名人のほうも、この歩は平気で打ったと思う。
中原名人は△8一飛から△9六歩~△8一飛。飛車を8筋では使えないから、端攻めに使う構想だ。
高橋九段は▲6七銀と引き締め、決戦に備える。
第2図以下の指し手。△9八歩▲同香△4三角▲1六角△3四歩▲3五歩△同歩▲4三角成△同金▲3二歩△5五歩▲2七角△5四角▲同角△同銀直▲8四歩△7六歩▲同銀△8四歩▲8二歩△9一飛▲7四歩△同銀▲8四飛△8三金▲8九飛△8八歩▲同飛△8四歩▲7五歩△6三銀右▲8九飛(第3図)
私のような凡人は第2図で△9一飛を考える。しかし中原名人は△9八歩。▲同香に△4三角が意表の手だ。3年前に紹介した「中原の名局2」の谷川浩司名人戦でも敢行した攻め筋だ。そして△9八歩自体では、第31期名人戦、大山名人との第1局を思い出した(参考図)。
本譜に戻り、これに▲8八飛と受けても、△5五歩~△7六歩の狙いがあるのだろう。高橋九段は▲1六角からこの角を消し、▲3二歩の小技。以下、細かいやり取りが続く。
第3図以下の指し手。△3六歩▲2五桂△9六香▲8一歩成△9五飛▲8六飛△9八香成▲9五歩△9七角▲8七歩△9二飛▲3一歩成△5六歩▲5五歩△同銀▲7一歩成△5三玉▲6一角△8二飛▲2一と△5二銀▲8一と△6一銀▲8二と△5七香▲4八玉△5九角▲3九玉△3七歩成(第4図)
私にはプロの指し手の狙いなど到底分からないので、ただただ記譜を鑑賞するのみ。
プロの将棋で感心するのは盤面全体を見ていることで、あっちこっちに指し手が飛ぶ。△3六歩もそうで、これを▲同銀は△5六歩が脅威だ。
そこで▲2五桂だが、それが20数手後、△3七歩成と昇格した。名人がここまで読んでいたとは思われないが、こうなっては先手、もうダメである。
第4図以下の指し手。▲6五桂打△同歩▲同桂△同桂▲5四歩△4二玉▲3一飛△8六角成▲3七金△7六馬▲8三と△4九馬(投了図)
まで、144手で中原名人の勝ち。
以下は指してみただけのような気がする。144手までで高橋九段が投了。3番連続名人のチャンスを逸し、その無念はいかばかりだったか。
中原名人は15期目の名人。大山十五世名人が「将棋マガジン」で第5局の解説をしたとき、私の名人18期を越えるには今期の防衛がカギ、というようなことを述べた。だが中原名人は翌年米長邦雄九段に名人を取られ、以降、タイトル戦に登場することはなかった。
また高橋九段も1996年に棋王戦に登場したが、それ以降、タイトル戦に登ることはなかった。
そこで今日は、「中原の名局」を3年振りに紹介したいと思う。
7月26日の記事で紹介した第50期順位戦だが、4者プレーオフのパラマスを勝ち抜いたのは、高橋道雄九段だった。高橋九段はそれまで十段、王位、棋王のタイトルを合計5期獲得し、最も脂が乗っていた。
当時「将棋世界」の名人挑戦者アンケートで、私は高橋九段に投票したのだが、大山フィーバーですっかり忘れていた。ある日、切手シートが送られてきて、懸賞に当選したことが分かり、うれしかった。
七番勝負は第1局から矢倉●、矢倉●、相掛かり○、矢倉●で1勝3敗。よもやの星で名人危うしとなったが、中原名人は第5局に相掛かり、第6局に横歩取りを採用し勝利、何とかタイに持ち込んだ。しかし中原名人は得意の矢倉を採用しなかったわけで、これは当時かなり話題になった。1964年の第4期棋聖戦で、大山康晴棋聖が関根茂七段にカド番に追い込まれた際、振り飛車を捨て薄氷の防衛をしたが、あれと同じ構図である。
そして運命の最終局を迎えた。
1992年6月22日、23日
第50期名人戦第7局
▲九段 高橋道雄
△名人 中原誠
初手からの指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩▲7八金△3二金▲2四歩△同歩▲同飛△8六歩▲同歩△同飛▲3四飛△3三角▲5八玉△2二銀▲3八金△5二玉▲4八銀△7二金▲3六飛△8四飛▲3三角成△同銀▲8八銀△2四飛▲2七歩△6二銀▲7五歩△8四飛▲2六飛(第1図)
先番を引いたのは高橋九段。当然の▲7六歩に、中原名人の応手は△3四歩だった。ここまでくれば当然の選択で、矢倉に絶対の自信を持つ高橋九段は落胆したことだろう。この2手で気分的には、もう差が開いている。
以下、横歩取りに進む。しかし時代的に桂馬が跳ねるようなことはなく、重厚感あふれる指し手が続く。
第1図以下の指し手。△2二金▲7七桂△8二飛▲8五歩△6四歩▲8六飛△8三歩▲8七銀△6三銀▲7六銀△4四銀▲4六歩△7四歩▲同歩△同銀▲7五歩△6三銀▲4七銀△5四歩▲6六歩△3二金▲6七金△9四歩▲5六歩△7三桂▲8九飛△9五歩▲3六歩△8一飛▲6八金△5三銀▲3七桂△4四歩▲2六歩△9六歩▲同歩△9二香▲6七銀(第2図)
△2二金が強情な一手。ここ△2三歩では、一方的に歩を使わされ面白くないと見たのだ。
高橋九段は▲8六飛と回り、ひねり飛車のような形になった。今度こそ△8三歩と受けさせ、これは気分がよかっただろう。ただ中原名人のほうも、この歩は平気で打ったと思う。
中原名人は△8一飛から△9六歩~△8一飛。飛車を8筋では使えないから、端攻めに使う構想だ。
高橋九段は▲6七銀と引き締め、決戦に備える。
第2図以下の指し手。△9八歩▲同香△4三角▲1六角△3四歩▲3五歩△同歩▲4三角成△同金▲3二歩△5五歩▲2七角△5四角▲同角△同銀直▲8四歩△7六歩▲同銀△8四歩▲8二歩△9一飛▲7四歩△同銀▲8四飛△8三金▲8九飛△8八歩▲同飛△8四歩▲7五歩△6三銀右▲8九飛(第3図)
私のような凡人は第2図で△9一飛を考える。しかし中原名人は△9八歩。▲同香に△4三角が意表の手だ。3年前に紹介した「中原の名局2」の谷川浩司名人戦でも敢行した攻め筋だ。そして△9八歩自体では、第31期名人戦、大山名人との第1局を思い出した(参考図)。
本譜に戻り、これに▲8八飛と受けても、△5五歩~△7六歩の狙いがあるのだろう。高橋九段は▲1六角からこの角を消し、▲3二歩の小技。以下、細かいやり取りが続く。
第3図以下の指し手。△3六歩▲2五桂△9六香▲8一歩成△9五飛▲8六飛△9八香成▲9五歩△9七角▲8七歩△9二飛▲3一歩成△5六歩▲5五歩△同銀▲7一歩成△5三玉▲6一角△8二飛▲2一と△5二銀▲8一と△6一銀▲8二と△5七香▲4八玉△5九角▲3九玉△3七歩成(第4図)
私にはプロの指し手の狙いなど到底分からないので、ただただ記譜を鑑賞するのみ。
プロの将棋で感心するのは盤面全体を見ていることで、あっちこっちに指し手が飛ぶ。△3六歩もそうで、これを▲同銀は△5六歩が脅威だ。
そこで▲2五桂だが、それが20数手後、△3七歩成と昇格した。名人がここまで読んでいたとは思われないが、こうなっては先手、もうダメである。
第4図以下の指し手。▲6五桂打△同歩▲同桂△同桂▲5四歩△4二玉▲3一飛△8六角成▲3七金△7六馬▲8三と△4九馬(投了図)
まで、144手で中原名人の勝ち。
以下は指してみただけのような気がする。144手までで高橋九段が投了。3番連続名人のチャンスを逸し、その無念はいかばかりだったか。
中原名人は15期目の名人。大山十五世名人が「将棋マガジン」で第5局の解説をしたとき、私の名人18期を越えるには今期の防衛がカギ、というようなことを述べた。だが中原名人は翌年米長邦雄九段に名人を取られ、以降、タイトル戦に登場することはなかった。
また高橋九段も1996年に棋王戦に登場したが、それ以降、タイトル戦に登ることはなかった。