「能登」「北陸」の定期運用終了を間近に控え、上野口がにわかに騒がしくなってきたようです。それにちなんでというわけでもないのですが、かつて客車急行全盛期に、急行「越前」のしんがりとして上野駅へ顔を出していたパレット荷物車、マニ37 2150の製作について書いてみたいと思います。
これも長期放置車のひとつで、起工してから足掛け5年目に入ってしまいましたので、ここでネジを巻いて一気に完成まで持ち込みたいところです。
余剰となった旧2等車からの改造が多い荷物車のなかで、実車はスハ32から改造された丸屋根折妻車体をもっており、晩年は福井客貨車区(金フイ)の所属でした。プリントからのスキャンであまり画質は良くないですが、当時撮影したものがあるのでご覧下さい。
1枚目は上野駅で発車を待つ姿で、既にパレットの積み込みは終わっているようです。乗務員室の下あたりにパッチを当てたような補修痕が見えます。
【マニ37 2150/1981(S56).10.7,上野駅】
2枚目は上の写真から2ヵ月後、冬の長旅を終えて上野駅に到着した2150です。そこかしこに吹き込んだ雪が険しい道中を物語っていますね。相変わらず乗務員室下のパッチが目立ちます。写真を改めて見て気が付いたのですが、台車はコロ軸改造のTR23のようですね。
【マニ37 2150/1982(S57).1.29,上野駅】
この日はEF62が重連回送されていました。本題と関係ないのですが参考までに載せます。といっても機番の控えがないので参考にもなりませんが・・・(^^;
【回送機を含む2両のEF62とマニ37 2150/1982(S57).1.29,上野駅】
さて模型の方ですが、「製作」といいながら厳密にはKATO製プラ客車(オハフ33)からの改造製作です。窓の少ない荷物車は自作してもたかが知れているのですが(実際、プラ板にケガいた“ひらき”も存在)、綺麗なリベットが欲しかったので市販車に手が伸びました。オハでなくオハフなのは言うまでもなく「テールライトが必要だから!」です♪
形式図をもとに荷物ドアの開口位置や窓埋め位置を確認していくと、柱の中間ではなく窓の左右いずれかの辺を活かせる部分が意外と多いことに気付きました。スハ32系を近代化したのがオハ35系ですから当然かも知れませんが、600mm窓と1000mm窓という違いがあるなかで驚異というか不思議というべきか・・・
手書きの恐ろしい図をご参考までにご覧に入れます。食べこぼしシミがわからないようにグレースケール化してます(笑)
改造前に撮影したオハフ33。手術台に乗る前の緊張の面持ちです。ベンチレーターが付いていないのは外したのではなく、ユーザー取り付けとなっているためです。茶箱時代の初期ロットの製品です。
荷物ドアをあけているところです。四隅にφ3くらいのドリルで穴を開け、カッターのこでザクザク切り抜きました。ずいぶん太い黒マジックでケガいたものだと我ながらびっくり。
時は流れて現在の様子。いかに進展していないかがわかります・・・
上の図面とは反対側面になりますが、乗務員室側から順番にみていくとこうなります。
扉には一部を除き市販パーツを使います。左から荷物扉(エコーモデルNo.2021)、貫通扉(フジモデルNo.953-2 青15号塗装済)、前位デッキ扉(フジモデルNo.1111 Hゴム付)です。なお、後位デッキ扉はプラ板から自作予定です。
荷物扉を当てがってみたところです。んープラ車体は厚みがあるので四辺を削らないと奥に入りすぎかな。平板な鋼製扉なのでおとなしく自作した方が手っ取り早いかも知れません。
デッキ扉はまあこんなものでしょう。引戸に改造されてるから取っ手は右でいいんですよね??
貫通扉も当てがってみると・・・。これもなかなかいい感じ。
感傷に浸っている場合ではありません。前進あるのみですね。
しかし台車がコロ軸なのは参りましたね。改造直後に撮られたと思われる「とれいん」誌(No.257,P.39)の2151の写真は平軸受なので、福井時代にどうだったかは別としてそのまま放っておいても構わないのですが、やるとすれば軸箱の先を削ってエコーの改造パーツを乗せるのが現実的でしょうか。
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これも長期放置車のひとつで、起工してから足掛け5年目に入ってしまいましたので、ここでネジを巻いて一気に完成まで持ち込みたいところです。
余剰となった旧2等車からの改造が多い荷物車のなかで、実車はスハ32から改造された丸屋根折妻車体をもっており、晩年は福井客貨車区(金フイ)の所属でした。プリントからのスキャンであまり画質は良くないですが、当時撮影したものがあるのでご覧下さい。
1枚目は上野駅で発車を待つ姿で、既にパレットの積み込みは終わっているようです。乗務員室の下あたりにパッチを当てたような補修痕が見えます。
【マニ37 2150/1981(S56).10.7,上野駅】
2枚目は上の写真から2ヵ月後、冬の長旅を終えて上野駅に到着した2150です。そこかしこに吹き込んだ雪が険しい道中を物語っていますね。相変わらず乗務員室下のパッチが目立ちます。写真を改めて見て気が付いたのですが、台車はコロ軸改造のTR23のようですね。
【マニ37 2150/1982(S57).1.29,上野駅】
この日はEF62が重連回送されていました。本題と関係ないのですが参考までに載せます。といっても機番の控えがないので参考にもなりませんが・・・(^^;
【回送機を含む2両のEF62とマニ37 2150/1982(S57).1.29,上野駅】
さて模型の方ですが、「製作」といいながら厳密にはKATO製プラ客車(オハフ33)からの改造製作です。窓の少ない荷物車は自作してもたかが知れているのですが(実際、プラ板にケガいた“ひらき”も存在)、綺麗なリベットが欲しかったので市販車に手が伸びました。オハでなくオハフなのは言うまでもなく「テールライトが必要だから!」です♪
形式図をもとに荷物ドアの開口位置や窓埋め位置を確認していくと、柱の中間ではなく窓の左右いずれかの辺を活かせる部分が意外と多いことに気付きました。スハ32系を近代化したのがオハ35系ですから当然かも知れませんが、600mm窓と1000mm窓という違いがあるなかで驚異というか不思議というべきか・・・
手書きの恐ろしい図をご参考までにご覧に入れます。食べこぼしシミがわからないようにグレースケール化してます(笑)
改造前に撮影したオハフ33。手術台に乗る前の緊張の面持ちです。ベンチレーターが付いていないのは外したのではなく、ユーザー取り付けとなっているためです。茶箱時代の初期ロットの製品です。
荷物ドアをあけているところです。四隅にφ3くらいのドリルで穴を開け、カッターのこでザクザク切り抜きました。ずいぶん太い黒マジックでケガいたものだと我ながらびっくり。
時は流れて現在の様子。いかに進展していないかがわかります・・・
上の図面とは反対側面になりますが、乗務員室側から順番にみていくとこうなります。
扉には一部を除き市販パーツを使います。左から荷物扉(エコーモデルNo.2021)、貫通扉(フジモデルNo.953-2 青15号塗装済)、前位デッキ扉(フジモデルNo.1111 Hゴム付)です。なお、後位デッキ扉はプラ板から自作予定です。
荷物扉を当てがってみたところです。んープラ車体は厚みがあるので四辺を削らないと奥に入りすぎかな。平板な鋼製扉なのでおとなしく自作した方が手っ取り早いかも知れません。
デッキ扉はまあこんなものでしょう。引戸に改造されてるから取っ手は右でいいんですよね??
貫通扉も当てがってみると・・・。これもなかなかいい感じ。
感傷に浸っている場合ではありません。前進あるのみですね。
しかし台車がコロ軸なのは参りましたね。改造直後に撮られたと思われる「とれいん」誌(No.257,P.39)の2151の写真は平軸受なので、福井時代にどうだったかは別としてそのまま放っておいても構わないのですが、やるとすれば軸箱の先を削ってエコーの改造パーツを乗せるのが現実的でしょうか。
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