1枚の古い写真が出てきました。1975(昭和50)年、ちょうど半世紀前の撮影です。
本来は都バスを撮ろうとしてタイミングが早すぎ、その結果、「紙の記憶1_何でも揃った街の模型店」で言及した地元の小さな模型店「かしわや」の姿が偶然記録されたものです。場所は地下鉄丸ノ内線新中野駅から東へ5~6分歩いたところで青梅街道に面しています。間口が狭く奥が深い京町屋のような造りになっていました。

拡大すると確かに「かしわや」の文字がうっすら読み取れます。入口の右側のショーウインドーには篠原?のダブルクロスがガラス面に貼り付けるように飾られていて、高級感漂うその光景に、「いつかはクラウン」ならぬ「いつかはダブルクロス」・・・と羨望のまなざしを送ったものです。店内には所狭しとプラモデルや科学教材などが積まれ、頭上にはOゲージの周回線路がありました。新幹線1000形試験電車とおぼしきHOのペーパー車体がいつも置いてあったのも印象に残っています。

このたび、改めてこの店がどこにあったのかを調べてみました。近所だから写真を見れば一発で分かるとタカをくくっていたのですが、就職してからしばらくは東京を離れていたこと、東京へ戻ってからも多摩の方に住んでいたことなどから、すっかり建物が建て替わってしまったこの光景に、さてこの写真はいったいどこを写したものやら??となってしまったのです。
バスの後ろ側には狭い路地があるように見え、そういえば「かしわや」へ行くときは路地をルンルン気分で歩いて青梅街道へ出ていたのだなぁ・・・という記憶と繋ぐところまではできました。しかしこの辺は似たような路地が多いのです。
写真をいろいろなめ回しているとバスの後方に丸い看板があるのに気が付きました。消火栓の所在を示すお馴染みの赤い看板です。文字数からすると「防火水そう」と書かれているようにも見えますが、いずれにせよ消防水利に関する看板に間違いありません。そして消防水利なら年月が経ってもそうそう動いたり消滅したりはしないだろうと考え、範囲を絞って現地を探してみると・・・。

ありました!中野消防署の脇の路地を少し入ったところに「消火栓 区画量水器」と書かれた四角い鉄蓋が!!

うすうす予想はしていたのですが、「かしわや」を含む一帯は奥の方まで含めて更地となり、老朽化した旧中野消防署の代替移転地となっていたのでした。移転は平成5(1993)年とのことですが、その4~5年前、すなわち平成元年前後にはすでに一帯の建物は取り壊されて更地になっていたようです。駅前の再開発でもないのになぜ?という疑問はありますが、老朽化した木造住宅の密集地だったので防災上の理由などがあったのかも知れません。
これがほぼ同じ場所から写した現在の様子です。消防署の建物の2本見える柱のうち左側の柱の前にこんもりとした植込みがありますが、「かしわや」はその辺りにあったものと推定されます。左に見える店舗などもすっかり様相が変わってしまいました。余談ですが、電線も地中化されているため、電柱での現場特定もできませんでした。

位置関係を地図に落とすとこうなります。

試しに都バスを入れて同じようなカットを撮ろうとしたら見事に被られましたwwww 何度も撮り直すような事案でもないのでまあいっか。。ちなみに冒頭の写真に写っている都バスの行先は「東京駅南口」と読め、清水操車所・荻窪駅と東京駅とを結ぶ「東75」系統であることが分かりました。その後の系統再編により、青梅街道から新宿駅を越えて都心部へ直通する系統はありません。

かくしてモヤモヤしていた「かしわやはどこだ」問題に区切りがつきました。夫婦二人で切り盛りした子供心をくすぐる思い出深いワンダーランドは消防署に姿を変え、私たちの暮らしの安全安心を守り続けてくれることでしょう。
本来は都バスを撮ろうとしてタイミングが早すぎ、その結果、「紙の記憶1_何でも揃った街の模型店」で言及した地元の小さな模型店「かしわや」の姿が偶然記録されたものです。場所は地下鉄丸ノ内線新中野駅から東へ5~6分歩いたところで青梅街道に面しています。間口が狭く奥が深い京町屋のような造りになっていました。

拡大すると確かに「かしわや」の文字がうっすら読み取れます。入口の右側のショーウインドーには篠原?のダブルクロスがガラス面に貼り付けるように飾られていて、高級感漂うその光景に、「いつかはクラウン」ならぬ「いつかはダブルクロス」・・・と羨望のまなざしを送ったものです。店内には所狭しとプラモデルや科学教材などが積まれ、頭上にはOゲージの周回線路がありました。新幹線1000形試験電車とおぼしきHOのペーパー車体がいつも置いてあったのも印象に残っています。

このたび、改めてこの店がどこにあったのかを調べてみました。近所だから写真を見れば一発で分かるとタカをくくっていたのですが、就職してからしばらくは東京を離れていたこと、東京へ戻ってからも多摩の方に住んでいたことなどから、すっかり建物が建て替わってしまったこの光景に、さてこの写真はいったいどこを写したものやら??となってしまったのです。
バスの後ろ側には狭い路地があるように見え、そういえば「かしわや」へ行くときは路地をルンルン気分で歩いて青梅街道へ出ていたのだなぁ・・・という記憶と繋ぐところまではできました。しかしこの辺は似たような路地が多いのです。
写真をいろいろなめ回しているとバスの後方に丸い看板があるのに気が付きました。消火栓の所在を示すお馴染みの赤い看板です。文字数からすると「防火水そう」と書かれているようにも見えますが、いずれにせよ消防水利に関する看板に間違いありません。そして消防水利なら年月が経ってもそうそう動いたり消滅したりはしないだろうと考え、範囲を絞って現地を探してみると・・・。

ありました!中野消防署の脇の路地を少し入ったところに「消火栓 区画量水器」と書かれた四角い鉄蓋が!!

うすうす予想はしていたのですが、「かしわや」を含む一帯は奥の方まで含めて更地となり、老朽化した旧中野消防署の代替移転地となっていたのでした。移転は平成5(1993)年とのことですが、その4~5年前、すなわち平成元年前後にはすでに一帯の建物は取り壊されて更地になっていたようです。駅前の再開発でもないのになぜ?という疑問はありますが、老朽化した木造住宅の密集地だったので防災上の理由などがあったのかも知れません。
これがほぼ同じ場所から写した現在の様子です。消防署の建物の2本見える柱のうち左側の柱の前にこんもりとした植込みがありますが、「かしわや」はその辺りにあったものと推定されます。左に見える店舗などもすっかり様相が変わってしまいました。余談ですが、電線も地中化されているため、電柱での現場特定もできませんでした。

位置関係を地図に落とすとこうなります。

試しに都バスを入れて同じようなカットを撮ろうとしたら見事に被られましたwwww 何度も撮り直すような事案でもないのでまあいっか。。ちなみに冒頭の写真に写っている都バスの行先は「東京駅南口」と読め、清水操車所・荻窪駅と東京駅とを結ぶ「東75」系統であることが分かりました。その後の系統再編により、青梅街道から新宿駅を越えて都心部へ直通する系統はありません。

かくしてモヤモヤしていた「かしわやはどこだ」問題に区切りがつきました。夫婦二人で切り盛りした子供心をくすぐる思い出深いワンダーランドは消防署に姿を変え、私たちの暮らしの安全安心を守り続けてくれることでしょう。