「かしわや」の昔話に多くのコメントをいただいて驚いています。小さな個人店なのでご存じの方はほぼいらっしゃらないだろうと思っていたら、まさかのご近所さんもおられて「世の中は狭い」。
さて、今回は少しハードルが上がって当時の写真がありません。脳内の記憶だけが頼りの話なので何か大きな記憶違いがあったらゴメンナサイなのですが、逆に「そんな店あったー!」という情報が得られれば今までのモヤモヤが晴れるので敢えてアップしました。
西武新宿線に「新井薬師前」という駅があります。ここからほど近い場所にある梅照院というお寺の正式名称を新井山梅照院薬王寺と言い、古くから「新井薬師」として親しまれたことから駅名にもなっているのですが、その門前から続く「新井薬師門前通り」にあったと思われる玩具店にまつわるお話です。下の地図の赤丸で囲った通りです。

恐らく中高生の頃だと思うのですが、なんとその店は玩具店なのに鉄道模型も置いてあったのです。実際に記憶に残っているのはカワイ製と思われるバラの床下機器を買ったことだけなのですが恐らく完成品も販売していたのではないかと思われます。店は割と大きく、あふれるおもちゃの一画に模型の販売カウンターがあったように記憶しています。前回の投稿で「練馬の玩具店に水野の4110が置いてあった」とのコメントをいただきましたが、まさにそのような状況だったわけです。
そんなおぼろげな記憶しかないため、その店が実際にあったのか、夢ではなかったのかと不安だったのでヒマになったらご近所へ聞き込みにでも行こうかと思っていたのですが、ふと古い住宅地図に載っていないか?と気づき、地元の図書館で1976年のものを閲覧しました。(このとき「かしわや」も確認すればよかったのにすっかり失念していた。。)
すると、それらしき玩具店があったのです。赤丸で囲ったところに「富士屋玩具」の文字が見えます。敷地もかなり大きく記憶に合致します。イメージ的にはもっと左下の新井薬師(梅照院)寄りでしたが、その他に玩具店は見当たらないので恐らくココでしょう。店名は「おもちゃのフジヤ」とかだったのでしょうか?私の記憶では「おもちゃのバンビ」だったのですが大いに却下された格好です(笑)。懐かしさが込み上げました。

(ゼンリン住宅地図1976年版「中野区」より ※一般住宅部分はカットし店舗部分のみ掲載)
Googleストリートビューで事前にチェックし、店舗はすでに無くなっていることは確認していましたが現地へ行ってみました。年始とあって新井薬師は新年の参拝客で賑わっています。

地図の場所は4階建のマンションになっていました。マンション名に元の屋号の一部が入っているのでオーナーは一緒なのでしょう。1階が店舗になっていますが玩具店ではありません。建て替えを機に廃業したのか廃業を機に建て替えたのか。。確定はできませんがこれである程度記憶が裏付けられました。

場所は分かったのですがいつ頃行ったのでしょうか。最初の方で中高生の頃と書きましたが、そう考えられる「バスの記憶」があります。この通りは関東バスのほかに池11系統(池袋駅~中野駅)を共同運行する国際興業のバスも通ります。ものすごい爆音を立てて丸型の後部を見せながら走り去る国際興業バスの姿が目と耳の記憶に残っているのです。
このバスはいすゞBU10型といい、川崎航空機製の通称“丸型”と呼ばれるボディをもっていました。残念ながら手持ちの写真がないのですが、こちらのサイトに岩手県交通へ移籍後の写真が載っています。その後もボディが一新されてBU10は継続生産されるのですが、なぜかこのタイプだけはものすごい音を立てる「爆音バス」として多くのバスファンの記憶に残っているのです。
サイトの記事によれば1971~72年にまず第一陣が譲渡され、その後1976年にも譲渡されたとありますので、このバスが国際興業で見られたのは1976年ごろが最後になります。小学生ではさすがに自転車でここまで行くことはないので中学生か高生に上がったばかりの頃と推測したわけです。現在はバスもスマートになり爆音は聞かれなくなりました。

インターネットも無かった時代、その店をどうやって知ったのでしょうか。近所に住んでいた友達と自転車で行ったわけですが、その彼から聞いたにしても何で知ってたの?という話で・・・。どこかの模型店で小耳に挟んだのかも知れませんがそこだけが未解明な疑問です。
新井薬師前駅周辺の西武新宿線は地下化へ向けて工事が進んでいます。この「開かずの踏切」が過去のものになる日も遠くないでしょう。

さて、今回は少しハードルが上がって当時の写真がありません。脳内の記憶だけが頼りの話なので何か大きな記憶違いがあったらゴメンナサイなのですが、逆に「そんな店あったー!」という情報が得られれば今までのモヤモヤが晴れるので敢えてアップしました。
西武新宿線に「新井薬師前」という駅があります。ここからほど近い場所にある梅照院というお寺の正式名称を新井山梅照院薬王寺と言い、古くから「新井薬師」として親しまれたことから駅名にもなっているのですが、その門前から続く「新井薬師門前通り」にあったと思われる玩具店にまつわるお話です。下の地図の赤丸で囲った通りです。

恐らく中高生の頃だと思うのですが、なんとその店は玩具店なのに鉄道模型も置いてあったのです。実際に記憶に残っているのはカワイ製と思われるバラの床下機器を買ったことだけなのですが恐らく完成品も販売していたのではないかと思われます。店は割と大きく、あふれるおもちゃの一画に模型の販売カウンターがあったように記憶しています。前回の投稿で「練馬の玩具店に水野の4110が置いてあった」とのコメントをいただきましたが、まさにそのような状況だったわけです。
そんなおぼろげな記憶しかないため、その店が実際にあったのか、夢ではなかったのかと不安だったのでヒマになったらご近所へ聞き込みにでも行こうかと思っていたのですが、ふと古い住宅地図に載っていないか?と気づき、地元の図書館で1976年のものを閲覧しました。(このとき「かしわや」も確認すればよかったのにすっかり失念していた。。)
すると、それらしき玩具店があったのです。赤丸で囲ったところに「富士屋玩具」の文字が見えます。敷地もかなり大きく記憶に合致します。イメージ的にはもっと左下の新井薬師(梅照院)寄りでしたが、その他に玩具店は見当たらないので恐らくココでしょう。店名は「おもちゃのフジヤ」とかだったのでしょうか?私の記憶では「おもちゃのバンビ」だったのですが大いに却下された格好です(笑)。懐かしさが込み上げました。

(ゼンリン住宅地図1976年版「中野区」より ※一般住宅部分はカットし店舗部分のみ掲載)
Googleストリートビューで事前にチェックし、店舗はすでに無くなっていることは確認していましたが現地へ行ってみました。年始とあって新井薬師は新年の参拝客で賑わっています。

地図の場所は4階建のマンションになっていました。マンション名に元の屋号の一部が入っているのでオーナーは一緒なのでしょう。1階が店舗になっていますが玩具店ではありません。建て替えを機に廃業したのか廃業を機に建て替えたのか。。確定はできませんがこれである程度記憶が裏付けられました。

場所は分かったのですがいつ頃行ったのでしょうか。最初の方で中高生の頃と書きましたが、そう考えられる「バスの記憶」があります。この通りは関東バスのほかに池11系統(池袋駅~中野駅)を共同運行する国際興業のバスも通ります。ものすごい爆音を立てて丸型の後部を見せながら走り去る国際興業バスの姿が目と耳の記憶に残っているのです。
このバスはいすゞBU10型といい、川崎航空機製の通称“丸型”と呼ばれるボディをもっていました。残念ながら手持ちの写真がないのですが、こちらのサイトに岩手県交通へ移籍後の写真が載っています。その後もボディが一新されてBU10は継続生産されるのですが、なぜかこのタイプだけはものすごい音を立てる「爆音バス」として多くのバスファンの記憶に残っているのです。
サイトの記事によれば1971~72年にまず第一陣が譲渡され、その後1976年にも譲渡されたとありますので、このバスが国際興業で見られたのは1976年ごろが最後になります。小学生ではさすがに自転車でここまで行くことはないので中学生か高生に上がったばかりの頃と推測したわけです。現在はバスもスマートになり爆音は聞かれなくなりました。

インターネットも無かった時代、その店をどうやって知ったのでしょうか。近所に住んでいた友達と自転車で行ったわけですが、その彼から聞いたにしても何で知ってたの?という話で・・・。どこかの模型店で小耳に挟んだのかも知れませんがそこだけが未解明な疑問です。
新井薬師前駅周辺の西武新宿線は地下化へ向けて工事が進んでいます。この「開かずの踏切」が過去のものになる日も遠くないでしょう。
