おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行うヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(4月23日)は、石川県庁で新任課長補佐研修を行っていました。
受講者は33人。
聴き上手のコミュニケーションと勇気づけをしっかりとお伝えしました。
5月に他の受講生に対してあと2日担当します。
金沢から新幹線に乗って家に帰ると、岩手県に住むC君から自宅にヒューマン・ギルドの30周年記念の手紙と額入りの感謝状が届いていました。
こんなことが書いてありました。
岩井俊憲様
拝啓
ヒューマン・ギルド設立30周年、お祝い申し上げます。
今の私があるのは、岩井俊憲様のお陰様です。
心から深く感謝しております。
敬具
HC
C君は、私がヒューマン・ギルドを始める2年前と、ヒューマン・ギルドを創立後の1年間、私と同居していた不登校・家庭内暴力だった少年です。
その後、定時制高校に編入、東京の大学を出て、今は家族と共に岩手県に住んでいます。
C君とのいきさつは、日本メンタルサービス研究所の
「最前線で活躍する一流が語る こころの仕事の心意気」 心の達人インタビュー
で語っていますので、ご覧ください。
その一部は次のとおりです。
A:1983年の3月末、仕事と家族と財産の3つの絆を一度に失ったんです。
Q:「その後、どうなさったのですか?」
A:不登校の塾をお手伝いしたんです。なぜかっていうと、今までの経歴が全く通じない世界で生きようと思ったんです。色々な所から声が掛かったので、サラリーマンはいくらでも行けたけれど、35歳、そんなことをやってもつまらないと感じたのです。
それで、不登校の塾をお手伝いして、そこからなんですよ。35歳からの転身。全く計画外でしたね。
Q:「その塾を手伝われて、どんな感じだったのですか?」
A:塾を手伝いながら、私一人でマンション住まいを始めました。たまたま岩手県から出て来た子がいて、その塾に収容しようとしたけれどスペースがない。それで、私の家で預かったんです。
17歳の家庭内暴力児。父親に対するもの凄い家庭内暴力で、腕にはリストカットの痕。その子を預かって、3年間生活を共にしました。そんないきさつで、不登校の塾に通い、そして家に帰ってくるとその子がいて、勉強を教えたり、そういうことをやっていましたね。
やがて、その子は定時制高校に編入して、大学に行きました。3年間預かっていたんですが、私の重大な師匠はその子だったって気がするんですよ。
<続きは、こちら をご参照のほど>
C君ありがとう。
君からの学びが今日の僕を創り上げているんだよ。
君のプレゼントが何よりもの宝だよ。
<お目休めコーナー> 4月の花(23)
(クリックしてね)