見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

徳川園のカフェ再訪

2008-09-18 22:25:16 | 食べたもの(銘菓・名産)
 徳川美術館と蓬左文庫のある徳川園のレストラン・カフェ。昨年、初めてここに入ったとき、「小倉サンド」というメニューが気になったのだが、その日は品切れで食べられなかった。今度こそ、と思っていたのに、「小倉サンド」はメニューから消えていた。名古屋名物なのに。

 ということで、シフォンケーキと抹茶ミルク。


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関西旅行9月編(4):二条城、徳川博物館

2008-09-17 22:39:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
○二条城(京都)~徳川美術館・蓬左文庫(名古屋)

 二条城は、京都の主要な観光名所の中で、私が唯一行ったことのない場所だった。長年、武家文化には全く関心が無かったのである。ところが、最近、幕府の御用絵師集団・狩野派に、少なからぬ興味が湧いてきた。先日、安村敏信さんの『もっと知りたい狩野派』(東京美術、2006)を読んで、二条城二の丸御殿の障壁画は、探幽率いる狩野派一門が総力をあげて制作した「狩野派最大の遺産」であることを知った。これは行ってみなくては…。

 二の丸御殿に入ると、遠侍三の間・二の間・一の間と、虎図の襖が続く。昨年、名古屋市博物館の特別展『本丸御殿の至宝』を見て、障壁画というのは、「走獣(虎)」「花鳥」「人物」「(水墨)山水」というふうに、画題の格が決まっていると知った。セオリーどおりである。続く式台の間には、恐るべき松の巨木が2本。二の丸御殿は、欄間(鴨居の上)が襖と同じくらい広いのだが、ここは鴨居の上と下の壁面をぶち抜きにして1幅の絵に仕立てている。右側面は、明り障子を挟んで、上部に松の枝、下部に群れ飛ぶ鶴・鴨が描かれている。凡庸な画家なら逆にしそうなものを、面白い。現場には「探幽25歳の作」とあったと記憶するが、安村さんの本では、作者=狩野山楽説が採られている。どうなんでしょう?

 大広間三の間も探幽筆。岩山のような松の巨木と、その幹にふわりととまった孔雀の細い脚が対照的だ。やけに金ピカだと思ったら、近年つくられた復元模写なのだそうだ。黒書院三の間は明らかに筆が違う。最近、私が気に入っている狩野尚信の作品。尚信は、鴨居の上の空間に、下とは異なる遠景(松林の海岸)を描くことで、室内に広がりを持たせている。

 それから名古屋に出て、徳川美術館へ。企画展示『神仏に祈る-尾張徳川家伝来の仏教美術』を開催中である。小ぶりな念持仏が多い。精巧な造りは、尾張七宝や瀬戸染付を生んだ工芸好きの土地柄を感じさせる。「三河仏壇」「名古屋仏壇」という言葉もあるそうだ(→あいちの伝統的工芸品)。高麗の仏画や紺紙金字経に惹かれた。

 棟続きの蓬左文庫では『妖怪絵本-もののけ・お化けの世界-』と『源氏物語千年紀「源氏物語」の世界』を開催中。個人的にいちばん楽しめたのは『軍記物-歴史とものがたり-』である。徳川家康旧蔵の「保元物語」「源平盛衰記」なんて、おお~聞くだけで興奮。本人が触ったものかどうかは分からないが。家康蔵「源平盛衰記」は、見てすぐ分かる古活字版だった。青表紙あり、丹表紙あり、四つ目綴じあり、朝鮮綴じあり(五つ穴)で、造本の見本市みたいだったし、多巻物をドッサリ積み上げた展示も迫力があってよかった。何より、「歴史と物語はちがうんですか?-ちがいます」みたいな、語りかけ口調のQ&A解説が秀逸。地味な文献資料も、こんなふうに展示すると面白くなるのだな。

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関西旅行9月編(3):西国三十三所展(奈良博)

2008-09-16 00:10:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館 特別展『西国三十三所-観音霊場の祈りと美』

http://www.narahaku.go.jp/

 この日は、近鉄奈良駅で友人と待ち合わせ。1人は京都在住、1人は東京からやってくる。いつもの見仏仲間である。9時集合のところ、8時に携帯が鳴ったので、遅れる連絡かと思いきや、8時45分には着くというので、私も慌てて駅に向かう。7月の『法隆寺金堂』展がいまいちだった分、この『西国三十三所』展には期待大なのだ。

 奈良博には開館30分前の9時頃に到着。「誰も並んでいなかったら淋しいよね」と言い合っていたが、チラホラと物好きの姿。ほどよい盛り上がり方である。開館を待つ間、警備のおじさんが「おはようございま~す」と声をかけながら、出品目録と会場案内図を配ってくれる。だから、奈良博は好き! 東博はしませんね、こういう気配りサービス。会場図を見ながら、最初にどの展示物に向かうか、狙いをしぼる。

 友人が「やっぱり清水寺の千手観音(展覧会のポスター、チラシになっている)でしょう」と言うので、入場後は、そこに直行。京都・清水寺の奥の院の御本尊として「長らく秘仏とされてきた」だけあって、ほとんど損傷がなく、美しい。2003年に243年ぶりに寺内で開帳され、「寺外での公開はこれが初めて」と解説にあった。私は、2006年に横浜のそごう美術館で行われた『奥の院御本尊開帳記念・京都清水寺展』でも千手観音を見た記憶があるのだが、調べてみたら、これは御本尊の御前立ちだった(そごう美術館が、まだ展覧会のホームページを残していたことに感激)。ご本尊は、よく見ると、光背の化仏が、ひとつひとつ姿が違う。僧形もいれば女性っぽいのもいるし、立ち上がって笛を吹いているのもいる。実は、化仏が観音の三十三応現身を表しているのだそうだ。なるほど、それもあって『西国三十三所』展のシンボルキャラクターに選ばれたわけだな。

 隣りの十一面観音立像(紀三井寺)も、春風駘蕩とした雰囲気がよかった。ひときわ巨大な十一面観音(華厳寺)は、頭頂面の左右に腕のようなものがあって、ポニョがバンザイしているように見える。しかし、いちばん我々の関心を引いたのは、兵庫・一乗寺の観音菩薩立像。50センチほどの小さな銅像だが、「頭部の大きさに比して著しく手足の小さい全体のプロポーション」は、ちょっと想像を絶したインパクトがある。私はずっと考えていたのだが、吉田戦車のキャラクターに似ていないかしら。あとで出品目録を見直して「あれって重要文化財だよ」「うそ!!」とまた盛り上がってしまった。業界では有名な仏像なのだろうか。宣伝用バナーフラッグに写真が使われているのも見つけた(欲しかった~)。

 第1室のあとは、絵画や文献が中心になるのかなあ、と思っていたが、そのあとも要所要所に仏像が配されていて、うれしかった。小品だが美しい岡寺の菩薩半跏像とか、気合入りまくりの華厳寺の毘沙門天とか。何度も行っている六角堂に都ぶりの毘沙門天があるとは知らなかった。神奈川・龍峰寺の千手観音は、2本の腕を頭上に組む清水寺式との関連で出品(調べたら、海老名在。たぶん一度行っているが、拝観できたんだっけ?)。

 絵画作品も、滋賀・長命寺が所蔵する元代の仏画『勢至菩薩像』、奈良博蔵の高麗仏画『水月観音像』などの名品を堪能したが、あとで図録を見たら、ほかにも名品・有名作品がぞろぞろ出品されていたことが分かった。絵画は展示替えが多いので、1回では半数以下しか見られないのが残念。

 後半は、巡礼にかかわる参詣曼荼羅、名所図会、地図などを取り上げる。会場の床に西国三十三所の絵図を貼り付け、「歩いて体験してみましょう」というのは、奈良博ではあまり無かった試み。同行の友人のひとりは、既に三十三所巡りを達成しており、私も半分以上は回っているので、「この寺は駅から至近」「ここのルートは厳しい」など、ウンチクを語り合うのも楽しかった。

 いったん外に出て、柿の葉寿司の平宗で昼食。また戻って、常設展示を楽しむ。今回の収穫は水牛の頭(大威徳明王の乗りものらしい)! 浄瑠璃寺の馬頭観音もよかった。かくて、予想どおり奈良博を後にしたのは夕方4時過ぎ。京都駅に出て、冷たいビールで喉をうるおし、10月の粉河寺のご開帳、来年1月の小浜の『地域の秘仏』展など、今後の予定を語り合い、散会したのである。
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関西旅行9月編(2):珍皇寺、清水寺など

2008-09-15 19:38:17 | 行ったもの(美術館・見仏)
○六道珍皇寺~清水寺~京都三年坂美術館~本能寺

 京博を出たあとは、ご本尊(秘仏)御開帳の始まった清水寺に向かう。と思ったが、その前に六道珍皇寺に立ち寄る。ふだんは非公開のご本尊が「京の夏の旅」キャンペーンの一環で公開されているためだ。

 それから、観光客でにぎわう坂を上がって清水寺へ。本堂の手前の経堂では『羽裏の美・第3章』展が開催されていた(入場無料)。7月に京都で行われた『羽裏:近代日本の雄弁なメディア』展を見逃したことを、このブログに書いておいたら、京都在住の友人が教えてくれたもの。展覧会情報サイトにも取り上げられないような小さな催しだが、とても面白かった。感謝、感謝。岡重(おかじゅう)という京友禅の会社が所蔵しているコレクションらしい。

 特別御開帳のご本尊は、追加料金100円で拝観できる。2000年のご開帳は、33年に1度(が謳い文句)とあって大混雑だったが、今回はさほどではない。8年ぶりに懐かしい本堂に入ると、まず須弥壇(かな?)の裏側をぐるりと回って、表に出る。ご本尊のお厨子の背後には、たぶん普段は「御前立ち」の千手観音がお控えになっている。須弥壇の右手(上手)から表に出ると、まず毘沙門天、中央に本尊・千手観音、そして左に地蔵菩薩。その間には二十八部衆が立ち並ぶ。風神・雷神も忘れてはならない(拝観順路は、右手の雷神の下をくぐる)。

 ご本尊は、着物のひだがやわらかな、優美な千手観音である。1組の脇手を高く頭の上で組み合わせた姿=清水寺式って、やっぱり面白いなあ(→写真※これは御前立ち)。脇侍は地蔵菩薩と毘沙門天と書いたが、これは今調べたのである。毘沙門天はすぐ分かったが、地蔵菩薩は分からなかった。剣を掲げ、鎧の上に衣をつけ、片足を岩(蓮台?)の上に踏み上げている。頭にも何か被っていた(顔面付きの動物の毛皮らしい)ので、その場では、不動明王?帝釈天?と悩んだ。こんな地蔵菩薩って、めったにないのでは?

 ゆるゆると参道を下って、清水三年坂美術館へ。ここは2000年に開館した、幕末・明治の金工、七宝、蒔絵、薩摩焼を展示する美術館である。館長・村田理如氏の、明治の美術工芸品に対する熱い思いは、公式サイトの「美術館について」に詳しい。夏の企画展『帝室技芸員 並河靖之』は見逃してしまったが、ようやく初訪問を実現することができた。現在は、1階の常設展に加えて、2階は『 研出(とぎだ)し蒔絵の印籠 ~色彩が織り成す小宇宙(ミクロコスモス)~』を開催中。質量そろった展示で、楽しかった。これから愛用させていただくことにしよう。

 もう1箇所くらい寄りたかったのだが、4時をまわったので、そろそろタイムアップ。最後に本能寺を訪ねて終了とした。
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関西旅行9月編(1):京都国立博物館

2008-09-14 07:42:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館・常設展示

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 秋は忙しい。京都・奈良で行われる文化財の特別展や特別拝観を、できるだけ参観しようとすると、月1回くらいのペースで上洛しなければならない。今年は、西国三十三所結縁御開帳もあるのでなおさらだ。まずはこの3連休、京都・奈良・名古屋を回ることにした。

 関西に来たら、とりあえず行ってみるのが京都国立博物館。1階・彫刻(仏像)の部屋には、宝誌和尚立像が出ている(顔の下から別の顔が出てくる、アレである)。今回は、ガラスケース内ではなくて、舞台に1人立ち。そのおかげで、ほとんど丸木のままのような、ずん胴の下半身に初めて気づいた。意外と乱暴力に満ちた彫刻なのだ。当然というか、真横にまわると、普通の顔に見える。

 初めて見たのは、静岡・鉄舟寺の千手観音。脇手のうち、左右1本ずつの手を頭上高くあげて組む、いわゆる清水寺式の千手観音である。口を尖らせて、すねた子供のような表情がかわいい。

 2階はいつものように中国絵画から。スッキリした印象の清代絵画の特集。明末清初に活躍した6人の画家をまとめて「四王呉」と呼ぶことを覚えた。ほかに大好きな八大山人の『松鹿図』。黒々とした墨色が美しい龔賢の『山水図』も好きだ。石濤は名前は覚えたけど、作品の魅力はまだよく分からない。

 隣室(日本近世絵画)には、兵庫・真浄寺に伝わる曾我蕭白の障壁画が計5点。いちばん大きな『楼閣山水図襖』は、西湖の風景だろうか。鯨みたいな島影、形態を単純化した早描きの舟、建築を構成する、ゆれゆれの直線など、興味深い点が多い。『樹下人物図襖』は、つばの広いとんがり帽子をかぶった男たち。1人は馬(ロバ?)に乗り、その横に従う者は「清道」と書いた旗を持っている。これ、朝鮮通信使のつもりなんだろうか? ニワトリを横抱きにした男は「賄い唐人」? でも、とんがり帽子の頂上に孔雀の羽が付いているのは、朝鮮と清朝の風俗の混同のように思える。

 ちなみに私は、2007年12月にも、この蕭白の障壁画を見ている。『楼閣山水図』は覚えていたのが、『樹下人物図』はぜんぜん記憶に残っていなかった。また、添えられた作品解説が「蕭白画の選別は今後さらに進められてゆくべきことではあるが、現今の美術史研究の恣意的な真偽選別に対しては疑義を呈しておきたい」と、妙に辛口コメントなのも気になった。解説プレートは使いまわすのが恒例なので、「現今」がいつの時期を指しているかは定かでない。ネットで検索してみたら、これは狩野博幸氏が書いているのだろう、と推測している方がいらした。
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清朝讃頌/浅田次郎とめぐる中国の旅

2008-09-13 18:34:53 | 読んだもの(書籍)
○浅田次郎著・監修『浅田次郎とめぐる中国の旅:「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」の世界』 講談社 2008.7

 神田の大書店に行ったら、いつの間にか、こんな本が出ていた。1996年刊行の『蒼穹の昴』は、清朝末期の中国を舞台に、実在・架空の人物が入り乱れる長編歴史小説。著者の最高傑作との評判が高く(→Wikipedia)、続編にあたる『珍妃の井戸』『中原の虹』も人気が高い。本書では、作者の浅田次郎自ら、故宮(紫禁城)の観光コースに沿って、小説世界とかかわりの深い見どころを紹介する。浅田氏と中国人比較文学者・張競氏の対談、編集部による浅田氏インタビューも収録。カラー写真も満載で、『蒼穹の昴』ファンには、うれしい1冊である。北京オリンピックの余波だろうが、入江曜子氏『紫禁城:清朝の歴史を歩く』(岩波新書)とともに、中国近代史のレファレンスツールとして座右に備えたい。

 極道お笑いシリーズが人気を博していた時期に、敢えて『蒼穹の昴』を書き始めたきっかけを、著者はこう語る。「私の文学的出自はけっして『極道』ではなく、『漢籍』である」。ええ~カッコいいなあ。受験勉強の真っ最中に『儒林外史』を愛読し、「清王朝の虜となってしまった」という。そして、著者が清王朝の魅力を、言葉を極めて語った一節を、以下にそのまま引いておきたい。

 遥か満州の野に起こって漢土を制したこの王朝には、たとえば混血児のおもざしを見るようなふしぎな美しさがある。華麗にして質朴。複雑だが実は単純。儀礼的と見えて合理的。柔にして剛。そうしたあらゆる相反性が、この王朝のたたずまいには奇跡のように調和している。――私は何度もこの一節を読み返し、美酒を味わうように味わった。分かる、分かる。分かりすぎて、涙がこぼれそうだった。清朝史の魅力をこれほど美しく的確な言葉で語った文章を、私はほかに知らない。

 ほかにも、李鴻章について、西太后について、あるいは順治帝、乾隆帝について、多くの人物評が語られているが、どれも共感できるものばかりでうれしかった。対談相手の張競氏が張作霖を語って「あの時代の軍人というのは面白いですよ。現在の私たちからは想像もできないくらい教養がない一方で、しっかりと知恵があるんです」とう発言も興味深かった。

 私もまた、近年は「清王朝の虜」になっているのだが、最初のきっかけは、著者の小説ではなくて、中国で制作された時代劇ドラマだった。本書の対談中で、張競氏が「歴史を扱う娯楽でここ数年当たったものといえば、テレビドラマがありました」と触れている。しかし浅田氏は「そのドラマ(康熙微服私訪記)をNHKで購入して日本で放映してくれないかな」という反応で、詳しいことは知らないらしい。私は、浅田さんに、ドラマ『走向共和』を見てほしいんだけどなあ。いや、CCTV(中国中央電視台)2003年制作の『走向共和』には、『蒼穹の昴』の影響があるんじゃないか、と私はずっと疑っているのだが…。
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膨らむ大学院/高学歴ワーキングプア(水月昭道)

2008-09-11 22:28:11 | 読んだもの(書籍)
○水月昭道『高学歴ワーキングプア:「フリーター生産工場」としての大学院』(光文社新書) 光文社 2007.10

 昨年、本書を見たときは、高等教育が大衆化すれば、そりゃあ高学歴ワーキングプアだって出てくるよ、と思って、あまり関心を払わなかった。けれども、雑誌『現代思想』2008年9月号「特集・大学の困難」を読んで、どうも高学歴(=大学院卒)ワーキングプアの大量発生には、構造的要因があるらしい、と悟り、本書を読んでみた次第である。

 話は、平成3年(1991)、大学院重点化のスタートにさかのぼる。従来の国立大学は、学部を基礎に教育研究組織が作られ、大学院は学部に付属するものとされてきた。これを逆転し、学部は大学院に付属するものとみなす、というのが大学院重点化である。表向きは、教育研究の高度化という理念が掲げられたが、実際のところ、各大学が飛びついたのは、大学院重点化を行うと、国から支給される校費が増える(最大25%)という役得であった。かくして、本来、大学院が必要ではなかった大学にも、次々と大学院が設置され、定員を満たすために、大学院に行く必要になかった学生の囲い込みが行われるようになる。その結果、平成3年(1991)には10万人だった院生が、平成16年(2004)には24万人に達したという。

 著者は推理する。平成3年(1991)は、翌年に18歳人口のピークを迎え、急激な人口減が後に続こうとする年だった。進学率が上昇しているため、大学・短大の進学者数はゆるやかな減少に留まるが、それでも、このままでは、多くの大学の経営が立ち行かなくなる。それなら、学部進学者の減少分を大学院進学者によって補填すればいい。要するに、大学院重点化とは「文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失うまいと執念を燃やす”既得権維持”のための秘策だった」と著者は結論する。そのために使い捨てられたのが若者たちというわけだ。

 ただし、本書の記述には納得できないところもある。非常勤と専任の格差を説明して「(専任教員の場合)授業準備に使用する資料や書籍代は、大学の経費ですべて賄われる」とあるが、専任の教授・助教授といえども、そんなに優遇されているのはごく一部の大学ではないか(少なくとも、私の知る国立大学の実態とは合わない)。それから、若手研究者の発言として「50代なのに私よりも論文の発表数が少ない先生も少なくありません」というのもどうか。博士号取得が必須化し、研究業績の可視化を強いられている若手研究者たちが、旧世代にウラミをつのらせる気持ちは分かるが、論文の本数では測れない学識・研究があることも事実だと思う。

 法人化以降、国立大学は盛んに「サービス」を言うようになった。けれども、多くの場合、大学が提供するサービスの対象は、正規メンバー(メンバーシップを持っている間)に限られる。だが、博士号を取っても就職待ちという状況が、ここまで一般化した今日、卒業生に対しても、在学生と同程度の継続的なケア(たとえば、研究資源の提供)を、大学は本気で考えるべきではないか、と思った。

 そもそも、院と学部の入学者数が逆転しているという現状にさえ、私には初耳だった。東京大学のホームページを見に行ったら、平成19年(2007)の学部入学者は3,150名、大学院修士課程・専門職学位課程の入学者は3,431名(東大出身者と他大出身者がほぼ半々)である。大学院生が増えたとは聞いていたが、ここまで事態が進行しているとは気づいていなかった。この変化に即応して、既存の学生サービスをどう組み直していくかという問題は、学内で議論されていたんだろうか。寡聞にしてよく知らない。
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法人化の帰趨/特集・大学の困難(雑誌・現代思想)

2008-09-10 23:50:13 | 読んだもの(書籍)
○現代思想2008年9月号「特集・大学の困難」 青土社 2008.9

 主として国立大学、特に人文系大学と人文学をめぐる「困難」を論じたもの。平成16年(2004)に国立大学の法人化がスタートして、今年は4年目になる。当初こそ、設置者(大学)の自立性を高めることによって、競争的環境のもと、個性ある取り組みが評価される、などというバラ色の未来予想図が飛び交ったものだ。私自身、それに期待を抱いた面もある。しかし、良心的な研究者(と私が思う人々)から聴こえてくる、その後の国立大学の惨状はひどいものだ(→小森陽一氏と西谷修氏の対談)。そして現在、特に人文学分野をめぐる困難はここに窮まれり、という状況である。

 不公平で無駄の多いCOE制度の欠陥については、複数の論者が批判的に触れている。Excellence(卓越性)という空疎な尺度を導入することで、比較不能なものを序列化し、勝ち組と負け組の二極化を加速するからくりは、読んでいて背筋が寒くなった。しかし、大学改革を推進した張本人たち、たとえば遠山敦子氏は、今どこで何をしているのか。いや、新国立劇場の理事長だってことは知っているけれど、各大学が6年間の「中期目標・中期計画」の評価を提出した本年、大学改革総体の成果を、ご自身はどう「評価」するんだろう。もう興味もないとおっしゃるんだろうか。

 競争的資金の獲得をめぐって、以前よりもはるかに従属的なメンタリティを強化され、自治の美名のもとに公共性を剥奪され、無償性の根拠を失う高等教育。2万人といわれる非常勤講師に依存した体質。事務職員の負荷。非常勤職員のプレカリアート問題。「できるだけ多くの人にできるだけよい高等教育を」という戦後日本の理想に対する健忘症。危機はチャンスである、ともいう。しかし、このガチガチにからみあった困難の連鎖を見ていると、とにかく「後戻り」を敢行することしか、決定的な対処法はないのではないか、と思う。

 一方で、いくつかの希望はある。たとえば、この夏、洞爺湖サミットと連動したG8大学サミット(うわ、こんな恥ずかしいことをやっていたのか)に対抗して企画されたG8対抗国際フォーラム。ここでは、多くの大学院生が「学生運動デビュー」をしたという。韓国における「スユ+ノモ」の実践(教育研究と生活の自立をめざす共同組織)も興味深い。書店、カルチャーセンター、公開講座などを通して、大学という活動は、大学という組織の外で生き延びていくのかもしれない。
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東博・本館『災害-博物館と震災-』ほか

2008-09-09 22:33:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館・本館16室 歴史を伝えるシリーズ・特集陳列『災害-博物館と震災-』ほか

http://www.tnm.go.jp/

 実際に歩いたコースとは異なるが、2階の見ものから語ろう。国宝室には、久しぶりに『平治物語絵巻 六波羅行幸巻』が出ていた。絵巻にもいろいろあるが、私は硬派な軍記絵巻の類が大好きである。ただし、この作品、登場人物の大半は男性であるが、颯爽としたヒーローばかりではない。巻頭、内裏に幽閉された二条天皇が脱出を図る場面。朱塗りの門柱の根元には、のんきな惰眠をむさぼる若武者。女装した二条天皇を乗せた女車を、野卑な表情で覗き込む男たち。いちばん気になるのは、何もかもめんどくさそうな表情をした牛飼い童の中年男。場面の端々に登場する小物たちが、リアルな人の世を感じさせる。天皇の逃亡を知って慌てふためく信頼のもいい。つんのめるように御簾の内を覗き込み、袴を腿の上までたくしあげて、大きく地団駄を踏む。的確な肉体描写に、激しい動揺があらわれている。

 7室(屏風と襖絵)には、久隅守景の『納涼図屏風』。うれしい。ちょうど1年ぶりだ。新春の『松林図屏風』とともに、こちらは晩夏の恒例になるのかなあ。乳白色の余白には、虫の声が満ちているような気がする。たっぷりした墨線で大胆に描かれた夕顔の葉は、初秋の風にざわめいているようで、涼しげ。8室(書画の展開)では、狩野常信筆『半月白鷺図』の愛らしさに目が留まる。江戸狩野派の実力者、常信の作品は、最近、それと分かるようになってきた。

 1階は、『六波羅蜜寺の仏像』『二体の大日如来像と運慶様の彫刻』の2つの特集陳列をざっと流して、いつものお気に入り、16室(歴史資料)へ。今回の特集陳列のテーマは『災害-博物館と震災-』である。東京帝室博物館が被災した関東大震災の特集かと思ったら、必ずしもそうではなくて、安政の大地震にかかわる瓦版や鯰絵も展示されていた。

 安政大地震の惨状を伝える瓦版(色摺り)は、木造家屋がねじまがるように倒壊し、人々が巨大な炎の中に放り出される阿鼻叫喚の様子が、リアルに捉えられている。絵師は、一瞬のうちに自分の脳裡に焼きついた光景を、紙の上に再現したのだろう。カメラもないのに神業である。吉原を題材にした瓦版には、呆然とたたずむ裸体の遊女が描かれている。

 東京帝室博物館が関東大震災で被災した当時の資料は、2年前にもこの展示室で見た(日本の博物学シリーズ『上野公園の130年』)が、今回は、陳列物が倒れた状態の写真帖などが公開されていて、興味深かった。

 あわせてのおすすめは、この夏、ひそかにリニューアルした20室(教育普及スペース=玄関を入ってすぐ左)。現在の博物館本館は、震災後、設計を公募し、昭和12年(1937)に竣工したものだが、このとき「博物館はどうあるべきか」「保存か展示か」「(金をかけるべきは)建物か、美術品の購入か」等々をめぐって、盛んな議論があったようだ。展示ブースの引き出しに、当時の新聞切り抜き帖の複製が用意されていて、自由に読める。子供向けに、触って楽しめる企画の一環らしいが、これは大人向けだと思う。
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東博・東洋館『市河米庵コレクション』ほか

2008-09-07 23:20:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館・東洋館8室 特集陳列『市河米庵コレクション』ほか

http://www.tnm.go.jp/

 この日は、ちょっと気分を変えて東洋館から。第8室(中国絵画・書跡)では、そろそろ『中国書画精華』が始まる頃かな、と思ったら、1つ前の特集陳列『市河米庵コレクション』の最終週だった。市河米庵は、漢詩人・市河寛斎の長男で、幕末の書家である。

 思わず目が留まったのは『楷書妙沙経冊』という紺紙金泥の折本。したたるような金泥がまぶしい、堂々とした筆跡の主は明の神宗(万暦帝)である。「妙沙経」というのは初めて聞く経典だが、中味があんまり面白いので書き写してきた。冒頭は「佛佛佛/三十六万億億佛/二万九千無数佛/五百蔵恒河沙定光佛/八百聡明智恵佛」。こんな具合で、仏礼讃が続く。まさかWeb上に全文はないだろうと思ったが、中国語Googleで検索したら『大自在佛教用品網』というサイトにちゃんと載っていた。面白い。

 書画ともに明清ものが主だが、ときどき古いものが混じっている。元代の禅僧・中峰明本の名前があったので、おやと思ったが、『中峰明本書跋』は別人(楚石梵)の筆だった。冒頭に「瀋王高句麗賢君也」とあったのが気になって、調べてみたら、高麗国王・忠宣王のことらしい。フビライの娘を母とし、元の宮廷で育った。そうそう、この時期の高麗王朝は、元との姻戚関係によって保たれていたのだと、この間『歴史物語 朝鮮半島』で読んだばかり。その隣にあった『草書観世音賛軸』は中峰明本の筆跡。ものすごい癖字で微笑ましい。ちなみに、どうして私がこんな禅僧の名前を知っているかと言えば、むろん墨跡からである。→鎌倉国宝館『鎌倉の至宝』

 帰りがけに、第5室(中国の陶磁)を通った。通り過ぎるつもりだったのに、入口で足が止まってしまった。清・乾隆年間に景徳鎮窯で焼かれた『天藍釉罍形瓶(らいがたへい)』。「天藍」とは、かなり青みの強いものを言うと思っていたのだが、これはとろりと白濁した色味に温かみがある。胡麻豆腐か胡麻アイスクリームみたいな風合いなのである。その隣りの『豆彩束蓮文鉢』も愛らしい名品。

 『五彩人物文大皿』も楽しい。描かれているのは、馬上でスカートをなびかせ、鞭を掲げる8人の女性たち。小さな髷も勇ましい。高楼で彼女たちを見つめるのも女性である。物語か何かの一場面だろうか?

 東洋館は、特集陳列以外、素通りしてしまうことが多いのだが、今回は、ふだん行かない3階の朝鮮の陶磁や西域美術も、久しぶりに見てきた。うーん、北東アジア(朝鮮)の考古遺物はちょっと寂しいなあ。
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