見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

鑑真和上と戒律の歩み(京博)+鋳物・モダン(泉屋博古館)

2021-05-17 21:22:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

 週末は1日だけ関西に行ってきた。金曜日、在宅勤務を終えたあと、東京駅から新幹線で京都へ。自由席は1人空けでなんとか座れる程度で、そこそこ混んでいた。京都駅に着いたのは午後8時過ぎで、飲食店はほぼ閉まっていたので、駅弁を買ってホテルに落ち着いた。

京都国立博物館 凝然国師没後700年特別展『鑑真和上と戒律の歩み』(2021年3月27日~5月16日)

 9:00開館のところ、少し早めに行ったら、すでに十数人が並んでいた。結局、開館までに50人弱が並んだようである。しかし、朝イチ組が一気に入館したあとは、ゆっくり落ち着いて見ることができた。本展は、日本に戒律を伝えた鑑真(688-763)をはじめ、日本戒律の歴史を紹介する。戒律とは僧侶が集団で生活し修行するための規律で、「戒」は生活習慣や心構え(破っても罰則はない)、「律」はきまり(破ると罰則がある)をいう。冒頭では、戒律研究のためにインドに渡った中国僧たち、中国の律学研究を集⼤成した南⼭⼤師道宣(596-667)を紹介する。奈良・平安さらに唐宋時代の古経が並び、格調高いが地味で笑う。

 次いで鑑真和上の登場。唐招提寺の『東征伝絵巻』(鎌倉時代)は、色鮮やかで登場人物が多くて、しかも人物の顔が大きく表情豊かで楽しい。とりわけ蘇州の風景が賑やかで楽しかった。あと鑑真が初めて渡航を試みたのが「天宝三年」という記載を見て、長安を舞台にした中国ドラマ『長安十二時辰』とまさに同時代なのだと気づいた。

 3階から2階へ。最澄と空海の登場。最澄は戒律思想を大胆に転換し、最低限の規範「菩薩戒」(梵網経にいう十重禁戒・四十八軽戒)のみで僧になれるとし、南都と対立した。ここから法然、親鸞など鎌倉新仏教が誕生していくわけか。和歌山・龍光院の『秘密儀式灌頂法具』一式は、どこかで見たような気もするのだが、組み立て式の四角い天蓋が面白いと思った。一方、鎌倉時代は日本における戒律運動の最盛期でもある。律宗の叡尊さんと忍性さんはどちらも好き。

 1階、彫刻を展示する大ホールへ。2階から遠目に僧形の坐像が見えていたので、鑑真和上像か?と思ったら違った。首の太い、角ばった顔の僧侶が姿勢正しく座って、筆と草紙を持っている。籔内佐斗司先生制作の『凝然国師坐像』だという。唐招提寺の伝・獅子吼菩薩立像や東大寺の阿弥陀如来立像(眉間寺伝来)などが来ていたが、鑑真和上のお姿はない。

 最後なのだろうか?と怪しみながら隣室に移ったら、正面にいらした。向かって右の壁面に元興寺の弘法大師像、左の壁面に西大寺の興正菩薩(叡尊)坐像と、広い部屋に3躯のみ展示という贅沢な空間の使い方。ちなみに弘法大師と叡尊坐像は、どちらも左右に衣の端だかが広がっていて、確か鑑真像も、後補の装飾的な衣の端がついていたが、元来の姿に戻すため外されたのではなかったか。現在の姿のほうが、簡素で強い求心力が感じられてよいと思う。右目と左目、右耳と左耳の位置が、かすかにアンバランスなのも生々しい。

 その向かいは、いつも書跡類を展示している部屋。凝然(1240-1321)の自筆稿がいくつか出ていて、一目見たら忘れられない癖字に笑ってしまった。初めて知ったが、東大寺戒壇院や唐招提寺の長老を歴任し、あらゆる宗派の教えに通じた大学者だそうだ。

泉屋博古館 企画展『鋳物・モダン-花を彩る銅のうつわ』(2021年3月13日~ 5月16日)

 いつもなら急行100系統の市バスで1本だが、緊急事態宣言中は急行系統は運休のため、206→203乗り換えで東天王町停留所から歩く(事前に調べていたのでスムーズ)。本展は、中国古代青銅器の豊富なコレクションを誇る同館が、富山大学と芸術文化学部所蔵の大郷コレクションとコラボしたもの。大郷コレクションとは、富山県出身の華道家・大郷理明(おおごう・りめい)氏が収集した花器のコレクションで、その中心は明治時代以降につくられた銅花器である。

 明治の銅花器と聞いても全くイメージが湧かなかったが、予想以上に「明治」らしくて笑ってしまった。要するに「超絶技巧」「やりすぎ」「ゴテゴテ」の系統である。それにしても、本物そっくりのカニやカブトムシ、からみつく蔓草の自然なしなやかさなど、複雑なかたちを銅で成型する技術は大したものだ。秘密は蝋型鋳造法にあるという説明を読んでもやっぱり信じられない。ただし個人的には、単純で簡素な古銅の花器のほうが好き。

 京都滞在を終えて、次は奈良へ向かう。

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2021ワークデスクと椅子を買う

2021-05-14 17:00:42 | 日常生活

4月から新しい職場に変わって、週3出勤+週2在宅でスタートしたのだが、4月末の緊急事態宣言に伴い、「可能な限り在宅勤務を」という指示が下された。そのため5月はまだ1回しか出勤していない。

少し在宅環境をよくするため、思い立って、ワークデスクと椅子を買ってしまった。特に椅子は大事だと思ったので、週末、近所のニトリで座り心地を確かめて購入した。今日、配達が届いたので、さっそく組み立ててみたところ。たいへん快適。読書にもよい。

長年、家は「帰って寝るだけ」の場所であり、引っ越しの繰り返しだったので、最低限の什器しか持っていなかった。昨年、しばらく在宅勤務が続いたときも、部屋が狭くなるのが嫌で、ありあわせの椅子とテーブルでしのいでしまった(※写真)。今後は、少し人並みの住環境を整えようと思っている。まずは不要なものを処分しつつ、必要なものをゆっくり買い揃えていきたい。

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復讐と家族愛/中華ドラマ『無証之罪』

2021-05-13 21:23:00 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『無証之罪-Burning Ice-』全12集(愛奇藝、2017年)

 近年、話題作続出の華流サスペンスドラマの先駆けとなった作品である。公開当時はこのジャンルに興味がなかったのだが、今でも評判を聞くので、あらためて視聴してみた。いや納得である。見逃したままにしなくてよかった。

 舞台は中国東北地方の架空の都市・哈松(ハーソン)。冬のある日、運送会社社長の絞殺死体が雪だるまに括りつけられた状態で見つかった。「私を捕まえてください」という挑戦的な貼り紙。4年前から続いている「雪だるま連続殺人事件」である。捜査当局の局長は、万事型破りの刑事・厳良を応援に呼び寄せる。

 殺害された社長の本妻は、夫が若い愛人に貢いだ金銭を取り戻そうと懇意の法律事務所に協力を依頼する。自分の学費と兄が営む食堂の開店資金のため、やむなく愛人をしていた朱慧茹は困り果てる。法律事務所の見習い・郭羽は、朱慧茹のむかしの同級生だった。郭羽は朱慧茹の保護をチンピラの黄毛に頼むが、女好きの黄毛は、人気のない場所に朱慧茹を呼び出し、彼女に暴行しようとする。止めに入った郭羽と朱慧茹は、黄毛を殺害してしまう。呆然とする二人。そこへ通りかかった謎の男から「助けてあげよう」と提案される。男は、現場から二人の犯行の痕跡を消し、今後、二人が警察にどのように証言すべきかも教える。

 郭羽は、黄毛の車にあったバッグをひそかに持ち出していた。これは郭羽の上司・金弁護士のバッグで、中には危ない商売で被害者から巻き上げた大量のキャッシュカードが入っていた。金弁護士は、ヤクザの顔役・老火への支払い期限が迫っているため、闇預金を失って慌てる。老火の依頼を受けた殺し屋・李豊田は、バッグの隠匿を疑われる人々を次々に殺していく。

 その頃、厳良は「雪人」(雪だるま)を追って、謎の男、駱聞に迫っていた。駱聞は、かつて厳良の同僚で優秀な法医だったが、妻と娘の失踪以来、職を辞して、ひとりで犯人を追っていた。彼が掴んだ手がかりは、指紋がひとつ、安煙草の吸い口と動物の骨(嘎拉哈/ガラハ)、そしてネットカフェのPCに犯人が残したハンドルネーム「雪人」。以来、駱聞は「雪人」の犯行を匂わせる殺人を繰り返し、警察の捜査を煽ってきたのだ。しかし駱聞は尿毒症を患い、余命わずかと宣告されていた。

 殺し屋・李豊田は、ついに郭羽の前に現れるが、大金への執着から大胆になった郭羽は、李豊田に「協力」を提案する。郭羽は朱慧茹の兄に「黄毛を殺したのは朱慧茹」と告げて絶望させ、死に至らしめる。さらに病床の駱聞を「雪人に会える」と呼び出し、李豊田に殺させる。李豊田は、たまたま巡り合わせた厳良の息子(再婚相手の連れ子)・東子をも殺害して逃亡する。

 1年後。郭羽は弁護士として成功し、朱慧茹と暮らしていた。すっかり人が変わった郭羽に疑念を抱く朱慧茹。厳良は李豊田と郭羽の関係に確信を抱くが、何も証拠がない。捜査チームの林隊長(女性刑事)は、息子を失った厳良が、駱聞と同じ道を行くことを恐れるが、厳良は警察を去り、ひとり李豊田に立ち向かう。

 最後は万事解決するのだが、そこまでの道のりのハードなこと。何より善人と悪人の差が紙一重なのが怖い。気は優しいがビビりで愚図の郭羽が、金と独占欲から悪魔に豹変していく様子。殺人狂みたいな李豊田さえ、かつて妻と子がいて、駱聞の妻子を誘拐して殺したのは復讐(逆恨み)だったことが語られている。

 腹の底まで凍りつくような陰惨な物語だが、娘を失った駱聞と朱慧茹のつかの間の交流とか、無頼な厳良と血のつながらない息子の親子愛とか、疎外された者どうしの心の通い合いに慰められる。男女の仲を超えて林隊長と厳良が築き上げる信頼関係もよい(最後の見せ場!)。中国の警察ドラマには、等身大で共感できる女性刑事役が多いが、本作の林隊長(王真児)は随一だと思う。厳良役の秦昊、駱聞役の姚櫓も魅力的。李豊田役の寧理さんは、トボけた顔なのに怖い。そして、ロケ地・哈爾濱(ハルピン)の街並みが味わい深い。

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5月8日は鎌倉へ/若き清方と仲間たち(鏑木清方記念美術館)

2021-05-11 21:46:28 | 行ったもの(美術館・見仏)

鏑木清方記念美術館 特別展・烏合会結成120年記念『若き清方と仲間たち-浮世絵系画家の新時代-』(2021年4月15日~5月19日)

 連休終盤、家に籠っているのも気が滅入るので、鎌倉に来てみた。期待していた牡丹や藤は跡形もなかった。人出が少ないので、いつも混んでいる小町通りや御成通りを歩いてみたら、いつの間にか、ずいぶんお店が入れ替わっている感じがした。

 駅で見かけたポスターに惹かれて同館へ。明治34年(1901)、23歳の鏑木清方をはじめとする若者たちにより、小さな美術団体「烏合会(うごうかい)」が結成されて120周年となることを記念した特別展である。Wikipediaから補足すると、当時挿絵画家として活躍していた月岡芳年・水野年方・尾形月耕らの門下生である青年画家たちが中心となり、浮世絵の伝統を生かした新しい風俗画を目指した。会員には、池田輝方、鰭崎英朋、山中古洞、大野静方などがいる。

 鏑木清方の代表作『一葉女史の墓』は、烏合会第2回展に発表したものである。それでポスターにもなっていたのか。隣に並んでいたのは、鰭崎英朋『鑓権三重帷子(やりのごんざ かさねかたびら)』。初めて見る作品だがすごくいい。伏見京橋妻敵討の段だろう。橋の欄干の支柱にすがりつきながら崩れ落ちていく人妻・おさゐ。そのまろやかな体のずっしりした量感。天を仰いだ横顔の、死を覚悟した絶望と恍惚。橋の上では、捕手に囲まれた権三が刀を抜いて抵抗しているはずだが、そこはぼんやり闇に溶かしている。橋の向こうには昇りかけの大きな満月。文楽の舞台で聞いた、盆踊りのお囃子が耳によみがえってきた。

 同館には、マップケースみたいな引き出し式の展示ケースがあって、各種アーカイブ資料、手書きの回覧誌やスケッチブック、写真などが収められていて面白かった。

■東勝寺橋

 駅へ戻りかけて、もう一か所、行っておきたいところを思い出した。この日は5月8日で、澁澤龍彦さんのお誕生日だというのを、朝、SNSで読んでいた。澁澤さんのお墓は北鎌倉の浄智寺にあり、そのすぐそばの澁澤邸(非公開)も近くまで行ってみたことがある。でも私が、澁澤さんを偲ぶのに好きなのは、滑川にかかる東勝寺橋だ。終戦後しばらく、澁澤さんの一家は、この橋のたもとの借家に住んでいた。その家が、長いこと残っていたのを、私も何度か見に来たことがある(※2007年の記事)。しかし何年か前に、とうとう取り壊されてしまった。

 Googleマップで閲覧できる一番古い画像は2010年3月のもので、私の記憶に残っている、古色蒼然とした木造家屋の写真はない。残念だなあ、写真を撮って残しておけばよかった。今はこんな感じ。

 でも深い緑と、渓谷と呼びたくなる風景美はそのまま。空想の中で在りし日を思った。

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錦絵にみる明治時代(神奈川歴博)+中華街

2021-05-10 21:55:34 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立歴史博物館 特別展『錦絵にみる明治時代-丹波コレクションが語る近代ニッポンー』(2021年4月29日~6月20日)

 同館としては、昨年(明治錦絵×大正新版画)に続く明治錦絵の特別展。今回は、丹波恒夫氏(1881-1971)旧蔵コレクションから、西南戦争、大日本帝国憲法発布など、社会科の授業で学んだような有名な出来事を時代順に取り上げ、明治ニッポンの歩みを錦絵(ビジュアル)でたどる。

 錦絵は美術品であると同時に歴史資料でもある。近年、月岡芳年とか小林清親とか、芸術性の高い作家・作品に注目が集まっているように思うが、本展では、作者の有名・無名に捉われず、画題の重要性・資料性に着目する。その結果、これまで見たことのない作品も多くて、面白かった。こうした「ジャーナリズム」としての錦絵、ときにはイベントの前に「予定稿」が用意されていることもあれば、黒船来航が明治20年代に描かれるなど、ずっと後に制作されたものもある。

 昨年も思ったが、明治の錦絵はむやみに色鮮やかで色数が多いうえに、衣装や什器に模様が多い(漫画ならスクリーントーン使いすぎと言われそう)。色で目立つのは赤で、空を赤く描くものが多いという(※参考:赤い衝撃「明治赤絵」展)。気がついていなかった。

横浜ユーラシア文化館 企画展『横浜中華街・160年の軌跡 この街が、ふるさとだから。』(2021年4月10日~7月4日)

 幕末の誕生から震災と戦災を乗り越え、戦後に飛躍を遂げた横浜中華街の軌跡と、暮らしを支える職業、そして2021年の現在、コロナ禍と闘う中華街の姿を紹介する。横浜中華街の源流は、幕末の外国人居留地にさかのぼるが、中国風の街として整備されたのは、関東大震災(1923年)後の復興計画によるということは初めて知った。当時は「南京町」と呼ばれていたが、横浜に多い広東系(だっけな?)の人々がその呼び名を嫌って「中華街」になったともいう。明治や大正の古写真と、現在の写真が比較されているのも面白かった。

 本展が企画された背景には、昨年2020年、中国・武漢で発生した新型コロナウイルス感染症の影響で、中華街の人々が「国へ帰れ」等のヘイトに悩まされた経験がある。会場には、貴重な歴史資料とともに、中華街に暮らす人々を取り上げたパネルがあって、大陸で生まれ、商売で来日して住み着いてしまった人もいるし、逆に横浜で生まれ、しゃべれなかった中国語を勉強して、日中交流の仕事をしている人、結婚した相手がこの街の住人だった人など、当たり前だが、さまざまである。この街をふるさとと決めた人たちが、ずっと住み続けられる場所であってほしいと思う。

 中華街は、この10~20年の間にも、大きく変貌している。以前は、中華料理店だけでなく、食材を商う店もたくさんあったが、今ではすっかり目立たなくなった。古地図を見ていたら「図書館」もあって、へええと思った。生活の街が、完全に観光の街に変わってしまったのだ。世界のどこでも起きていることで、嘆いていても仕方ないのだろうが、やっぱり、ちょっと寂しい。

 展示を見たあと、中華街に寄ってみたら、大賑わいだった。人出が戻ったことはしみじみ嬉しいが、この時期、マスクを外して食べ歩きを楽しむのはリスクが大きいと思ったので、早々に退散した。

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「とらのゆめ」の作者/大・タイガー立石展(千葉市美術館)

2021-05-09 23:49:17 | 行ったもの(美術館・見仏)

千葉市美術館 『大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師』(2021年4月10日~7月4日)

 連休中は、都内の美術館・博物館が軒並み休業になってしまったので、千葉や神奈川に遠征して、いくつか展覧会を見てきた。県外移動になるが、よく気を付けて、ひとりで行動しているのでご容赦願いたい。

 タイガー立石(1941-1998、本名・立石紘一、又の名・立石大河亞)は、九州・筑豊の伊田町(現・福岡県田川市)に生まれ、上京して「読売アンデパンダン」展でデビューし、絵画、陶彫、マンガ、絵本、イラストなどのジャンルで独創的な世界を展開した。70年代はミラノに移住し、多くのイラストやデザイン、宣伝広告などを手がけた。1982年に帰国し、85年から千葉・市原を拠点に活動(あ、千葉県とはそういう縁があったのか)。1998年4月に56歳という若さでこの世を去った立石の活動を約250点の作品・資料で振り返る。

 私は抽象的な現代絵画は好みでないのだが、彼の作品は、具体的なモノやヒトや動物や植物をコラージュのように積み重ね、だまし絵のように不思議な世界を作り出していくので楽しめた。絵画作品でも積極的にマンガのコマ割りの手法を用いて、時間の経過を表現しているのが面白いと思った。

 私が初めて彼の作品に出会ったのは、絵本『とらのゆめ』(福音館、1984年)だった。もっと昔のことのように思っていたが、出版年を見たら、完全に成人後だ。弟もすでに高校生で、我が家に小さい子供はいなかったが、母親が趣味で「こどものとも」「かがくのとも」を定期購読していたので、この絵本に出会うことができた。宇宙のように荒涼とした空間を、緑のトラが、形を変えながら浮遊していく絵本。と説明しておくしかない。本展で、彼の作品には、わりと早い時期から緑のトラが登場していることを知った。

 本展では、1部屋だけ写真の撮れるセクションがある。↓これが『とらのゆめ』に似ていて懐かしかった。

 しかし、さらに楽しかったのは『明治青雲高雲』(なんだこのタイトルはw)『大正伍萬浪漫』『昭和素敵大敵』の大作シリーズ(いずれも1990年、田川市美術館所蔵)。『明治青雲高雲』の全景はこんな感じ。西郷隆盛とか大久保利通とか、明治の偉人・有名人が描かれていることは、すぐに分かるだろう。

 それ以外に、中央はもちろん『鮭』で、その背景には青木繁『海の幸』や和田三造『南風』が描かれている。右上、軍服姿の明治天皇の後ろは、河竹黙阿弥『漂流奇譚西洋劇』パリス劇場表掛の場ではないかと思う。左上はたぶん小村寿太郎。こんな調子なので、見れば見るほどハマる。

 『大正』の画面の右下、北原白秋(ルパシカを着ている)、鈴木三重吉ら「赤い鳥」運動の人々。背景で、カナリアが「ぞうげの舟に銀のかい」に乗せられているのもよい。

 『昭和』前半には、古賀春江『海』。戦争のイメージは言うまでもなし。

 『昭和』後半、このへんは1960~70年代。東京オリンピック、ジャンボジェット、鉄腕アトム、(小さいけど)石原裕次郎、松下幸之助、三島由紀夫…。

 純粋に美術好きの人には、こういう作品は受けないかな。私は美術も好きだが、歴史や世相風俗も好きなので、飽きずにずっと眺めていた。所蔵元の福岡県・田川市美術館のホームページを見に行っても、特にこの作品に言及はない。ふだんは展示されていないのかな。この怪作、ぜひ多くの人に知られますように。

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覆水盆に返らず/一度きりの大泉の話(萩尾望都)

2021-05-08 22:03:12 | 読んだもの(書籍)

〇萩尾望都『一度きりの大泉の話』 河出書房新社 2021.4

 萩尾望都さん(1949-)が大泉時代のことを語った書き下ろしエッセイが出版されたという情報が流れてきた。私がSNSで最初に見かけたのは、どこか奥歯にものの挟まったような、煮え切らない感想だったので、よけい気になって書店に行き、一気に読んでしまった。そして、なるほどこれは感想を他人に語るのが難しい本だと思った。

 著者は1969年に漫画家としてデビューし、上京した後、練馬区大泉の二階家で竹宮恵子氏と同居していた。1970年から72年の2年間ほどである。それから下井草に半年ほど住み、1973年5月には埼玉に引っ越した。田舎に引っ越した「本当の理由」についてはずっと沈黙を守ってきたが、2016年に竹宮氏が自伝本『少年の名はジルベール』を出版して以来「静かだった私の周辺が騒がしく」なり、困惑しているという。そこで、封印していた記憶を一度だけ解き、「私の出会った方々との交友が失われた、人間関係失敗談」という前置きのもとに著者は語り始める(この導入、著者は無意識かもしれないが、ストーリーテラーとして実に巧みだと思う)。

 序盤は淡々とした回顧録である。両親に反対されながら漫画家を目指す。中学時代の友人の紹介で増山法恵さんと知り合う。『なかよし』でデビュー。竹宮恵子先生と知り合う(萩尾さんは文中で「竹宮先生」と呼んでいる)。上京、大泉生活の始まり。増山さんと竹宮先生の「少年愛」への熱中を、少し醒めて眺めている著者。ヨーロッパ旅行。おおむね竹宮氏の自伝の記述と齟齬するところはない。そして、佐藤史生、山岸涼子、ささやななえ(こ)、坂田靖子、城章子、山田ミネコ、伊東愛子など、懐かしい(それぞれの絵柄が浮かぶ)名前もちらほら登場する。

 ヨーロッパ旅行から帰ると、竹宮先生と増山さんは別のマンションで暮らすことになり、著者も別のアパートを見つけて、大泉生活は終了した。そして、1973年3月、『ポーの一族』シリーズの『小鳥の巣』を執筆中だった著者は、竹宮先生と増山さんに呼ばれて「なぜ『小鳥の巣』を描いたのか(なぜ男子寄宿舎ものを描いたのか)」という質問を受ける。さらに「あなたは私の作品を盗作したのではないのか?」と言われたとも文中にある。著者はうまく答えられないまま、呆然として下宿に帰った。

 3日ほど後、竹宮先生がひとりで著者のアパートにやってきて「この間した話はすべて忘れてほしい」と言って、手紙を置いていく。この場面、著者は記憶に従って書き起こしているのだろうけど、異様な緊張感がある(別の箇所で、萩尾さんが、見たものをぱっと覚えて正確に描いてしまう才能の持ち主と言われていることを思い出す)。自分と同じジャンルに入り込んできた、才能ある後輩を呼びつけて「盗作」の疑いで詰問するまでは、凡百の人間がやりそうなことだ。しかし、ひとりで後輩を訪ねた(ひとりで来たのは初めて、とある)竹宮先生の心中の葛藤も察するに余りある。著者は、竹宮先生の手紙を読んでも、彼女の意図が分かりかねたという。そして本文中には、その手紙の一部らしい語句が切れ切れに並べられているのだが、その中に「『11月のギムナジウム』くらい完璧に描かれたら何も言えませんが」というフレーズがある。やっぱり、竹宮先生は萩尾さんの才能が本能的に怖かったのではないかと思う。

 著者は「何かわからないけど、自分の何か悪いことで嫌われたのだ」と思って自罰的になり、頭痛や不眠、目の痛みに悩まされるようになる。妹の語学留学につきあい、しばらく英国で暮らしている間も、脳の中にある「大泉の死体」を意識していたという。帰国後、木原敏江先生の誘いもあって埼玉に引っ越し、ぼちぼちと仕事を始める。木原さんが萩尾さんに「個性のある創作家が二人で同じ家に住むなんて、考えられない、そんなことは絶対だめよ」と語ったというエピソード、理知的な切れ味が木原先生らしい。それから、城章子さんの後書きで岸裕子さんが「あの頃、漫画を見ていてわかった」「(萩尾さんの)絵柄が変わった」「登場人物の目が怒っていた」と語っていることにも驚いた。プロの感性は鋭い。当時の作品を、もう一回読み返してみたい。

 その後も著者の人生は続く。連載中に評判が悪かった『ポーの一族』第1巻初刷3万冊が、3日で売り切れたというのは初めて聞くエピソード。漫画家に反対していた両親との和解。そして、大泉生活解散の理由についても、著者は著者なりに、歳月をかけて整理した言葉であらためて語っている。しかし過去は過去。このことにはもう触れないでいただきたい、と。同世代を生きる私たちは、著者の訴えを聞くしかないだろう。でも、いつの日か本書が、あらためて著者の作品とともに解読されることをひそかに期待してしまう。

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アイスショー"Prince Ice World 2021" 横浜公演初日

2021-05-03 23:26:37 | 行ったもの2(講演・公演)

プリンスアイスワールド2021-2022 Brand New StoryⅡ~Moving On !~ 横浜公演(2021年5月1日、11:30~)

 連休中にこの公演があると知って、チケットを購入したのは3月の末頃だった。せっかくの5連休、海外旅行は無理としても国内移動はできると思っていたので、旅行計画の邪魔にならないよう、5日間10公演から初日の昼の部を選んだ。そうしたら、結局、今年の5連休唯一の予定になってしまった。

 会場はKOSÉ新横浜スケートセンター。朝、出遅れてしまったので、余裕をもって東京から新横浜まで新幹線で移動することにした。そうしたら宮城県沖で発生した地震の影響で、いきなり新幹線が止まってしまった。ヤバい!と焦ったが、幸い15分程度の遅れで復旧。新幹線を使った意味はなくなったが、なんとか間に合った。

  出演者(ゲスト)は、荒川静香、本田武史、本田望結、宇野昌磨、鍵山優真、本田真凜、樋口新葉、田中刑事、友野一希、三浦佳生。円熟のプロスケーターと伸び盛りの若手が混じっている。他のアイスショーでは見られない、華麗な団体演技でショーを引っ張るプリンスアイスワールドチームも同じらしかった。

 私は、2010年と2012年にPIW東京公演を見ており、荒川静香さん、本田武史さん、プリンスアイスワールドチームの小林宏一さんは、そのときのメンバーでもある。荒川さんの変わらなさ、相変わらず女神のような美しさと高い身体能力を維持していることに驚嘆する。本田武史さんは、衣装のせいか、やっぱり腰回りが立派になったなあと思ったのだが、曲(リバーダンス!)が始まったら、滑らかなスケーティングに目が釘付けになった。ステップも!ジャンプも!

 2010年に初めて見たPIWは、子供向き(ファミリー向き)のゆるいアイスショーだった。それが2012年には、ぐんと芸術性の高いショーになっていて驚いた記憶があるのだが、10年ぶりの今回は、段違いに進化していた。衣装、小道具、照明、ドラマ仕立て、とにかく手を変え品を変えして楽しませてくれる。オープニングでは本物の炎が上がる演出あり。製氷車をリンクに乗り入れてきたり、巨大な旗を振り回したり。エアリアル(長いリボンやリングを使って宙に浮く)も思った以上に本格的だった。

 衣装では、女性の赤いロングフレアパンツが新鮮だった。裾を踏まないよう、スケート靴と一体になっていた。和風プロでは花魁ふうに胸の前で帯を結んだ女性スケーターと、裃姿?で提灯を持った男性スケーターが登場した。まあ和風プロは、YOSAKOIとかに通じる、ちょっとヤンキー風味ではあったな。グループ演技の解説では、男子も女子も揃いの半ズボン衣装で、ゲストの友野くん、三浦くん、鍵山くん、田中くんまで半ズボン姿で登場したのには笑ってしまった。

 途中で団体演技(シンクロナイズドスケーティング)のエレメンツ(ライン、サークル、ホイール、ブロック、インターセクション)の解説を入れてくれたのもありがたかった。後半のグループナンバーは、これらのエレメンツを複雑に組み合わせたものが多くて、スリリングだった。

 前の週のSOI横浜と共通するスケーターは、同じ演目が多かったけれど、田中刑事くんの「ジュ・テ・ヴ」は大人のしっとりプロ。こういう路線もいいね。昌磨くんの「ボレロ」は、なんとかこらえて演じ切った感じ。フィニッシュのあと、なかなか照明が明るくならなかったのは、起き上がってリンク中央に行くのに時間がかかっていたのではないかと思う。客席に一礼するときも足元がフラついていた。疲れるよねえ。でも楽しそうで何より。

 PIWには名物「ふれあいタイム」があるのだが、今季は自粛のため、フォトタイムを設けてくれた。これも嬉しいサービス。また見に行きたい。

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古筆を知る(五島美術館)+国宝燕子花図屏風(根津美術館)

2021-05-02 22:24:47 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 館蔵・春の優品展『古筆を知る』(2021年4月3日~5月9日)

 緊急事態発令前に行った展覧会レポート続き。五島美術館はしばらく行っていなかったし、好きな古筆なので見に行った。本展は、五島美術館と大東急記念文庫の収蔵品から、平安・鎌倉時代に書写された古筆を中心に、歌仙絵や工芸作品など約50点を展観し、古筆見(こひつみ、=筆跡鑑定家)の活動にも注目して、鑑定結果を記した「極札」などの付属資料も一部紹介する。仮名文字資料だけでなく、高僧の墨蹟や古写経もあってバラエティを楽しめた。

 歌仙絵は、上畳本の紀貫之像、業兼本の猿丸太夫像、後鳥羽院本の平兼盛像、時代不同歌合絵の伊勢・後京極良経像が出ていた。上畳本の紀貫之は、小さな目・がっちりした顎が理性的で、現代にも身近にいそうな風貌なのが好き。平兼盛は、めそめそした歌ばかり詠んでいたことを知っているので、そういう心境に見えてしまう。

 古筆には、書かれている内容の説明(例:古今集とは)、伝来経路、伝承(伝称)筆者、推定作者、さらに釈文も添えられていて、親切だった。特に、伝承筆者とは別に、今日の研究で比定されている有力な筆者の説明があるのはとても良かった。私は『下絵古今集切』や『烏丸切』の定頼の筆跡が好み。源俊頼も好きだ。そういえば『高野切(第一種)』が出ていないなと思ったら、これは前期展示ですでに引っ込んでいた。鑑定資料も面白く、久能寺経『法華経功徳品巻十九』は、キャプションには採用されていなかったが、極札を見たら「後白川(河)院宸翰』と記されていた。ほんとか?

 展示室2には『源氏物語絵巻』(鈴虫一・鈴虫二・夕霧・御法)が出ていると思ったら、「現状模写」だった。しかし、このくらい精巧だと、かえって模写のほうが安心して見られてよい。本物は4/29~5/9展示予定だったが、今年は機会を逸してしまったわけだ。残念。

根津美術館 開館80周年記念特別展『国宝燕子花図屏風 色彩の誘惑』(2021年4月17日~5月16日)

 毎年この時期に展示される、尾形光琳の『燕子花図屏風』。去年は見られなかったので、今年はぜひ見たいと思っていた。金曜日に緊急事態発令のニュースを見て、慌てて根津美術館の予約サイトを開き、もう16:00の回しか空いていなかったので、とりあえず予約した。

 本展は、『燕子花図屏風』が用いた「青と緑と金(黄)」の組合せに着目し、この三色が活躍する絵画・陶芸作品等を展示する。交趾焼や古九谷など、やきものにこの三色が多いことはすぐに思いつくが、古い絵画でも、金身の菩薩たちが舞い踊る『阿弥陀二十五菩薩来迎図』や、参道に金泥を配して浄土を表現したという『春日宮曼荼羅』など、金(黄)が効果的に使用されている。『北野天神縁起絵巻』や『酒呑童子絵巻』なども、野外の風景は、唐代様式の青緑山水プラス金(黄)が基本である。

 本展には「個人蔵」の珍しい作品も複数出品されていた。伝・趙伯驌筆『仙山楼閣図巻』(明代)は、群青と緑青で描かれた雄大な山と海の図巻。金も使われているのだろうが、あまり目立たない。人物と動物の姿が、点々と洞窟の中や海の上に描かれている。人物は仙人らしく、平然と波の上を歩いていたりする。仙獣らしき動物も。最後は雲の上にも小さな仙人の姿。『陳情令』の世界みたいでわくわくした。『松槙図屏風』『四季竹図屏風』(どちらも室町時代)は、無背景の金地に単一の植物を描くという点で『燕子花図屏風』に類似するもの。並べてみると、『燕子花図屏風』の伝統の継承と革新性が分かる気がする。

 展示室5「上代の錦繍綾羅(きんしゅうりょうら)」は、これも珍しい上代裂(じょうだいきれ)の展示。代表的な上代裂は、7世紀の織物が主な「正倉院裂」(中国産と日本産)と8世紀の織物が主な「法隆寺裂」である。中国産は、いわゆる「蜀江錦」で、単純な図形を複雑に組み合わせ、優美で華やかな文様を作り出している。黄色、緑、紺などもあるが、全体としては赤系が目立っていた。唐を舞台とした中国ドラマの衣装を思い出すなあ。

 錦には「経錦(たてにしき)」と「緯錦(ぬきにしき)」があり、長い絹糸が入手できた中国の織物は本来、前者。複雑な文様が織り出せる後者の技法は西アジアから入り、隋代に成功を収めた。日本では「奈良の三纈」と言って、夾纈(きょうけつ、板締め)・臈纈(ろうけつ、蝋で防染)・纐纈(こうけつ、括り染め)が行われた。『濃茶地鳥襷文臈纈絁』はツバメ(?)文様が素朴で可愛かった。なお、正倉院裂は、ほぼ門外不出だったが、明治9年、大久保利通が殖産興業のため、櫃一合分を諸府県の博物館等にバラまいてから、世上に出回るようになったとのこと。初めて知る話が多くて、ひたすらメモしてきた。

 展示室6は、昭和12年5月、燕子花図屏風を飾った茶会の取り合わせを再現している。当時の写真があって、狭い待合に並んで楽しそうなおじさん六人が写っていた。こういう文化的サークルの伝統って、今でもどこかに細々とは残っているのだろうか。

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洋行帰りの職人気質/渡辺省亭(藝大美術館)

2021-05-01 23:30:58 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京藝術大学大学美術館 『渡辺省亭 欧米を魅了した花鳥画』(2021年3月27日~5月23日)

 先週の土曜日、翌日から緊急事態が始まると分かって、慌てて出かけた展覧会のレポートを書いておく。渡辺省亭(1852-1918)の名前は、なんとなく知っていた(このブログの初出を確かめたら、2010年に読んだ森銑三のエッセイだった)が、評価の機運が高まったのは2017年頃からだと思う。本展は、渡辺省亭の全貌を明らかにするはじめての展覧会とのこと。

 嘉永4年(1852)生まれの省亭は、最も早く洋行した画家のひとりで、明治11年(1878)の万博を機にパリに渡り、印象派の画家たちとも交流した。その後も海外では高い評価を保ち続けたため、本展は欧米の美術館や個人コレクションからの出品がけっこう多い。国内でも評価は高く、制作依頼も多かったが、公の展覧会や博覧会に出品することは好まず、特定の団体にも所属しなかった。明治31年(1898)日本美術院に誘われたときも辞退している。日本美術院といえば、東京美術学校を追われた岡倉天心が創設した団体で、その誘いを断った省亭の展覧会を藝大でやるというのが、ちょっと面白かった。

 省亭は小説の挿絵、美人画、風俗画など、さまざまなジャンルを手掛けているが、やはり神髄は花鳥画である。今回、選りすぐりの名品を集めたこともあるだろうが、その描線の確かさ、色彩の繊細さに、誇張でなく息を呑む。牡丹のピンク色のグラデーションとか、フクロウの羽根色とか。奥行の浅い展示ケースが多くて、ぐっと作品に近寄れるのが嬉しかった。

 植物も動物も、自然な姿態のままで一枚の絵になっている。なんとなくイギリスの装飾絵画(食器やファブリックに描かれる)に通じるような気がした。あと、省亭描く小動物の目には必ずハイライトが入っていることにも気づいた。

 省亭は迎賓館赤坂離宮「花鳥の間」の七宝額の原画も描いている。本展には、東博が所蔵する原画10点も(前後期5点ずつ)展示されている。カモやカワセミの羽色の繊細なグラデーションともふもふ感、これを七宝で表現させるって鬼だろう、と思うのだが、七宝制作者が濤川惣助と聞いて納得する。妥協のない技術と技術のぶつかり合いを、双方楽しんでいたのではないかと思う。この七宝額は出品されていないが、赤坂離宮に見学に行けば見られるとのこと。覚えておこう。

 そして後半には、濤川惣助作の七宝作品がいくつか展示されている。静嘉堂美術館の『七宝四季花卉図花瓶』1対は「渡辺省亭原画」であることが判明しているものだが、そのほか『柳燕図花瓶』『藤図花瓶』なども、省亭原画と「推定」されていた。なるほど。名前を残すことには無頓着だったのだろうか。省亭の全貌が明らかになるのは、まだこれからのような気がする。

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