週末は1日だけ関西に行ってきた。金曜日、在宅勤務を終えたあと、東京駅から新幹線で京都へ。自由席は1人空けでなんとか座れる程度で、そこそこ混んでいた。京都駅に着いたのは午後8時過ぎで、飲食店はほぼ閉まっていたので、駅弁を買ってホテルに落ち着いた。
■京都国立博物館 凝然国師没後700年特別展『鑑真和上と戒律の歩み』(2021年3月27日~5月16日)
9:00開館のところ、少し早めに行ったら、すでに十数人が並んでいた。結局、開館までに50人弱が並んだようである。しかし、朝イチ組が一気に入館したあとは、ゆっくり落ち着いて見ることができた。本展は、日本に戒律を伝えた鑑真(688-763)をはじめ、日本戒律の歴史を紹介する。戒律とは僧侶が集団で生活し修行するための規律で、「戒」は生活習慣や心構え(破っても罰則はない)、「律」はきまり(破ると罰則がある)をいう。冒頭では、戒律研究のためにインドに渡った中国僧たち、中国の律学研究を集⼤成した南⼭⼤師道宣(596-667)を紹介する。奈良・平安さらに唐宋時代の古経が並び、格調高いが地味で笑う。
次いで鑑真和上の登場。唐招提寺の『東征伝絵巻』(鎌倉時代)は、色鮮やかで登場人物が多くて、しかも人物の顔が大きく表情豊かで楽しい。とりわけ蘇州の風景が賑やかで楽しかった。あと鑑真が初めて渡航を試みたのが「天宝三年」という記載を見て、長安を舞台にした中国ドラマ『長安十二時辰』とまさに同時代なのだと気づいた。
3階から2階へ。最澄と空海の登場。最澄は戒律思想を大胆に転換し、最低限の規範「菩薩戒」(梵網経にいう十重禁戒・四十八軽戒)のみで僧になれるとし、南都と対立した。ここから法然、親鸞など鎌倉新仏教が誕生していくわけか。和歌山・龍光院の『秘密儀式灌頂法具』一式は、どこかで見たような気もするのだが、組み立て式の四角い天蓋が面白いと思った。一方、鎌倉時代は日本における戒律運動の最盛期でもある。律宗の叡尊さんと忍性さんはどちらも好き。
1階、彫刻を展示する大ホールへ。2階から遠目に僧形の坐像が見えていたので、鑑真和上像か?と思ったら違った。首の太い、角ばった顔の僧侶が姿勢正しく座って、筆と草紙を持っている。籔内佐斗司先生制作の『凝然国師坐像』だという。唐招提寺の伝・獅子吼菩薩立像や東大寺の阿弥陀如来立像(眉間寺伝来)などが来ていたが、鑑真和上のお姿はない。
最後なのだろうか?と怪しみながら隣室に移ったら、正面にいらした。向かって右の壁面に元興寺の弘法大師像、左の壁面に西大寺の興正菩薩(叡尊)坐像と、広い部屋に3躯のみ展示という贅沢な空間の使い方。ちなみに弘法大師と叡尊坐像は、どちらも左右に衣の端だかが広がっていて、確か鑑真像も、後補の装飾的な衣の端がついていたが、元来の姿に戻すため外されたのではなかったか。現在の姿のほうが、簡素で強い求心力が感じられてよいと思う。右目と左目、右耳と左耳の位置が、かすかにアンバランスなのも生々しい。
その向かいは、いつも書跡類を展示している部屋。凝然(1240-1321)の自筆稿がいくつか出ていて、一目見たら忘れられない癖字に笑ってしまった。初めて知ったが、東大寺戒壇院や唐招提寺の長老を歴任し、あらゆる宗派の教えに通じた大学者だそうだ。
■泉屋博古館 企画展『鋳物・モダン-花を彩る銅のうつわ』(2021年3月13日~ 5月16日)
いつもなら急行100系統の市バスで1本だが、緊急事態宣言中は急行系統は運休のため、206→203乗り換えで東天王町停留所から歩く(事前に調べていたのでスムーズ)。本展は、中国古代青銅器の豊富なコレクションを誇る同館が、富山大学と芸術文化学部所蔵の大郷コレクションとコラボしたもの。大郷コレクションとは、富山県出身の華道家・大郷理明(おおごう・りめい)氏が収集した花器のコレクションで、その中心は明治時代以降につくられた銅花器である。
明治の銅花器と聞いても全くイメージが湧かなかったが、予想以上に「明治」らしくて笑ってしまった。要するに「超絶技巧」「やりすぎ」「ゴテゴテ」の系統である。それにしても、本物そっくりのカニやカブトムシ、からみつく蔓草の自然なしなやかさなど、複雑なかたちを銅で成型する技術は大したものだ。秘密は蝋型鋳造法にあるという説明を読んでもやっぱり信じられない。ただし個人的には、単純で簡素な古銅の花器のほうが好き。
京都滞在を終えて、次は奈良へ向かう。