ライトノベルに言及する小論文みたいなものを読んでいたら、その定義に「ライトノベルを出版しているレーベルから発売されているものはライトノベルである」としちゃったものがあって、「小泉構文かよ!」と大笑い。ポエムかね。だから、そのライトノベルの定義だろうに、自分のゼミだったら「譫言は病気の時だけにしろ」と叱責されるやつです。
何かを定義するとは難しいのです。恐竜とか昆虫とかだって気がつけば定義が変わって名前が変わって分類法が変わってます。
『魯山人味道』によると、美食家である魯山人も「日本料理と言っても、一概にこれが日本料理だと簡単に言い切れるものではない。言い切った後から、とやかくと問題が起こり、水掛け論が長びき、焦点がぼけてしまうのが常だからだ」と定義の難しさを指摘していました。〔P.243〕
日本にスペースオペラを紹介し翻訳していた野田昌宏も『SF英雄群像』で「いざ、スペース・オペラとはなんだ--といわれても返答に困ってしまうのだ」「これはスペース・オペラである。あれはスペース・オペラではないといちいち判定できるわけがない」とボヤいてました。〔P.251〕
定義するとは、かように難しい。
ならば、専門に研究している学者でもない身で、世にこれぞという確固たる定義が無い以上、原点に還ってシンプルに考えるしかありません。
いちばん最初はパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジー・フォーラム」。そこで、表紙にマンガ絵やアニメ絵を使い挿画もふんだんに盛り込んだ系統の文庫本を2つの代表的レーベルから『ソノラマ・コバルト』と呼んでいて、90年初頭にこうしたパッケージ形態で刊行される書籍を総称として「ライトノベル」と呼びましょうということになりました。
2004年の『ライトノベル完全読本』ではこの呼称を一般に定着させようとしていて、「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向けの小説」を文芸のひとつのジャンルとしてアピールしてしまいました。これが成功でもあり、失敗でもあり。何か素晴らしい文学の新しい流れの1つであって欲しいという願望が根底にあるんでしょうが、SFとかミステリの周辺領域まで引っくるめて「ジャンル」と理解しようとしたのが混沌の始まりです。
その後は文体やテーマがどうのとか、出版社やレーベルがどうのとか、まさにカオス。もともとアバウトなのに、そこでさらに「少女小説はラノベではない」とか「マンガ絵を使っているけど非ラノベだ」とか「ライト文芸とキャラ文芸と新文芸とライトノベルは別物」とかいろいろ言い出してカオスです。はっきり定義されていないものを、されていないまま細かく区分したり切り離したりしようとするから大変なことになりました。
やっぱり、シンプルに考えましょう。「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している小説」でいいじゃないですか。それで誰も困りません。本当は「若年層向け」の言葉を入れても良かったのですが、2010年以降、あきらかに主人公がアラサー・アラフォー・アラカンだったり、その転生者が主人公の作品が急増したんですね。『転生したらスライムだった件』『無職転生』『Re:Monster』等々、比率で言うと点数で3割くらい。
なので、ゼロ年代までならともかく、それ以降まで含めると「若年層向け」は入れない方が無難です。
少女小説は除く? そもそもの始まりが『ソノラマ・コバルト』なのに、少女小説を抜いてどうする? そもそも少女レーベルから少年レーベルに移った作品もあるよ。
児童文学は別? 宮部みゆき作品なんか中身同じでイラストだけ替えて、講談社文庫と青い鳥文庫で同じ話が出てるよ。
海外文学は含めない? 積極的にマンガ家を起用し始めたのが『SFマガジン』二代目編集長の南山宏で、その1作目がムーアの『大宇宙の魔女』だからね。始祖さんを仲間はずれにできませんよ。
結論。「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している小説」はジャンルに関係なく、すべてライトノベル。これがいちばん簡単で分かりやすい。他はどう分類してもグレーゾーンが広がって例外事項ばかりになります。
久保帯人が表紙を書いた『堕落論』?……さすがに小説以外はやめときましょうか。でも、つまり売り手の側がものによってはマンガっぽい絵の方が売れると判断しているってだけの話で、作品のジャンルそのものは関係ないってことです。雑誌プレイボーイのグラビア総集編も、中身は美女美少女の写真集ですが、表紙はマンガ絵ですものね。
何かを定義するとは難しいのです。恐竜とか昆虫とかだって気がつけば定義が変わって名前が変わって分類法が変わってます。
『魯山人味道』によると、美食家である魯山人も「日本料理と言っても、一概にこれが日本料理だと簡単に言い切れるものではない。言い切った後から、とやかくと問題が起こり、水掛け論が長びき、焦点がぼけてしまうのが常だからだ」と定義の難しさを指摘していました。〔P.243〕
日本にスペースオペラを紹介し翻訳していた野田昌宏も『SF英雄群像』で「いざ、スペース・オペラとはなんだ--といわれても返答に困ってしまうのだ」「これはスペース・オペラである。あれはスペース・オペラではないといちいち判定できるわけがない」とボヤいてました。〔P.251〕
定義するとは、かように難しい。
ならば、専門に研究している学者でもない身で、世にこれぞという確固たる定義が無い以上、原点に還ってシンプルに考えるしかありません。
いちばん最初はパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジー・フォーラム」。そこで、表紙にマンガ絵やアニメ絵を使い挿画もふんだんに盛り込んだ系統の文庫本を2つの代表的レーベルから『ソノラマ・コバルト』と呼んでいて、90年初頭にこうしたパッケージ形態で刊行される書籍を総称として「ライトノベル」と呼びましょうということになりました。
2004年の『ライトノベル完全読本』ではこの呼称を一般に定着させようとしていて、「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向けの小説」を文芸のひとつのジャンルとしてアピールしてしまいました。これが成功でもあり、失敗でもあり。何か素晴らしい文学の新しい流れの1つであって欲しいという願望が根底にあるんでしょうが、SFとかミステリの周辺領域まで引っくるめて「ジャンル」と理解しようとしたのが混沌の始まりです。
その後は文体やテーマがどうのとか、出版社やレーベルがどうのとか、まさにカオス。もともとアバウトなのに、そこでさらに「少女小説はラノベではない」とか「マンガ絵を使っているけど非ラノベだ」とか「ライト文芸とキャラ文芸と新文芸とライトノベルは別物」とかいろいろ言い出してカオスです。はっきり定義されていないものを、されていないまま細かく区分したり切り離したりしようとするから大変なことになりました。
やっぱり、シンプルに考えましょう。「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している小説」でいいじゃないですか。それで誰も困りません。本当は「若年層向け」の言葉を入れても良かったのですが、2010年以降、あきらかに主人公がアラサー・アラフォー・アラカンだったり、その転生者が主人公の作品が急増したんですね。『転生したらスライムだった件』『無職転生』『Re:Monster』等々、比率で言うと点数で3割くらい。
なので、ゼロ年代までならともかく、それ以降まで含めると「若年層向け」は入れない方が無難です。
少女小説は除く? そもそもの始まりが『ソノラマ・コバルト』なのに、少女小説を抜いてどうする? そもそも少女レーベルから少年レーベルに移った作品もあるよ。
児童文学は別? 宮部みゆき作品なんか中身同じでイラストだけ替えて、講談社文庫と青い鳥文庫で同じ話が出てるよ。
海外文学は含めない? 積極的にマンガ家を起用し始めたのが『SFマガジン』二代目編集長の南山宏で、その1作目がムーアの『大宇宙の魔女』だからね。始祖さんを仲間はずれにできませんよ。
結論。「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している小説」はジャンルに関係なく、すべてライトノベル。これがいちばん簡単で分かりやすい。他はどう分類してもグレーゾーンが広がって例外事項ばかりになります。
久保帯人が表紙を書いた『堕落論』?……さすがに小説以外はやめときましょうか。でも、つまり売り手の側がものによってはマンガっぽい絵の方が売れると判断しているってだけの話で、作品のジャンルそのものは関係ないってことです。雑誌プレイボーイのグラビア総集編も、中身は美女美少女の写真集ですが、表紙はマンガ絵ですものね。
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