日々好日

さて今日のニュースは

旧社会党本部解体

2013-02-28 08:45:41 | Weblog
戦後日本の政治に大きく関与して来た旧社会党本部、現在の社民党本部がある社会文化会館
が取り壊される事になりかっての所属国会議員や職員等を招き「お分かれ会」が開かれた。

戦後日本の非共産党派の合法的社会主義勢力の結集と云う事で日本社会党が誕生した。

社会民主主義・右派の民主社会主義・左派の労農派マルクス主義・平和主義の方々が結集し
結成しました。

謂わば自民党や共産党以外の批判勢力の結集と言われ右から左の広範囲の団結です。

当時の戦後の状況の落とし子みたいなものです。

1947年総選挙で比較第1党となり民主党等と連立を組み片山哲を首相とする片山内閣
が誕生します。

しかし党内対立が激化し49年総選挙で48名と云う激減で片山哲氏も落選と云う大敗を
喫しました。

1950年代は左派・右派の抗争が激化し、分裂・合併を繰り返しました。

そして1951年左派との分裂直前に鈴木茂三郎委員長が「青年よ銃をとるな」と言う有名
な演説を致しました。

この頃日本の労働者の「総評」が対共産党対策のためGHQの肝いり立ち上げられます。

右派は民社党となり、左派社会党が主流となります。

三井三池争議を経験し、日本の政治は自民党の55年体制が確立してしまいます。

1960年浅沼稲次郎委員長刺殺事件直後の総選挙で社会党は145議席獲得の大躍進を
致します。

その後党内抗争が続き1969年総選挙では90議席に激減し大敗します。

安保闘争・内ゲバが続くが1972年成田・石橋体制で119議席を取り戻します。

一時は140議席を擁し自民党と国会を二分する一大勢力になったがどうしても自民党に
敵わず全てに反対する反対党と成り下がり牛歩戦術等で国民の信用を失くして行きます。

1993年総選挙では70議席に大敗します。

細川内閣の時は与党として政権に入りました。

1994年は自民党・さきがけ等と連立し村山委員長が村山内閣を組閣しました。
この時自民党に操られ自民党の云う儘で節操に無さが批判の的となりました。
しかし万年野党が政権の座に有った事を評価する声もある。

その後凋落を続け15議席まで議席数を減らし1996年社会民主党と現在の名前に改名

その後がご覧の通りの消滅寸前の極小政党です。

しかし今も平和憲法を守り・戦争反対・再軍備反対を唱えています。

本当昔の事を考えると隔日の思いですね。

社会党と言えば。片山哲・成田知巳・江田三郎・浅沼稲次郎・鈴木茂三郎・佐々木更三
石橋政嗣・勝間田清一・村山富一・土井たか子氏等々多士済済でしたね。

デフレ記述削除物価高進行か?

2013-02-28 08:02:39 | Weblog
甘利経済再生担当大臣は2月の月例経済報告を発表しました。

これまでデフレの影響と記述した項を削除し、安倍政権の経済政策のアベノミクス効果で
企業・家計共良い方向に改善されるだろうとの見通しを示しました。

だが現状では依然として緩やかなデフレ状況にあると云う表現は変えていません。

しかし此はあくまで楽観的見方である事は否めません。

この根拠になっているのが1月の消費動向調査で、消費者が予測する1年後の物価上昇率
の平均が前年比の1・62%になった結果で導き出されれた予測で、敢えて深刻にマイナス
と記述する必要を認めないと云う極めて乱暴な論理から出された結論です。

確かに景気基調判断では生産や企業収益が持ち直して来て居る事から、一部に弱さは残るが
下げ傾向が止まる兆しが見えて来たとして来たが、今は下げが止まったと下方修正して居る。

アベノミクス効果は12年度補正予算に緊急経済対策効果で景気回復の期待が高まるとして
居るがイタリア総選挙結果で欧州債務危機の再燃・円高・株安がまたブリ返って来る可能性
もあって楽観は許されない状況の様だ。

しかし円安・輸入価格上昇で、小麦・ガソリン・灯油・電気・ガス等の値上げが一斉に起き
物価高は庶民生活を襲って来ます。

特に電気・ガス等は4月からの値上げが決まって居ます。

小麦の値上げは、パン・食品価格を更に上昇させ益々物価高となって来ています。

問題は其れに見合う収入が増えれば経済は膨張し、再生出来るのですが、物価だけの上昇
では、経済再生は覚束ないのではないか?

政府の云う物価指数2%の目標達成は出来ても雇用・収入がついて来なくては益々国民生活は
困窮する一方になるのは・・・・