堀井憲一郎 2009年 講談社現代新書
私の好きなホリイ氏の新刊が出たんで、さっそく読んだ。
「ここ五年で八千あまりの落語を聞いた」なんて、チョロッと書いてあるが、そういう人の落語論である。
帯に「寄席で見つけた 落語の真髄!」なんてあるが、著者は、タイトな執筆日程のなかで、書いている最中に発見した「落語は、大人が集まって“想像トリップ遊び”するための道具である」というのをキャッチフレーズにしたいと考えたそうだ。ちなみに、そのとき帯は既に刷りあがってたらしいけど。
で、なかみは、読めばわかるんだけど、本質論、技術論、観客論の3章から成っていて、本質論は読めば刺激されるフレーズがビシビシである。
いわく、「映像の中に落語はない」「『正しい原文』はない」「演題は符牒にすぎない」「客はネタを選べない」「登場人物の名前も意味がない」「サゲは、合図でしかない」「ストーリーもない」「あらすじにも意味がない」
どういうことかっていうと、セリフ・キャスト・シナリオの決まったお芝居を一人が演じて見せるってものぢゃないってこと。
ぢゃあ何だっていうと、その場に集まった人全員で、同じことを想像してみるっていう遊び、その場限りの和をつくる魔法(著者の言葉ではペテン)。
なので、ライブに参加しないで、本で落語のテキスト読んだり、テレビ・DVDで切り取られた映像として落語を演じてる画を見るのは、意味がない。
演者である落語家は、よく言う「(客の)ご機嫌をうかがう」ってことに気をつかうのが基本、ちょっと喋ってみて客の反応をみてから何をやろうか決めるってのも正しい。
そのへんのこと、桂米丸師匠なんかは、「お客さんの呼吸がそろうと、何とも言えない」なんて言ってたと思う。名人上手が喋れば、場の空気が一つになるのである。逆にいえば、一人が居眠りしてたり、関係ないこと隣と話してたり、妙にバカ笑いしたりすると、簡単に落語は壊れる。
あと、落語は、演者によっても違うし、受け取り手によっても違う、一人ひとりにとって違う、個人的な体験である。だから、ひとと一緒に来ても、おもしろいと思うとこやつまらないと思うとこは違ったりするので、「落語は一人で聞きにきてください」と立川志の輔師匠が言ったということなんだが、そのへんも真理だと思う。

落語、すきなひと、必読。
私の好きなホリイ氏の新刊が出たんで、さっそく読んだ。
「ここ五年で八千あまりの落語を聞いた」なんて、チョロッと書いてあるが、そういう人の落語論である。
帯に「寄席で見つけた 落語の真髄!」なんてあるが、著者は、タイトな執筆日程のなかで、書いている最中に発見した「落語は、大人が集まって“想像トリップ遊び”するための道具である」というのをキャッチフレーズにしたいと考えたそうだ。ちなみに、そのとき帯は既に刷りあがってたらしいけど。
で、なかみは、読めばわかるんだけど、本質論、技術論、観客論の3章から成っていて、本質論は読めば刺激されるフレーズがビシビシである。
いわく、「映像の中に落語はない」「『正しい原文』はない」「演題は符牒にすぎない」「客はネタを選べない」「登場人物の名前も意味がない」「サゲは、合図でしかない」「ストーリーもない」「あらすじにも意味がない」
どういうことかっていうと、セリフ・キャスト・シナリオの決まったお芝居を一人が演じて見せるってものぢゃないってこと。
ぢゃあ何だっていうと、その場に集まった人全員で、同じことを想像してみるっていう遊び、その場限りの和をつくる魔法(著者の言葉ではペテン)。
なので、ライブに参加しないで、本で落語のテキスト読んだり、テレビ・DVDで切り取られた映像として落語を演じてる画を見るのは、意味がない。
演者である落語家は、よく言う「(客の)ご機嫌をうかがう」ってことに気をつかうのが基本、ちょっと喋ってみて客の反応をみてから何をやろうか決めるってのも正しい。
そのへんのこと、桂米丸師匠なんかは、「お客さんの呼吸がそろうと、何とも言えない」なんて言ってたと思う。名人上手が喋れば、場の空気が一つになるのである。逆にいえば、一人が居眠りしてたり、関係ないこと隣と話してたり、妙にバカ笑いしたりすると、簡単に落語は壊れる。
あと、落語は、演者によっても違うし、受け取り手によっても違う、一人ひとりにとって違う、個人的な体験である。だから、ひとと一緒に来ても、おもしろいと思うとこやつまらないと思うとこは違ったりするので、「落語は一人で聞きにきてください」と立川志の輔師匠が言ったということなんだが、そのへんも真理だと思う。

落語、すきなひと、必読。
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