many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

職業は武装解除

2011-11-04 20:50:19 | 読んだ本
瀬谷ルミ子 2011年9月 朝日新聞出版
著者の瀬谷さんは、認定NPO法人・日本紛争予防センター(JCCP)事務局長。
それって何をする人かっていうと、専門は紛争後の復興、平和構築、治安改善、兵士の武装解除・動員解除・社会再統合など。
いままで行った場所は、ルワンダ、シエラレオネ、アフガニスタン、コートジボワール、ソマリア、ケニア、南スーダン、バルカン地域。
私がこの本を読もうと思ったのは、著者がラジオ(J-WAVE)に出ていたのを、たまたま聴いたとこから始まっている。
車の運転中に最初は何気に聴いてただけなんだけど、うわっスゴイ人がいるんだな、って途中から引き込まれた。そう思うと、本を読まないわけにはいかなくなる。
武装解除っていうと、なんか、戦争して、負けたほうが白旗あげて出てきて、武器を捨てて丸腰になる、って絵柄を想像してたんだけど、彼女の語るのを聴いてたらちょっと違った。
紛争地域で、和平合意が結ばれて紛争が終わったら、兵士の武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(Reintegration)=DDRが問題になると。
兵士・戦闘員から武器を回収し、除隊させたうえで、一般市民として生きて行けるように手に職をつける職業訓練や教育を与える取り組みが、DDR。

紛争が終わったら、兵士は仕事がなくなるんだから、それを社会復帰させるにはどうしたらいいか、なんて考えたこともなかった。
世界中のそういう紛争地域には、子ども兵士もいる。物心ついてから(つく前から?)人を殺すことしか教えられてないような子どもをどう社会に入れてくか。
社会復帰させると言ったって、内部紛争してたとこでは、肉親を殺されたような被害者と、殺した元兵士である加害者が、一緒にならざるをえないようなとこもある。武器とりあげたからって、すぐ仲良くなれるはずもない。
そういうとこへ出かけてっては、最終的には人々が自立できるように手助けをする。ただカネを出して、物を贈ったりハードを建てたりするだけぢゃない、社会を立て直すのが仕事。って言うのは簡単だけど、大変。
著者は、高校三年生のときに、ルワンダの難民キャンプの写真を見て、衝撃を受けて、進む道を決めたという。
紛争地域で死と直面している子どもたちに比べたら、自分には何かをする自由があり、自分でやろうとすればその悲惨な状況を変えられる立場にいるって意識が、行動を起こすもとになっている。
特に、ラジオでも言ってたんだけど、「やらない言い訳をしない」ってポリシーをもって物事にあたっているというとこに、私はえらく感銘をうけた。(私のような他人に無関心な人間にしては、めずらしく…)

うーん、シエラレオネという国名をみたとき、私はすぐに、やっぱりやがて国連ではたらくことになった、吉田真紀さん=FMヨコハマ「THE VOICE」のDJを思い出した。
あのひとも、このままでいいのか、自分には何ができるのかと考えてるひとで、私は、とても、とーっても、尊敬してた。
そういう人たちの言うことを聞いたり、本を読んだりして、ぢゃあ私もって行動を起こしはしないんですけどね、私の場合は。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンプレックス・シティ

2011-11-03 19:40:12 | 諸星大二郎
諸星大二郎 1980年 双葉社アクション・コミックス
副題は、そのまんま「諸星大二郎傑作集」なわけだが。
どーでもいーけど、初版の発行が1980年11月、私の持ってるのは1981年10月だが、なんと15版だ。
マニアックな一冊だと思ってるんだけど、売れたのか、そんなに?
(…まさかチョコチョコ描き直して版を重ねたわけでもあるまいし。でも、ただの増刷だったら「15刷」って書くか? うーん、謎だ。)
だいたい、1978年から79年くらいに発表された短編が集められてます。
当時私は少年ジャンプくらいしか定期的に読んでなかったんで、「アクション」とか「月刊OUT」とかに掲載されたこれらの作品は、この単行本を読むまで知りませんでした。
(いつ、この単行本を初めて手に入れたかが、忘れちゃってて、また謎。)
ジャンプに載ってたものに比べたら、ずいぶんと違ったテイストだなー、とは思いましたけど。
まあ、正直言って、「暗黒神話」や「孔子暗黒伝」より先に、こっちを読んでたとして、いまと同じくらいファンになったかは、わからないですけど。
だって、シュールと言ったらいいけど、ビミョーな感じのやつも多いですから。
コンテンツは以下のとおり。
「コンプレックス・シティ」
「鯖イバル」
「アリゲーター」
「ブラック・マジック・ウーマン」
「真夜中の会合」
「人をくった物語」
「遠い国から」
「砂漠の真ン中に」
「セント・ピーター号上の昼食会」
「海の中」
「ヨシコちゃんと首たち」
「ふしぎなナプキン」
「むかし死んだ男」
「ジュン子・恐喝」
単行本タイトルにもなってる「コンプレックス・シティ」は、ゼピッタ・シリーズと呼ばれてるもので(他の作品があるのを、私が知ったのは、ずいぶん後だけど)、人間とロボットが対立している町の話。
どーでもいーけど、この話のなかで、主人公がある小話をすると、人間もロボット(特別に笑いの回路が作られたロボット)もサイボーグも笑いが止まらず転げまわるという一幕があるのだが、その小咄の全容が明かされることはない。
非っ常ーっに気になるんだが、まあ、その語られざる小咄が、実在するわけでもなかろう。
モンティパイソンにも何かそんなのあったっけ?(殺人ジョーク?)
「鯖イバル」も、けっこう好き。
砂漠の真ん中に不時着した一行が、巨大な鯖の缶詰を発見するって話なんだが、まあ、どこまでナンセンスとして読むか、それとも不条理を真剣に考えるべきか、って頭ンなかフラフラさせられるとこが楽しい。
巻末の「ジュン子・恐喝」だけ、1970年のもので、飛びぬけて古い。これがデビュー作といわれている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体重の管理とか

2011-11-02 22:05:39 | Weblog
どうにも、本を読む気にもなれない。
文字書く(キーボード叩く)気も、あんまりないんだが、なんか書いときたくなるのも生活習慣みたいなもんになっちゃってるんで。

きのう、体重がオーバーしてることに触れたんで、その関係。
体重計を棄てちゃってから、というのはイコール走らなくなってからということになるんだが私の場合は、まったく体重を管理しない時期が続いた。
具体的には、2003年から2008年の6年はノーケア。んー、2009年もか。
若い頃の体重を、ふつうに保ってたんだが、ケアしなくなると(暴飲も重なったせいか)、ちょっとひどいことになった。
でも、去年2010年から、なんだか(体重が落ちるにつれ)体重計に乗るのが、再びおもしろくなって、以来できるだけチェックするようになった。
いまは1キロオーバーくらいだけど、この1キロはウエストサイズに直結するみたいなんで、できたら落として保っておきたい。

ところで、若い頃は、変動があっても1キロか2キロの増だったんだけど、2キロ違うともう大ごとで(顔にも出る)、自分でガマンならないんで、すぐ落としにかかるように努力してた。
ふつうに、ちょっと食生活に気をつけて、運動(長距離走る)すれば、簡単に戻るように調整できてたんだけど。
いちど、1987年か88年に、真剣に落とさないと落ちないような気がして、ダイエットに取り組んだことがある。
(1ヵ月に2キロ程度、今思えばたいしたことないんだが。)
そのやりかたは、当時なにで知ったか忘れたけど、食べたものをノートに書くこと。
(近年、そういうの話題になったらしいけど、当時もあったよ、少なくとも私が知る限り。)
とにかく、全部書く。三時に食べた、おせんべい1枚から、飴の1個まで、全部リストアップする。
それだけ。自分に嘘つかないで書いて、なんか食生活情けないなーって意識するだけで、体重落ちる。

ちなみに、当時これもまたどこかで仕入れた、「冷蔵庫に自分の写真貼る」ってーのは、エリザベス・テーラーがやってたって聞いたんだけど、「やってます!効きます!」って話のネタとして言ってはいたけど、実際にやったことはなかったです。

あと、当時は、塩っ気を削ることに、ずいぶん注意を割いた。(塩分は水を留めて水太りする、っつー理屈だあね。)
なので、その時期に味覚が変わっちゃって、そのままそれが基本で現在に至ってる。
インスタント食品とか、スナック菓子が、しょっぱいって言って食えなくなっちゃったのも、そのころから。
あと、たとえば、豆腐に何もかけないとか、生野菜に何もかけないとか、トーストに何も塗らないとか、そういう感じの食い方もそのころつくられた習慣。
それでウマイかって訊かれても、味なんて、ただの慣れだよねーと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行く馬、来る馬、また乗る馬

2011-11-01 19:43:40 | 馬が好き
きょうから11月。でも、なんも変わんない私。とりあえず乗馬に行く。
でもなー、今月は出来たら乗馬強化月間にしたんだよなー。思ってはいるものの、実際どうなるか分かんないが、できたら週2で乗りたい。
夏から秋にかけてサボってたせいで、去年の秋から自分で守ってたラインから、約1キロ体重も増えちゃったし。
(夕方計ったら正確には0.8キロオーバー、今日のところは。まったく、来年になって馬に乗らなくなったりしたら、どうなるか、今から不安。)

ところで、全然関係ないけど、きょう馬乗る前に、こないだの野球の試合を見たって人から、いいピッチングだったって誉められた。
まあ、野球は唯一ひとなみにできるスポーツとか、野球は乗馬の10倍は自信あるとか、ふだんから言ってるところではあるけれど。
だいたい私は、スポーツできるようには見えないらしいんで、野球(特にピッチャー)やると、意表を突くらしく驚かれるんで、必要以上に評価されるって点はある。
でも、ただでさえ、おだてには弱いのは置いといても、何より今日うれしかったのは、何気に言われた二点。
「チカラ入れてるように見えないのに、球が速いですね」
「なんかボールを放すのが、遅くないですか」
最初のやつは、まさに私の目指す野球。
ピッチングのメカニズムについては、けーっこうウルサイです、私。このブログでも採り上げた「科学する野球」の理論に従ってます。どこから力発生させてどう伝えるか、それさえわかってれば、力入れてるように見えないでボールは投げられます。(でも、けっこう瞬間的には力入れてんのよ。)
ムダにマウンドの上で跳ねたりしゃがんだりしないで、静かなフォームで速い球投げるの目指してんで、御世辞でも「チカラ入れてるように見えないで球を投げる」ことが或る程度できてると言われると、それが褒め言葉としては、一番うれしい。
もうひとつの「ボールを放すのが遅い」については、意識してやってるポイントではないけど、同じように、正しい投げ方を目指すと、そうなるのは当然なんで、そう見えたんだったら、それもまた喜ばしい。
運動は物理法則に沿うんで、真実はひとつ、あとは身体の大きさ(骨格とか手足の長さとか)、筋力、関節の可動域等々の要因で個人差がでるだけ、合理的な動きをこころがけるべし、ってのが私のモットー。
って、野球だとできんだけど、乗馬だとできないよ。なんで? ムダな力、ムダな動きばっか。

さて、本日乗る“フウイヌム”は、おなじみのフラヴォン。
あれ? でも、いつものとこに居ないよ?
代わりに居たのは、こやつ。


↑ 名前は、チョコレート。(おいおい、それが本名?
先週の水曜日に来た馬。氏素性は詳しく聞いてないけど、どうもベルギーとかそこらへんの(つまりは私の好きな)乗馬ウマらしい。期待大
代わりに、最年長だったセルスコールが、30日の日曜日に乗馬苑を去った。彼には、教わったことが多いので、感謝している。
ちなみにセルスコールのいなくなった馬房には、ウインストラテジーが入ってた。
(どーでもいーけど、私は乗馬の顔ぶれを数えあげるとき、五十音順でもなく年齢順でもなく、馬房の並びの順に挙げていくことが多いんで、むやみに動かれても困る。)
さてさて、フラヴォンは、どこいった? あ、いたいた、裏の別棟に移動してた。

居たはいいけど、おしりと壁の間に、飼葉オケ挟んで、押し付けながら「かいーの」してるよ。
呼んでもこっち向かないで、恍惚としてる。ヘンなやつ

ようやく引っ張り出したら、乗り出してから馬場で座りこんだりラチでお尻掻いたりされたら堪らないんで、念入りにブラッシングしてやる。
馬装したら、厩舎のまわりで常歩。たらたらしないように、どんどん歩かせる。
だいぶせっせと歩いてくれるようだったら、手綱短く持ってハミを受けるか確認する。受けたら手綱伸ばす、ポンポン。また繰り返し。
乗馬に関する記事は、毎回同じことの繰り返しだから、簡潔にしようと思ってはいるんだけど。乗るたび、いろいろノートしといたほうがいいことが発生するんで、またまた長くなっちゃうのは、しょうがない。(基本このブログの乗馬関係は、自分のためのメモ。)
今日も、乗ってるうちに、自分のおかしなとこに気付く。
たとえば。
手綱伸ばすと、馬がそれまでセーブされてたのを外されるから、大きく動くような感じして歩いてくんだけど、そうすると私の腰も揺れる。
それに比べて、拳使ってギューって引っ張り気味のときって、私の背中から腰から尻から脚にかけて、ガチガチに固まっている。
馬の動きについてってない、鞍に自分の体重圧しつけて馬の動きの邪魔してる感じがする。
手も同様、拳ではたらきかけようとすると、ただただ腕から手首から指から固まってるだけ、はたらきかけても馬のクビは歩くたび動いてんだから、ついていかなきゃいけないんぢゃないかと思うんだが。このへんが、障害とか飛びだすと随伴できないで、身体がドアみたいに一枚板になってる原因ぢゃないかと。
とりあえず、拳を使っても、腰は馬の背中の前後左右の揺れに柔らかくくっついていくように心掛ける。
もうひとつ。
馬の進む道を左右寄らせようとするとき、かたっぽの脚でグイっと圧すんだけど、それが無意識に後ろに引いて使ってる。
逆ぢゃないかな? 後ろに引けば強く使えると思ったら大間違い。通常の位置ではたらきかけたほうがいいはず。反対の、推進かけないほうの脚こそ、引いて馬の後躯が余計に横に行かないように微調整すんぢゃないのかな。
やれやれ、馬場に行く前に、常歩で厩舎回ってるだけで、課題いっぱい。

馬場に出たら、常歩して、ときどき巻乗り。強い常歩してみたいんだけど、なかなかうまくいかない。
そしたら速歩スタート、軽速歩で、最初手綱伸ばし気味でクルクルと。
そのうちまた手綱短く持って、前に出てる馬を受けるように心掛ける。
ちゃんと受けてるかどうかは、歩度を伸ばしてみれば、すぐわかる。なんかイマイチ勢いよく出ないなー、口がこっち来てるような気がするけど、カッコだけなのかも。

軽速歩で輪乗り。内側の脚でどんどん押すと、フラヴォンは、わかりやすく外へふくらむ感じする。外側の拳というか手綱というか、そのへんしっかりするようにする。
そしたら駈歩。まあまあ勢いよく出てるような気はする。
それでも強く脚を使おうとすると、ヒザが上がってアブミが踏めてない。何度かガタガタする、重心の一致どころぢゃないよ、ちゃんと坐れてない。
そう言えば、先週あるところで「騎座の安定が重要なのは、拳を自由に使うため」って聞いて、かるく目からうろこが落ちた。
そう、座るために座るんぢゃないよ、座って何をするかが大事。駈歩の背中に座って手は馬の口についてこうと努力する。
駈歩で広いほうを回ってみる。歩度を伸ばして、また詰めて、前に出る勢いを失わないようにして巻乗りして、そんなことの繰り返し。
うん、フラヴォンのやる気を感じる、ほんと付き合いのいい奴だ、だから好きなんだ、こいつ。

また軽速歩で、こんどは地上横木を通過。
「もっとヒザの裏を伸ばすように」と言われて、一歩ずつ踏み下げるように意識する。カカトを上に蹴るように使わない、ふくらはぎで馬体に密着するように圧せってーの。
んぢゃ、障害。軽速歩でクロス。
横木通過するときと同じように、大きく回りながらなんだけど、障害の反対っ側にいるときに、いちど歩度を伸ばすようにして、それからおさえる、おさえたまま強い勢いを保つように回転して、障害を正面に見据えたら何にもしない、そんな戦略。
ハミ受けを意識して乗りだしてから、フラヴォンに乗ってもコンタクトを失って障害直前で止まるようなことはしなくなった。あとは油断すると、障害直前でダダダって勢いよく行かれちゃうから、最後までペースを守るようにジーッとしてる。
でも、ジーッとしてると、また上半身がついてってないまま飛んぢゃう。「もっとヒジから前に動かす感じで」と言われて、手をフリーに動かすようにする。あんまりやると、ハミをガチャガチャといじっちゃいそうなんで、そーっと。
だんだん高くなる。だけどフラヴォンにやる気があるんで、もう向ければ飛んぢゃう。回転して一歩か二歩いくと、ターゲット発見!とばかりに勢いよく出てくんで「速い、速いよ、おまえ」とか声かけながらジッと待つ。
どーでもいーけど、フラヴォンは人語を解するんで、ホーとか言わないで、私はちゃんと話しかけるようにしてる。
冗談ぢゃなく、「速歩」「駈歩」「すすめ」「とまれ」は、間違いなくわかってる、フラヴォン。それどころか「歩度を伸ばせ」がわかってて、なんにもしなくても号令でスッと出る。ただし、一瞬だけで元に戻るとこが、ズルではあるけれど。
クロスの向こう側に垂直懸けてオクサー状にする。そしたら駈歩。
もう勝手に飛んでくれちゃうんで、ムダに動かそうとかする必要もない、先飛びだけにはなんないようにして、随伴をテーマに繰り返し飛ぶ。
助走でいちど強く出して、そこでおさえて、強さ保ったまま回転、ってのは変わらず、障害向いたら、待って待って、踏み切ったら馬の動きについてくように飛ぶ。
はい、練習終了。あー、楽しかった。

調子に乗ってガンガン走ってたら、フラヴォンが汗びっしょりなんで、丸洗い。
朝は秋らしいけど、昼にはまだ20度くらいまで上がるんで、日向ぼっこさせながら拭いてたら、わりとすぐ乾いた。
(ほかの馬が通らないのをいいことに、馬房の外で前後逆に、屋根の外に出るように繋いで陽を当てるという手を使った。)

※おまけ
お預かり馬=エルアルト、福島行き。


※11月2日付記
きのうの障害練習のときの写真を、ひとからもらった。

↑ どー見ても、止まってるよう(拒止)に、見える。
きのうは一度も止まったりしてないんだけど。(つまり、ここから飛んでる。)

一方、こちらはプロフィール欄にも使っている、上出来の一瞬をとらえたお気に入りの写真。
(私は、よくこの写真のことは「百回飛んで、この一枚、ですから」と言う。)

(2009年2月23日、ところは札幌、馬はトウショウクリーム〔…白老へ移ったんだってねぇ〕)
これらだけ見ると、この3年で、うまくなってはいない、としか言いようがない…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする