many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

タブサンパー

2012-10-24 19:21:36 | CD・DVD・ビデオ
チャンバワンバ 1997年 東芝EMI
いや、私が朝みてるテレビ番組のオープニングが、いつの間にか変わって、これになったもんで。
(朝は、テレビ見てるって言っても、そんなイッショケンメ見てるわけでもない。いわゆる時計代わりってやつだね。だから、いつ変わったかとか知らない、気がついたら変わってた。たぶんテレビ番組のことだから10月からだろう。)
CHUMBAWAMBAの「TUBTHUMPING」は、当時流行ったねえ、1997年か。私が毎日エフヨコ聴いてたころだから、そうだねえ。
(そのころのラジオはシンケンに聴いてた。ナマで聴けない日は録音してたくらいだから。→毎日2時間録音して、翌日の通勤の行き帰りでテープ聴く。)
なんていっていいのか、よくわかんない音楽だけど、インパクトあって耳の残るのは確か。
とうとうアルバム買っちゃったけど、まとめて聞くと、どの曲が何の曲かよくわかんない、いまだに。ただ、ずーっと通しで流しとくのは苦にならない。
聞き取れるような聞き取れないような英語の歌詞が気になるんだけど、べつに調べよう(口に出して歌ってみよう?)とまでは思わない。
(tubthumperの意味も、いま初めて辞書引いてみた。「熱弁を振るう人[弁士]」だって。)
ただひたすら元気いいアルバムだ。テンションあげっぱなしにするのつらいときに聴くには向かないかも。
1 TUBTHUMPING
2 AMNESIA
3 DRIP DRIP DRIP
4 THE BIG ISSUE
5 THE GOOD SHIP LIFESTYLE
6 ONE BY ONE
7 OUTSIDER
8 CREEPY CRAWLING
9 MARY MARY
10 SMALLTOWN
11 I WANT MORE
12 SCAPEGOAT
13 FAREWELL TO THE CROWN
14 FOOTBALL SONG
15 SEVEN DAYS
16 MAY DAY
(13、14、15、16の4曲は日本盤のボーナストラック。)

(このジャケットは、センスいいとは思わんなあ。)
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エイワヴァージニアで空中内方姿勢

2012-10-22 19:12:49 | 馬が好き
乗馬に行く。

きょう乗る馬は、エイワヴァージニア(略称エヴァ)。
「動かない」って言うひともいるけど、ふつうにカワイイ乗馬である。
んぢゃ、馬装して、ゴー。

ほかのひとは、わりと早めに来て早く乗ってたりするけど、私は特別早く来ようとは思わない。
ほかのひとが、もうビシバシやってたりする隅っこで準備運動。
あれえ?なんか動きがあやしいぞぉ。
前回、拍車つけろ、なんて言われたけど、もちろん今日もつけてない。
拍車は、扶助ぢゃなくて、懲罰道具だからねえ。
それはムチをもってりゃ十分で、二つも三つも要らんでしょ。
輪乗りであまりうまくいかないんで、柵沿いに少し広くまわって、動かす。
ほら動けー、ってやると(最後は、懲罰道具を脚の後ろでチラチラさせちゃうんだけどね)、駈歩が出ちゃういそうなくらい速歩が動き出す、よしよし。

そしたら、また輪乗りで、詰めたり伸ばしたり。
でも、いまいち、受けてるって感じがしない。
ムリヤリ引っ張ってくるんぢゃなくて、馬が譲るのを待つ、そこへ来たらラクになるってのを馬が納得するのが理想だから。
駈歩で同じようなことする。走れ走れ、スピードはたやすく上がるけど、なんか思ったようには行かん。
ところで、詰めようとしたときに、ちゃんと坐れてないで、鞍の前橋のほうに動いちゃってる自分に気づく。
俺が自分で(拳と腰の距離が?)詰まってどうする、詰めるのは馬だってば、鞍のなかに坐るようにする。
まあまあ元気よく駈歩できたし、準備運動完了。準備運動は得意なんだな、問題はこのあと何をどうするかだ。

そしたら、駈歩の輪乗りで、横木またぐよ。
30メートルくらいかな、大きな輪乗り。9時と12時と3時のところに、横木が一本ずつ。
9時から12時までと、12時から3時まで、横木と横木のあいだは、駈歩7歩だって。
こういうの、だいたい、普通にいくと、一歩少なくなっちゃうのが相場だから、最初っから詰めてく。あれれ、そしたら8歩入ったよ。
もう一回やってみても、8歩。逆に、前でてないってことか。次からもう少し動かす、よし、7歩。
ときどき手前替えながら、繰り返し。そしたら、12時んとこの横木は、ブロックにのっけて高さ上げてくよ。

反対っ側では元気動かすように意識して、それをつかまえるつもりで横木に入ってく。
「1・2・3、1・2・3・4!」ピッタリで飛べる。飛んだけど数え方違うな、1・2・3・4、1・2・3だろよ。
高さ上げた横木を飛んだあと、次の横木まで同じ7歩で行くことが大事。飛んだあと、止まっちゃったり、走られちゃったりしちゃダメ。
外へ行くな、飛んだら内へ入れ、と言われる。
高いのを障害として意識しちゃうと、正面向いて飛ばせて、着地から次の一歩が真っ直ぐ行っちゃう。そうすると、次の横木へ向かうのにカクッと曲げる、輪乗りぢゃなくて四角になっちゃう。
そうぢゃなくて、最初の駈歩の輪乗りのまんまで、高さ上げても飛んでいかなきゃなんない。もちろん飛ぶ前の助走も、直線ぢゃなくて輪乗りの弧のままだ。
「飛んだら空中で内に(手綱)開け」って。飛ぶとき馬の動きについてくだけで精一杯なのに、内に開けってか。
やってくと、だんだん慣れてくる。手綱だけぢゃなくて、内外の脚の位置を意識する。
空中内方姿勢、以前マネごとやったときには、外側の手綱で曲がれと言われたフラットワークの続きだったが。障害飛ぶとき左右45度前方にある次の障害へ、空中から既に馬を向けるとか。

繰り返して、最後は70センチくらいまでバーが上がる。バーの外側だけ少し高くして斜めにしてあるから、馬が外に逃げたりしないで、内向きで飛びやすいんで、問題なくできたけど。
助走で、もうすこし胸を張れと、姿勢を直される。手を前にして、そこでつかまえることを意識してたつもりだったんだけど、肩をすぼめてたみたい。まあ難しいよ。
はい、上手に飛べたとこで、練習終了。
あー、できたら一度6歩でやってみて、そのあとまた7歩でとか、やってみたらよかった。次回だね。
速歩で整理運動。横木を撤去したあとの輪乗りに戻って、速歩と常歩のギヤチェンジを何度か繰り返してみる。
馬のクビが曲がりすぎて、うけてるかどうか不安になったら、いちど手綱ゆるめてドンと脚いれて起こす。
(↓練習後に放してやると、見せびらかすかのように寝転がるエヴァちゃん。)


陽気がよくて、まだ夏と同じ半袖一枚で私は乗ってる。
乗ったあとの馬は、しばし放してやってから、丸洗い。思ったより乾くの早くて助かる。
でも、そんなことやってるから、来るのも遅いけど、帰るのもひとより遅くなる。

あした、荒れ模様の天気、降水確率80%っていうんで、サボりを決め込む。
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夏のレプリカ

2012-10-21 22:47:12 | 読んだ本
森博嗣 2000年 講談社文庫版
というわけで、前回のつづき、シリーズの第7弾を急いで読んだ。英題は「REPLACEABLE SUMMER」。
たまたま、2冊セットということは知らなかったんだけど、2冊同時に買っといたんで、続けて読むことができた。
こちらは、最初が「第2章」から始まっていて、偶数章だけ。
主人公の萌絵さんの元同級生とその家族が誘拐されるんだけど、殺されちゃうのは彼女たち家族のなかの人ぢゃない。
かたやの奇数章のストーリー「幻惑の死と使途」が、テレビ中継のまっただなかで事件が起きるのに比べて、こっちは地味な感じ。
しかし、このシリーズには他にも主人公の犀川助教授か萌絵さんかが、事件の真相に気づく、インスピレーションに打たれるような場面があったと思うんだけど、これまでんとこでは、この作品のその部分が最も印象的ではあります。
(きょう仕事帰りの新幹線のなかで読み終えたばっかりなので、記憶が新しいだけかも。)
(自分の古くから持ってる本を並べてくのが基本のこのブログ、新しいものでも読み終えてすぐノートするのは珍しい気がする。)
で、ストーリーよりも、今回いちばん気に入ったのは、次のようなとこ。
友人同士の会話を引用しちゃうと、
>「そうね、だんだん鈍くなっているんだわ」
>「いいんだよ。その方が生きやすいから」
>「どこへ?」
>「違う違う。生活しやすいってこと」
このなかで、「どこへ?」のセリフは、当然、その前の「イキヤスイ」を「行き易い」と誤認して、出てきたとわかるんだけど、ふつうこういうムダというか、必要ない回り道するフレーズを挟む小説内の会話は少ないと思う。
でも、それが逆にリアルっぽいでしょということなんだろうけど、そういうのが、“オートマチックぢゃない表現”(穂村弘風)として、読んでて引っ掛かりがあって、うまいなあと思った。
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幻惑の死と使途

2012-10-19 18:53:23 | 読んだ本
森博嗣 2000年 講談社文庫版
英語題は「ILLUSION ACTS LIKE MAGIC」
はい、ボチボチと引き続いて読んでるミステリィシリーズの6番目。
冒頭、主人公の女子大学生が旧友と再会するんだけど、ふたりで喫茶店でケーキ食べてお茶飲みながら、盤も駒もつかわずにチェスを戦わせるという魅力的なシーンから始まります。
(脳内将棋ってやつだね。昔は目隠し将棋と呼んだと思うんだが。)
で、第1章のおわりに、注釈のような文章があって、もうひとつの事件というか物語が並行して起きるんだけど、それは別のおはなしだって宣言されちゃう。シリーズの次の巻を読めってことですな。
そこで初めて気づいたんだけど、この物語は第1章のつぎが第3章になってる。(私は目次なんか見てなかった。)
そのあとも全部、奇数の章。だから、偶数の章は、シリーズの次のに書いてあるんでしょう。
もちろん、この本だけで、ちゃんとストーリーは完結してるけど、偶数章とあわせて何がどうなってるか気になってしょうがないので、急いで次を読まなくては。
あ、この物語は、奇術師、と言ってもふつうの手品するだけぢゃなく、大脱出とかするイリュージョニスト(初代引田天功みたいなイメージ?)が登場します。いつもどおり、密室殺人。
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小説家という職業

2012-10-17 19:36:06 | 読んだ本
森博嗣 2010年 集英社新書
ひきつづき読んでいる、森博嗣氏の新書本。
この本のあとがきの表現によれば、「自由論」「工作論」と並んで書かれた「小説論」だそうで。
もともと工学部の研究者であり、小説は自由にできるおカネがほしくて書いた、という経緯をもつ著者なので、いわゆる文章読本みたいなもんぢゃないです。
売れるために、こういう狙いで、仕事=ビジネスとして書いた、というのは「自由論」にも書いてあったかと思います。
ビジネスを意識してるんで、出版業界には厳しい見方をしています。
世の中のニーズわかってるの? 売るための戦略考えてる?といった感じでしょうか。
しかし、改めて言われてみると、出版社ってのは、なかみ(小説とか)を作ってるわけぢゃないのでメーカーぢゃないし、売るといっても読者に直接ぢゃなくて、商売相手の客ってのは書店だってのは、なるほどと気づかされることでした。
で、この本を読もうとするひとが期待しているであろう、小説家になりたいけどどうしたらいいかっていうのへのアドバイスは、「とにかく書け」と。
このへん“臨機応答”にもあったように、答えがわかってるくせに(その努力をしないどいて)質問すんなって、基本線ですね。
付け加えられるアドバイスである「小説をあまり読まないほうがいい」ってのは、他人の書いたものを読むことは、他人の視点で描写されたものを見ることだからってことですね。そういうのに慣れ過ぎちゃうとオリジナルなものが生み出せないんだそうです。
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