昨日、ダライラマさんのお話を聴くという、なかなか得がたい貴重な体験をした。ダライラマさんは、世界中飛び回られているが、お会いするのは、難しい。チベット仏教界の頂点に立つ僧侶であり、チベット民族の王であり、ノーベル平和賞を受賞した平和運動家でもある。
仏教大会の公式行事が、一時間ほどあり、休憩タイムの後、ダライラマさんが登場。意識してかしないでか、本当に庶民的。チベット語で、ご挨拶のあと、サンバイザーについてのご説明。私は、宗教的な意味があると思っていたのだが、アメリカの人からもらった、照明避けとのこと。チベット仏教の紅帽派の帽子の色と一緒ではある。そして、座布団?にお座りになって、お話開始。5000人の聴衆に対し、時には温和に、時には、鋭く話しかけられる。レベルが違う。通訳中は、観客席を見ながら、お祈りをしたり、手を振ったりしている。
最初に英語がわかる人に挙手を求め、相応の人が挙手をしたのを確認して、英語でお話を始めた。ダライラマさんは、謙遜に、Broken English とおっしゃっていたが、Direct Contactの効用を述べられた。確かにそう思う。通訳を通すのと、直接語るのでは、効果がまったく違う。直接話すことで、平和活動を推進してきた。時々、自分の英語が正しいか、脇の通訳(チベット語⇔英語)に確認されていた。
現代は様々な困難に直面している。若者の精神的な貧困、環境問題、格差問題などだ。これらは、誤り(Mistake)、怠慢(Negligence)無視(Ignorance)などによって、引き起こされている。
これらは、希望(Hope)、決心(Determined)、楽観(Optimism)によって、解決可能だ。そのために、個人の自由、創造力、精神性などが重要な要素になる。
これらを身につけるため、①精神的な教育を重視すること②理想と現実のGAPを埋めることが重要となる。現実(Reality)は、日々変化しているので、より大きな視点で見る”大局観”が必要になる。
仏教は、絶対的な神を(キリスト教やイスラム教のように)有さず、因果応報の考え方を基本とする。愛、許し、質素の精神だ。この精神を発展させることにより、境地に達することができる。他の宗教を信ずる人に改宗は進めない(これだけ長い期間信仰され続けたということは、それだけ、重要な考え方であるという証左である)。既に、仏教を信ずる人は、さらに修行を積んで、信心を深めて欲しい。
仏教は、①科学的側面②哲学③修行等が真髄だが、これらを学ぶことにより、全体的見地に根ざしたInter-Dependency(相互依存)という考え方を身につけることができるというのが、ダライラマさんの結論だった。
結局、般若心経にある因果応報、色即是空の考え方を、身につけることにより、いつの世でも、よりよい世界を目指すことができるということなのだろう。
仏教の考え方に、絶対的なものは存在しない。全ては遷り行くもので、絶対的なものが存在しないことが、仏教の基本的な考え方だというお話だったと思う。
慈悲(Compassion)、縁起(Origin)の見解の理解と実践がよりよい21世紀を作るだろう。20世紀は、物事を解決する手段は、(唯一)戦争だったが、今は、交渉・協議などを通した解決を試みており、長期的には、いい方向に進んでいると、締めくくられた。
最後の質問コーナで、駅で、紳士が駅員を恫喝しているのを見て、何もできなかったがどう考えるかという質問が出た(小学校の道徳の授業でもあるまいしと思い)正直場違いかと思ったが、ダライラマさん曰く
①暴力ではなく、恫喝ならば、たいしたことではない。
②自分に何かできることがあればやるべきだし、なければ沈黙を保つべき。
If you can do something, please do it. If you can't, keep silence.
”Let It Be "か?
5000人の前で、こうさらっと応えられるダライラマさんは、どこにでもいるおじさんのようでもある。
JLの言葉を聴いているような気もした。