昨日の写真が、見にくいという話があったので、もっとわかりやすい写真を。
帝蚕倉庫の壁をキャンバスにしたような、自然の芸術???
横浜駅とニッサン本社・みなとみらい地区を結ぶ歩道兼橋。左が、横浜駅方向で、右が建設中のニッサン本社。なかなか未来的?ではないか。でも、ちょっとこの歩道、細すぎやぁしないかい?
現在横浜の中心部といわれている地域は、江戸時代には、ほとんど海だった。横浜駅西口を山側にしばらく行くと、高台になっているが、ここが、当時の海岸線。現在、神奈川台の関門の石碑がある。当時横浜にいた外国人を狙う侍(攘夷派)が、横浜に入るのをブロックしていた場所。ここが旧東海道で、数十軒、神奈川宿が立ち並んでいたという。
そして、その中、唯一残っているのが、田中屋さん。広重の東海道五十三次では、さくらやさんの名で描かれている。竜馬の奥さんであったお良さんが女中として働いていた店としても知られる。1年ぐらい前に、”よみがえった老舗料亭”という本も出ている。
ちょうど、その前が現在更地になっており(たぶん、マンションが立つのだろう)、当時の様子がちょっとうかがえる。ここが岸壁で、左に見える階段が、船着場に下りていく石段の名残と思われる。ここは、所謂神奈川で、当時の横浜(現在の中区)には、野毛の山伝いに行くよりも、船で、まっすぐ行く方が近かったという。横浜は、陸の孤島だったのだ。江戸幕府が、横浜を開港の地として選んだ理由がここにある。