かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

星加ルミ子 トークイベント その3

2016年03月11日 | The Beatles

今日は、3.11。
まだ5年か、もう5年か。
帰宅難民で、翌日やっと帰宅したら、また電車が不通になり、月曜も出勤できなかった。
その間、原発は、メルトダウンとなり、まだ、先が見えない。
一方で、再稼働も始まっており、これでいいのか?

今日は、星加さんのトークイベント3回目。
ついに、満席になった。
2時間×6だから、トークイベントとしては、空前絶後?
主催者も、びっくりだろう。

まずは、先日亡くなったジョージ・マーティンさんの話。
星加さんが会ったのは、最初にビートルズに会った65年と、67年の、フール・オン・ザ・ヒルのレコーディングに出くわした時。
1回目は、挨拶程度、2回目も、曲作りの初期段階で、ほとんど4人に任せきりで、途中で、タンバリンを叩きながら、ピアノの周りを、うろうろしたりもしてたけど、録音が始まったら、コントロールルームに、入ってしまったという。
だから、会話という会話はされていないが、4人に最初に会った時の印象を聞いたら、genius!と、答えられたそうだ。
イギリス人特有のユーモアだったのかも知れない。

そもそもこの67年の訪問が、何故、実現したのかの記憶は、曖昧だそうだ。デレクテイラーが、アレンジしてくれたことは間違いないが、ブライアンエプスタインのお悔やみの時に、その話になったのか、それとは別に面談を申し込んだのか。
マジカルミステリーツアーのロケが終わり、 4人がレコーディングに入っているという情報はあったという。
アビーロードスタジオに入ったら、誰もいなかったが、最初にポールが入って来て、くしゃくしゃのメモを、ピアノに置いて、何やら弾きだしたという。
そこに、知らない内に、ジョンが、入って来て、メモを、さらさらっと推敲し、ポールが、ベターと、答えたという。
まさに、フール・オン・ザ・ヒルの、原型が、できた瞬間だ。

間奏に何かの楽器を使おうという話になり、ハーモニカや、インドの楽器の名が挙がったが、リーダーにしようと決めたら、いろんなレコーダーが、5本ぐらいでてきたという。流石、アビーロードスタジオ。
ジョージと、リンゴも、出てきたが、自分のパートをどうしようか、それぞれ考えている風だったという。

4人へのお土産は、スタッフに任せたら、変なチャンチャンコで、心配したが、意外と似合って、ミュージックライフの表紙を飾った。 値札をその場で、慌てて、外したというから笑える。

その時、小野洋子さんが、スタジオにいたのだが、日本人かどうかもわからず、一言も会話しなかったという。
同じ日本人とわかっていたにもかかわらず、シカトされたことが、星加さんと、小野さんの、仲が悪いという伝説の始まりになった。
ただ、仕事場にプライベートを持ち込んで欲しくなかったポールが気に入らなかったことは、間違いないのだろう。

アンソロジーに、フール・オン・ザ・ヒルの、ポールのデモが、入っているが、星加さんは、星加さんが、目撃したセッションの後作られたものではないかという。
そして、星加さんが、フール・オン・ザ・ヒルに再会したのは、アルバムが、出た時になるのだが、素晴らしい曲に仕上がっていて、ジョージ・マーティンさんの、力を感じたそうだ。

これは、星加さんが、直接ではなく、4人に近い人から聞いたそうだが、フール・オン・ザ・ヒルのフールは、インドの修行の歳のグルーから着想を得ていて、実は、ワイズ(賢い)ということなのだそうが。賢者が、丘から、我々愚者と見下ろしている歌ということか。ポールが当時言っていたというから、かなり確度は高い。



後半は。ミュージシャンの、杉真理さんが、ゲスト。
結構年上だが、お若い。
最初に好きになった曲が、ロング・トール・サリーというから、小3だったと言えど、日本で、一番早くビートルズを聴いた方だろう。
中1の時が、来日だったというが、抽選に外れたと言う。

しかし、その後もビートルズを愛し続け、ミュージシャンになられた。
ギターを片手に、ビートルズの楽曲の特異性を話してくれた。
常識を超えたコード進行の連続で、それが、聴き手の耳から、離れない。
誰もが、経験したことだ。

1999年に、ジョージマーティンが、来日した時、金沢での、アマチュアバンドコンテストの審査員になり、その時、サインをもらった上に、ビートルズのアルバムの中で、好きなのは?と聞いたら、リボルバーとアビーロードと答えてくれたと言う。

杉さんは、ホワイトアルバムで、壇上の3人の意見が、一致していた。
小野洋子さんの声が、入っている部分以外という点も、満場一致。
杉さんは、小野さんと競演しているそうで(たぶん、ジョンレノン スーパーライブ) 小野さんの、例の叫びに、どう対応していいか、わからなかったという。

ブルー・ジェイ・ウェイパクリ説も、杉さん独自の説だが、説得力があったように思う。

最後は、マジカルミステリーツアーの日本放映を巡るドタバタ。
これは、本で、読んだことがあったが、杉さんと共に聞く生の話は、やはり迫力が違う。

日本での放映の話は、ファンの声に押されてのものだったという。
星加さんが、放映権買い付けのために、またまたロンドンへ。
まず、BBCへ行ったら、放映権は、ロン?(記憶が定かでない)という人が持っているという。
名前が、定かではなかったので、その後は、Mr. 大風呂敷になったが、大ヒット洋画が、放映できるほどの値段をふっかけられたそうだ。

一旦帰国し、半額にまけてもらえということになり、再度、ロンドンへ。
しかし、なかなかうまくいかず、一旦、EMIの、親しいディレクターに会いに行ったら、アップル社立ち上げの、準備を進めているということで、アップル社の新オフィスに行ったとのこと。
オックスフォード通りに面した半地下だったというから、私が、去年行ったオフィスの前の、オフィスなのかも知れない。
そこに、ジョージがいて、最初にアップルが契約するというドノバンを紹介されたという。
結局、最初の、契約アーティストにはならなかったが、インドに共に行くなど、親しい関係は続いた。
奥には、ジョンとポールがいて、事情を話したら、ポールが何やら電話をしてくれて、もう一度、Mr.大風呂敷を訪問してみろと言われ、訪問したら、トントン拍子に話が進み、TVの2回の放映、武道館での放映、3回の、CM放映の、権利を、1/10程度の値段で買い付けることが、できたという。ポールさまさまだ。
ジョンやポールとプライベートでの話が出来たのは、初めてで、ジョンは、星加さんが、自分より年上と知り、驚いたそうだ。日本では、こんな若い女性を働かせるのかと聞いてきたという。
しょっちゅう現れるので、ロンドン在住と会うたび感違いされたというのも、笑える。

マジカルミステリーツアーの、ロール4本を抱えて帰国したら、不二家がスポンサー、TVは、TBS、武道館の日程も押さえられていたという。不二家とのつながりは、その後も続く。

そして、最初の放送日、有名なロールの順番取り違え事件が起こる。
星加さんは、TBSの、お偉いさんと、見ていたが、気づかなかったという。
電話が、どんどんかかって来て、激励の電話かと思ったら、苦情の電話で、初めて知った。
何故、分かったのか不思議だったが、やはり、それを目撃した杉さんによれば、アルバムのブックレットに、ストーリーが載っていたので、ファンは、すぐ気づいたのだという。

おまけに、最後に、お詫びの、テロップと、再放送の予告が流れて、またびっくり。
でも、結局、2回目の放映で、お茶をにごしたというのが、真相らしい。

まさに、語り部からの真実。
今日も、貴重な話が、聞けた。

次回は、星加さんが採用し、2代後の、ミュージックライフ編集長になった、東郷かおる子さんが、ゲストだが、別用で、いけない見込み。
残念。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする