かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

天照大神は卑弥呼だった

2017年06月23日 | Books


この手の本は、巷にあふれているが、大平裕さんの本だったので、ゲットしてみた。

大平さんの研究の集大成のような本で、よく書かれていると思う。特に、九州平定にかかる神話についての、足を使った調査をベースにした説については、確かに、そうだと思わせるものがある。
熊襲というと、蝦夷といっしょで、大和政権に藷ヒき続けた部族という印象しかなかったが、あの険しい地形の中、一括りにできないさまざまな勢力がいたことを、想起させ、それぞれの他地域とのつながり方も、一律ではなかった。

日本書紀、古事記に記される初期各天皇の在位期間、血縁関係など、どのような理解も今となっては可能なのだが、魏志倭人伝に出てくる登場人物と比べつつ、収まりの着くストーリーをまとめていただいている。
日本書紀では、神功皇后を卑弥呼と比定したため、話がよじれてしまっていると解く。
確かに、その頃は、既に、その辺はわからなくなっていたのかもしれない。

で、邪馬台国は、今次々に発見が続く纒向近辺であろうという結論になるのだが、なかなかそれで、議論は終わらないだろう。
特に、本書では、考古学的発見が次々続く中で、魏志倭人伝に記されている内容と、今までの発掘物を比較した際、どちらが、比較優位になるのかの深い議論は、ない。
九州近辺の夥しい鉄器を含めた発掘物と、纒向近辺での発掘物を比較して、どちらが、魏志倭人伝に記された卑弥呼の世界に近いのか。

そういった意味では、本書は、逆説の日本史の嫌う資料至上主義に近いのかもしれない。

本書を読んで、また九州の神話の世界に行きたくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする