かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

神道の中世

2021年04月07日 | Books


本書は、新聞の宣伝で見つけて、早速ゲット。

普通の選書版だが、読むのに結構時間がかかった。
内容が、結構驚きの連続だったからだ。

神道と仏教。
儒教も加え、日本人の宗教観の根幹をなす宗教だが、イメージ的には、古来神道があって、そこに仏教、儒教が入ってきたという感覚がある。
しかし、本書を読むと、記紀に神々が語られてはいるが、宗教的な意味合いを持つようになったのは、中世、いろんな解釈や、仏教との習合が図られてからであることがわかる。

そして、その手法は、かなり荒っぽく(荒唐無稽、牽強付会と著者は言う)、それを正すべく、江戸後期以降の神仏分離が図られたようなのだ。
宗教というのは、元々そういうものかもしれないのだが。

例えば、伊勢神宮と密教は、強く同一視され、そのため、空海もこの論争に巻き込まれる。
空海にとっては、迷惑千万な話であったろう。
蛇足だが、”三密”という言葉が、密教用語にもあることを、本書で、知った。
東大寺の創建や、再興にかかわる行基や重源も、伊勢神宮の力を利用
天皇自身が、仏教の力で、日本をまとめようとしていたのだから、責められないのだが。
神道自身も3つの宗派分けられれ、その中で、正当派を名乗る吉田神道が勢力を得るが、その手法は、実在しない書をリファーして、それを解釈する形で、独自の宗教を立ち上げ、布教する。
ただこれらは、様々な秘儀を伴うため、公の文書と残っているものも少なく、正確な姿を探ることは、なかなか難しく、その研究も進まなかった。
吉田神道は、結局、急速に力を失う。
和歌や能の世界も神道と関連付けられ、日本人の心にふわっとした感じで浸透していった。

日本人はよく無神論者と言われるが、その理由が、この中世の宗教感から、仏教、神道、儒教、特に神道が、さまざまな宗教、文化を取り込んで行き、混沌とした姿となり、明治維新で、そもそも、神道が日本の本来の宗教だということとされ、中央に踊り出たことによるものではないかと感じる。
神道自身が、一つの独立した精神を持っていた宗教ではなかった(多神教はみなそうか?)。

中世の欧州では、キリスト教vsイスラム教という構図で、習合することはなかったのと対象的だ。
日本人の宗教観を考える際、避けて通れない研究分野だと感じた。
コメント
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