昨日は、大雨だったが、今日は、スッキリあがって、清々しい天気。
前回は、政子コース中心に回ったが、今日は、義時コース中心に。
ドラマも好調で、すっかりハマっている。
最初は、八坂神社。
ここは、あまり北条家とは関係なかったか。
四日町の鎮守社という。須佐之男命と櫛名田比売が祀られている。
天気が良かったので、前回も行った蛭ケ島公園に行ってみた。
今日は、富士山も臨めて、本像の趣旨である富士山を臨む2人の構図になった。
頼朝と政子をイメージしているが、ドラマを見ていると、義時と八重姫にも見えてくる。
豆塚神社は、男山にあった延喜式内社石徳高神社から分祀されたと伝わる。
義時が、小池堀丸山からこの地に移したと伝わる。
そして今日メインの北條寺。
義時の嫡男(安千代)が、大蛇に襲われ命を落とした時、北條寺を墓所とし、七堂伽藍を建立し、本尊を運慶に命じて作らせたと伝わる。
今は、本尊は、観音様になっており、北宋風。
阿弥陀如来の方が、オーソドックスに見えるが、運慶ではなく、その一派の作と考えられている。
その他に、政子が奉納したとされる牡丹鳥獣文繍帳(とばり)も展示されているが、室町から安土桃山時代のものであるらしい。
7つあったとされる伽藍は、今は、新しい伽藍1つになっているが、北條家の菩提寺として重要なお寺。
右が北条義時の墓と伝わる。上の部分は、古いが、下は江戸時代のもの。
左は、4番目の奥方である伊賀の方のものと伝わる。
北條寺では、ボランティアガイドの方が、いろいろ説明してくれる。
この墓所から、北條の里を見下ろせるが、元は、海だったところで、北条の時代も、ぬかるんだ湿地だったらしい。
北条家が、開墾したものの、農業には、適さなかった。
北條寺からそう遠くないところに、江間公園がある。
元々尋常小学校があった場所で、以前は、北條義時の館であったと伝えられる。
特に発掘調査が行われたわけではなく、伝承によるものらしい。
このガラスケース内の展示は、魚雷。
小学校に、台の石に乗せて展示されていたが、昭和5年の北伊豆の大地震で、石の上で大きく動きその動いた跡が魚雷に残されたことから、展示してある。
地震の揺れの凄さもさることながら、当時の小学校に魚雷が展示されていたところに、時代を感じる。
軍国主義ど真ん中だった。
北條寺で進められて訪れたのが、真珠院。
ドラマでは、義時の奥さんになっている八重だが、通説では、頼朝と別れて、ここで入水自殺したと伝わる。
このお堂は、八重姫を、祀る静堂。
従来から、人気のあるスポットだったらしい。
中には、八重姫の小さな木像がある他、梯子が見えるが、梯子があれば八重姫を助けることができたということで、奉納され続けている。
イラストは、八重姫ファンが寄贈した水彩画だが、上手い!
奥には.立派な五輪塔がある。
鎌倉時代から南北朝時代のもの。
そのさらに奥には、磨崖仏がある。
思ったより小さかったが、これも室町時代のもので、相当古い。
真珠院は、川の隣にあり、洪水時には、背丈よりずっと高いところまで、水があがった。
義時の嫡男も蛇に殺されたと伝わるが、水に呑まれた可能性が高いという。
伊豆の国市から一転伊東へ。
これも大河ドラマで知った音無神社。
頼朝と八重姫が伊東で出会い、ここで密かに会っていたと伝わる。
頼朝と八重姫の話は、境内に絵解きされている。
最後に訪れたのは、伊東祐親のお墓。
音無神社のさらに南にある。
看板は、大きいが、車で行くと、道が狭い。
立派なお墓で、祐親を想う気持ちがあふれている。
平家と東国武士の板挟みになって、頼朝に滅ぼされた。
切ない話が続いている。
勧善懲悪でないところが、今回の大学ドラマの奥深いところ。
今後の展開も楽しみ。
ということで、伊豆近辺の北條家にまつわるところは、ほぼ制覇できたかな。