かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

義時コース

2022年04月30日 | Other Eastern Japan

昨日は、大雨だったが、今日は、スッキリあがって、清々しい天気。

前回は、政子コース中心に回ったが、今日は、義時コース中心に。

ドラマも好調で、すっかりハマっている。

最初は、八坂神社。

ここは、あまり北条家とは関係なかったか。

四日町の鎮守社という。須佐之男命と櫛名田比売が祀られている。

天気が良かったので、前回も行った蛭ケ島公園に行ってみた。

今日は、富士山も臨めて、本像の趣旨である富士山を臨む2人の構図になった。

頼朝と政子をイメージしているが、ドラマを見ていると、義時と八重姫にも見えてくる。

豆塚神社は、男山にあった延喜式内社石徳高神社から分祀されたと伝わる。

義時が、小池堀丸山からこの地に移したと伝わる。

そして今日メインの北條寺。

義時の嫡男(安千代)が、大蛇に襲われ命を落とした時、北條寺を墓所とし、七堂伽藍を建立し、本尊を運慶に命じて作らせたと伝わる。

今は、本尊は、観音様になっており、北宋風。

阿弥陀如来の方が、オーソドックスに見えるが、運慶ではなく、その一派の作と考えられている。

その他に、政子が奉納したとされる牡丹鳥獣文繍帳(とばり)も展示されているが、室町から安土桃山時代のものであるらしい。

7つあったとされる伽藍は、今は、新しい伽藍1つになっているが、北條家の菩提寺として重要なお寺。

右が北条義時の墓と伝わる。上の部分は、古いが、下は江戸時代のもの。

左は、4番目の奥方である伊賀の方のものと伝わる。

北條寺では、ボランティアガイドの方が、いろいろ説明してくれる。

この墓所から、北條の里を見下ろせるが、元は、海だったところで、北条の時代も、ぬかるんだ湿地だったらしい。

北条家が、開墾したものの、農業には、適さなかった。

北條寺からそう遠くないところに、江間公園がある。

元々尋常小学校があった場所で、以前は、北條義時の館であったと伝えられる。

特に発掘調査が行われたわけではなく、伝承によるものらしい。

このガラスケース内の展示は、魚雷。

小学校に、台の石に乗せて展示されていたが、昭和5年の北伊豆の大地震で、石の上で大きく動きその動いた跡が魚雷に残されたことから、展示してある。

地震の揺れの凄さもさることながら、当時の小学校に魚雷が展示されていたところに、時代を感じる。

軍国主義ど真ん中だった。

北條寺で進められて訪れたのが、真珠院。

ドラマでは、義時の奥さんになっている八重だが、通説では、頼朝と別れて、ここで入水自殺したと伝わる。

このお堂は、八重姫を、祀る静堂。

従来から、人気のあるスポットだったらしい。

中には、八重姫の小さな木像がある他、梯子が見えるが、梯子があれば八重姫を助けることができたということで、奉納され続けている。

イラストは、八重姫ファンが寄贈した水彩画だが、上手い!

奥には.立派な五輪塔がある。

鎌倉時代から南北朝時代のもの。

そのさらに奥には、磨崖仏がある。

思ったより小さかったが、これも室町時代のもので、相当古い。

真珠院は、川の隣にあり、洪水時には、背丈よりずっと高いところまで、水があがった。

義時の嫡男も蛇に殺されたと伝わるが、水に呑まれた可能性が高いという。

伊豆の国市から一転伊東へ。

これも大河ドラマで知った音無神社。

頼朝と八重姫が伊東で出会い、ここで密かに会っていたと伝わる。

頼朝と八重姫の話は、境内に絵解きされている。

最後に訪れたのは、伊東祐親のお墓。

音無神社のさらに南にある。

看板は、大きいが、車で行くと、道が狭い。

立派なお墓で、祐親を想う気持ちがあふれている。

平家と東国武士の板挟みになって、頼朝に滅ぼされた。

切ない話が続いている。

勧善懲悪でないところが、今回の大学ドラマの奥深いところ。

今後の展開も楽しみ。

ということで、伊豆近辺の北條家にまつわるところは、ほぼ制覇できたかな。

 

コメント
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