かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

特撮黄金時代

2022年09月27日 | TV Program


今日は、日本縦断?
朝は、博多。
見慣れない九州新幹線の車体がずらり。
中途半端な西九州新幹線で盛り上がっているが、九州新幹線の時も、まず八代から先が出来たというから、同じパターンか。

朝の博多は、土砂降りで、昼大阪に着いたらいい天気。
ところが、夕方の大阪は、土砂降りで、今静岡近辺を走っているが、またいい天気。
雨に、追っかけられている。

とりあえず、博多で、通りもんをゲット。



特撮物の人気は相変わらず高いが、その創成期を担った人達のインタビュー本が出ていたのでゲット。
インタビューアーは、若いが、インタビューされる方々は、かなりの高齢で、この時期に記録に残しておかないと、永遠の謎になる様な貴重な話が多い。
インタビューアーも、映画監督、プロデューサーであり、技術的な具体的な話が多く、それだけ突っ込んだ話も聞けて、興味深かった。
ウルトラQアーカイブシリーズと被る話も多い。

撮影技術について言えば、やはりピアノ線の話は、多い。
CG時代では、全く問題ないのだが。
それと、カメラを逆さまににしたり、回したりすることにより、完成作品が、SF的になる話。
そのノウハウは、2001年や、スターウォーズにつながっていく。

撮影現場の話では、ペスターが多くの人の話から出てくる。
特撮と言っても、今と違って、本物のプール、ナパーム(ガソリン?)、火薬を使った撮影で、もう凄まじかったらしい。
見てる方は、ペスターの造形から、人が2人入っているなどと、ノーテンキに楽しんでいたのだが、命がけの撮影だった。
ゴモラの大阪城も然り。
大きなセットを作るため、かと言ってスタジオの天井は上げられないので、床を掘り下げたりしたという。
とにかく、商売度外視のプロ根性。
職人集団。
撮影機材も、飲食代もツケだらけで、出入り禁止の店が、全国各地にあったという。

その辺が、後の円谷プロの経営難に繋がってしまったのかもしれない。

円谷英二監督が、ゴジラで成功を収めたのは、56歳の時で、それから10年ぐらいで亡くなってしまったから、その短い期間に、特撮のノウハウの発明、DNAを引き継ぐ弟子の育成を成し遂げたのだから、凄い。
人柄は温厚だったが、作品のクォリティには、徹底的にこだわったという。
ウルトラQは、白黒だったが、映画級の35mmフィルムを湯水のように使った。
だから、名作として、また元祖ウルトラとして、今も燦然と輝いたことがわかる。

ちょっと高いが、特撮ファンは、読むべし。
コメント
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