かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

横浜山手洋館巡り

2022年09月29日 | Yokohama ( Japan )


今日は、久しぶりに横浜山手洋館巡り。
ほとんど曇り空で、気温も快適。
港の見える丘公園から、ガンダムを初めて見た。
まだ動いているのだろうか。
世代が違うので、お金を払ってまで見る気はしない。



最初は、横浜市イギリス館。
1937年の建築。
元々、英国領事館公邸として、建設された。



山手11番館。
1926年に、アメリカ人のラフィン氏の住宅として建てられた。
設計は、あのJ.H.モーガン。
明るいスパニッシュスタイル。



山手資料館。
1909年に建てられた中澤兼吉邸の一部を移設し、様々な資料を展示している。
BLUFF STORYの2冊セットをゲット。
この辺は、かつて、断崖を表すBLUFF+ナンバーを住所に使っていた。



山手234番館。1927年にアパートとして建設された。
昭和50年代まで、実際にアパートとして使われていたという。



エリスマン邸。
元々シーベルヘグナーの横浜支配人格として活躍したエリスマンの邸宅として、1925年~1926年に建てられた。
アントニン・レーモンドの設計だが、その師匠のF.L.ライトの影響も見られる。



べーリックホール。
イギリス人の貿易商だったベリックの邸宅として建てられた。
設計は、J.H.モーガン。
ちょうどバイオリンの演奏会をやっていた。



横浜山手テニス発祥記念館。
日本のテニスの歴史がわかる。
回りには、今もテニスコートが広がる。



私が、最初に買ったラケットも展示されていた。
40年以上前のこと。



山手公園。
日本最初の洋式公園。
この辺は、日本初の洋風文化が多数。
洋館内の家具類も、日本国内で初めて作られた洋式家具が並ぶ。



現在のテニスクラブの入り口。
様々な国籍の方が、テニスを楽しんでいた。
この辺は、本当に国際色豊かだ。



山手イタリア山庭園内にある外交官の家。
1910年に外交官だった内田定槌氏の邸宅として渋谷区に建てられが。ここに移築された。
世界各国の方をもてなせるように立派な造りとなっている。
中に、内田氏の経歴の展示もあるが、その時代、世界各国に駐在した様子がわかり、驚かされる。
小村寿太郎からの任命書もあった。



食堂。
重厚な印象を受ける。



眺めもすばらしい。
APAホテルがでかい。
新市庁舎も見える。
当時は、もっといい眺めだったろう(本住宅は、渋谷から移築されたものだが)。



最後に訪れたのが、ブラフ18番館。
山手町45番地に建てられた外国人邸宅を移築した。
1991年まで使われていたという。
中は、浅緑の明るい印象。



展示されていた、明治時代の関内地区の古地図。
番地まで記されているものは珍しい。



最後に有名な洋館もミニチュアが並んでいた。
ということで、洋館を一通り巡れたが、以前より、よりきれいに整備されたように感じた。
簡単に回れるので、横浜を訪れた際に、是非足を延ばして欲しい。
コメント
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