チベットは、予想通りの展開を見せている。ただ、映像を見る限り、単なるデモというよりは、暴徒化しているようにも見える。残念ながら、ダライラマ14世が、49年間も不在のラサにおいて、僧侶のレベルが低下していることはある気もする。街中を歩いていると、敬虔な仏教徒とはいえないような振る舞いの僧侶がいたのも事実である。いずれにしても、事実関係がわからない限り、今回の事件については、どちらがいいとも悪いとも言えない。しかし、根本的な問題についての世界の意見は、変わらない。写真は、中央の統制下、平和に見えるラサの市街。
今日は、富士山の近くで、ゴルフだった。すばらしい天気で、雪をかぶった富士山を間近に見ながらのプレイは、日本の、この季節ならではの醍醐味だ。
経済は、混乱を続けているが、そんな中、前FRB 議長のグリンスパンの波乱の時代を読んだ。2冊に渡る大作だが、ウィットに富んでいて、読みやすい。ちょうど私がシカゴに赴任したちょっと前に、FRB議長に就任し、ついこの前まで、議長だったわけだから、どこかの国の中央銀行総裁とは、全くレベルが違う。どこかの国の中央銀行総裁は、まだ、決まっていない。明日には、わかるのかな?
本書は、上巻が半生記、下巻が、経済に対する提言・予想という構成。
本書では、ビートルズが二回出てくる。
音楽に熱中していたグリンスパンが、ビートルズを聴いて『ポピュラー音楽はエルビス・プレスリーが登場してからは、全くというほど理解できなくなっていた。雑音に近いと感じたのだ。ビートルズはそこそこ優れていると思っていた。歌がうまいし、人間としての魅力もある。その直後にあらわれたミュージシャンの一部とくらべると、ビートルズの音楽は、クラシックといえるほどだ。』と言っている。私の最近の音楽に対する感じ方と似ている。
『ビートルズはイギリスでも人気だったが、世界市場に進出して爆発的な人気を博した。そして、母国では手に入れることができない大勢の聴衆とレコード売り上げという果実を摘み取った。誰もグローバル化には不満をもらさなかった。』の下りは、グローバル化のメリット・デメリットを論じている部分に出てくる。
各大統領評も面白い。ニクソンは、頭がいいが、ついていけない。レーガンは、天才的な表現力を有する魅力あふれる人物だが、経済の話は、じっくり聞く事はできなかった。クリントンにも高い評価をしている。それだけに、女性スキャンダルは、信じられない事件だった。
グリンスパンが議長だった時代、大きく世の中が変わったことを大きく考えさせられた。そして、これからもどんどん変わっていくだろう世の中に対し、どう対処していくかで、我々各人の生活も大きく影響を受ける。
サブプライム問題の芽を、議長時代に摘み取れなかったのが、グリンスパンの心残りかもしれない。
チベットでついに小規模な暴動があったようだ。報道写真を見ると、上の写真の、チベット仏教の中心であるジョカン寺近辺でも、車が転がって燃えているようだった。
中国政府は、徹底的に報道統制をするだろうから、これ以上の情報は出て来ないだろうが、ミャンマーと同じ構図であることは、明らか。ユーチューブで暴露されてしまった姿だ。それが、中央の意思なのか、地方の意思なのかはよくわからないのだが。オリンピックを迎えて、事を荒だてたくないのが中央だから、失態を恐れた地方の独断のような気もする。
チベット&ウィグルの問題は、このままでは、永遠の問題になるように思う。であれば、ソリューションは明らかだと思うのだが。
ダライラマ14世の責任にしようとする意図も見え隠れするが、それは違う。ダライラマ14世の話を直に聞いた人々は、皆自信を持ってそう言うだろう。氏は、いかなる暴力も認めていないし、武力により、現状が変えられるとも思っていない。
興亡の世界史の第17巻は、大清帝国と中華の混迷だ。
この本は、横浜中華街の春節の場面から始まる。筆者は、そこで、4703のディスプレイを見つける。伝説上の帝王である『黄帝』が、理想の統治を始めてからの年数である黄帝紀元なのだそうだ。知らなかった。神武天皇を紀元とする皇紀のようなものだが、その長さが桁違いだ。
華夷思想は、中華思想とほぼ同意だが、この思想によると、日本は東夷、東南アジアは、南蛮、中央アジアは西戒、ロシアは北狄となる。皇帝を中心として、中心に近い順から、中華→朝貢→瓦市→化外となっていた。中国を取り巻く国のカースト制度のようなものだ。韓国は、朝貢。日本は、朝貢していなかったから瓦市の位置づけだったのだろう。
弱ってきた明の時代後期に東北部に台頭したのが、長らく明に朝貢していたヌルハチ率いる女真族であった。所謂満州族である。この満州の名は、文殊菩薩の文殊から来ているのだそうだ。満州族は、北京に入城し、清となった。
写真は、北京にある天壇。豊穣を願う祈りの中心だ。面白いことに、清は、天壇への祈りの儀式を受け継ぐなど、中華帝国としての風習を受け入れ、自ら中華化したように見えるのだ。
しかし、統治方法は、違っていたようだ。モンゴル、チベットを清の領域に取り込み、他を領域外とした。中華を中心とする無限の広がりではなく、内と外を分けた。中にぽっと入って、化けて、やり方を変えたというところか。中国は、世界でオンリーワンという態度を、流石に維持できない時代になっていたのだろう。
その甲斐あってか、清は長い期間繁栄したが、内部が弱ってきたところに、西欧による亜細亜の植民地化の波が押し寄せずたずたになり、日本にも破れ、辛亥革命により、清王朝に終止符が打たれたのは、ご存じの通り。
中国の歴史には、”興亡の世界史”のシリーズ名にぴったりのダイナミズムがある。
興亡の世界史代19巻は、空の帝国 アメリカの20世紀 だった。
アメリカの歴史は、長くない。だから、ちょっと古いものでも、すごく大事にする。
飛行機の歴史も長くない。ライト兄弟が初飛行に成功してから、まだ百年ちょっとだ。
この本は、この航空の歴史と、アメリカの歴史・アメリカ空軍の歴史をシンクロさせながら、20世紀のアメリカの変遷を、リアルに描いており、面白く読める。
本書では、始めに20世紀初頭に描かれた未来イメージの絵が紹介される。摩天楼は、100年後の今のイメージとそう変わらないが、飛行機は、飛行船が飛び交ったり、大きな複葉機が飛び交ったりで、今の様子とはかなり違う。三枚羽のジャンボ飛行機さえ飛んでいる。ジャンボジェットでさえ、35年ぐらい前には、既に普通に飛んでいたのにだ。それだけ、20世紀初頭には、飛行機は、全く新しい乗り物だった。
飛行機の技術を飛躍的に発展させたのは、やはり戦争だ。WWⅠとWWⅡの間にでさえ、飛行機の技術は飛躍的に伸びた。その後も、いろいろな技術が開発され、一部の流れは廃れ、一部流れは急速に発展した。空軍の歴史と、飛行機の歴史は、裏表だ。
航空技術は、アメリカ全体をも大きく変貌させた。モンロー主義で、海に囲まれた国だったことにより、他国のことには吾関せず。当然大きな軍事も有さずだったアメリカが、航空技術の発達もあり、今や世界の警官とまでになった。たった100年足らずの間にだ。第一次世界大戦への参加が大きな転機になったと本書は言う。その時期に、アメリカは、軍事・経済・道徳の三本柱の外交政策の基本的枠組みを完成させた。『トラウマ』という概念が生まれたのもその頃だったという。『シェル・ショック』と当時は、呼ばれていたようだが。
戦後のアメリカの姿(特にベトナム以降)については、リアルタイムで見て来た部分も多い。
パールハーバーへの日本軍の攻撃を呆然と見上げる米兵の写真が載っているが、これが、あの9/11のイメージとだぶって、アフガン戦争、イラク戦争に突き進んでいってしまったという下りがある。もちろんそうだったのだが、ベトナム戦争の教訓が生かせなかったのは、残念。少なくとも、親ブッシュの時の湾岸戦争の時は、攻め時と引き際がはっきりしていたのだが。
飛行機の歴史と、アメリカの歴史・空軍の歴史をダブらせて書いてあるユニークな本で、この手法により、アメリカの20世紀の歴史を、見事浮き彫りにしている。
アメリカの歴史は、長くない。だから、ちょっと古いものでも、すごく大事にする。
飛行機の歴史も長くない。ライト兄弟が初飛行に成功してから、まだ百年ちょっとだ。
この本は、この航空の歴史と、アメリカの歴史・アメリカ空軍の歴史をシンクロさせながら、20世紀のアメリカの変遷を、リアルに描いており、面白く読める。
本書では、始めに20世紀初頭に描かれた未来イメージの絵が紹介される。摩天楼は、100年後の今のイメージとそう変わらないが、飛行機は、飛行船が飛び交ったり、大きな複葉機が飛び交ったりで、今の様子とはかなり違う。三枚羽のジャンボ飛行機さえ飛んでいる。ジャンボジェットでさえ、35年ぐらい前には、既に普通に飛んでいたのにだ。それだけ、20世紀初頭には、飛行機は、全く新しい乗り物だった。
飛行機の技術を飛躍的に発展させたのは、やはり戦争だ。WWⅠとWWⅡの間にでさえ、飛行機の技術は飛躍的に伸びた。その後も、いろいろな技術が開発され、一部の流れは廃れ、一部流れは急速に発展した。空軍の歴史と、飛行機の歴史は、裏表だ。
航空技術は、アメリカ全体をも大きく変貌させた。モンロー主義で、海に囲まれた国だったことにより、他国のことには吾関せず。当然大きな軍事も有さずだったアメリカが、航空技術の発達もあり、今や世界の警官とまでになった。たった100年足らずの間にだ。第一次世界大戦への参加が大きな転機になったと本書は言う。その時期に、アメリカは、軍事・経済・道徳の三本柱の外交政策の基本的枠組みを完成させた。『トラウマ』という概念が生まれたのもその頃だったという。『シェル・ショック』と当時は、呼ばれていたようだが。
戦後のアメリカの姿(特にベトナム以降)については、リアルタイムで見て来た部分も多い。
パールハーバーへの日本軍の攻撃を呆然と見上げる米兵の写真が載っているが、これが、あの9/11のイメージとだぶって、アフガン戦争、イラク戦争に突き進んでいってしまったという下りがある。もちろんそうだったのだが、ベトナム戦争の教訓が生かせなかったのは、残念。少なくとも、親ブッシュの時の湾岸戦争の時は、攻め時と引き際がはっきりしていたのだが。
飛行機の歴史と、アメリカの歴史・空軍の歴史をダブらせて書いてあるユニークな本で、この手法により、アメリカの20世紀の歴史を、見事浮き彫りにしている。
興亡の世界史の第五巻は、シルクロードと唐帝国。
隋・唐といえば、漢民族による中国が最強・最大で、ウィグル、チベット等周辺諸国を従わせ、中華思想の原点となった時代という印象がある。
でも、この本は、またまたこの漠然とした所謂常識を否定する。
この常識は、唐帝国を正史を作る際、建国時に実際に主導的な役割を果たした中央アジアを支配していた騎馬民族の存在を隠蔽したことにより、生み出されたという。
つまり、唐は、漢民族の国家が巨大化したのではなく、そもそもの成り立ちからして中央ユーラシア型国家で、まさにモンゴル帝国で完成された騎馬民族中心の国家の原点だったというのだ。ふぅむ....
著者は、トルコ系諸民族が、唐のことをタブガチと呼んでいたのだが、これは、タクバツの意で、唐は、漢民族の王朝ではなく、タクバツ(騎馬民族)王朝だったと考える。
唐とチベットが会盟(講話条約)を結んだことは、チベットに石碑が残っており知られているが、ウィグル、チベット間でも同様の会盟が結ばれたの見方がでてきて、ついに唐・チベット・ウィグルの三国会盟であったということが判明したのである。随分、大唐帝国のイメージが変わってくる。
漢民族を中心にして、大きくなったり、小さくなったり、他民族に支配されたり、支配し返したりという中国の歴史を習ってきたように思うが、コペルニクス的発想の転換で、中央アジアを軸にした歴史感を持たないと、本当のユーラシア大陸の歴史は、見えてこないのかもしれない。
ただ、残されている資料は少なすぎるし、今の中国にとっては、何のメリットもない研究だから、なかなかその方向での研究には、限界があるだろうが。