かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

メキシコその9 国立宮殿

2009年02月12日 | USA


街の中心部であるソカロ広場に来た。ここにある建物の多くも、世界遺産に指定されている。広場のど真ん中に大きな国旗がたなびいているが、郊外にはもっと大きなものもある。
このソカロ広場は、アステカ時代にも神殿に囲まれた重要な広場だった。スぺイン征服後、現在の姿に造り変えられた。



その中の代表的な建物のひとつが、この国立宮殿。アステカ時代には、ここに宮殿があった。すっかり造り変えられている。メキシコがスペインから独立した時の舞台になったところだ。来年がその200周年で、その準備に余念がない。
現在は、大統領の執務室と、大蔵省として使用されている。



そのバルコニーが独立の宣言がなされたところで、中国でいえば、天安門広場というところか。そういえば、この広場は、天安門広場、赤の広場に次ぐ大きさとのことである。
今も、9/15になると、このバルコニーに大統領が立ち、メキシコ万歳、独立万歳と叫ぶ。広場の民衆がそれに応えるのだ。



その脇には、よくわからないモニュメントがあったが、これこそメキシコの国旗に描かれている、蛇をくわえた鷲が、サボテンにとまっている姿で、この姿を見かけたところに都を作れという言い伝えから、ここにメキシコシティが造られたのだという。

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メキシコその8 三文化広場など

2009年02月11日 | USA


テオティワカンを後にして、再び、メキシコシティに向かう。
メキシコシティに近づくと、どこも渋滞がひどい。なかなか車を止めて見学というもの難しいので、車窓から見た景色をご紹介。

これは、三文化広場と呼ばれる一帯。16世紀に造られたサンティアゴ教会が見えるが、その前に、アステカ時代の遺跡も見える。回りには、近代的なビルが立ち並んでいるので、三文化広場と呼ばれている。この教会も、アステカ時代の建物の石材で造られた。この場所は、アステカ人が、スペイン軍に最後の抵抗を行ったところでもある。
教会の形がいびつに見えるが、当時の教会は、塔はひとつという決まりがあったことによるものらしい。



これは、何だっけかな?



これは、メキシコでも有数の劇場。ペジャス・アルテス劇場。1905年から30年ぐらいかけて造られた。総大理石造りだ。すごい存在感だ。



これは、青いタイルの家という、16世紀に建てられた建物だ。支倉常長も宿泊したという言い伝えもあるようだが、やや眉唾。ただ、マゼランが世界一周してから間もない時に、支倉常長が、メキシコシティまで来ていたという事実はあるようで、凄いことだと思う。



この一帯は、スペイン人によるメキシコシティが建設された当時の建物が多く残されており、本来であれば、ぶらぶら歩いてみたいものだ。
ただ、治安の問題もあるので、一人歩きは、慣れてからの方がいい。
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メキシコその7 テオティワカン 太陽のピラミッド

2009年02月10日 | USA


東京大丸でやっている よみがえる黄金文明展 を見てきた。10月にブルガリアに行った縁で、ブルガリアの地に住んでいたトラキア人の残したお宝の展示を、行かなくてはと思っていた。東京では、今週末まで。
エジプトよりも前に存在した黄金文明、東洋と西洋の不思議な融合。見て損はない。しかし、これだけの文化がどのようなものだったかまったくわかっていないというのも、不思議なことだ。



テオティワカンの話を戻そう。そういえば、NHKで、テオティワカンの遺跡の発掘の番組をやっている。日本人の研究家が大きな貢献をしていたことを知った。
太陽の塔は、一辺200m、高さ66mのピラミッドだが、春分の日と秋分の日に太陽が中央階段の上を通ることから、この名がつけられたという。
かつては、頂上に聖所があったらしいが、スペイン人が撤去してしまったそうだ。ピラミッド自体も痛みが激しく、今は、コンクリートで固められている。



変な白装束の祈りの集団の皆様もいた。死者の道に沿って、行進されていた。



登るのは、結構たいへんだが、お年寄りや、子連れの人も多く、アンコールワットや、シーギリヤロックほど、たいへんではない。



上に登るともちろん絶景である。天気にも恵まれた。



死者の道の南方は、未発掘の部分も多い。



月のピラミッド方向を眺めるとこんな感じ。



頂上は、日曜だったこともあり、超満員?
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メキシコその6 テオティワカン 月のピラミッド

2009年02月09日 | USA


月のピラミッドは、死者の道と呼ばれる幅40mぐらいの道路の北の突き当りにある。高さ42m。底辺150m×140mで、350年ごろに建造されたらしい。ピラミッドとはいっても、お墓は発見されておらず、その頂上に、宮殿があり、祭壇であったと考えられている。



月のピラミッドの頂上に登ると、テオティワカン遺跡が一望にできる。これは、凄い眺めだ。その後、太陽のピラミッドにも上ったので、三日間、腿の張りが残ったこともご報告しておく。



月のピラミッドから、正面に続く道が、死者の道。その左側に見えるのが、太陽のピラミッドで、テオティワカン遺跡では、一番多きく、世界でも、3番目の大きさなのだそうだ。手前正面が、死者の広場。右手前に、ケツァルーパパロトルなどの、一群の館が発掘されている。これらの名前は、これらの遺跡を後に見つけたアステカ人が名づけたもので、当時の人々が何と呼んで、どのように使用していたかは、定かではない。



眼下には、小規模な宮殿の基壇が、死者の道に沿って並んでいる。当時の壮観さが、思い起こされる。



などと悠長なことを言っているが、結構たいへんなのである。季節は、冬で、比較的恵まれたシーズンだったのだが。
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メキシコその5 テオティワカン ケツァルーパパロトルの館

2009年02月08日 | USA


ジャガーの館を出ると、次は、ケツァルーパトルの館だ。ジャガーの館を覆うように建てられていたというが、現在のものは、ほとんどが復元だ。
その中で、比較的原型をとどめていると思われているのが、この柱。ケツァルは、オウムのような鳥だが、長い二本の羽根が美しく珍重され、酋長の頭の飾りに使用されたらしい。よく見ると、下の方に、蝶々らしいデザインも見える。この二つが合わさって、ケツァルーパトルと呼ばれている。
丸く並んでているのは、バラの文様か。



全体はこんな感じだが、ベンガラ色が、効果的に使われていたらしい。



裾壁が一部残っていたが、ほとんどの漆喰部分ははげ落ち、中の石がむき出しになっている。



月のピラミッド側が開けており、大きな獅子頭みたいな石像が館を守るように、構えている。
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