4月22日に、行われた藤本さんのトークイベントを見た。
物理的に行かないで済むのと、自分の都合に合わせて見れるので、トークイベントについては、アーカイブ視聴が便利。
今回は、特に、初公開の写真が、自分のPCで見れたので、メリット大。
ゲストは、おなじみの星加ルミ子さん。
もう10回ぐらいお話を聞いているので、重複している話も多いのだが、とにかく生きる語り部!
ビートルズと、こんなに長い期間、密着取材できたジャーナリストは、世界中探してもいないのではないか。
コーさんの撮った貴重な写真も多いし、ドキュメンタリー映画ができるぐらいの材料がある。
これが最初のビートルズが表紙を飾ったMLだが、この写真は、白黒写真の顔の部分を切り抜いて着色して作った。
とにかく情報が少なく、写真もこの1枚しかなかったという。
この突撃取材の話は、伝説的で、本にも書いているし、話も聞いた。
とにかく情報が少ないので、草野社長の英断で、突撃取材することにして、成功したという話だが、失敗した時のために、ハンブルグで1日、フランスで、フレンチポップスの取材を1週間してからロンドン入り。
エプスタインに、刀をお土産に渡し、手ごたえはあったものの取材許可が下りたのが、帰国前日の3週間後。
奇跡的なインタビューだった。
着物は三越で調達。後で、三越の店員にこの写真を見せたら、着方が間違っていると怒られた。店員は、ビートルズのことは知らなかったという。
刀をお土産にしたのも、原稿をJALのステュワーデスに託したのも、星加さんのアイデア。
同行したのは、パリで合流した長谷部さんと、NYから合流したジョー宮崎さん。
60年前、やっと海外渡航が許可されたばかりの頃だった。
記念写真だが、右がノーザンソングズのディックジェームズ、その隣が、EMIのスタンさんという。
すっかり仲良くなった星加さん。
星加さんは、ジョンの1ヵ月年上になる。
ルミという名は覚えにくいとのことで、Roomyと呼ばれていたという。
読者からの質問を準備していたが、一人一人聞いていると、時間がかかりすぎるということで、ポールがメンバーに回答を書くように指示。
ポールの髪の毛は、黒か茶かなど、ユニークな質問もあり、4人で、黒、時々茶などと回答したという。
日本滞在の時にもインタビューに成功したが、招聘した永島さんから、苦情を受けた話も有名。
その永島さんからのお誘いで、最終公演をアリーナから見ることができた。
シェーをジョンとポールにさせたということで、赤塚さんからも喜ばれ、家にも招待されたというが、結局会うことはなかったという。
部屋ではジョンが日本民謡を聞いていたというが、星加さんは、I’m The Warlusの最後のフレーズは、斉太郎節のパクリだと信じている(誰からも賛同されない)。
最終日の写真だが、長谷部さんの後ろは、トニーバーロウ。リンゴの右は、東芝の石坂専務のお兄さん? リンゴの後ろの人は、ちょっとわからないとのこと。
1966年の最後のUSツアーにも同行。
朝のビュッフェでは、リンゴにスクランブルエッグをよそってもらった仲!
世界中で、たった5人のジャーナリストと5人の写真家が密着同行取材を許された。
ジョンのキリスト発言で、ジョンへのインタビューが殺到する中、比較的すいているリンゴの取材をしていたら、今ポールが空いていると促されたという。
リンゴはいい奴!
シェアスタジアム(当時は、間違いなくシェアスタジアムと発音されていたとのこと)で、人が降っていた話とか、キャンドルスティックパークの最後のコンサートで、ノースリーブで震えていた星加さんに、ジョーンバエズが、羽織るものを貸してくれたこととか、この同行取材でも、伝説がいっぱい。
最終日は、LAで一軒家を借り切っていたが、星加さんは、申し込みが遅れて入れず近くのビバリーヒルズホテルに宿泊。
1965年のツアーで、エプスタインの個人秘書のWendy Hansonも宿泊していたホテルだ。
打ち上げパーティでは、クラプトンが来ていて、彼のギターに合わせで、サンフランシスコベイブルースを合唱したという。
何という経験だろう。
信じられない話が続くのだが、フールオンザヒルが生まれた瞬間に居合わせたのも、伝説になっている。
このちゃんちゃんこは、やはり日本からのお土産だが、色は、4人が勝手に選んだという。
まだ、いろんな札が付いていて、星加さんが、その場で、切ったというから、生々しい。
長谷部さんが一番好きだと言っていた写真。
長谷部さんが、4人を凄いと思ったのは、この時が初めてというから恐れ入る。
ここからが、今回の目玉。
今まで、星加さんの口からしか聞いていなかったアップル社最初で最後のクリスマスパーティの写真が出てきた。
これは、サンタクロース役のジョンとヨーコが、役割りを終え、ぐったりしているところ。
星加さんが、ジョンへいろいろ質問したが、ヨーコが全部答えてしまうので、困ったという。
これも、伝説。
リンゴの息子のザックと、ジェイソンが食い散らかしている。
この後、リンゴがたばこを吸いに出て行っている間、星加さんは、子守りをさせられた!
これまた貴重な写真。
まだ出来立てほやほやのアップル社(2階?)で、スタッフにインタビュー。
ホワイトアルバム、ジョンのソロの写真に交じって、アラン・オルドリッジの風変りな絵も見える。
ホワイトアルバムのジャケット候補にもなった絵というが、知らなかった。
アラン・オルドリッジの本自体は(この絵も載っている)、昔々のペーパーバックを持っている。
こちらも貴重なオフィス全景。
こんな写真どこにも残っていないのではないか。
プログラムの最後にルーフトップの日の話が出たが、星加さんが話を聞いて駆けつけた時には、コンサートは始まっており、既に回りはたいへんな騒ぎになっていたとのこと。
本社ビルに入ったが、スタッフは何も聞かされておらず(今回の映画を見るととぼけていた可能性も高い)、様子がわからないままコンサートが終わり、ポールがまず降りてきて、一言"Live in London?"と聞かれた以外は、メンバーと話す時間はなく、そのまま車に乗り込んで出て行ったとのこと。
前回のイベントの時、私が藤本さんに聞いた時は、星加さんの勘違いではないかとおっしゃっていたが、今日のイベントで藤本さんが星加さんに再確認のところ、外は寒かったので、一旦暖かいところで、昼食をとるために出て、その後、ミキシングルームに集まったのではないかと答えていらっしゃった。
この辺は、50年以上前の話で、記憶も定かではないところもあるだろう。
ということで、今回は、星加さんとビートルズとの接点を網羅した総合的なトークとなった。
特に、1968年12月、ゲットバックセッションが始まる寸前の、極めて貴重な写真4枚が公開されたことは、特筆に値する。
星加さんは、次回は、ビートルズ以外の話をしたいとおっしゃっていたが、実現するか。