皆様こんにちは、 14期生の中川です。
今日は少し固めに“格差”について考えてみたいと思います。
標記の本ですが、世界中で“新たな資本論”という評判を呼び、日本でもベストセラーになっています。拙宅でも私が、「面白そうだ!」と言ったところ、家内がプレゼントしてくれましたが、その分厚さ(700ページ余)に、半分冷汗、なかなか読み進めないでいます。
さて内容は、r(資本収益率)>g(経済成長率) という不等式により富の集中が起き、資本から得られる収益率が経済成長率を上回れば上回るほど、富は資本家に蓄積され、富が公平に分配されないことによって、社会や経済が不安定となるとし、この格差を是正するために、累進課税の富裕税を、それも世界的に導入することを提案している、というのが論旨のようです。
平たく言えば、低成長が続く今日、社会構造上、一部の金持ちだけがますます金持ちになり、それ以外の大多数との差はますます大きくなる、ということでしょうか。
この論旨に対して、世界中の経済学者を中心に一大ディベートが起きています。
しかしそもそも“格差”とは一体何でしょうか?
日本で考えると、太古から天皇や将軍をピラミッドの頂点とする階層構造が存在、江戸時代には“士農工商”という歴然とした身分制度が存在しました。明治以降も、華族、士族などの身分制度は存続、第二次大戦後以降初めて国民主権の憲法が制定され、有史以来、初めて国民主権が実現、国民は法の下で平等となりました。即ち第二次大戦前までは、生前から決まっている絶対的な“格差”が存在しましたが、我々の世代は過去のどの時代よりも“格差”のない平等の時代に生きていることになります。
それにも拘わらず、現在これだけ“格差”が声高に叫ばれているのは何故でしょうか?
ひとつには、自分自身の努力ではどうにもならない金銭的な格差(生まれながらの貧富の差)が拡大していること、いまひとつには、格差を受ける層の生活が以前に比べ苦しくなっており、またその比率も高まっていることかな、と思います。
敗戦で国民の殆どがゼロからの生活で、一生懸命働いて豊かさを徐々に体感していった“一億総中流”の昭和の時代は、日本全体が豊かさを体感していった為、多少の貧富の差などはあまり問題にはならなかったのでしょう。
ところが低成長時代に入り、r>gが顕在化し、一部の層だけが富む一方、大多数はなかなか豊かさを実感出来ない時代となったのだと思います。
アベノミクスに対する反論として、格差が拡大していることへの懸念や、“分厚い中間層”の復活を民主党等が主張していますが、一理ある主張だと思います。
格差は何時の時代にも存在し、格差を根絶することは非常に困難ながら、経済成長により大多数の国民がその恩恵を感じ、また格差が許容可能な範囲であれば、国として安定するでしょうし、安倍政権もそこを目指しているのかな、と思います。
また努力すれば多少の格差は克服出来る世の中であるべき、ということも重要なポイントだと思います。
上記を頭の隅に置きながら、頑張って『21世紀の資本』読もうと思います。
お付き合いいただき、有難うございました。