「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

父との別れの日

2015-07-18 08:40:58 | 仲間・先生
 送り出す日が、来てしまいました。

 台風が過ぎ去り、7時現在、雨はなく、曇っています。東京では聞かなかった蝉が、鳴いています。

 昨晩は、一晩中、亡き父に付き添いました。父が出版した本(出版は私も大きな驚きだったのですが)『次太夫』をひもときながら過ごしました。
 父は、次太夫を「滅私の信念」を持ったひととして描いています。参列された父を知る人は、父のことをまた「則天去私」の人と評されています。私もまた、同感です。父は、「私」を出す人では決してありませんでした。

 通夜に来られた皆様にご挨拶して、亡き父が多くの方々にとても慕われていたことを、あらためて実感いたしました。
 実家での葬儀であり、駐車場案内や受付では、自治会の皆様にとてもお世話になりました。

 我が家に高校時代押し掛けて来ていた、今はそれぞれにあのころの面影を残しながらも、強く人生を歩み活躍をしておられる私の同級生も参列下さり、私をもまた励まして下さいました。心強かったです。

 別れの日です。
 たとえ末期の肺がんで、その転移による歩行障害で寝たきりになったとしても、精一杯82歳の人生を全うし、大往生した父を、無事、天国に送り出して参ります。
 人生最後の場所として父が望んでやまなかった、生まれ育った和歌山森小手穂の実家から、送り出します。


『次太夫』小坂和生 著 出発社 2000年7月10日発行 
:約140年前、小坂家の先祖(父和生の父親浅三のさらに祖父浅八の弟次太夫)が、西南戦争に大阪鎮台第八聯隊第二大隊三中隊に属して出陣し、明治10年(1877年)3月20日肥後国二俣村(田原坂)において22歳の若さで戦死したことの史実に基づき書かれた実話。
コメント
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