北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

相次ぐいじめ自殺について

2006-11-14 23:52:15 | Weblog
 ヒルマン監督がとりあえず大リーグに行かないことが決定。選手の移籍はどうなるのでしょうか?ううむ。

【相次ぐ『いじめ自殺』について】
 北海道滝川市や福岡県筑前町で起きた、いじめを受けた子供達の自殺に端を発して、全国各地で連鎖的ないじめ自殺や自殺予告文の発想、さらには対応のまずさを指摘された学校関係者の自殺など、騒動が一向に収まる様子がありません。

 また一つのパターンとして学校や学校関係者の怠慢や対応の不適切さがしてきされ、それがあたかも自殺の直接の原因であるかのように指摘され、ことごとに報道され、とにかく学校が謝罪をするという映像や報道が繰り返し垂れ流されている昨今です。

 個別の事件には個別の原因と事情があって、すべてを「いじめ自殺」などとくくるのは決して適切ではないでしょう。それぞれに千差万別の背景があるはずで、それぞれの問題は一つ一つを丹念に調べて行かなくては、真実に行き当たらないのだと思います。

 教育は子供達の人格に働きかけて、社会人としての振る舞いが出来るように訓練をし経験を積ませる行為なのですが、工場製品のように一定の品質を保つような成果を約束出来る性質のものではありません。

 様々な刺激を与えながらもその結果は、ある意味では祈るようにして、その内面の成長を見守ることしかできないものです。

 私たちは、今一度現在の形での学校教育の限界も認めて、家庭教育、地域教育などとの一体連携による子育てや子供を見守る社会づくりに努めなくてはいけないのではないでしょうか。

 マスコミや報道機関がいくら批判をこめた正論を述べたところで、苦しんでいる子供達が助けを求めるのはテレビや新聞ではなく、親であり先生であり、友人達であり、目の前にいる地域社会なのです。


 マスコミ報道に関しては、世間の溜飲を下げるためと思われるような追求がなされているだけで、世間のヒステリー状態を煽りこそすれ、一向に問題解決に向けた建設的なメッセージが発せられていないようです。

 ですからマスコミ各機関にお願いをしたいのは、できるだけ感情を出さないことと、報道の最後にはメッセージを発して欲しいということです。
 私はそのメッセージは「今いる場所から逃げなさい」ということだと思います。とにかくいまいるその苦しい状況から身を守るために逃げることを求めて欲しいのです。

 逃げる先は、回りにいる信頼出来る大人達のはずです。目の前の子供達を自分自身が救うという、社会に住む一人一人が立ち向かう気構えが試されます。

 またいじめる側にいる者たちに対しては、「いじめはルール違反である」という毅然とした態度が必要ですし、社会としても「その行為はいじめになっていると思わないのか?」という問いかけを常にしたい、またして欲しいと思います。

 なによりも大人自身が社会の中でいじめを行ってはいないでしょうか?

 常に「相手にとっていじめと感じられるのではないか?」という問いかけを続けることで、事の重大さに気づかせる連携したスクラムを組もうではありませんか。

 子供達一人一人の心の中には正しい心があるはずですが、それが何かの拍子に曇っているとすれば、その雲を取り除いて正しい心が照らすのを待ちたいものです。


 この問題はとても短い文章では書き切れません。皆さんはどう思いますか?

コメント (7)
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