平地の雪は降っては解けるのですが、山はもう白くなりつつあります。だんだん雪が平地に降りてきています。
【おやじの一言の準備】
明後日の日曜日は、中学校の日曜参観日なのですが、毎年このときに、中学校のご厚意により参観日三時間のうちの一時間を借りて、「おやじの一言」という授業をやらせてもらっています。
各学年で一時間ずつということで、一時間目は1年生、二時間目は2年生、三時間目は3年生に授業をするのです。
我が琴似中学校は、市内でも有数のマンモス校で、三学年で23クラスもあるのですが、おやじの会で講義をできるという人が案外少なくて、19人しか揃わなかったのだそうです。
毎年現役のお父さんの参加が少ないというのが悩みですが、忙しいということもあって仕方がないことです。
そこで足りない分は有志が二コマをもつことにしているのですが、今回は敢えてさらにおやじの会の外の地域に連帯の輪を広げて、学区内に住んでいて、お話しのできそうな方を外部講師として迎えることにしました。
そうするとまた面白いもので、近所で「中学生はこれを読め!キャンペーン」という面白い取り組みをされているくすみ書房のご主人や、コミュニティFM放送の女性社長など、極めて面白い方達が参加をしてくださることになりました。
これは私も自分の授業をしているよりもそちらのお話を聞きたいくらいですが、自分の担当の時間とかぶっている方もいて、それが残念です。
今回私は1年生と3年生の二コマを持つことになりました。
※ ※ ※ ※
さて、実際に自分のお話のテーマを見つけて、資料らしきものをつくり、50分全体のシナリオを作るとなると、これが結構大変です。
今回私は、自分自身の骨髄提供の体験をテーマにすることにしました。これもなかなか得がたい経験だったと思うからです。
しかし、さてそれでは、骨髄提供の何をどのようにして話をするか、ということを突き詰めて考えると、これが大変に難しいのです。
このブログ「北の心の開拓期」では、7月31日からの五話連続でその顛末記をお届けしましたが、このときは約1万字、原稿用紙にして25枚の文章となったものです。
しかしこれを中学1年生と3年生に話すとなると、難しすぎてもいけないし、さりとてただこういうことがありました、と思い出を話すだけでは聞いている方もつまらないことでしょう。
この話のどこに焦点を合わせて、この話から何を得るのかをイメージしながら、全体の時間配分を考えて、子供達と少しは意見交換をする、と全体を構成しなくてはなりません。
資料は、白血病について、骨髄移植について、骨髄バンクについて、手術について…など多くの内容をコンパクトなレジメとして、A4二枚にまとめました。
骨髄提供は、登録できるのが18歳からで、提供できるのは20歳からということになっているために、中学生には直接的な行動に結びつくような内容にはなっていません。
しかし、大事なことは、誰でも皆、例え中学生であっても病気の患者になる可能性があるという悲しい現実を知らなくてはなりません。
そして、そうした運命の神様のいたずらの矢が当たった一人に対して、人間たちは弱いながらも集まって社会を形成して、その一人一人の力を持ち寄りながら知恵を結集して、その悲しい運命を避けようと頑張っているものだ、ということを伝えたいと思うのです。
1年生には、助けて欲しいと願う患者と、それを助けようとする社会全体としての取り組みである骨髄バンクの存在、そして白血球の型が合致したドナーの健診、それらを側面で支えるコーディネーターや医師の物語を「善意のリレー」として伝えたいと思っています。
また3年生にはそれをほんの少しだけ高度にして、「善意という意志」と「それを可能にする能力」という要素について考えてもらいたいと思っています。
何かをしようと思う心が大事なのと同じくらい、自分の健康や医療水準、交通インフラなど先人が営々として築いてくれたこの社会の恩恵を被って生きていることを知って欲しいのです。
そして、そういう社会に今私達が住んでいること、君達が大人になってその一員となる社会とはそういうところだということ、そして君たちが飛び込んでくる社会は信頼に満ちたものであることを期待して良い、そういうことを伝えたいと思うのです。
さあ、それが伝わるでしょうか。
話し始めると、50分なんてあっという間で、しばしば時間の配分を間違えがちになるのですが、これでなんとか乗り切ろうと思います。
あんまり説教臭くならないようにしなくては。
ではご報告は日曜日のブログです。
【おやじの一言の準備】
明後日の日曜日は、中学校の日曜参観日なのですが、毎年このときに、中学校のご厚意により参観日三時間のうちの一時間を借りて、「おやじの一言」という授業をやらせてもらっています。
各学年で一時間ずつということで、一時間目は1年生、二時間目は2年生、三時間目は3年生に授業をするのです。
我が琴似中学校は、市内でも有数のマンモス校で、三学年で23クラスもあるのですが、おやじの会で講義をできるという人が案外少なくて、19人しか揃わなかったのだそうです。
毎年現役のお父さんの参加が少ないというのが悩みですが、忙しいということもあって仕方がないことです。
そこで足りない分は有志が二コマをもつことにしているのですが、今回は敢えてさらにおやじの会の外の地域に連帯の輪を広げて、学区内に住んでいて、お話しのできそうな方を外部講師として迎えることにしました。
そうするとまた面白いもので、近所で「中学生はこれを読め!キャンペーン」という面白い取り組みをされているくすみ書房のご主人や、コミュニティFM放送の女性社長など、極めて面白い方達が参加をしてくださることになりました。
これは私も自分の授業をしているよりもそちらのお話を聞きたいくらいですが、自分の担当の時間とかぶっている方もいて、それが残念です。
今回私は1年生と3年生の二コマを持つことになりました。
※ ※ ※ ※
さて、実際に自分のお話のテーマを見つけて、資料らしきものをつくり、50分全体のシナリオを作るとなると、これが結構大変です。
今回私は、自分自身の骨髄提供の体験をテーマにすることにしました。これもなかなか得がたい経験だったと思うからです。
しかし、さてそれでは、骨髄提供の何をどのようにして話をするか、ということを突き詰めて考えると、これが大変に難しいのです。
このブログ「北の心の開拓期」では、7月31日からの五話連続でその顛末記をお届けしましたが、このときは約1万字、原稿用紙にして25枚の文章となったものです。
しかしこれを中学1年生と3年生に話すとなると、難しすぎてもいけないし、さりとてただこういうことがありました、と思い出を話すだけでは聞いている方もつまらないことでしょう。
この話のどこに焦点を合わせて、この話から何を得るのかをイメージしながら、全体の時間配分を考えて、子供達と少しは意見交換をする、と全体を構成しなくてはなりません。
資料は、白血病について、骨髄移植について、骨髄バンクについて、手術について…など多くの内容をコンパクトなレジメとして、A4二枚にまとめました。
骨髄提供は、登録できるのが18歳からで、提供できるのは20歳からということになっているために、中学生には直接的な行動に結びつくような内容にはなっていません。
しかし、大事なことは、誰でも皆、例え中学生であっても病気の患者になる可能性があるという悲しい現実を知らなくてはなりません。
そして、そうした運命の神様のいたずらの矢が当たった一人に対して、人間たちは弱いながらも集まって社会を形成して、その一人一人の力を持ち寄りながら知恵を結集して、その悲しい運命を避けようと頑張っているものだ、ということを伝えたいと思うのです。
1年生には、助けて欲しいと願う患者と、それを助けようとする社会全体としての取り組みである骨髄バンクの存在、そして白血球の型が合致したドナーの健診、それらを側面で支えるコーディネーターや医師の物語を「善意のリレー」として伝えたいと思っています。
また3年生にはそれをほんの少しだけ高度にして、「善意という意志」と「それを可能にする能力」という要素について考えてもらいたいと思っています。
何かをしようと思う心が大事なのと同じくらい、自分の健康や医療水準、交通インフラなど先人が営々として築いてくれたこの社会の恩恵を被って生きていることを知って欲しいのです。
そして、そういう社会に今私達が住んでいること、君達が大人になってその一員となる社会とはそういうところだということ、そして君たちが飛び込んでくる社会は信頼に満ちたものであることを期待して良い、そういうことを伝えたいと思うのです。
さあ、それが伝わるでしょうか。
話し始めると、50分なんてあっという間で、しばしば時間の配分を間違えがちになるのですが、これでなんとか乗り切ろうと思います。
あんまり説教臭くならないようにしなくては。
ではご報告は日曜日のブログです。