北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

おやじの一言~「善意のリレー」について

2006-11-19 23:38:23 | おやじの会
 今日はいよいよおやじの一言の時間です。ちょっとした子供達相手のミニ講演会だと思えば、人前で話すよい練習になるものです。
 
【おやじの一言】
 授業は朝九時からなのですが、一時間目の講師の集合時刻はその20分前。

 少し緊張しながら八時半に学校に到着しました。緊張して上靴を忘れたので、PTAのスリッパを借りました。恥ずかし~。

 講師控え室へ入ると、もうおやじさん達も集まっていて、会うのを楽しみにしていた近くの本屋さんの社長さんもお見えでした。私もかねがね「中学生はこれを読めキャンペーン」の噂は聞いていたのですが、直接お会いするのは初めてでしたので、お会いできて光栄でした。

    ※    ※    ※    ※

 さて、一時間目は一年生に対するお話しです。今回のテーマは、自分自身の骨髄提供体験を通じて、「善意のリレーを考える」という風にしたのは、一昨日お伝えした通りです。

 一時間目の担任の先生からは「うちのクラスの子供達は、おとなしいですけど理解力はありますよ」というアドバイスをいただいての登壇です。

 この授業では最後にアンケートと、講義に対する感想を生徒達に書いてもらうことになっています。

 そのため、本当ならば終業の10分くらい前に終わらせて授業の中で感想なども書いてもらうと全てが完結するのですが、一時間目は少し張り切りすぎて、50分全部を使ってお話しをしてしまいました。

 生徒達の感想も来週までお預けとなってしまいました。これは反省しなくては。

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 そこで三年生に対しての講義では、話の内容に濃淡をつけて、大事なところはじっくり、エピソード的なところは簡単に進めて、5分くらい残るようにして終えることができました。

 黒板に描くと分かりやすい図なども、一度一年生を相手にして実証しているので二回目はスムースに進みました。やはり家で一度練習するくらいのことをしないと、時間を考えながら分かりやすい授業をするというのは難しいのです。

 さて、今回は一連の体験を通じて、善意という「意志」を持つことの重要性と、その一方で自分自身の健康や医療水準、交通インフラなどの「能力」の両方が揃わないと、その善意も伝わらないということから、何につけ、これからの人生を生きて行く上での「意志」と「能力」を鍛えることを伝えたいと思いました。

 3年生は終わった後で控え室で休憩している時に担任の先生が生徒達の感想を集めて持ってきてくださいましたよ。

 中学校3年生とはいえ、文章を書くというのは力がいるもので、個人差がありますが、生徒達の感想は、概ね私が意図したことは伝わっていたようで安心しました。

 ある男子は、「自分に様々なリスクはあるけど相手側にとって見れば生か死かという世界。相手がもし骨髄をもらって元気になったら何をしたいかということを訊きたいと思う、けれど、もし自分が相手側の立場だったら移植して欲しいと思う。これから30万人といわず、50万、100万人の登録があれば良いと思う。自分も登録したいと思った」

「今までドラマや映画などで客観的に見ていたけど、現状に向かいあえた機会を与えてもらったことを感謝します」と書いてくれました。立派じゃないですか。

 またある女生徒は「自分が何かをして、それで人の命が救えるということは、とても大切なことだと思います。私はこれからしたいことがたくさんあるので命を落としてでも人を救うということはできませんが、少しでも他人のために何かをできればよいと思いました。今日はありがとうございました」と書いてくれました。

 【自分の命を落としてでも人を救うということはできませんが】というのがとっても正直で、それで良いのだと思います。

 それほど簡単な決断ではありませんから当然です。しかし世の中でこういうことがあるのだ、ということを感じてもらえたようで、頑張って資料を作った甲斐がありました。

 こういう反応を確かめることのできる、学校の先生という職業を少し羨ましく思いました。

 生徒の皆さん、君たちが今生きている社会とはこんなところです。

 信頼に値するところだと私は信じています。
コメント
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