北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

汚染米!モラルはどこへいったのか…

2008-09-11 23:54:20 | Weblog
 食用にはならない汚染米があちらこちらで食用に使われていた問題が拡がりを見せています。

 これまでには考えられないようなモラルハザードで呆然としてしまいました。

 そもそも食べられないことを前提に安く売っているものを、流通業者を経由させることでいつの間にか食べられる米として流通させ、儲けを得るとは言語道断。一片の酌量の余地のない確信的犯罪行為です。

 日本人のモラルがここまで低下したということは恐るべき事で、これ以上はやってはいけないという自制の心のハードルを軽々と越えてしまった背景をもう少し探って欲しいものです。

 最初は少しだったものが次第に麻痺していっただとか、想像は膨らみますが厳正な調査をして欲しいものです。

 同時にまたそれがお酒に使われて被害を拡大させています。事故米を使った焼酎やお酒を調べた農水省では「健康には害の無いレベルである」と沈静化に努めていますが、風評被害は免れないでしょう。

 事故米を使った焼酎は、超大手の酒造メーカーの商品の原料にもなっていて、どこまで広がることやら。

 超大手の酒造メーカーと言っても、原料は中小の酒造メーカーから蔵で買うんだなあ、などと知らなかったことを知った驚きもあるのですが、メーカーは「知らなかった」ではすまない危機の発生となってしまいました。

 この上は事実をありのままに公表して、出来る限りの誠実な対応を示すことが一番の火消しになるので、とにかく回収して謝罪するということを徹底するしかないでしょう。

 当局側も「健康に害のないレベル」と言っていますが、そう言ってしまうと今後一つでも健康に害のあるレベルに達した製品が見つかるとまた大変なバッシングに繋がりますので注意が必要です。

 そもそも「健康に害のないレベル」という曖昧な説明は危険。「基準は○○ppm以下だけれども、どれもその千分の一以下のレベル」といった風に事実をはっきりと言った方が効果的。こういうときは事実を大量に提供することが却って安心に繋がります。
 一番受け手をいらいらさせるのは情報がなかなか出てこないこと。情報を出さないのはそもそも後ろめたい理由があるからだろう、と邪推するからです。

 そういう危機管理が出来ている組織とそうでないところの差がこの一瞬に現れますから注目しておきましょう。

    ※    ※    ※    ※

 それにしても、事の拡がりと重大さに尻込みしているのか、汚染米を使った業者に対するマスコミのバッシングにあまり勢いがありません。

 口の悪い2ちゃんねらーの世界では、「そもそも三笠フーズの米は危ないというのは業界の常識だったはず」などといった書き込みがあったりして、プロの世界の常識が問われます。

 また批判が鈍いのは、超大手のメーカーともなると良いスポンサーだからなのかな、と思うのは下衆の勘ぐり。ほんの少し前の吉兆や赤福、石屋製菓はこれに比べると随分叩かれたのになあ、とその差に釈然としない思いもするのです。

 マスコミは叩く相手として農水省の検査体制を槍玉にあげていますが、ある程度の信頼関係で成り立っている前提を崩して、確信犯的に隠蔽している事実を暴こうとすれば、警察的な権力が必要になることでしょう。
 信頼というソーシャルキャピタルがあれば小さな政府でよいのですが、信頼を失った社会では管理のために大きな政府にならざるを得ません。

 信頼を失っている社会で小さな政府に向かうと社会不安が増しそうです。小さな政府を実現させる意味でも信頼の社会を求めなくては。


 さて、今回の問題の根っこはやはり儲け至上主義のモラルハザード。良いものを売って儲けさせてもらうという商売の原点は、安かろう悪かろうは買わないという消費者だけが教えられるのかもしれません。  
コメント
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