今日もマスコミのトップニュースはもちろん福田総理の辞任騒動です。
口さがないマスコミの識者たちは「国民を見捨てた」とか「投げ出した」と批判し、野党各党も無責任だと盛んに攻撃を仕掛けています。
防戦一方の与党の側は「なぜだ」、「寝耳に水」、「残念」と動揺を隠せませんが、もう関心は次の総理総裁選びに移っています。
与野党のどちらに共感するのか、ということは置いておいて、誰から言われるでもなく自ら辞任を決めた福田総理の決断に注目したいと思います。
もちろん、衆参での勢力のねじれがあって国会審議がなかなか進まないという焦燥や、支持率の低迷、閣僚・官僚の不祥事など、ついつい消極的になるような要素は沢山ありますが、またそれに耐えるのも政治家の使命であり、そのあたりは十分に心得ていたであろうと推察いたします。
しかし次の選挙のことを考えたときに、「やはり自分では勝てない」ということに気がつき、自分ではない誰かにバトンを渡さなければ世間に迷惑をかける、という思いに至り、それを打開するためには自分がいまこの立場にいてはいけない、と消去法的に考えたのではないか、とも想像されます。
官邸のホームページに、辞任記者会見とそのあとの記者とのやりとりが掲載されています。
※ ※ ※ ※
(問)
今、新しい体制を整えた上で、国会に臨むべきだというふうなお考えを表明されましたけれども、新しい体制になれば、どのような点で、今の事態は打開できるとお考えでしょうか。
(総理)
これは、我が自由民主党のことを申し上げて恐縮でございますけれども、総裁選挙をすることになると思います。そして、選ばれた新しい総裁が、総理大臣の指名を受けるというふうなプロセスになると思っておりますけれども、それは私が続けていくのと、新しい人がやるのと、これは間違いなく違うというふうに私が考えた結果でございます。それは、いろいろな状況を考えて政治的な判断をしたということでございます。
…(中略)…
(問)
一般に、総理の会見が国民には他人事のように聞こえるというふうな話がよく聞かれておりました。今日の退陣会見を聞いても、やはり率直にそのように印象を持つのです。
安倍総理に引き続く、こういう形での辞め方になったことについて、自民党を中心とする現在の政権に与える影響というものをどんなふうにお考えでしょうか。
(総理)
現在の政権。自民党・公明党政権ですか。
(問)
はい。
(総理)
それは、順調にいけばいいですよ。これに越したことはないこしたことはない。しかし、私のこの先を見通す、この目の中には、決して順調ではない可能性がある。また、その状況の中で不測の事態に陥ってはいけない。そういうことも考えました。
他人事のようにというふうにあなたはおっしゃったけれども、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです。そういうことも併せ考えていただきたいと思います。
※ ※ ※ ※
このやりとりとの中にも「適任者は誰か分からないけれど自分ではない」という福田総理の確信が見て取れます。
好きな人に振られたときや試験に落ちたときなど、望みが叶わなかったときに「選ばれるべきは自分ではなかった」と気づくものですが、逆にそれを得て手にしているときに「これを持っているべきは自分ではない」とはなかなか気づかないものですし、それをもっと然るべき別人に渡そうとは思えないのではないでしょうか。
そういう意味ではプライドある政治家として一番難しい『引き際の美学』を追究した結果なのではないか、とも思うわけです。
最後の「私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです」という一言が福田さんらしい総理としての最後の皮肉になりましたね。
私は「ご苦労様でした」と申し上げたいと思います。政治家は辛いですね
口さがないマスコミの識者たちは「国民を見捨てた」とか「投げ出した」と批判し、野党各党も無責任だと盛んに攻撃を仕掛けています。
防戦一方の与党の側は「なぜだ」、「寝耳に水」、「残念」と動揺を隠せませんが、もう関心は次の総理総裁選びに移っています。
与野党のどちらに共感するのか、ということは置いておいて、誰から言われるでもなく自ら辞任を決めた福田総理の決断に注目したいと思います。
もちろん、衆参での勢力のねじれがあって国会審議がなかなか進まないという焦燥や、支持率の低迷、閣僚・官僚の不祥事など、ついつい消極的になるような要素は沢山ありますが、またそれに耐えるのも政治家の使命であり、そのあたりは十分に心得ていたであろうと推察いたします。
しかし次の選挙のことを考えたときに、「やはり自分では勝てない」ということに気がつき、自分ではない誰かにバトンを渡さなければ世間に迷惑をかける、という思いに至り、それを打開するためには自分がいまこの立場にいてはいけない、と消去法的に考えたのではないか、とも想像されます。
官邸のホームページに、辞任記者会見とそのあとの記者とのやりとりが掲載されています。
※ ※ ※ ※
(問)
今、新しい体制を整えた上で、国会に臨むべきだというふうなお考えを表明されましたけれども、新しい体制になれば、どのような点で、今の事態は打開できるとお考えでしょうか。
(総理)
これは、我が自由民主党のことを申し上げて恐縮でございますけれども、総裁選挙をすることになると思います。そして、選ばれた新しい総裁が、総理大臣の指名を受けるというふうなプロセスになると思っておりますけれども、それは私が続けていくのと、新しい人がやるのと、これは間違いなく違うというふうに私が考えた結果でございます。それは、いろいろな状況を考えて政治的な判断をしたということでございます。
…(中略)…
(問)
一般に、総理の会見が国民には他人事のように聞こえるというふうな話がよく聞かれておりました。今日の退陣会見を聞いても、やはり率直にそのように印象を持つのです。
安倍総理に引き続く、こういう形での辞め方になったことについて、自民党を中心とする現在の政権に与える影響というものをどんなふうにお考えでしょうか。
(総理)
現在の政権。自民党・公明党政権ですか。
(問)
はい。
(総理)
それは、順調にいけばいいですよ。これに越したことはないこしたことはない。しかし、私のこの先を見通す、この目の中には、決して順調ではない可能性がある。また、その状況の中で不測の事態に陥ってはいけない。そういうことも考えました。
他人事のようにというふうにあなたはおっしゃったけれども、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです。そういうことも併せ考えていただきたいと思います。
※ ※ ※ ※
このやりとりとの中にも「適任者は誰か分からないけれど自分ではない」という福田総理の確信が見て取れます。
好きな人に振られたときや試験に落ちたときなど、望みが叶わなかったときに「選ばれるべきは自分ではなかった」と気づくものですが、逆にそれを得て手にしているときに「これを持っているべきは自分ではない」とはなかなか気づかないものですし、それをもっと然るべき別人に渡そうとは思えないのではないでしょうか。
そういう意味ではプライドある政治家として一番難しい『引き際の美学』を追究した結果なのではないか、とも思うわけです。
最後の「私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです」という一言が福田さんらしい総理としての最後の皮肉になりましたね。
私は「ご苦労様でした」と申し上げたいと思います。政治家は辛いですね