北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

凸型文化と凹型文化

2009-11-08 20:41:54 | Weblog
 日本人は「悪いと思ったら素直に謝りなさい!」と教育を受けます。しかし、自己主張をしてナンボの世界ではそういう自己抑制的なマインドは、しばしば相手をつけあがらせることにも繋がります。

 「凸型文化」と「凹型文化」というのを聞いたことがありますか?


---------- 【ここから引用】 ----------
【正論】東京工業大学名誉教授・芳賀綏 自己を見失った「期待過剰」外交 2009.11.5 03:07
 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091105/plc0911050310001-n1.htm





 ≪世界の鏡に映した日本人≫

 オバマ米大統領訪日は現下日本の外交姿勢を矯正する好機になるのだろうか。

 この数旬(すうじゅん)、日本の首脳外交に殊に目立ったのは近隣への期待過剰、「甘え」である。重量感なき一句「東シナ海を友愛の海に」などは同盟国の不信にも増して大陸隣邦の軽侮(けいぶ)を買ったろうが、「アジア」の美名に惹(ひ)かれた幻の一体感・安心感は他愛もない。迷妄(めいもう)を脱して出直すのがよい。

 一般国民にもまだ「アジアの一員」で片づける大まかな自己認識があるが、最も近い日韓でさえ「性格の違う双生児」と評される。生理的共通性よりも国土に根ざした民族性の差が大きいのだ。文物は朝鮮海峡を渡って伝わったが“性分”は伝来しなかった。

 そこで、一層目を広げて地球規模で、国際情勢などを超えて超長期的な文化圏のあり方を知り、その中の日本の位置づけ、つまり〈世界の鏡に映した自己〉を見る観点の一つを以下に書く。

 地球物理学者、寺田寅彦の言をかえりみると、大陸と隔絶した日本列島は、気候学・地形学・生物学的に、全地球上にもユニークな位置を占めている。日本人特有の感覚(センス)や生活様式・生活感情がそこに育(はぐく)まれた。

 日本民族は、四季おりおりのキメ細かく美しい風景を持つ細長い国土に定着し、太古から稲作農耕を生業として長らく畜産・肉食を知らず、南アジアにも似通う“植物性”の文化に生きた。わが民族性の原型・核心はそこに深い根をおろし、変化していない。

 ≪攻撃性文化の「凸型」世界≫

 「万物に神宿る」アニミズムで人と自然が合一し「風雅」の境を尊ぶ日本では、人と人も和合して角を立てず、淡泊・素直で繊細、受容的な意識傾向が形成され、世界屈指の優しく穏やかな空間が生じた。数学者、岡潔の言う「情」の世界である。

 このような“心の形”の総体を筆者は〈凹(おう)型文化〉と名づけ、日本人らしさを解明した拙著では、異質の〈凸(とつ)型文化〉に対置した。

 凸型文化圏は広大で濃淡の内部差を含むが、朝鮮半島・中国、内陸アジアや中東からヨーロッパに及ぶユーラシア大陸の大部分が含まれる。その延長に北中南米や大洋州の白人社会もある。

 凸型文化の本質は日本の裏返しで、人間は自然に対して突出し、人と人も対立してせめぎ合う。愛憎激しく、執念深い自己主張の衝突する苛烈(かれつ)・峻烈(しゅんれつ)な、日本人には息苦しい空間だ。情ではなく「意」の世界である。

 そこには「山は青く水は清き」日本と大きく異なる風土的背景がある。大陸型のキメの粗い自然、荒涼たる砂漠や大草原を含む壮大だが単調・索漠の大地に、牛馬、トナカイ、羊やラクダなどの家畜の群れを人間の強烈な意志で駆使する“動物性”空間だ。畜産や遊牧、肉食(特に内臓食)の長い伝統を持つ社会は、人間が自然を征服するほか人間を征服・支配するのも当然とする文化を生んだ。

 異国・異民族・異教徒はすべて敵対者と見る性悪説で、迫害や侵略のくり返し、言語による説得や威嚇(いかく)、手練手管の交渉技術がユーラシアを中心に発達した。心を許さぬ不信と謀略の世界、すさまじい外交ドラマの舞台は、心理力学の苦手な日本と違うしたたかな世界である。日本は江戸末期まで白人国家の脅威も中華大帝国の支配も受けず内向きに過ごし、本格的外交は不在で済んでいた。この重い歴史のハンディを明治の先達は懸命に克服したが、むしろ近年またこの落差が目立ってきた。

 ≪「不寛容」の相手に対処を≫

 対比した凹型圏と凸型圏の別はアジア対欧米の区分とは全く食い違う。人種や国家体制とも別次元、アジア一体視とは矛盾する。

 先進国は日本以外すべて凸型で、新興国も総じて凸型圏にある。つまり日本が外交の相手にする主要な国は凸型ばかりだ。「情」の日本が多様な「意」の国々を相手にする-という構図を改めて確認する必要がある。

 優しい日本の交渉相手は「不寛容」な民族たちで、同盟国とて例外ではない。期待過剰を戒めた故中村菊男博士は「相手も自分と同じように思うだろう」と考えるのが日本人だと言われた。その鎖国的凹型思考を克服せずには不寛容の相手に太刀打ちできない。語学技能だけでは駄目、「先方のイヤがることはしない」「謝り続けよう」…で情にほだされてくれる相手ではない。「東シナ海=友愛の海」とくれば、領海や領土を支配されても“寛容”に受容するサインと曲解されそうだ。

 貴重な情の文化は、文化交流・現地支援や個人間の交流などが重なって異文化の国にも広く理解されつつある。日本のよさに自信をもって諸民族に示す自然の振る舞いを続けたい。一方、外政の責任者は、国家の威信と利益を代表して命運を左右する緊張感と自覚をもって外に対さねばならぬ。一般国民も繊細さの上に凛乎(りんこ)たる姿勢を併せ持ち、指導層が覚悟を欠くならその“外柔内柔”を叱りうる国民に成長すべきだ。(はが やすし)


---------- 【引用ここまで】 ----------

 論文のテーマはともかくとして、

> 「万物に神宿る」アニミズムで人と自然が合一し「風雅」の境を尊ぶ日本では、
>人と人も和合して角を立てず、淡泊・素直で繊細、受容的な意識傾向が形成さ
>れ、世界屈指の優しく穏やかな空間が生じた。数学者、岡潔の言う「情」の世界
>である。

> このような“心の形”の総体を筆者は〈凹(おう)型文化〉と名づけ、日本人らしさ
>を解明した拙著では、異質の〈凸(とつ)型文化〉に対置した。

 という中にある、我が国の文化スタイルを「受容を基本とする『凹型文化』」と名付け、そうした凹型文化が世界の中で対峙する「先進国は日本以外すべて凸型で、新興国も総じて凸型圏にある。つまり日本が外交の相手にする主要な国は凸型ばかりだ。」というのは実に面白い視点です。

 海外旅行のときなど、トラブルがあった時に外国ではこちらからまず謝っては行けない、などと脅かされますが、それは日本以外は基本的に凸型文化で、まず自分の正当性を主張することを当然と思っているからなのでしょう。

 外国では謝るな、という言い方よりも、日本と外国では凹凸のように文化様式が異なるんだと言われると、理解がぐっと深まります。

 
 しかし多分、そうした凹型文化は凸型によってぐいぐいと押し込まれやすいけれど、どこまでも押し込まれた時に爆発するときは、相当な覚悟で反発をするのではないかと思います。

 「貴公は少々調子に乗りすぎたでござる」と刀を抜くのが侍の覚悟。

 別にケンカや戦争でなくても、ピンチに追い込まれた時に覚悟を決めるサムライ精神はまだ日本に残っているでしょうか。
コメント
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