時々開催される都市問題についての懇話会に参加。今日のお題は「都市の人口動態とコミュニティの社会的形成」についてです。
なにやら難しいお話のように思われますが、要は日本の都市がどのように拡大してきて、そのときに地域のコミュニティはどのように変化してきたのだろうか、という問題意識に基づく研究です。
今日の講師は社会学がご専門の首都大学東京教授の玉野和志先生です。
※ ※ ※ ※
都市の成長に関しては古典的なシカゴ学派の中心的人物であるアーネスト・バージェスという方がいまして、この方が唱えたのが「都市地域は、都市の発展につれて中央商業地域を中心とし外周を郊外高級住宅地帯とする五つの同心円的構造をなして膨張する」という同心円理論でした。
五つの構造とは、中心業務地区、(工場地帯)、遷移地帯、労働者住宅地帯、住宅地帯、通勤者地帯というもの。
確かに当時のシカゴなどアメリカの都市はこういう方向に発展したのかもしれませんが、玉野先生は「東京は少なくとも丸の内~霞ヶ関という中心に加えて、隅田川沿いの軽工業地帯と京浜重工業地帯という二つの工業地帯がエンジンになって発達したと分析出来るでしょう」とのこと。
日本には日本なりの都市の発展の歴史があるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/71/90da805146634f0d5b5b7e76360c89dc.jpg)
※ ※ ※ ※
さて、玉野先生が注目したのが東京の郊外都市のコミュニティの発展の歴史です。
東急田園都市線に広がる郊外住宅地ですが、ここはかつては広い農村地帯だったわけで、ここが東急電鉄によって開発されてきました。
川崎市のある地域でヒアリングをしてみると、そこに住むお婆さんは元々東京に住んでいたのですが、「環状七号線ができるというので、それじゃあ環境が悪くなって嫌だね、ということでこちらへ移ってきた」とのこと。
ところがその地域ではだらしない住宅地開発を行って、住宅地は売ったもののろくに道路も整備しないままに倒産してしまったのだとか。そこで仕方なく地域の女性達が集まって市役所に掛け合ったりお金を集めて砂利道を舗装したりしたのだそうで、ここでは今でもそうした女性のネットワークが強いのだそう。
ここでは全く地域活動に男性の姿がないというのですが、しかしそれも裏を返せば、その当時の彼女たちは専業主婦が当たり前で、ご主人は働くのが当たり前という性差による役割分担論が幅を効かせていたから。
逆に今日では地域の担い手が二代目になり、そうした役割分担論がしぼむにつれ地域活動も盛り上がらなくなっているのだそう。町内会が活発でないのはどこも同じ様です。
※ ※ ※ ※
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ed/29483dcf010a4a0d0faad12a98ead4b1.jpg)
一通り話題提供終わったところで私から質問をしてみました。それは「今日、地域に根ざしたコミュニティが衰退し、かわりに福祉や環境など特定のテーマを中心にしたテーマコミュニティは活発になっています。もはや地域に根ざした遅延コミュニティは復活しないのでしょうか、復活するとしたらどういう手だてがありえるでしょうか」というもの。
すると玉野先生の答えは、「いわゆる戦前生まれの人たちと、戦後生まれの人たちとの決定的な違いは、パーソナルな関係を作ることを厭わなかった人たちと、その関係性がドライなものに変化した、という事だと思います」ということでした。
「つまり、人と人との距離の取り方が変わってしまったわけで、そうした変化の後には地域でくくって押しつけるようなコミュニティはダメだろうと思います」
「その一方でテーマコミュニティは隆盛ですね」
「関係性が薄れたからと言って、なにか自分が感心のある目的を果たしたいという思いはそれほど変わらないのではないでしょうか。その時に『住んでいる地域』というものはベースにはならないのですが、その目的が地域性を帯びるようなテーマであればそれを軸に地域が舞台になると言うことはあると思います」
「それは面白いですね」
「そもそも地域の問題というのは、移動することやそのコストなど問題にしない恵まれた人にとっては関係ないことです。それは簡単に移動出来ない女性やお年寄りなどの弱者の問題なんです。しかしそんな地域から出られない人だけではやはり地域の問題は解決出来ません。だからこそ、外にいながらその地域に関心を持ってくれる『ヨソ者』が大切になって来るんです」
「なるほど、ヨソ者が大事ですか」
「しかしヨソ者がどうしてその地域に関心を持ってくれるか、ということになるとやはりそこにその地域ならではの価値や魅力があるからだと思うんです。その価値は地元の人には見えづらく、外の人ほどよく見えるからです。だからこそ、そこに住むしかなかったしょうもない地域・コミュニティが外から価値を認められなくてはならない」
「そうですね」
「私は今の世の中、税金や交付金が無くなって地方の都市は大変だと思いますが、だからこそ何かしなくてはならん、と覚悟を決めた時に、地域のコミュニティが健全な地方都市の集落のほうが可能性があるのではないか、と思っていますよ」
最後は生涯学習まちづくり的なまとめでしたが、地域コミュニティにおけるヨソ者の意味が改めてはっきりしたような気がします。問題は上手なマッチングなのかもしれません。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en3.gif)
なにやら難しいお話のように思われますが、要は日本の都市がどのように拡大してきて、そのときに地域のコミュニティはどのように変化してきたのだろうか、という問題意識に基づく研究です。
今日の講師は社会学がご専門の首都大学東京教授の玉野和志先生です。
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都市の成長に関しては古典的なシカゴ学派の中心的人物であるアーネスト・バージェスという方がいまして、この方が唱えたのが「都市地域は、都市の発展につれて中央商業地域を中心とし外周を郊外高級住宅地帯とする五つの同心円的構造をなして膨張する」という同心円理論でした。
五つの構造とは、中心業務地区、(工場地帯)、遷移地帯、労働者住宅地帯、住宅地帯、通勤者地帯というもの。
確かに当時のシカゴなどアメリカの都市はこういう方向に発展したのかもしれませんが、玉野先生は「東京は少なくとも丸の内~霞ヶ関という中心に加えて、隅田川沿いの軽工業地帯と京浜重工業地帯という二つの工業地帯がエンジンになって発達したと分析出来るでしょう」とのこと。
日本には日本なりの都市の発展の歴史があるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/71/90da805146634f0d5b5b7e76360c89dc.jpg)
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さて、玉野先生が注目したのが東京の郊外都市のコミュニティの発展の歴史です。
東急田園都市線に広がる郊外住宅地ですが、ここはかつては広い農村地帯だったわけで、ここが東急電鉄によって開発されてきました。
川崎市のある地域でヒアリングをしてみると、そこに住むお婆さんは元々東京に住んでいたのですが、「環状七号線ができるというので、それじゃあ環境が悪くなって嫌だね、ということでこちらへ移ってきた」とのこと。
ところがその地域ではだらしない住宅地開発を行って、住宅地は売ったもののろくに道路も整備しないままに倒産してしまったのだとか。そこで仕方なく地域の女性達が集まって市役所に掛け合ったりお金を集めて砂利道を舗装したりしたのだそうで、ここでは今でもそうした女性のネットワークが強いのだそう。
ここでは全く地域活動に男性の姿がないというのですが、しかしそれも裏を返せば、その当時の彼女たちは専業主婦が当たり前で、ご主人は働くのが当たり前という性差による役割分担論が幅を効かせていたから。
逆に今日では地域の担い手が二代目になり、そうした役割分担論がしぼむにつれ地域活動も盛り上がらなくなっているのだそう。町内会が活発でないのはどこも同じ様です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ed/29483dcf010a4a0d0faad12a98ead4b1.jpg)
一通り話題提供終わったところで私から質問をしてみました。それは「今日、地域に根ざしたコミュニティが衰退し、かわりに福祉や環境など特定のテーマを中心にしたテーマコミュニティは活発になっています。もはや地域に根ざした遅延コミュニティは復活しないのでしょうか、復活するとしたらどういう手だてがありえるでしょうか」というもの。
すると玉野先生の答えは、「いわゆる戦前生まれの人たちと、戦後生まれの人たちとの決定的な違いは、パーソナルな関係を作ることを厭わなかった人たちと、その関係性がドライなものに変化した、という事だと思います」ということでした。
「つまり、人と人との距離の取り方が変わってしまったわけで、そうした変化の後には地域でくくって押しつけるようなコミュニティはダメだろうと思います」
「その一方でテーマコミュニティは隆盛ですね」
「関係性が薄れたからと言って、なにか自分が感心のある目的を果たしたいという思いはそれほど変わらないのではないでしょうか。その時に『住んでいる地域』というものはベースにはならないのですが、その目的が地域性を帯びるようなテーマであればそれを軸に地域が舞台になると言うことはあると思います」
「それは面白いですね」
「そもそも地域の問題というのは、移動することやそのコストなど問題にしない恵まれた人にとっては関係ないことです。それは簡単に移動出来ない女性やお年寄りなどの弱者の問題なんです。しかしそんな地域から出られない人だけではやはり地域の問題は解決出来ません。だからこそ、外にいながらその地域に関心を持ってくれる『ヨソ者』が大切になって来るんです」
「なるほど、ヨソ者が大事ですか」
「しかしヨソ者がどうしてその地域に関心を持ってくれるか、ということになるとやはりそこにその地域ならではの価値や魅力があるからだと思うんです。その価値は地元の人には見えづらく、外の人ほどよく見えるからです。だからこそ、そこに住むしかなかったしょうもない地域・コミュニティが外から価値を認められなくてはならない」
「そうですね」
「私は今の世の中、税金や交付金が無くなって地方の都市は大変だと思いますが、だからこそ何かしなくてはならん、と覚悟を決めた時に、地域のコミュニティが健全な地方都市の集落のほうが可能性があるのではないか、と思っていますよ」
最後は生涯学習まちづくり的なまとめでしたが、地域コミュニティにおけるヨソ者の意味が改めてはっきりしたような気がします。問題は上手なマッチングなのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en3.gif)