北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

報徳の教えとアダム・スミス

2010-03-15 23:47:39 | Weblog
 掛川でのシンポジウム。いろいろな話題はあったものの、田中先生がはしゃぐほど掛川を面白がってくれたというのが印象的でした。

 その中の一コマ。シンポジウム前の昼食を竹の丸というかつて豪商の家だった市の文化施設で取った後、ちょうど榛村さんが報徳社で講演をしていて、昼過ぎまでいると聞いていたので、田中先生たちを置いて報徳者に駆け込みました。

 タイミングが悪く、ちょうど榛村さんの乗った車が出て行くところを見ることになってしまいこの日は挨拶が出来ませんでした。

 報徳社の事務の女性と「あ~、残念でした」と話をしていたところへ田中先生たちが私を追いかけて到着。予期せず報徳社をご案内できることになりました。

 まずはきわめて珍しい、薪を背負った少年ではなく、桑を持った晩年の二宮尊徳の立像を見ていただきました。先生も驚きながら記念写真をパチリ。

 次に掛川ではおなじみの経済門と道徳門をご案内。「人はすべからく二つの門をくぐらなくてはならない。すなわち経済門と道徳門。経済なき道徳は寝言であり、道徳なき経済は犯罪である・・・」などとお決まりの案内をしていると、田中先生は目を丸くして「なるほど、アダム・スミスですね!」と一言。

 ほー、道徳門と経済門を見てアダム・スミスを連想されたところがすごいです。






 アダム・スミスは「国富論(現代は『諸国民の富の性質と原因の研究』というのですが)」という本の中で、「見えざる手」という単語をたった一回だけ用い、一人一人の欲望をかなえようとする行動をすることで意図せざる結果として社会の公共利益がはるかに増進するという理論を唱えたことで、近代経済学の祖という称号を与えられています。

 アダム・スミスは国富論を53歳のときに書いたのですが、スミス先生、実は29歳でグラスゴー大学の道徳哲学教授に就任、36歳のときにグラスゴー大学での講義録を元にした「道徳感情論」という本を書かれてこのことで名声を確立されているのです。

 つまり一般の「経済学の祖」という認識以上に、ご本人は哲学や道徳の学者先生であったわけ。

 で、道徳感情論では、本来バラバラな個人でも共感の心があってまとまれること、また第三者の目を持つことで自己規制するものだ、というようなことを言っています。

 まさに道徳と経済の両方について語ったのがアダム・スミス先生というわけです。

 経済はアダム・スミス先生以来現代に至るまで、実にいろいろな説が飛び交って、そのどれを採用するかで政治のあり方まで変えてきました。

 みんなで分ける経済か、勝者独占の経済か、そのどれを政治が志向しているのかをよく考えてみたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする