友人たちと飲んでいて、海外経験について話題になりました。
すると友人の一人のAさんが、「僕はフィリピンのマニラにいたことがありますが、とても良いところでしたよ」と話してくれました。
「メイドさんとか、運転手などを雇うことになったんですか?」と訊くと、「ええ、メイドも掃除と洗濯の補助と料理の2.5人に、運転手でした」とのこと。
「メイドさんの料理って美味しく作ってくれるものですか?」
「そこは、探し方ですね。中国人のメイドを経験した人を選ぶのがポイントです」
「それはどういうことですか?」
「中国人の家庭でメイドをすると、中国料理を覚えているので料理がおいしいことと、とても厳しくこき使われるのと、その後で日本の家庭で働くことが天国のように思われて幸せなんですよ」
メイドをあたかも奴隷のようにこき使う考え方もあれば、同じチームとして互いの幸せを求めてwin-winで行こう、という考え方もあります。
日本人ならばどちらかというと後者が多いのではないかと思いますが、労働や使用人に対する感性にもお国柄があるようです。
「ところが悩ましいこともありましてね」と、件のAさん。
「それはどういうことですか?」
「週末はメイドも休みで自分の家に帰るのですが、そのタイミングで家の砂糖がごっそりとなくなったんです。かの国はキリスト教が多くて、物を多く持っているものが足りないものに施すのは当たり前だ、という感覚があたりまえなんです。それが分かってから、メイドにどう言おうかと悩みましたよ(笑)」
外国へ行くと、いろいろな宗教観があって、日本のそれを当たり前と思うと、意外だったり驚くようなことが大変多いのですね。
そういえば以前、作家の曽野綾子さんが海外へ旅行する際にどうしても梅干を持っていきたくて持参したのですが、それが税関で「これはなんだ」と詰問されて取り上げられそうになったとのこと。
曽野さんはその瞬間に、「それは私の宗教ではとても大切なもので、それがなくてはならないのです」と言ったところ、無事に通してもらえた、という体験談をある本で書いています。
宗教というものはそれだけ尊重されるべきものだ、という感覚って日本にはほとんどありませんね。
やはり外国を含めて世間を広く見た人の視野は広いなあ。
人間、勉強と経験が大切なのです。