北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

バリアを除きたい

2013-09-19 22:21:03 | Weblog

 女優の黒柳徹子さんが「心から尊敬して止まない」と讃える人がいます。

 福島智(ふくしまさとし)さん、五十歳。

 三歳で右目を、九歳で左目を失明、十四歳で右耳を、十八歳でついに左耳の聴力まで奪われ全盲聾(ぜんもうろう)となった福島さんですが、その後、盲ろう者の指を点字タイプライターの6つのキーに見立てて、左右の人差し指から薬指までの6指に直接打つ方法指点字に出会って、コミュニケーションの方法を取り戻します。

 そして昭和58年に東京都立大学(現・首都大学東京)に合格し、盲聾者として初の大学進学を果たしました。

 金沢大学助教授などを経て、平成20年より東京大学先端科学技術研究センター教授になりましたが、盲聾者として常勤の大学教員になったのは世界でも初めてのことだそうです。

 「致知」10月号に、そんな福島さんと黒柳徹子さんの対談が載っていたのでその一部をご照会します。


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(黒柳)「福島さんがすごくいいのは、『喋れる』ということですね。ご自分には聞こえなくても、昔は聞こえていらしたからでしょう。盲聾者であなたのようにいろいろなことを表へ発信なさる方って少ないじゃないですか。それでいま東大ではどういうことを教えていらっしゃるの?」

(福島)「バリアフリー論という学問なんですが、例えば『バリア』と一口に言っても、路面の段差を解消するなどといった目に見える問題だけじゃなく、法律や制度、慣習の中でのけ者にされている、といったことがよくあります。例えば私は十二年前に東大に助教授として着任したんですが、女性のスタッフがトイレに行くとなかなか戻ってこなかったんです。変だなと思っていたら、私の研究室のある一階には女性トイレがなかった。」

「あらら」

「だから仕方なく二階まで行くんですが、そのフロアにも一つしかない。前身の帝国大学には女性が入れなかったからですが、それを目の当たりにしたときはショックでしたし、なるほど、これがバリアなんだと思いました。それと同じことが障害者に対しても行われているわけで、これらを社会全体の構造的な問題とも結びつけて説明したりしています」

「少しは世の中も変わったとお思いになる?」

「少しは変わっています。ただし、多くは国際的な流れなどの外圧によるものですね」

「おっしゃるとおりです。私ね、子供たちには小学校ぐらいからいろんなことを教えておく必要があると思うんです。というのも、この前、私が足を怪我してニューヨークへ行った時、車いすに乗っていたんですよ。実験的に車椅子で街を回っていると、スーパーのドアを開けてくれたり、上の方の棚を見ていると人が寄ってきて『何か取りましょうか』と声を掛けてくれたり。この人たちは障害者への接し方に慣れているなと驚いて、理由を尋ねてみたんです。そうしたら『小学校の時から習っています』って。向こうの国では小学校から手話を習っていることは聞いていましたが、子供の頃から障害児と一緒に学んでいくというんです。日本とは随分違うと思いました」

「そうですね」

「『窓際のトットちゃん』のモデルにもなった私の小学校には、背のとても小さな子や難病を抱えた子など、障害のある子がいっぱいいたんですが、校長先生は一度も『助けてあげなさい』とはおっしゃらなかったんです。いつでも『一緒にやるんだよ。皆一緒にやるんだよ」とおっしゃった。ですから学校の中では、皆で一緒にやっていくという上で、差別や違いは全くありませんでしたし、そういう教育を受けられたことはとてもよかったと思っています」

「それはすごく大事なことですね。東大の学生たちに『同じクラスに障害のある子がいたことがあるか』と尋ねると大多数が進学校を上がってきて、全然経験がないと言うんです。障害児と触れ合うという経験をそもそもしていない」

「学校の方でも障害児と健常児を初めから離しちゃうんですよね。だから大人になっても慣れないの。皆一緒にすれば、学ぶことがすごく多いのに」

「そしてそういう人たちが中央官庁に入ったり、政治家になっていくんですが、障害者と触れ合った経験のない人が頭で考えて作る制度や法律はどこか実態とずれているんです」


      ◆   
  

「一つの例として、約十年前、『徹子の部屋』にいらしたある先生の学校もやはり障害児と健常児のクラスを分けていらっしゃいました。ところがある時、障害児の板校舎を建て替えることになって、その間、一人、知的障害のある子がクラスに入ってきたんですって。私がすごいと思ったのは、皆で海へ行った時のお話です。皆がワーッと砂浜のほうへ駆け出していったんだけど、岩がごろごろしている所があって、その子は怖がって砂浜へ出られない。すると一人の女の子が駆けていって、手を貸さないで、『もっと前へ』『そこの石を持って』と教えている。そしてその子はとうとう一人で岩場を越えて砂浜まで来ると、バーッと先生の所に走ってきて、涙をいっぱいこぼしながら『先生、僕一人でこられた…』と言って、喜んで泣いたんだって。つまり子供はどんな偉い学者が頭で考えているよりも、大きな可能性を秘めている。大人はつい手を取ってどんどんやっちゃうでしょう。でもそういう、子供の自主性に任せた教育法をしていくと、いいのになと思っています」 
 

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 バリアフリー社会ということが言われていながら、物理的なバリアも心のバリアも取り除くのはなかなか難しいようです。

 しかし難しいことであっても、一つ一つを乗り越えてバリアのない社会を作りたいものです。


 

    ◆     ◆     ◆

 


 さて、今日は私の誕生日。

 とうとう55歳になったのですが、夜は妻と一緒に食事にでかけました。

 まずは「バーやまざき」で軽く記念の一杯をいただきました。

 バーには日本バーテンダー協会という組織があって、参加している多くのバーテンダーの皆さんが技術の練磨と人格の陶冶をめざして日頃から精進しています。

 こちらの「バーやまざき」さんには山崎達郎さんという、協会の名誉会員にして御年93歳という有名なバーテンダーがいらっしゃいます。

 釧路にいたときに通ったバーのマスターから、「札幌へ行かれたら是非行ってみてください」と言われていたことがやっと果たせました。

 残念ながら山崎さんご本人はご高齢のためにお店に出てくるのが、火・木・土の20時~21時と決まっているそうで、今日はお会いできませんでした。

 また次の機会におあずけです。

 
 ネットでは多くの方から誕生日を祝うメッセージをいただきました。この場をお借りしてお礼申し上げますと共に、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 

 

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