北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

愛ある言葉は人生を変える

2013-09-12 23:05:10 | Weblog

 曹洞宗の開祖「道元」。

 道元禅師は、愛に満ちた言葉は人生を変えるということを「愛語」という二文字で表しました。

 この教えを現代に伝える活動を続けているのが曹洞宗長徳寺住職の酒井大岳氏ですが、この方のお話が「致知」10月号に掲載されていました。


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 何気ない言葉一つで人生は大きく変わることがあります。皆様の中にはご自身の歩みを振り返って「ああ、あの時、ああいう言葉を掛けてもらったために今の自分があるんだな」「あの言葉との出会いがなかったら、人生は別の方向に向かっていたかも知れない」と、言葉の重みを実感としてつかんだ方もいらっしゃるかと思います。

 …言葉に力がある、というのはいい意味でも悪い意味でも言えることです。心ない言葉は時として凶器となり相手に立ち直れないほどのダメージを与えます。一方で苦境にある時に掛けてもらったさりげない一言が生きる上での大きな糧になることもあります。
 曹洞宗を開かれた道元禅師は後者を「愛語」と表現されました。

 道元禅師の筆による『正法眼蔵』という経典には有名な次の一説があります。

 「愛語能く廻天の力あることを学すべきなり」
 
 愛のある言葉はその人の人生を根底から変えてしまう力がある、という意味です。


    ◆     ◆     ◆


 大学で仏教を学ぶために私が群馬から東京に出てきたのは昭和28年、18歳の時でした。横浜にある叔父の下宿屋に寝泊まりし、アルバイトをしながら大学に通ったのですが、そういうある日、叔母から「いまとても忙しいので、三時間ほど子供の面倒を見ていてもらえないだろうか」と子守を頼まれたことがありました。

 三歳のいとこを連れて近くの海岸で思いっきり遊んだ、までは良かったのですが、その帰途、私はからかい半分にいとこの三輪車のパイプに掴まって後ろから思いっきり押して走ったのです。

 三歳の子が上手くハンドルをが切れるはずもありません。見事に転倒して「あっ」と思った時は、すでにいとこの額には大きな傷ができ、血がぽたぽたと流れ落ちていました。

 私は頭の中が真っ白になりました。三輪車をその場に置いたまま、いとこを抱えて一目散に叔母のいる下宿屋めがけて走りました。下りかけていた踏切の遮断機をくぐりハアハアと息を弾ませながら叔母のもとに着くなり、「すみません。怪我をさせてしまいました」と何度も頭を下げました。

 すると叔母はエプロンの端で血をぬぐいながらこう言ったのです。
「あら、傷が浅いからすぐに治るわよ。それより長時間遊んでくれていてありがとうね」

 結果的に七針を縫いましたから、傷が浅かったはずはありません。しかし叔母はまったく慌てるそぶりは見せませんでした。この言葉に救われた私は自分の部屋に入り、息をころして泣きました。

 あれから六十年が経ったいまも、いとこの太い眉のところに、私にしか見えない傷が残っています。彼と会う度に叔母の言葉が昨日のことのように蘇ってきます。


    ◆     


 叔母は家が貧しく尋常小学校を二年で終えると、神奈川の葉山にある豪邸に小間使いとして勤めました。随分失敗をしておこられもしたようで、あるとき大きな花器を割ってしまったことがあったようです。

 おそらく子供心に大変なショックを覚えたことでしょう。泣き続ける叔母に年配のお手伝いさんが近づいて言いました。

「持ちにくい花器だからって、私が注意しておかなかったのがいけないの。あなたのお手々も小さいんだし無理はないわね。さあ元気をお出し。人間にはね、いろいろな失敗があるの。こんな小さなことでメソメソしていたら駄目。こっちへいらっしゃい。おいしいものでも食べましょう」

 叔母はこの言葉を聞いてポロポロと涙を流し「わたしもいまにああいう人になりたい」と心に誓った、といつか私に話してくれたことがあります。

 人の失敗をとがめず、勇気づける愛語はこのようにして人から人へとでんしょうされていくのです。


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 日常の何気ない思いやりと一言が相手の人生を変えることがあるのです。

 発する一言にも意識しながら、より良いコミュニケーション作りに努力したいものです。

 

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