東京オリンピックが決定して喜びに沸き立つ国内ですが、この機会に江戸城再建の話が持ち上がっているようです。
------【以下引用】--------
「五輪に向け江戸城再建」案に賛否
http://bit.ly/18ZWj42
2020年の東京五輪に向けて、東京の歴史的ランドマークとして江戸城を再建するという案について、ネット上で議論が起きている。
江戸城再建を提案するのは、認定NPO法人「江戸城天守を再建する会」の理事長を務める小竹直隆氏だ。『週刊朝日』2013年9月27日号で小竹氏は、
「2020年、東京五輪には内外から約1千万人が来訪するといわれています。ですが、東京には日本の歴史や文化を誇る建造物がない。今こそ、日本一壮大で美しい城だった江戸城天守を再建する好機です」(原文ママ)
と江戸城再建を熱望しているのだ。
同記事によると、再建場所は一般公開されている皇居東御苑の一角を想定。400億~500億円といわれる費用は、協賛する企業や個人から寄付を募るという。また、松沢成文参院議員が2012年の都知事選出馬の際に公約として江戸城天守再建を掲げていたほか、谷垣禎一・前自民党総裁もNPOとの意見交換会で関心を示していたなど、政界にも賛同者がいるようだ。
現時点では具体的な動きがあるわけではないが、江戸城再建に対するネット上での関心は高い模様。9月19日に2ちゃんねるニュース速報+板に立てられた「【話題】東京五輪のために500億円かけて『江戸城を再現したい!』谷垣前総裁も関心」というスレッドは、20日までに7スレッドを消化し、以下のような意見が寄せられている。
「7年で計画から竣工までできて、インパクトがあるものってなかなかないな。まあ、一つのアイディアとしてはありなんじゃない?」
「500億円でできるならいいんじゃないかな、東京のビルの中に城が建つ光景はぜひ見てみたい」
など、江戸城再建に期待する声がある一方で、
「さすがに無駄金。ホログラムで再建とかそういうのにしとけ」
「今の東京の景観を考えろ。悪趣味にもほどがある」
と、批判的な声も少なくない。特に500億円もの費用をかけるということに疑問を呈する意見が多く、
「そんなもんに金を注ぎ込むなら、オリンピックまでに福島を『完璧』に安全な状態にしようよ? そっちの方が正に『安全な日本』とか、『技術力の国、日本』ってアピール出来るじゃんか」
「いやいやいや、江戸城よりもっと金をかけてやらないといけないことがいっぱいあるだろw
首都高の老朽化を改修したり…」
と、別の部分にお金をかけるべきではないかと考えるネットユーザーが多かった。
あくまでも「NPOが寄付を募り、それを費用として江戸城を再建する」という提案で、税金が投入されるかどうかはわからないが、皇居内の一角に建てるとなれば、国家的な事業にならざるをえないはず。ネットユーザーたちにとっても、興味深い話題だったようだ。
---------【引用終わり】---------
江戸城は、太田道灌が作ったと言われますが、太田道灌は永享4年(1432年)生まれ。
江戸城が完成して居館を遷したのは、長禄元年4月8日(1457年5月1日)であったと言い伝えられていますから、徳川家康が入ってくる遙かに以前のことでした。
徳川家康が豊臣秀吉から関八州を与えられて駿府(現在の静岡市)から江戸城に入城したのは天正18(1590)年のことでした。
家康が転居してきた頃は、まだ太田道灌が築城したころの姿の残った小規模な城だったのですが、その後幕府を開くまでに、それまであった本丸に加えて御殿などを増築してゆきます。
家康の改築の後、江戸城の本丸は、三度築かれていますが、寛永15(1638)年に完成させたわずか19年後の明暦3(1657)年に、後に振り袖火事と言われる明暦の大火によって天守を含めた建物の多くが焼失しました。
【振袖火事の火元である本妙寺】
ただちに最高のための協議がなされましたが、保科正之の箴言によって再建は中止されました。
もはや城を守るのに天守閣が必要な時代ではなかったとも言えるのです。
作家の中村彰彦氏はある対談で、「明暦の大火で正之は御用金七万両を支出して庶民の救済に当たったが、天守閣だけは作らせなかった。『ただ世間を観望致すのに便利というだけの代物なれば、さようなものの再建に財力と人力を費やすよりも、むしろ町屋の復旧に力を入れるべきであろう』という考えだった」と述べています。
さて、このような経緯で再建がなされなかった江戸城天守閣、私も再建はしない方が良いと思います。
それよりはなにもない石垣を見て、庶民の生活のために再建しなかった名君に思いをはせる方が上品なようにも思うのです。
皇居東外苑にある天守閣の石垣へはどうぞ一度行ってみてください。
東京という大都会のど真ん中に広い芝生と森が遠くに見えてその向こうに超高層のビル群が見えます。
これこそ、これだけで現代日本を象徴するような空間のように私には思えます。