皆さんは自分自身の写真をちゃんと撮ったことがありますか。
それが遺影となると、「縁起でもない!」と言われるかも知れませんが、亡くならないのならそれはそれで記念の一枚になりますよね。
デジカメでパチリではなく、プロの手による何枚もの中から選ばれる一枚って、値のある一枚ではないでしょうか。
月刊誌「致知」の10月号に、遺影を撮る専門の写真館館長のお話が出ていました。どうぞご覧ください。
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「百年後も残る『普段着の笑顔』」
遺影写真家。私は自らそう名乗ったことはありません。私が発信していることはただ一つ、「遺影写真を元気なうちに撮りましょう」ということです。
二〇〇八年、ここ東京・中野に遺影・肖像写真の専門スタジオ「素顔館」を開館。僅か五年で二千五百人以上もの方が全国各地からお越しくださり、いつの間にか周りから遺影写真家と呼ばれるようになりました。
いまから四十三年前、資生堂の広告を手がけるプロのカメラマンとしてスタートし、写真の道を歩んでいく中で、疑問に思うことがありました。それは葬儀に行くたび、悲しく寂しい遺影写真が多いということ。旅先で撮ったスナップなどを引き伸ばして使っていたのでしょう。ボケたような写真が多かったのです。なぜ相応の写真を撮っておかないのか。そんな思いを漠然と抱いていました。
にも関わらず、十三年前、家内の父が亡くなった時、葬儀に使われたのはまさにピンボケした写真でした。私は義父の写真を撮っていなかったのです。
この時の後悔と自責の念が私を駆り立てました。六十歳の節目を迎えるにあたって、これからの人生は遺影写真を撮り続けようと心に誓ったのです。
普段着の笑顔-それが私の追求する遺影写真の姿です。遺影写真は葬儀の時に祭壇の真ん中に置くお飾りではなく、遺された家族がずっと見続けるもの。であれば、普段セーター姿のお父さんが慣れないスーツを着て、ガチガチの表情でカメラをにらんでいるよりも、セーター姿で肘をついていてもいい。そこにお父さんの笑顔があって、見ただけで元気だった時のことを思い出せる。それこそがいい遺影写真であり、家族にとっての幸せな一枚、宝物となるのでしょう。
そんな普段着の笑顔を撮るため、私はお客様が来店されてもすぐに写真を撮りません。お互いに初対面ですから、まずお茶を入れて、雑談する。すると、段々と気心が知れ、お客様も心を開いてくださるようになります。趣味の話やお孫さんお話をしていると顔の表情も目も輝いてくる。その一瞬を撮らせていただくのです。
会話によって心を通わせ、本当の素顔を撮影し、一緒に写真を選定する。シャッターに向かっている写真は僅か十分程度ですが、最高の一枚を創り上げるまでに二時間近くを要します。
これはよくお客様にお話ししていることですが、素顔館では何も人生最後の一枚を撮るわけではありません。あくまでもきょうの元気な一枚を記念に撮る。ですから、その先も元気だったら、また撮ればいいのです。
しかし再びここを訪れることなく、天国へと旅立たれた方も少なくありません。これまで忘れがたい数多くの方々との出会いがありました。
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あれは素顔館を開館して間もない八月でした。ある日、五十代くらいの女性が旦那さんと共にお見えになり、私はいつものごとく雑談を楽しんでいました。
「でもまだお若いんだから、五年、十年経ったらまた撮りましょうね」
「ありがとう。でもね、私、ひょっとしたら来年いないかもしれないの…」
ご主人の顔を見ると、黙ってうなずいている。ああ、ガンでもう余命があまりないのだと察しがつきました。
それでも奥さんは笑いながらいろんな話をしてくださる。私はその姿に、溢れる涙を抑えることができませんでした。そして、その時ふと、「今日はぜひ、お二人の写真も撮らせてください」と言って、写真をプレゼントさせていただきました。
「今日はありがとうね。来年元気だったらまた来るからね。その時撮ってくださいね」
そう言ってご夫婦は帰られました。その年の暮れに、どうしても気になってお電話を差し上げると、ご主人が出てこられてこう言われました。
「ああ、いまちょうど家内の写真を見ていたところなんですよ」
初めて目の当たりにするお客様の死に動揺を隠しきれませんでしたが、ご主人はさらにこう続けたのです。
「本当にいい写真を撮ってもらってありがとう」
この言葉を聞いた時、私はこの仕事を始めてよかった、絶対に辞めないと心底思いました。
数年後、同じく末期ガンのお客様がお見えになったのですが、その方は私にこんなことを言ったのです。
「私ね、ガンになってよかったんですよ。人の命って必ず最後が来ますよね。でも、いつ来るかは分からない。明日かも知れないし、十年後かも知れない。けど、私は最後の時間が分かったんですよ。だから、その間にやりたいこと、伝えたいこと、全部準備できる。こんな幸せなことってないでしょう」
死を前向きに受け入れ、残りの時間を一分一秒大切にされている。その方も残念ながらお亡くなりになってしまいましたが、そういう方々の生き方から私は人として大切な何かを学ばせていただいたと感じます。
遺影写真は百年後も残る。そこに能津喜代房という名前がなくてもいい。けれど、間違いなくその写真は私の作品であり、家族に見続けられています。
「あの写真のおじいちゃんさ、いい顔してるよね。撮った人の名前は分かんないけど、上手だよね」
百年後にそう言っていただけるよう、これからも精一杯の力で今日の元気な一枚をとり続けたいと思います。
(のづ・きよふさ=素顔館館長)
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私も釧路にいた時に、駅裏の山一写真スタジオというところでプロの手によるスナップ写真を撮ってもらいました。
撮影技術料と気に入った写真を一枚いくらで購入しますが、料金は5種類で約1万円くらいなもので、このうちの一枚を「釧路のマチのコト語り」での著者近影にも使いました。
やっぱりちゃんとした写真は良いもので、実物よりもよほどよく写してくれるもので、対価をお支払いするのに値があるものだ、とつくづく思いました。
山一スタジオでは、購入した写真はCDに焼いたデジタルデータでももらえたので、いろいろなところに使い回しも可能です。
いかがでしょう。デジカメやスマホがこれだけ増えても、大切な一枚に値する写真は少ないものです。
そこにこそ、プロの出番があると思います。