北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

北海道の価値創造その2

2015-05-29 22:13:31 | Weblog

 次期の北海道総合開発計画策定に向けた地域ヒアリングの機会である「価値創造パートナーシップ会議」ですが、今日は残りの三名の皆さんのお話です。


 四人目に話されたのは、アトピー性皮膚炎治療のために子供さんと一緒に旭川から豊富へ移住し、湯治客が気楽に立ち寄れるカフェを開いた堂脇聖美さん。また平成15年からは湯治で滞在する人たち向けのシェアハウスをオープンし、当時療養客へのサポートに力を尽くしています。

 堂脇さんはかつて肌が荒れていたために、入れたお茶を飲んでもらえなかったことがあったのだそう。それが今では豊富温泉での湯治によって劇的に改善し、カフェを営めるようになったのですが、「昔を思うと、夢や希望がなかったのが、今は当時もっとも対極にあると思った世界が身近なものになりました」と温泉の効用に本当に感謝しているとのこと。

 しかしその一方で、周りには移住してでも湯治を続けたいと思っても、地域に住んで仕事があるのかとか、そもそも住む家がどこにあるのかすら分からないという、移住のための適切なシステムが欠けていました。

 堂脇さんはそんな移住への第一歩としてシェアハウスを営むことにして、今では本州から四人の女性が住んで湯治をして健康を取り戻しつつあるそうです。実は今日の会合に出席するにあたってお子さんが熱を出したという連絡が来たのだそうですが、「シェアハウスに住んでいる方が『いいよ、預かっておいてあげる』と言ってくれたのでここにこれました」と言っていました。
 今後は湯治客や移住希望者への仕事サポートが必要だ、というのが一番の希望でした。

 

 次は前利尻町立博物館学芸課長の西谷榮治さん。西谷さんは利尻島史の近現代史を研究し、利尻らしさを次世代に繋げる活動に取り組んでおられる歴史家です。

 興味深かったのは江戸時代の朝鮮人漂流者たちの記録から利尻島の様子がうかがい知れたことで、様々な資料からこうした歴史を独自の活動で掘り起こされています。

 また、捕鯨船に紛れて日本への密航を計画し、利尻島に漂着し、見つかって長崎へ移送された後はオランダ通信使に英語を教えた日本で最初の英語教師であるラナルド・マクドナルド。
 彼を顕彰する意味で、利尻高校で英検二級・準二級合格者を選抜してアメリカへ短期派遣する事業も行っています。

 さらに島へは本州の各地から移住してきた人たちが混在していて、今日なお残る祖先の文化を探し当てて、過去と未来を繋げるようなとりくみもされています。

 "利尻らしさ"を追求すると歴史に立ち返りますね。

 

 最後は(株)ホクユーストアー代表取締役の吉川勝さんですが、この方は96年にロシア人専門店を稚内に開いた他、サハリンへ玉ねぎなどの日本食輸出を手掛けています。
 食品の輸出を通じて北海道とサハリンの経済交流の懸け橋となる取り組みを熱心に行っておられます。
 
 今稚内ではハートランドフェリーが行っていたサハリン定期航路が今年で終わるということになっていて、いかに航路を継承するかが話題になっています。

 吉川さんは、「航路をそんぞくさせるだけではなく、いかにちゃんとサハリン側が求めるものを積み込んでビジネスにするかという視点が大切だ」と言います。

 しかも他の港ではなく、稚内港から出荷することが大事で、それはここからならば午前に出向して通関をスムースに行えば午後には市場に並べることができるという地の利があるからです。

「まあ何が売れるか、ということもありますが、今サハリンの人たちの平均寿命は61歳という低さです。我々の食でロシアをサポートするんだ、というくらいの気概があっても良いと思いますよ」

 
 稚内や周辺地域の人材を上手にマッチングして活かすことで、まだまだ眠っている地域の素材の価値を向上させることがいくらでもできそうです。

 短い時間でしたがとても勉強になりました。

「価値創造パートナーシップ会議」、次も開催されるようなら是非ご参加してみてください。北海道の可能性を感じることができますよ。

 

コメント
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