北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

割に合わない…、ってときはリンゴの気持ちになれますか

2016-01-12 22:48:27 | Weblog

「フェイスブックを私も何年かやっているんですが、何の役に立つのか未だに分かりません」という方がいました。

「なるほど、でも普段はなかなか直接コミュニケーションをとりにくい人とも気軽に近況を知ったり逆にこちらの近況を知らせたりできるなんて便利じゃないですか」

「確かにそのことには意味があるかも分かりません。『このレストランが美味しい』とか、政治的なことや世の中に批判的なことばかり言う発言もあったり、あまり良い情報が得られないなあと思い始めています(笑)」
「まあ情報を得ることだけを目的にすると、どうでもよいような情報が多いと思うかもしれませんね。でも大切な事って、役に立つ情報を得ることだけじゃないんだと思うんですよ。情報は発信することの方に深い意味があるんです」


「それはどういうことですか?」
「それは、発信する情報によってあなたが『面白い人だ、と思われる』ってことです。『私はまじめな人間なので信頼してください』と言ったって、だれもすぐにあなたを信用してくれるなんてことはありません。でも誠実な考え方や価値観などは、長くその人の提供する情報に接していれば自ずから見えてくるものです。そして、発信する情報が他の人の役に立つってことこそが大事なんだと僕は思うんです」


       ◆ 


 私はときどきリンゴを見て考えます。

 リンゴって、あれだけ美味しい実をつけて人間を喜ばせてくれるのにリンゴ自身が期待することは、あの芯の中にある種を土に蒔いてくれないかなあ、ってこことだけ。

 多くの人はリンゴの実は食べても、芯はゴミ箱行き。種は空しく望みを達せません。

 それでもあれだけの実をつけて、いつか子孫を次に残したいという思いで毎年毎年実をつける。やがて、「このリンゴは美味しいなあ」と思われたリンゴは人間によってリンゴ畑になり、その木を増やしてもらえる。

 提供したものの割りに見返りはあまりにも少ないかもしれないけれど、とにかく人の役に立つってことが長い目で見るとやっぱり役に立つのです。

 リンゴの気持ちになって、人の役に立てば、どこかで何か良いことがあるんじゃないでしょうか。

 まあ前向きに参りましょう。 

 

コメント
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