北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

若者のモチベショーンはなんだろう、という5千話目の話

2018-06-21 23:55:55 | Weblog

 今日は舗装業界の会合があって、夕方からは懇親会がありました。

 ある会社の社長さんと話をしていると、その社長さんは、「最近、建設業の働き方改革をどうするかが話題になっているので、若い職員相手にアンケート調査をしたんです」と言います。

「おお、どんな結果でしたか」
「それがね、ちょっとショックでした。若い人たちには所長になりたいとか、より偉くなりたいと思っている人がほとんどいないんです」

「なるほど」
「かといって、給料にはそこそこ満足している。問題はせいぜい休暇や休みが欲しいということくらい。お酒は飲むけど、職場の飲み会の後は友人と飲むくらい。ゴルフはしないし、車にもそれほど興味はない。女の子には興味があるのかないのか…。とにかく、働いていて将来の楽しみとか希望に、何があるのかが分からない。それが一人や二人ではないのだから、もう個人の性格というよりも、そういう世代なのだ、と思うしかありません。そういう人たちに、『頑張れば将来いいことがあるぞ』と言っても、良いことっていったい何なのでしょう。そもそも人生を生きることの彼らにとっての意味が何なのかがもうわかりません」

「はは、昔ならば、『所長になれば、発注者との付き合いで、会社のお金でゴルフし放題だぞ』くらいのことが言えたのでしょうが、そういうお金の使い方はなくなり、ゴルフの楽しみも感じないとすると、本当に年上の上司たちが憧れの存在ではなくなってしまいますね」


 そんな会話をしたところで、お互いに答えがなくなってしまいました。

 ただ最近感じるのは、本来あるべき姿などというイメージを、上から目線で説いて聞かせよう、教えてあげよう、という態度で臨んでいては、いくら時間と回数をかけても心に響かないのではないか、ということです。

 本人たちにとって、教えられる知識ではなく、自分自身が自ら"あるべき姿"に気が付いて、そこへ向かおう、という意欲を持たない限り、自らの行動を変えることはないでしょう。

 ではどうしたら、彼ら自身に気が付いてもらい、行動を変えられるのでしょう。

 
 そういう意味では、一人の講師が受講生相手に話をするという一方的な知識の伝達ではなく、ワークショップのような互いの語り合いで、自分たち自身に話をさせることこそが有効のようにも思います。

 私自身も、自分で話をしていて、(お、今自分でとても良いことを言っている)と思う事があるからです。

 聞くだけではだめで、考えを頭の中で加工して話すというアウトプットがあることが、大切なのではないかと。

 こんどまた研修講師をする機会があるので、そのあたりを少し考えてみようと思います。


 さて、今日のブログが、この「北の心の開拓記」というブログ目にしてから5,000話目になりました。

 第一話目は掛川を離れて札幌に戻ってきた2005年4月なので、もう13年も書いていることになります。

 下手な文章でも、その日を過ごした成長の記録だと思うと、一話一話にもまた自分自身に大いに意味があります。

 これからも日々の気付きを記録にしておこうと思います。いつも読んでくださっている皆様に、改めて感謝申し上げます。

コメント
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