昨年買い換えた我が家のガスコンロ。
最新式で三つのコンロに安全センサーがついていて、とろ火の消し忘れや地震時の自動消火機能などもあって、安心して使っていたところ、突然妻が「あれ?火がつかない」と言い出しました。
「どうしたの?」と見てみると、最近のガスコンロは症状を声と表示で教えてくれました。
「デンチヲコウカンシテクダサイ…」
「電池?なに?どこに入っているんだ?」としばしドタバタ。
ようやく電池の設置場所を探り当てて、「単三なら買い置きがあるけど、電池のタイプは何だ?」と開けてみると、「た、単一…」
「単一じゃあ買い置きがないね」
「お酒を飲んじゃったから車もつかえないし…」
電池を買いに行くのも遠いと大変だなあ、と思っていると、二人同時に、「そうだ、コンビニ!」
つい最近、我が家から100mほどの本通りに面した、以前はガソリンスタンドだった土地にコンビニが新しくできたのでした。
そこでいいや、とひとっ走り行くと、欲しい単一電池がちゃんと売っていて事なきを得ました。
近くにコンビニのあるありがたみ、遅くまで空いているお店があることのありがたみがよくわかりました。
それとともに、「突然電池が切れました」という唐突なしらせも最近は珍しいとも思いました。
スマホならば「電池残量はあと○○%」というように残量が表示されますし、ウォシュレットトイレなどのリモコンも「電池残量が少なくなっています」といった注意表示が出る生活に慣れ過ぎていたのかもしれません。
これとても、かゆいところに手が届くよりよい生活サービスの一つだったとは。
日常生活のいろんな「あたりまえ」について考えさせられました。