北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

胸の名札の運命

2005-05-11 23:09:09 | Weblog
 今日は曇りで、雨はなんとか上がったものの相変わらず低温が続いております。農作業は大丈夫かな、ちょっと心配。

 ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■大きな名札の運命 の1本です。

【大きな名札の運命】
 いつの頃からか、人に会うためのツールとして大きな名札をつけるようになった。

 それも最初の頃から転勤を重ねるごとに大きくなって、掛川ではたばこのパッケージより一回り小さいくらいになり、今回はついにたばこのパッケージほどの大きさになった。

 大きな名札をつけるべきだと思ったのは、職業柄多くの関係者や営業マンに会うことが多いためである。

 そうして会った多くの方の中には、一度名刺を交換しただけで、「ああ、先日はどうも」といって、さも「名刺を交換したのだから自分のことはご存じでしょうね」という前提で話をする方も多い。

 とは言いながら、当然こちらとしても名刺を交換した方の名前を全て覚えているわけではないので、「あ…、ああ、どうも…」とさも名前を思い出したかのように会話を続けている自分がいるわけで、一瞬そう言う態度を取ってしまうと、なかなか「えーと、どなたさまでしたっけ?」と訊くのが恥ずかしくなってしまって、もう一生名前を聞き出すことができない、という状況に追い込まれてしまうのである。

 そこでちょっとだけ想像力を働かせてみると、これは自分が名刺を渡した相手も、自分に対してそう言う思いなのだろうな、ということに気づくはずだと思ったのである。

 自分も名刺を数多く配るけれど、自分が渡した相手というのは大抵覚えているものだ。なるほど、渡した側ともらった側の立場の違いだろう。

 こうなると、相手の方も私のことを覚えているふりをしなくてはならず、なんとも気まずいのだろうな、と思う。

 そこで、そういう気遣いを相手にさせないためにも、遠くからでも読める大きな名札をつけようと思ったのだ。

 これは結構効果があって、霞ヶ関を訪ねるときでも、挨拶をすると一瞬相手は私の胸の名札を見てから「ああ、小松さん、お久しぶり」と言ってくれるのである、さも名前を覚えていたかのように。

 そのうち、名前は覚えていなくても「名札の大きな人」という印象だけは持ってくれて、「名札が大きいですねえ」と話しかけてくれる人もいたりして、そうなると営業は80%は成功したも同然というわけである。

 …とまあ、こういう話をすると、「いい!それはいいですねえ!」と共感してくださる方が結構いて、こちらも意を強くするのだが、それをまねて実際にやってみようという方はほとんどいない。

 とすると、本当にいいと思っているわけではないのだな、と気づいて、やっぱり孤独な気持ちにもなるのだが、まあこんな馬鹿も一人くらいいてもいいだろうと思って続けているのである。

    *   *   *   * 

 ところでこの名札、特注のために結構値段も高くて、3~4千円くらいはするのである。

 北海道に帰ってきて、早速これを作ってください、と課内の担当者にお願いをしたところ、「今全庁的に、首からぶら下げる名札に切り替えているので、公費では買えないかも知れません」と言われてしまった。

 首からぶら下げる名札にどのような意味を持たせているのか、果たしてその意味が妥当なのかはよく分からないが、どうやら首からの名札は義務化はされないようなので、私としては遠くからでも読めるタイプで続けようと思っている。

 別の担当者が「大丈夫でしょう、何とか掛け合ってみますよ」と言ってくれていたのだが、今日その彼が机の前へ来てすまなそうな顔で、「小松さん、すみません、決済が認められませんでした」と謝ってきた。

 別に謝られるほどのことでもないので、「ああ、そうですか(^-^;)、そりゃ残念でした。いいですよ、自分で払いますから」ということにした。もちろん、なんでも公費に頼るのが良いわけでもなくて、ルールに従うだけのことだから、別に構わない。

 ただ、名札を本人識別ツールとだけ見ているとそういう判断にしかならないだろうが、営業用ツールなのだと思えば、別の考え方もあるのかも知れない。

 ただし、誰が営業用ツールを使うか、どこまでの大きさが許されるのか、といった指針やルールがないから、やはり担当者は判断できないのかも知れない。
 説明は聞かずにやらないほうが手っ取り早いのかも知れないし、それが国民の皆さんの税金で仕事している我々の限界なのかも知れない。

 まあ自分はそう言う世界で仕事をしているのだ、というだけのことであるが。
 
    *   *   *   * 

 さて、そうして転勤するごとに大きくなる胸の名札であるが、あと3回も転勤する頃には、体の前後を名札が挟んでいるくらいになっているかも知れない。

 合同庁舎にサンドイッチマンがいる、と噂の男がいたとしたら、たぶんそれは私のことだろうと想像していただきたい。

 え~、良い行政の窓口はこちら~。
 
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緑の原稿依頼に思う

2005-05-10 23:54:08 | Weblog
 今日も気温が低くて気分が盛り上がりません。

 ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■緑の原稿依頼に思う の1本です。

【原稿依頼】
 私の専門は造園学、ということになっていて、公務員として働くようになってからも、造園業協会とのおつきあいは長く、ずいぶんといろいろなことを教えていただいたものだ。

 北海道には造園業者の皆さんの団体として、昔は社団法人北海道造園建設業協会やおなじく社団法人の公園緑地管理業協会、社団法人北海道植生建設業協会など、まあある意味では似たような分野の協会があった。

 ところが私が掛川へ行っていた3年間の間の平成16年に、この三つの団体が統合をして社団法人北海道造園緑化建設業協会として再スタートを切ったのだそうだ。

 ある意味では撤退という人がいるかも知れないが、勇気ある前進なのだと評価したい。

 日本経済が拡大することを前提とできなくなったときに、身を引き締めて寒風に耐える姿勢を示したのである。
 
 変化を厭うような心構えで、前の日から何も変えようとしない気持ちが蔓延する中で、ご苦労は多かったろうと思うけれど、変革したというその行動を評価したいと思うのである。

 さて、この新しい社団法人には知人もいるのだが、そのなかのお一人のKさんが訪ねてきて、「おかえりなさい。早速ですがわが協会の会報に原稿を書いてくださいよ」と依頼をしていった。

 「題も自由」と言うことで、もちろんお断りをするはずもなくお引き受けをしましたよ。

 緑にこだわることもないのだけれど、「万緑化」を唱えて「緑化は絶対善!」と言い切った榛村前市長の姿が脳裏に浮かんでしまう。

    *   *   *   * 

 榛村前市長との思い出で面白かったのは、「地区集会」という市内を20の地区に分けて年に一度市長以下幹部がその地域の集会場を訪れて、地元の住民の皆さんと行う懇談会だった。

 最初に掛川に行った年のある地区で、最後の質問タイムの時にある市民の方から手が上がって、「今度の助役さんは緑の専門家とおっしゃるけれど、うちの家の前の街路樹の葉っぱが落ちて、それが家の隅に大量に吹き溜まって困る。なんとかしてほしい」という。

 榛村前市長はまず自分の考えを述べて「昔は街路樹が200本くらいしかなかったのを、私の在籍中に2万本にした。緑化は絶対善と信じています。市民の皆さんには生涯学習で落葉の清掃にご協力していただきたい」というようなことを言った後に私に「助役さんも何か一言言ってください」と振った。

 そのとき私が答えたのは、「私の故郷北海道では、冬になると雪が降って、約4ヶ月の間降る雪の雪かきをしてから仕事に向かいます。しかし北海道で天に向かって『雪よ、振るな』という人は多分いないと思います。掛川は冬に雪が降らないでしょうから大変恵まれています。落葉は常緑樹でも年に4回ほどのことですから、緑の恩恵に感謝しながらご協力をお願いいたします」というものだった。

 さすがにそう言う切り口でこられるとその質問をされた方も黙ってしまった。

 「北海道は冬に雪が降るけど、雪に文句を言う奴はいない」というフレーズはその後市長の気に入るところとなり、市民から落葉に関する苦情が来たときには「うちの助役さんの故郷は北海道で…」と言っては市民の不満を受け流していたものだ。

 実際、では北海道で落ち葉に文句を言う人はいないか、というと、おそらく掛川以上に文句を言う人の方が多いのではなかろうか。

 私が見る限り掛川の市民の人たちの方がよほど我慢強く写ったし、北海道の道民の方がこらえ性がないと思ったものだ。 
 
 暑い夏は緑陰の恩恵を被っていながら、さもそれは当然のように感じ、世話になった葉が落ちる頃にはそれを悪者扱いするというのは、そもそもその木に対する関わりがないせいだ。

 本当は街路樹などは、誓約書を書かないまでも一番近い家の方が好きこのんで世話をしてくれるという了解の下に植えられるのが幸せだ。

 最近でこそアダプトプログラムという、公共施設と住民が養子縁組を結んで愛着を持って管理するという制度が見られるようになったが、公共施設との関わりがあれば大事にもするし、管理を手伝う気持ちにもなろうというものである。

 そう言う意味においては、私は「メンテナンスフリー」の功罪の罪の側面を見るのだが、往々にして管理費が出ない公共施設はとにかくメンテナンスをしないことが善とされがちである。

 実はそういう「お気楽管理で安く持てばよい」という思想が、日本から景観を奪ったとも言えるのであって、手入れのいらない自然景観はいざ知らず(実はそれとて一定の管理が必要な場合が多いのだが)、人文景観となると、人間の関わりとは切っても切り離せないものなのだ。

 世代を超えて管理をし続ける人間のとぎれないパフォーマンスが結実した景観は日本から消えかけている。

 それはとりもなおさず、現代の我々が「管理をする」「手入れをする」という思想に欠けているからで、ある種のお気楽な気分が蔓延しているせいなのだとおもう。

    *   *   *   * 

 「手入れをする」思想を善とする思想が甦らなければ、真に100年の風雪に耐える景観を我々は手にすることができない、と思うべきだろう。北海道が風景や景観で売り出そうとすれば、美瑛の丘のように実はそれを生業とする組み合わせが一番好ましいのだ。

 以前白川郷を旅したときに、世界遺産にもなった合掌造りの家並みに圧倒されつつ、観光案内をしてくれている一軒の家でお話を伺った。

 するとその家の方は「昔はこの茅葺きも、家の中の囲炉裏の煙のおかげで50年は持ったものですが、今は暖房が変わってしまったので25年くらいしか持ちません」ということだった。

 「屋根を葺き替えるのにはどれくらいお金がかかるのですか?」と尋ねると、
 「大体2500万円から3000万円くらいかかります」とのこと。

 「世界遺産になるとなにかお金が補助されるのでしょうか?」
 「それはありません。皆自分たちでお金を貯めて、あとは助け合いながら葺き替えています」ということだった。

 結局我々は私有の財産を楽しませてもらっているのだが、その楽しみは直接にはお金を生み出せないのが今の社会構造なのだ。

 手入れを重ねた結果としての景観、風景にお金が回らないシステムは誠に残念だ、と思う他はないのである。



 さて、本当は拙著「掛川奮闘記」の「お手入れの思想」の項を読んでいただきたいものです。多分まだ掛川でも売れ残っているはずですから(^-^;)。

 おうい、掛川の山下君、売れ残っているのは何冊でしたか?また私が買い支えようと思うのですがねえ(笑)

 
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夢懇談会と文体

2005-05-09 23:14:19 | Weblog
 寒い!いや、本当に寒い5月となりました。札幌のソメイヨシノの基準木は北海道神宮にあるのだそうですが、まだ開花宣言していなかったのだそうです。むーん。

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 さて今日は、
■北海道夢未来懇談会
■文体について の2本です。

【北海道夢未来懇談会】
 局長が北海道内の若手を集めて、自由なプレゼンテーションと議論を行う、「夢未来懇談会」という集まりが昨年から定期的に開催されているという。

 今日はその第6回目があるというので、担当の友人に「後ろで聞いていて良いですか?」と尋ねると、「多分マスコミ用の席が余っているのでいいと思いますよ」とのことで、末席に潜り込んだ。

 この夢未来懇談会の開催趣旨は、「この現下の社会環境にあって、北海道の長期ビジョンや将来像を共有して地域間競争に挑むことが必要」、「しかし現在はその議論が行われているとは言い難く、北海道の将来像は何かという道民的議論が必要」という問題意識に立っている。

 そのうえで「このため、北海道開発局ではその場を提供し道民的議論のきっかけを作ることを目的として、20~30年後の北海道の中核を担うであろう若手に集まっていただき、北海道の将来ビジョンを形成・共有するための議論を幅広く展開することとした」のである。

 今日は全部で18人ほどいる委員の中から3人が思うところをプレゼンテーションした。

 一人目は北見工大のT先生。切り口は「北海道における安心・安全風土の形成」というもので、防災や災害のリスクに対する考え方をご披露。
 防災も環境問題も、社会的な課題は住民から切り離して行政がサービスしてしまうと、とたんに意識から消えてしまうので、行政側としては勇気を持ってサービスしすぎないことが必要だと、私は思います。

 自助、共助、公助というけれど、広範で大規模な自身のような災害となると、公助ではとても追いつかないので、まずは自助、そして地域による共助の体制が必要なので、こういうことを当たり前に思ってくれる、地域力という見えない財産を育てなくてはいけないんだな。

 公共施設のハード整備ではおいつかない分野ではありますが。

    *   *   *   * 

 次は中国から来ているCさん。Cさんの切り口は少々話題性も含めて「北海道人口1000万人戦略」

 北海道が疲弊している現状から、逆に人口を増やせる好条件として、広い面積、食糧自給率、安くて広い住居環境、新しい歴史と文化などを挙げ、まずはビジョンを共有しようと言う。

 それは「北海道の未来像を明確にする、道民全体の未来像を共有すること、未来像の宣伝をすること」が必要だとして、話の肝は「海外からの労働力を本格的に呼び込んではどうか」というもの。

 200万人くらいは外国から呼べるし、北海道を移民の特区のようにしてはどうか、という発想である。併せて観光人口の増加も忘れない。お話としては面白いところだ。

 これを聞いていた外人さんの委員の一人のコメントが面白かった。

 それは「なぜ日本は安い労働力をいれようとするのですか?」というもので、「私は一定以上のお金持ちなら永住のビザを発給するという施策の方が有効だと思う。実際イギリスはたしか40万ポンド以上の投資をした人にはビザを発給していますよ。お金で永住を売ると言われるとその通りだけれど、その方が儲かるじゃないですか」というもの。

 ニセコに住むその委員は「今ニセコには多くのオーストラリア人がこぞって来道していますが、日本文化を残す努力をしてくれないと、本当にニセコはオーストラリアの一つの州になってしまいそうだ、と感じることがある」と嘆いている。

 このあと、なぜ日本社会は外人に対して閉鎖的か、とかどうすればよいかといった興味深い意見交換が続いたが、長くなるのでこの辺で。

    *   *   *   * 

 最後に登場したのは某広告会社へ勤める、Yさん。

 Yさんの切り口は「北から動く。北から動かす」というもので、サブタイトルが「分散している無数の運動を大きな潮流へ」というもの。

 具体のプレゼンテーションは、特に環境問題を取り上げつつ、「多くの人がそれぞれ高い意識で環境対策を個人レベルでもしているのだが、それが大きなうねりになってこないのは、ばらばらに行動しているから」と位置づける。

 そこで例えば地球温暖化防止のために、「単位」と「目標」を明確にしようと提案する。

 じぶんのこの行動は1単位だとか、5単位だといった共通の同じ尺度で測ろうという運動である。その単位として、「Mottainai(もったいない)」はどうか、という。

 例えば100gの二酸化炭素削減を1Mottainaiとカウントするのである。

 この「Mottainai」は、2003年3月5日の国連「女性の地位向上委員会」閣僚級会合の場で、ケニア環境副大臣のワンガリ・マータイさん(ノーベル平和賞受賞者)が日本語の「もったいない」を環境保護の合い言葉として紹介した、ということがあって、「いまこれをシンボリックな単位として打ち出せば話題になるのでは」という提案であった。
 さすがは広告代理店である。

 もう一つ感心したのは、「これだけの人が集まっているのだから、ただ言いっぱなしではそれこそ『もったいない』ので、なにか行動にしたいですね」と言ったことである。

 二宮尊徳的に言えば、「お釈迦様や孔子様をはじめ、良いことは大概言い尽くした。我はただ実践あるのみ」ということになるのだろう。

 もうビジョンを語る時期は終わって、気づいたところから行動する。そして同志が同じ方向へ向かう求心力を発揮しなくてはならないが、それはムーブメントや流行という一時的なものではなくて、真に人の心に訴えかける強い真実を含んでいなくてはならないように思う。
 
 そう言う意味で、彼女が「行動にしましょうよ」と言うのには共感できるものがあった。参加していた委員がどれだけ行動に移せるものか、見物である。

 おっと、私も実践あるのみですが。



【文体について】
 夜に、新聞記者にして物書きのAさんと久しぶりに会って飲んでいて、私の本のことになり、「小松さんの本の文章って『だ・である』調で書いているでしょう?」と言う。

 「そうですね」
 「でもなんだかその一節を思い出すときに『です・ます』調だったかな?と思うんですよ。で、読み返してみるとやっぱり『だ・である』調なんですよね」

 「それはどういう意味ですか?」
 「普通、『だ・である』調はトーンがきついんですよね。でもなんだか内容が優しい内容だったように思い出すんですよ。これって内容もそうだけど、文章力のような気がするんですよ」

 「へえ、そんなもんですか」
 「それと、お嬢さんのことも含めていろんなものをさらけ出しちゃってるでしょう?あれが強いんだと思うんですよ」

 なるほど、そう言う見方もあるんですね。実際、自分の文体というものはなかなか定まらないものだということが私もよく分かりました。

 やはり普段からどれだけ文章を書いているか、ということのなかでふらついている文体が定まってくるように思う。

 それはまるでコントロールの悪いピッチャーが練習してコントロールを良くして行くようなもので、ねらったところへ投げる能力は、文体がある一点に収斂して行く力に似ているような気もします。

 やっぱりキーワードは「普段力」でしょうかね。

 
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蕎麦からドラマ性を考える

2005-05-08 23:23:50 | Weblog
 いよいよ今日でゴールデンウィークも終わり。挨拶状のデータ打ち込みも思うように進まず情けない。

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 さて今日は、
■蕎麦の道を再び歩き出す の1本です。

【蕎麦道を再び歩き出す】
 掛川の知人と電話で話をしていて、「小松さん、今度の開拓記は掛川の時と違って、なんだか冴えてないですね」というお叱りをいただきました。

 確かに今はそうかも知れませんね。地元の利で、3年前までの、いくらかの人脈はあるものの、そこから先への展開がなかなか進まないでいます。

 話題も、道内のことが多いですから、掛川の人たちから見たらちんぷんかんぷんの内容かも知れません。

 まあ4月は焦らずに周りを観察して、5月から少しずつ行動半径を広げて行くといたしましょう。
 
    *   *   *   * 

 そば屋さんへ行きました。家の近くの「古一」さん。

 店構えはビルの一階で、カウンターに6人掛けと4人席が一脚と小上がりが2席ほど。
    
 注文したのは十割蕎麦と二八の細切りの合わせ盛り。なかなか珍しい取り合わせだと思って頼んでみた。

 十割蕎麦は太くて短めで、二八の方はそれよりは細くて長い。十割は文字通り黒くて田舎蕎麦そのものでのど越しはやはりもそもそした感じが強い。

 細い蕎麦の方はそれよりは白くて、二八だけあってつるんとした食感である。

 しかし残念なことにどうもコシが足りない。5月というのはいかにも季節が悪い感じはするが、やはり残念なことだ。
 
 そこでご亭主にこの二種類の麺の違いをお尋ねしてみた。すると「十割と二八ですが、蕎麦粉は違います。十割の方は三番粉ですね」とのこと。

 三番粉というのは、粉を挽いた後でふるいに掛けて三番目に出てくる粉のことである。一番粉に近いほどつながりが悪いので、十割蕎麦ともなると三番粉くらいを使わないと蕎麦が繋がってくれないのだ。

 それに番数が上がるほど蕎麦らしい黒みと田舎らしい蕎麦の風味が出てきて喜ばれるというわけである。

 「粉はどこの粉ですか?」と訊いてみると、「うちは輸入物を使って製粉だけは道内です」とのこと。
 「北海道の粉は使わないのですか?」と尋ねてみると「北海道の粉は高くて、それを使ったのでは盛りを500円で提供することができません。私はやはり蕎麦を安く提供したいですし、その上で美味しければよいのではないかと思っています」とのことであった。

 なるほど、それはそれで一つの店主の主張と言うことなのだろう。それにしても、道内の蕎麦店が道内の粉を使えず、信州安曇野ならば北海道の粉をわざわざ運ばせてでも商売になる、というこのあたりの機微が商売であり、経済ということになるのだろう。

 個人的にはもう少しコシのある蕎麦が良かったと思いました。なお汁(つゆ)は出汁がつーっと伸びて行くので美味しくいただきました。やはり商売になる汁でした。

 どうもごちそうさまでした。
    *   *   *   * 

 さて、蕎麦を安く食べる一食と思えば、安いに越したことはないし、所詮店に来る人も底までの味を求める客も少ないのが実態だろう。

 しかしそれが観光地などで、客の側の意識が高いものを要求されていて、それに応えるためであればプラスαのお値段も客は納得するのだ。

 掛川の榛村市長から教わったことに、「お金の出し方五段階」というのがあって、人がお金を出すときには五つの感情があるという。

 恋人などに出したくてたまらない状態は「いそいそ出す」、孫くらいだったら「ほのぼの出す」だという。

 まあ普通に出すのは「しみじみ出す」で、出すのが少しいやになってくると「渋々出す」ということになり、出したくないのに出さなくてはならない状態は「ぷりぷり出す」ということになるのだそうだ。

 行列をなすようなそば屋ならば、「値段はどうでも良いから早く食べさせてくれー!」というところだろう。まさに「いそいそ出す」状態だ。

 とてもまずければ「しぶしぶ」か「ぷりぷり」になるのであって、商売をする以上、一見客相手とはいえ、そんなことでは困りものだろう。必ず評判になって跳ね返ってくるものだからである。

 お客にお金をいそいそ出させる一番大事な要素は何か?

 私は多分それは「曰く因縁の多様さ」「ドラマ性」なのだろうと思っている。美味しい蕎麦でも「どうぞ」と言って出したのでは多くの客はその背景が分からず、味という要素だけしか感じることができない。

 それに対して、「うちの蕎麦は何にこだわっているか」ということを嫌みのない程度に説明を加えたり、情報提供することで同じ味が二倍三倍に「楽しめる」ということになるのだ。

 客にとってはこの「楽しむ・楽しめる」という要素が大事なのであって、楽しみ方を教えてあげることすら店には求められると言っても良いだろう。

 だから蕎麦屋は粉の産地、粉のひき方、水、長さ、細さ、固さ、出汁、醤油、砂糖、みりん、器、店構え、道具などの要素をふんだんに使って店のこだわりを徹底的に示すことで他店との差別化を図ろうとしているのである。

 またそこにこだわりを示す要素がふんだんにあるところが蕎麦屋巡りの楽しさでもあるのだ。

 だからこだわりのない蕎麦屋では、なんとも味気ない蕎麦を食べておしまいということになって、何のおまけのお楽しみがついてこないのである。こんなにつまらないことはない。

 素人の蕎麦打ち道は、自分のこだわりを見つける旅路である。

 それを探して食べ続け、打ち続けるのだ。そして自分の蕎麦を食べてくださるお客さんにこだわりとウンチクを示して、最大限に楽しんでいただくのだ。

 蕎麦を振る舞っていて最高に嬉しいのはお客さんが楽しんで幸せになってくれる瞬間を見ることができることだ。

 観光振興もまちづくりも、結局は自分の努力の結果を訪ねてきてくれたお客さんが
、楽しんで幸せになってくれることを目指しているはずだ。

 だから私の場合のまちづくりは空間アレンジではなく、あくまでも「人間原理」に向かって行くのだ。

 人間が楽しまない限り、美しいだけでは楽しい空間にはならない。

 美しい風景だけがあるだけでは人は幸せにはならない。幸せを感じる一瞬をどうやって提供できるかが勝負なのだ。

 提供する側がどれだけの量と質と多様性をもったドラマ性を提供できるかがポイントだ。

 それを自分自身が口だけでなく、どれだけ背負い、人と一緒に携わって汗をかけるかどうかも重要な要素だろう。そのことにもドラマ性がもうあるはずだ。

 ドラマチックな人生を友と歩めることは無上の幸せである。

    *   *   *   * 

 お蕎麦を食べてから近くの書店へ行ったら、「蕎麦の基本技術」という厚い本が目に入って、思わず購入してしまいました。

 柴田書店編で、社団法人日本麺類業団体連合会監修である。お値段は4,200円だが、どれだけ座学を積んでいるか、ということは自分自身へのこだわりとドラマ性の積み重ねだから仕方がない。

 蕎麦の歴史やウンチクを何時間も語れるというのも、楽しんでもらうための要素ですからねえ。   
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オートマチックへの恐怖

2005-05-07 23:34:03 | Weblog
 今日は朝から雨(--;)。気温は5℃。北海道では9年ぶりに5月の雪だそうです。

 「花散らしの雨」という綺麗な言葉を聞いて以前感動したのだけれど、「花散らしの雪」では季節感が分かりません! …ヒロシです…か?


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 さて今日は、
■オートマチックの恐怖 の1本です。

【オートマチックの恐怖】
 手始めに、面白い記事を一本ご紹介。これは知人のブログにあったもので、面白いので私の方でもご紹介します。


危険で間抜けな強制自動保護システム


 パソコンに詳しい人ならご存じだと思うけれど、インターネット通信の世界はウィルスソフトの嵐の中を泳ぐ船のようなもので、メールを開けば誰からか分からないメールが私などでも一日20通くらいは来るし、そのくらいなら1通くらいはウィルスの仕込まれたメールがあるものだ。

 そういう現実だから、ネット世界を泳ごうと思えばそういった危機から自分のパソコンと情報をガードする「意志」と「能力」は絶対に必要なのである。

 私の場合は、契約しているプロバイダの有料ウィルスチェックサービスを受けているのに加えて、ウィルス防御ソフトのウィルスバスターというソフトを購入して、これでウィルスの侵入を防いでいるのである。

 ウィルスソフトは世界中にハッカーと呼ばれる主にいたずら好きなソフト作り屋がいて、毎日いくつもの種類がばらまかれる。

 そのため、ウィルス防御ソフトメーカーは購入後のサービスとして、それらがパソコンに入り込んで悪さをする仕組みを解明して、それを未然に防ぐパターンファイルと呼ばれるファイルを配布してくれる契約になっているのである。

 だからパソコンをネットにつなぎ放題にしている環境においている場合は、このパターンファイルを自動的に探して、配布されればそれを取り込むようにセットしておくのがごく日常化している。

 ところがこのシステムへの信頼が根底から覆されたのが、パターンファイルを配布するに当たってちゃんと動くかどうかと言う動作確認をしないまま配布してしまった、というトラブルだった。

 それも時間的にほんの数時間の間だけ配布されていたファイルにそのプログラムミスがあって、気づいた時点で修正が加えられたのだが、そのわずかな時間帯に接続していて自動的にパターンファイルを受け取ってしまった私もその被害者になってしまったのだった。

 その誤ったファイルを受け取ってしまうと、ソフトの中で受信したメールの中にウィルスがあるかどうかをチェックする上で、判定の場合分けが同じところぐるぐる回り続けて、結末に至らないままひたすら計算を続けるという症状になるのだった。

 そのため、CPUという計算をしているところがひたすら終わりのない計算に使われてしまって、他のことができないという状態に陥って、一見パソコンが止まってしまったような症状になるのだった。

 娘に「お父さん、パソコンが動かないよ」と言われて診断をしていたときには全く訳が分からなくて、(ハードの故障かも知れない)と思ったものだが、知人に相談しているうちに、「小松さん、ウィルスバスターのミスじゃないですか」ということになり、原因がつかめたのだった。

 ところがそこからがまた大変で、なにしろその状態からの復旧方法をどうやって入手したらよいかが分からないのである。

 幸い私の場合はその知人が丁寧に、「ここのフォルダに○○…というファイルがあるはずですからそれを削除すれば良いだけです」ということを教えてくれたから良かったけれど、パソコンをスイッチを入れたら後は使うだけ、という多くのユーザーには修復も難しいのではないかと思われた。

 インターネットを使うようになると、いかに情報が簡単に手にはいることかとそのありがたみを味わう反面、インターネット以外からの情報入手手段がいかに乏しいものであるか、を改めて思い知ることになる。

 この間、ウィルスバスターを出しているトレンドマイクロ社からはゴールデンウィーク返上で、対処方針のお知らせとお詫びが寄せられるのだが、それがメールで来るというのが何とも皮肉に見えて仕方がない。

 何しろ、その症状に陥ってしまえば、ネットに接続することができなくなるのであって、復旧のためには実に役に立たない情報の伝え方になってしまっているのである。

 便利なものに頼る依存度を高めれば高めるほどに、それが失われたときのダメージが大きいかという危険やリスクと隣り合わせにいることを忘れてはいけないことを改めて思い知らせてくれる事件ではあったけれど。

 自動ドア、自動アップデート、自動処理…、オートマチックの便利さに裏切られるリスクとそのときの恐怖への想像力が働くかどうかである。

    *   *   *   * 

 尼崎のJR事故を見るにつけても、乗客の多くはその便利を享受してきたわけで、便利の陰で安全に対するリスクがいかに現場の努力でカバーされてきたか、ということも、知らないままの幸せであったか、ということにいかにも不幸な形で気づいた形になるのだろう。

 福知山線はドル箱路線なので、一日も早く営業を開始したいJR西日本側に対して、国土交通省としては安全策が確立されない限り認めない方針という新聞報道がなされていて、その証が新型ATSの導入ということのようだから、JR側とすれば、もうそれをするしかないところまで追い込まれていることだろう。

 ただ危険なのは、そうやって「新型ATSを導入しさえすれば安全は保証された」として再び日常のリスクに対して意識をさせなくする風潮なのであって、いつ何時どのようなリスクに見舞われる可能性があって、いざそのときに自分自身はどのような対応を取るべきか、という自立した自分でいようとする努力を自分自身もしなくてはいけないのだろう。

 行政の多くは、行政サービスという形で住民から不安と不便を取り除くことが良い行政だと信じて疑わないのだけれど、行政の限界や財政の限界を常に知らせる中で、「行政としてできるのはここまで」「わが町の財政が許すのはここまで」という、その町の分相応がどのあたりにあるか、ということを常に知らせなくてはならないはずで、それこそが実は本当の情報公開なのだと思う。

 住民から言われて渋々出すような情報公開ではなくて、常に行政の側から啓発運動を日常的に続けなくては市民には浸透しないものだ、という実感や肌感覚があるかどうかもポイントなのだろうと思う。

 そういう感覚がないから多くの行政は、一度新聞記事に紹介されたことやパンフレットを作成しただけで、「住民には伝えているはずだ」「伝わっているはずだ」という自己満足と自己弁護に陥ってしまうのだ。

 農夫が作物を作るのに、土を耕さないまま、「種を蒔いたのだから作物は発芽して育ってくれて当然だ」と言わんばかりなのだ。

 だから人の心を耕さない限り、伝えたいことは伝わらない、というのが私の信条である。

 今回のブログの「北の心の開拓記」にはそういう意味合いが込められていて、心を耕してから種を蒔きたいという農夫の気持ちでまちづくりを進めたいと思う。

 畑は耕されていないのが見えるけれど、人の心が耕されているかどうかは全く見えない。

 見えない財産、見えない資質というものをきちんと評価する眼力がなくては、すべきことも見えないのだ。  


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シーニック・バイウェイ北海道のご説明

2005-05-06 23:44:45 | Weblog
 天気は晴れていたのですが、気温が相変わらず低い毎日。それでも家の近くでも桜が咲き始めました。

 ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■シーニック・バイウェイの説明
■まちづくり人脈「らんかの会」 の2本です。


シーニック・バイウェイ北海道の説明】
 週明けの9日に、シーニック・バイウェイ北海道推進協議会が開催される。

 この協議会はシーニック・バイウェイの取り組みを全道に展開して行くために、民間と行政の団体・機関が連携し、地域の活動を支えていく推進母体としてこの3月に設立されたものである。そしてその第一回会合が今度の9日というわけ。

 今日はこの協議会の進行に当たって、道路部隊の担当者が基本的な説明を協議会会長である北海道商工連合会の高向会長にご説明に来るというので、同行したのである。

 今回の議題は、シーニック・バイウェイ北海道の基本方針(案)の審議と、シーニック・バイウェイルートの指定である。

 今回はルートの募集に対して5つのルートが名乗りを上げたが、これはすでに審査委員会(小林英嗣北大教授)で審査されており、一応熟度の高まったと認められる「認定ルート」と、熟度がもう少しと思われる「候補ルート」に分けられそうである。

 そのように全体の流れを説明した後で意見交換。

 高向会長からは「いいですね。こういう形でドライブと観光で北海道をもり立てようと言うのがいい発想ですよ。悪いけど、とても土木やさんとは思えない発想ですよね」と、このシーニック・バイウェイプロジェクトを推進してきたY君とともにきわめて高評価。

 「僕もドライブが好きで良く走り回るんだけど、深川の道の駅なんかは良かったですよ」とのこと。
 「深川の道の駅は今全道でも5本の指に入る人気の駅ですよ」

 「やっぱり。あそこでは深川で取れたお米を食べさせてくれるんですよね。ああいう発想がいいですよ」

 また会長は、「今はやはり商業と農業をいかにくっつけるか、ということに頭を悩ませているんですよ。いろいろなプロジェクトもやられるけれど、それがビジネスにちゃんと結びつくことが大事だと思うんですよ」とも。

 「そこに民間の皆さんのやる気と知恵を出してもらって、ビジネスに結びつけてもらいたいと思っています」
 「そうそう、いいですね。こういう活動の会長を仰せつかったのは光栄ですよ。がんばりましょう」とえらく応援してくださった。

 「北海道はねえ、人材が民間ではなくてみんな公務員になっちゃうんですよね。皆さんも早く職場を辞めて、起業しませんか?」とも。

 公務員の職務専念義務をはずして、一時そういうことができるのならやってみたいものですがねえ。私?景色のいいところで蕎麦ベースの飲食店をトライアルでやってみたいけどなあ。

 さて、シーニック・バイウェイ北海道の本格的な始動もそろそろである。


【まちづくり人脈「らんかの会」】 
 夜に、「らんかの会」と呼ばれる会に誘われて参加してくる。これは道庁のまちづくりに力のある人が幹事を務めて、北大のK先生を囲んでまちづくりをネタに飲む会合である。

 北海道は三年ぶりなので、こういう形で人脈が広がるのは嬉しいところで、誘われるままに参加してきた。

 さすがに道庁、札幌市にも人はいるもので、知らないのがもったいない。こういう方たちと志が同じくできるのなら、心強い限りだと思うような方がいるものだ。

 皆私と同じくらいの年代だが、すでにいろいろな委員会の委員を歴任しているような猛者もいて、世の中は広いと思わせる。

 会合も良い時間が過ぎ、そろそろ…と思った頃に、「女性が二人来る」という連絡が入り延長。

 やがて一度私の講演会を訊いてくださったWさんとともに、Yさんが登場。

 このYさん、「高校中学校はどこですか?」と訊くと、私が札幌で一年だけいた中学校の名前を言う。「え?小学校は?」と訊くと、「HN小学校ですよ」と、なんと私が卒業した小学校の名前が出てきた。

 「同窓生なんですねえ」と驚きながら年齢を訊くとなんと同い年。…ということは、クラス違いの同学年だったのである。

 「それじゃあ、H君とか、Mさんとか、Fとか知ってる?」と訊くとこれまた「知ってますよ~、いや~、世の中狭いですね~!」と驚きの声。

 私は小学校4年から中学校1年までの4年間を札幌で過ごしたので、まさにそのときに実は一緒だったのだそうだ。

 彼女の今の職場も、知人が多いところだし、向こうは向こうで我が開発局の某会合の委員をしているとのことで、私の上司とも親しいという。

 なんとも世の中は狭い。

 さてさて、その狭い世界を広げて行くとしますか。今日もいい酒だったなあ。
 
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美味いもの談義~おやじの会

2005-05-05 23:27:33 | Weblog
 天気は晴れていたのですが、気温が低い日となりました。今日の札幌の最高気温は10℃。

 肌寒くて一枚多めに着ないといけません。季節の変わり目で体調を崩す人も多いようです。風邪には気をつけてください。

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 さて今日は、
■「おやじの会」を理由に集う の1本です。


【「おやじの会」を理由に集う】
 昨日中学校のおやじの会の知人のOさんから電話が来て、「明日うちで焼き肉やるんだけど来ないかい?おやじの会の○○さんや△△さんも来るよ」とのお誘いがあった。

 寂しいことに、特に出かける予定もなかったのでほいほいと参加することにした。

 おやじの会は、4月の末に総会と懇親会があって、そこで昔懐かしい草創期の人たちとも多く会えたのだが、人数が30人くらいになって、一人一人と話し込むわけにも行かなかったので、少し物足りなく思っていたところである。

 集合は11時で、自宅を訪ねると一階の車が3台はいる車庫部分を開けて、焼き肉道具を広げている。参加者は私を含めて総勢5名となった。

 早速炭を起こして準備開始。この年代のおとっつぁんたちは火を起こすのも手慣れたものである。あっという間に準備完了。

 鳥から始まって、ほっけ、にしん、北海道名物ジンギスカンに舌鼓。これだけうまいほっけは久しぶりに食べた。

 「小松さん、『川は皮から、海は身から』って知ってる?」
 「ええ?しりませんねえ、何ですか?」

 「あれ?魚グルメじゃなかったの?これは川の魚は皮から焼いて、海の魚は開いて身から焼くって言うことですよ。ほっけなんかは身側を8割焼いて、ひっくり返して皮を2割焼くくらいがちょうどいいんですよ。ほら、もう食べ頃」

 これだけ脂ののったほっけは内地ではとうとう手に入らなかったし、それを炭で焼くとこれだけ美味しいものかとつくづく思った。炭ならば、皮も骨も全部カリカリに焼いて食べることができる。残るところなんかないのだ。

 そんなことから地元料理談義に花が咲く。
 
 北海道へ美味しいものを求めて旅行に来る観光客の、一体どれだけが本当に美味しいものに巡り会っているのだろうか?

 多分それはツアーに組み込まれたホテルの料理にはなくて、思い切り腹を減らして飲む生ビールと、ほっけとニシンとジンギスカンを炭で焼いたものに勝てないんじゃないかな、と思う。

 米だって、北海道には「ほしのゆめ」があったり最近では「ななつぼし」という耐冷性と食味に優れた有料品種が出回っている。

 なぜ北海道まで来て「魚沼のコシヒカリ」を食べなくてはならないのだろうか?北海道なんだから地元のお米の「ほしのゆめ」を食べてもらって、同じ米でも日本の中の土地が違えば違う味がすると言うことを味わってもらうわけにはいかないのだろうか?

 「もてなす」ということは、「一番美味しいものを出す努力をする」ということとほぼ同じなのだろうが、「ドラマ性のない美味しさ」よりも「ドラマ性のある現地の味」の方がよりもてなす心に近いとは言えないのだろうか?

 北海道のお米を食べてもらって、美味しいと思ってもらえればそれでよいし、仮に「これが北海道の米かい。うちの地元の米はもっと美味いよ」ということになれば、「それは羨ましいですね。地元の美味しいお米を大事になさってください」となって、観光客が自分の故郷に対する誇りを感じるということになりはしまいか。

 掛川の人たちは旅行に行くときに必ず自分たちの愛飲のお茶を持参して行くのだが、それとても、現地で「やっぱりこっちのお茶はまずいねえ」ということを実感する方が良さそうだ。
 
 そうして改めて「お茶の美味しい掛川で良かった!」と心底思うことだろう。

 保存と運搬の技術が進みすぎて、日本中から名物と地場でなくては味わえない本物の味が消えてしまったのではなかろうか。

 選択の不自由があるからこそ、それを超えたときの喜びもひとしおのはずで、普段から日本中の美味いものを食べている東京の人たちは、実は本当に美味しいものには巡り会っていないのだとも言えそうだ。

    *   *   *   * 

 一緒に焼き肉を楽しんだ仲間にAさんという方がいて、この方はラーメンに関してなかなかの通で、ラーメン食べ歩きでは一家言ある方である。

 私の蕎麦論と意見交換して、お互いの考え方に似たものがあって意気投合した。

 実は札幌のラーメン界は、美味しい店がどんどんフランチャイズ化して店を増やしている一方で、新しい店もどんどん誕生していて、なかなか活況を呈している。 

 我々の住んでいる地区の近くにも、札幌のラーメン店ランキングベスト10~ベスト20くらいに入るお店が結構ある。

 そういう店だと話の種に一度くらい行ってみるのだが、「どうしてこの店の味でランクが高いのかな」と思うような店もしばしばである。

 特に豚骨系でこってりした味が最近は流行っていて、そう言う店がランキング上位に位置づけられる傾向にある。

 私が「どうしても、S島とかG源なんかはついていけないんですよ」と言うと、一人が「小松さん、それは年ですよ、年。若い人はあれが美味いって言うんだから。年を取ると特にこってりした味について行けなくなりますよ。そうだなあ、あと5年もすればてきめんですね」と言う。

 半分は納得できるが、それにしても味にばらつきもあるのも事実だ。

 件のAさんによれば、「有名店が新しい店を出したというので行ってみましたけど、前の店で茶碗を洗っていたような人が作り手として出てるので、『ああ、その程度か』と思いました」とか、「××にいた作り手が独立して新しい店を出しましたけど、そこは美味しいですよ」と言う。

 そこまで行かないと食べ歩きも説得力を持たないんだろうな。

 私も3年ぶりに北海道に帰ってきて、改めて蕎麦店の食べ歩きでもしようかと思った。なにしろこの3年間に蕎麦店の増えたことといったらないのである。
 モダン和風のこじゃれた店構えが多く、さすがに札幌は食べ物の世界で群雄割拠という状況のようだ。


 久しぶりの仲間の会合に時間の経つのも忘れて、飲んで食べてしていたけれど、真っ昼間からの日本酒は効いたなー。 

ほしのゆめ
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「たそがれ清兵衛」を観ました

2005-05-03 23:05:40 | Weblog
 今日も天気は快晴。行楽日和ですが、子供や親などの用事がちょこちょこと入って、のんびり過ごしています。


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 さて今日は、
■「たそがれ清兵衛」を観る の1本です。


【「たそがれ清兵衛」を観る】
 天気がよいので、うちの奥さんとちょいと遠くのビデオ屋さんまで歩いてみる。

 車生活になるとどうしても歩かなくなってしまうので、掛川の歩行文化を地で行こうと、できるだけ歩くか自転車ということを心がけている。

 車に乗ってしまうとご近所の散歩ということも案外ないもので、二人連れで気ままに小路を曲がってみたりすると、「おや、こんなところにこんな家が」とか「へえ、この道路はここに通じているんだ」なんてなことが分かって案外楽しいものである。

 ビデオ屋さんではDVDを借りて、家のプレステ2で観ている。DVDの機械くらい買えば良さそうなものだが、取り立ててそれで不便をしているわけでもないので、まだしばらくはこれで行きそうである。

 DVD再生機を買うくらいなら、今のパソコンのディスプレイを19インチのワイドにでもしたほうが遙かに良好な映像お楽しみ環境が手にはいるというものである。

 こうしてますます、パソコンだけがあれば用が足りる生活、というのも問題はあると思うけど…。

    *   *   *   * 

 借りてきたビデオの中にご存じ藤沢周平原作で山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」【ここ】があって、やっとのことで鑑賞することができた。

 すでに観た方の何人かから「良い映画だから観た用がよいですよ」と言われていたのだが、掛川ではなかなか観る機会もなかったな。

 真田広之の演技も味があるし、宮沢りえも上手で綺麗だった。

 まあ、古き良き日本人の味わいを深く出していて、「つましく素朴で、それでいて幸せな生活」というものを思い出させてくれる。 

 折りもおり、今日は憲法記念日。

 憲法のあり方について議論が高まっている。私自身は、さすがに戦後50年も経てば、日本という我が国は昔の服をそのまま着ていられるような体ではなくなっているんだろうな、と思っている。

 日本という国が世界の中でどれだけ豊かで裕福で、便利とモノに恵まれたところであるか、ということに気づいた方が良いと思うけれど、モノがなかったころに一生懸命に豊かになろうとしたあのわくわくした感じは実感としてもちづらくなったような気がする。

 身近なところでは、憲法を変えれば人生観が変わるというものでもないので、せいぜい「たそがれ清兵衛」でも観て、つましいなかの幸せというものに対する想像力をもつのが良さそうだ。

 幸せって、所詮は気持ちの持ちようなんだなあ。


ここ
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エア・ドゥのマイレージサービス

2005-05-02 23:05:45 | Weblog
 天気予報では今日は雨だったはずなのに、朝から快晴。気温も15℃くらいまで上がって、心地よいものとなりました。

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 さて今日は、
■エア・ドゥのマイレージサービス
■エディ・メルクス再び の2本です。

【エア・ドゥのマイレージサービス】
 我が愛すべき航空会社のエア・ドゥは、全日空(ANA)との共同運航便がある。

 結局単独会社での経営が難しくなり、ANAに泣きついたような形になったもので、拓銀にせよ、雪印にせよ、北海道民には自分たちの企業を守る気概がなかったというのが残念である。

 エア・ドゥに関して言えば、後から参入した航空会社は既存の空港システムの中でも隅っこに追いやられている。

 例えば搭乗手続きの窓口は空港の一番遠くて不便なところにあるし、千歳空港でもしばしばボーディング・ブリッジではなくて、遠く離れたところに駐機している飛行機までバスで移動するのだが、それも羽田空港のようなリムジンバスではなく、「千歳バス」と書かれたままの乗り合いバスで吊革につかまりながら移動するということになる。

 おんぼろのつり革にぶら下がっていると情けなくなることもあるのだが、北海道の悔しさを体現しているようで、こういう悔しさも必要だな、と思ったりもするのである。

 さてエア・ドゥのマイレージプログラム(詳しくは ここ)のお話。
 
 他の航空会社の搭乗付加サービスには飛行距離に応じたマイレージサービスがあって、遠い距離まで乗れば乗るほど特典が付くというものが多い。

 エア・ドゥの場合は「DO マイル」というマイレージプログラムを行っていて、このしくみは、東京-札幌・旭川・函館線の搭乗半券8枚を集めると、片道の「無料航空券引換証」がもらえるというサービスである。

 具体的には、乗った飛行機の搭乗半券を集めればよいのだが、同じ人の搭乗分のみが有効で、他の人の搭乗半券とは一緒にできない。

 また、過去の搭乗半券の有効期間は搭乗日から18ヶ月間なので、今から1年半前までの搭乗半券が有効というもの。

 無料航空券引換証、団体運賃など、搭乗した種類によっては対象外となってしまうものもあるので、ちょっと注意が必要。

 さて、私もエア・ドゥ主義を貫いて何度か東京~札幌間を往復して過去の半券がたまっていたので、そのサービスを受けてみようと思い立った。

 上記のように、半券の有効期間は18ヶ月ということだったので、どの半券が有効かと思って見てみると、半券にはアルファベットと数字の搭乗コードと日付だけが刻まれているものの、「何年に乗ったか」が分からない。

 どうやって判断するのかなあ、と思ってエア・ドゥに電話して尋ねてみた。

 「あのう、半券の有効期間が18ヶ月ということですが、どうやって有効かどうかを判断するのでしょうか?半券を見ただけでは分からないのですが…」すると応対に出た女性が、
 「そうなんです。半券だけでは分からないんです…」

 「はぁ?それじゃどうしたらよいのですか?」
 「ためていただいた半券をこちらに送っていただいて、それを私たちが搭乗コードから有効かどうかを一枚一枚チェックしているんです」

 「あ、そうだったんですか、あはは」
 「ええ、それで無効のものははずして、有効のものが8枚あれば搭乗券の引換券をお送りしています。また、有効の半券が余っていればそれもお返ししています」とのこと。

 要は半券に何年かが打ち込めるようになっていればよいのだが、そういうことになっていないんだな。

 まあこんなことで見捨てるつもりはないのですから、これからもがんばって欲しいものである。

 それにしても、職員が一枚一枚チェックするサービスって…。まあ北海道らしいエピソードではありますが。

【エディ・メルクス再び】 
 天気がよいので、エディ・メルクスを駆って自転車屋さんへ向かう。

 それ以外にも本屋へ寄ったりビデオショップでDVDを借りたりと、なんとはない休日を楽しむ。

 そろそろヘルメットも買わないとだめかなあ。
 
 ここ
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再びのアルテピアッツァ

2005-05-01 23:54:42 | Weblog
 5月を迎えたというのに北海道は気温が低く、札幌の天気は雨。まったく行楽地にしてみれば、恨みの雨でしょう。

 ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動の始まりです。

 連休明けには「エンピツ」からブログへ一本化する予定です。気持ちも切り替えて、新しい時代を迎えましょう。

 
 さて今日は、
■再びのアルテピアッツァ
■情熱の原点 の2本です。

【再びのアルテピアッツァ】
 旭川から娘も帰ってきていて、連休中の予定を考え合わせると、家族で出かけられる日は今日しかない、という結論に達して、どこかへお出かけしようと言うことになる。

 ところが朝から小雨交じりのうっとうしい天気。半ばあきらめかけたところだったが、小やみになったようなので思い切って、先日公務で訪ねた美唄市のアルテピアッツァを再度見に行くことにした。

 アルテピアッツァはイタリア語で「芸術広場」と言う意味。その名の通り、美唄市出身の彫刻家安田侃(やすだかん)さんの大理石彫刻の数々を元小学校であった敷地の中に不思議な、それでいて落ち着きのある配置で

 安田侃さんは、美唄市出身で現在60歳。北海道教育大学岩見沢分校を卒業後、東京芸大に進んで彫刻の道を歩んだのだそうだ。



 炭坑のまちの故郷美唄が寂しくなっていくことを憂いて、自分の彫刻がなにか力になれないか、と思い立ち、栄小学校の体育館を利用したアトリエをさらに発展させて、かつての小学校の敷地全体の芸術広場として、自分の作品群を置き、何かを訴えようとしている。

 体育館の中におかれた作品群、そしてかつての小学校の校舎の教室におかれた作品たちをみて、何かを感じることは多いはずである。

 「僕は大理石の中にある形を面の連続として探し出しているんです。」、「良い彫刻と悪い彫刻は、子供でも分かります。ほんのちょっとした違いでしかないんだけど、はっきりと分かるんです」

 最初は具象から始めて、巨大な大理石から柔らかな曲面を探し当てるように削り出す安田さんの作品には、どこか暖かみがある。

 静岡にも伊東市の野間口幼稚園の敷地に一つ彼の作品が置かれているという。機会があったら掛川の皆さんも見てみてはいかが?

 この小学校跡の校舎は、今では栄幼稚園として一部が使われているのだそうだが、市内からは離れているにもかかわらず、「安田さんの作品を置くようになってからは、市内の幼稚園よりも希望者が多くなりました」と市役所の方が教えてくれた。

 これほどの情操教育もないだろうなあ。

 
【情熱の原点】
 掛川の知人から長いメールが来て、「自分たちの活動を知らせるためのパンフレットを作っているのだけれど、なんだか文章がうまく書けなくて、セミプロに頼みました。一見うまくいったように思えたのだけれど、読んでもらった関係者からは、『文章は読みやすくなったけれど、伝えたかったものがなんだか含まれていないような…』という反応でした」とのこと。

 改めて文章を見直し作業を始めたというところで、私が北海道土木遺産のパンフレット作成で触れた「本当に『このことを伝えたい』という情熱ある人がかかないとだめですよ」という文章を思い出した、とのことでした。

 それに対して私からも一言言いたくて、あるエピソードを思い出しまいた。

 それは、かつて私があづみの公園でのエリア設計をしていたときに、ある委員から「あなたのしたいことを一言で言ってくれ! ごちゃごちゃした説明はいらない! 一言で伝わる情熱を見せてくれ!」と言われたことでした。

 その方はテレビプロデューサーだったのですが、テレビ番組を作るときの企画を審査するときがまさにその「一言で言え」なのだそうです。

 良い企画は一瞬にして分かるので、それが分かりさえすれば、すぐに予算をつける。しかしいくら聞いてもぐずぐずと中身が分からないようなものは、逆にもう説明を聞くのを止めるのだそうです。「時間の無駄」だそうです。

 なにか活動をしていて、それを広めたいと思うならば、その活動を通じて本当にやりたいことを、一言で言ってみると良いのではないでしょうか?それが全てのはずです。

 情熱の火を消してはいけません。自分自身の情熱の火を消すのは他人ではなく、常に自分自身でしかありません。

 強いて言えば、パンフレットを作ることを目的にしてもいけないように思うのです。パンフレットを作ることは、皆さんたちの活動の道具の一つに過ぎないはずです。

 決しておろそかにして良いわけではないけれど、それを使ってどういう風に、自分の思いを果たすかの方が重要なのだと思うのです。

 極点な話としてパンフレットの文章なんか下手でもいいんです。そういうものを営業用の道具として使ってたくさんの人に会って、お話を聞いてもらうことの方が大事なんです。

 配っているパンフレットをもらっていくだけの人がたくさんいたって、あまり意味もないのかもしれません。パンフレットなんかなくたって、「あんたの目を見れば分かったで!」と言ってくれる人だっているはずです。

 誠の心があれば通じる人は必ずいるはずで、そういう人たちを見つけながら、関係性を深めて行くことがやがて力になるはずですよ。

    *   *   *   * 

 そんなお話をしました。

 情熱の火を消すのは他人ではなくて、大抵は自分なんですね。さあ、明日を信じて、おおらかに参りましょう。

安田侃さん「北の心の開拓記」
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