北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

必見「北の屋台」

2005-05-21 23:04:39 | Weblog
 札幌へ戻ってきてから伊藤滋先生主催のNPO法人都市計画家協会に加入して、まちづくり活動に参加しようと思っている。

 その役員会が今回は今日の午後に帯広で開催されるというので、久しぶりに電車で帯広へと向かう。帯広なんて十数年ぶりなのである。懐かしいぞ~。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■都市計画家協会の役員会とトークセッション
■これが北の屋台 の2本です。

【都市計画家協会の役員会とトークセッション】
 今春加盟したNPO法人都市計画家協会の役員会が帯広で開催されることになり、特急おおぞらに乗り込んで帯広へと向かう。

 この「おおぞら」、南千歳を過ぎて石勝線へ入ったところでアナウンスがあり、「これより先、線路内に動物が進入した場合、急ブレーキを掛けることがございますので、どなた様も…」
 うーん、これこそ北海道らしくて良いなあ、と一人苦笑いをする。

    *   *   *   * 

 十数年ぶりの帯広は、駅までの線路が連続立体交差になっていて、駅舎もずいぶんと立派になっている。昔の駅とは隔世の感がある。

 駅前広場もずいぶんと様変わりしていて、もう昔の景色を思い出せないのはちょっと寂しい気もする。

 役員会とトークセッションは駅から徒歩10分ほどのビルの6階。

 とにかくこの時期、出る会合は全て新参者の扱いだが、こんなのは慣れっこである。

 役員会らしく、予算決算の説明や事業報告と今年度の事業計画などを話し合って役員会は終了。

 トークセッションでは「これからの都市と農村のあり方」について6人がそれぞれの得意分野でお話をする。

 ワインで有名な池田町からはワインづくりを担当されていた職員の方が、「ブドウのおしべを取り払ってヤマブドウの花粉を人工的に受粉させることを20年以上続けてやっと耐寒性に富んだ品種ができあがった」という話をしていた。
 これぞスローライフ。

 幼稚園の先生からは、入園したての子供たちが幼稚園の給食の中で食べられないメニューがあったのだという。それは煮物だとか豆などの混ぜご飯といった日本の伝統食で、「これはいけない」と思うところから家庭の食育が始まったのだそうだ。

 家庭の食事メニューを聞き取って、お母さんたちへの料理教室を開いたのだそうで、やがて転勤して帯広を去るお母さんたちからは感謝の言葉が残されたという。
 食育って家庭こそが大事なのよ。

 やがて私の番で、いつもの生涯学習による地域の自立でお話をまとめました。
 コーディネーターの感想は一言で「いつもながらすばらしいアジ演説をありがとうございました」というもので、アジ演説とは!

 まあ、そんなところもありますけどね。

 いずれにしても、帯広周辺のまちづくり仲間とも多く会えたのでよかった。これからもよろしくお願いします。


【これが北の屋台】
 懇親会は、今話題の元祖「北の屋台」である。

 今回はこれを最初から立ち上げに奔走して、まちづくりカリスマとなった坂本さんも参加してくださって、苦労談をいろいろと聞かせていただいた。

 「北の屋台」とはまちなかにぽっかりと空いた空間に、真ん中に通りを造り其れを挟んだ両側に屋台街を作ってしまった、憩いの空間である。

 しかもここは、夏岳などと言った季節商売ではなく、立派に冬も営業をしているのである。しかも連日押すな押すなの盛況で常連客も多いという。

 なんでこんな施設に? 早速坂本さんにお話を聞いた。

 「なぜ屋台を始めようと思ったのですか?
 「最初は私ではない別な人が言い出して、私は『そんなのは絶対無理だ』と反対した側だったんですよ。それがいろいろと勉強していくうちにやれそうだという思いに至ったんです」

 「それはなぜですか?」
 「この屋台の勉強のために海外の屋台文化もみて歩きましたけど、世界中どこで屋台ってにぎわって居るんですよ。なによりアメリカの屋台はやたら格好良かった。そこでやってみようと言う気になりました」

 「障害も多かったのではありませんか?」
 「食品衛生法と道路交通法をクリアしなくてはなりませんでした」

 「食品衛生法上はどうなるんですか?」
 「やはり単なるグッズを売る屋台ではダメで、日本では料理を出したいと思ったのですが、飲食店の許可を受けるには三面が壁の固定した上下水道が必要でした。だから今座っているところは仮設のいすとテーブルで営業が終わると全部引っ込めるのですが、調理場は、この通路の両側に固定なんですよ」

 なるほど、通りを挟んで屋台が建ち並ぶが、両側奥は固定された建物になっているのだった。

 「そして道路交通法ですが、本来一定の道路幅を取らなくてはならないので、あくまでも営業中の客席とテーブルは仮設扱いとしました。だから店が終わるとこの屋根も全部調理場へたたむことができて、夜は幅の広い通路になるんです」

 あ、なるほど。本当にそういう構造になっている。規則をクリアするのには知恵が必要だなあ。

 「小松さん、屋台というのは狭いのがいいんです。だからここでは一軒のユニットを3m×3.3mとしました。これだと奥のお客さんがトイレに立つのに、出口の近くのお客さんは一度席を立たないと行けない。でもそのふれ合いがいいんです」  

 「ふれ合いですか?」
 「そうです。今全国でこれをやってみたいというので指導に走り回っているのですが、『狭い』というので、店のユニットの大きさを一回り大きくするところが出たりするんです。私は『よしなさい』と言うんですがね」

 「店が広いとダメですか?」
 「ダメですね。この大きさで客席がコの字型に配置して、店主が客に均等にサービスできる範囲がこの大きさです。これより大きくしていすの後ろのスペースを取ったりすると、もう『すみません、どけてください』というコミュニケーションが発生しないんです。だからだめ」

 「他にやってみて気づいたことはありますか?」
 「ええ、北関東のある都市でも屋台を始めたんですが、そこでは6~8月は閉店していて、通年の商売ができないんですよ」

 「なぜです?」
 「6月は梅雨で雨が多くてダメ。7~8月は暑すぎて、クーラーがないと屋外でも飲食をしていられないんですよ、本州ではね。だから屋台はほどよく寒い北の文化だと言うことに気がついたんですよ」

 「冬は寒くないのですか?」
 「夏ならのれんで仕切りますが、さすがに冬はビニールで囲わざるを得ません。でも暑けりゃ冷や奴、寒けりゃおでん、と季節を味わえるのが屋台の良いところです」

 「室内ではダメですか」
 「やっているところもありますが、ダメですね。暑さ寒さを感じるという風情がない」

 風情を楽しみに変えることができるのが屋台の醍醐味。雨の日などは天井からの雨漏りがグラスに落ちるのすら、楽しみと言えそうだ。

 坂本さんの最後の一言。

 「店にはいるのに、客がいるのかいないのかが分かるというのはお客さんにとって重要な要素。のれん一枚で店の内外をお約束で仕切る文化は東洋だけです。店がどんな風かをドアを開けて初めて分かるというのではドアを開ける勇気が必要でしょ?のれんだったら、足下をちらっとみればよいのですから、気が楽ですよ」とのこと。

 サービスを受けるのが店という思いこみを覆して、客の楽しみ、幸せを追求したら屋台という形になったのだ。

 全国のまちおこしの絶好の教師と言えるだろう。「北の屋台」必見です。 

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がんばれ稚内

2005-05-20 23:52:50 | Weblog
 朝から久々の快晴で、気温も高くなりそうで、春を通り越してもう初夏?

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 さて今日は、
■稚内の話題 の1本です。

【稚内の話題】
 知人を介して話をしているうちに、稚内の都市再生の話になり、稚内市の担当課長以下がちょうど札幌へ来ているというので、訪ねていただくことにした。

私は保育園に入る前の3歳の頃から小学校3年生までの稚内で過ごしていたので、子供の時の原風景は稚内なのである。

 稚内市の人口は、この4月末で約4万2千人。私が居たときには人口は5万人、と言っていたものだからやはり次第に人口も減ってきているようだ。

 稚内市からは課長さん以下4人が訪ねてきてくださったが、課長さんが稚内市の声問のご出身だという。

 声問には小学校1年生の2学期と3学期を過ごした集落で、よくよく聞けば課長さんと同じ時期に共に、声問小学校に通っていた時期がありそうである。

 私がいた頃はまだ国鉄に天北線があった頃で、駅から家までのイメージ図をお見せすると、「実によく分かります」とおっしゃる。縁は異なものである。

 現在稚内では、サハリンとの交流を進めていて、学生交流などが盛んに行われているものの、一方ではロシア人とのトラブルもないわけではなく、これからのあり方を模索しているところだという。

 ロシア的なイメージづくりもこれからの観光やまちづくりの柱として効果的かも知れないと、勉強を始めようとしているとのことで、私も公私を分かたず応援したくなるのである。

    *   *   *   * 

 家から声問小学校までの約1kmの間は夏になるとハマナスが咲き、「この実は食べられるんだよ」ということを聞いて、実をかじってみたがまずくてはき出したのをつい昨日のことのように覚えているものだ。

 「稚内から石垣まで」が都市再生のキーワードである。がんばれ稚内。 
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まちづくり対決公開スパーリング

2005-05-19 23:22:51 | Weblog
 まだ小雨が残る一日。え~い、うっとうしい!

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 さて今日は、
■公共事業は悪ですか~大石さんの講演
■まちづくり公開スパーリング の2本です。

【公共事業は悪ですか~大石さんの講演】
 国土交通省技監として、国交省や公共事業擁護の立場からするどい意見を放つ大石久和さんが来道されて、「国土学とは何か」というテーマで一時間のご講演をいただいた。

 日頃から悪いイメージばかり植え付けられている公共事業について、「地域を強くする」「より安全にする」事業という視点を再認識して欲しい、と言うのが基本的なスタンス。

 その中にあって、世界中が自分たちの国土を使って国の地位向上を図っているという世界規模の競争という現実にあって、この国家間競争に、特にアジアの中での国家間競争に耐えて勝って行かなくては日本のように資源のない国はたちまち滅びてしまうのだ、という危機感がないのではないか、という問題提起は心に響く。

 公共事業こそが、世界と戦う国造りの手段なのだ。

 例えば隣国の中国は、日本の高速道路が3000kmだった15年前には、高速道路は全くなかったのである。

 そして15年が経過して、日本の高速道路距離が7400kmに伸びた今日、中国の高速道路距離はなんと34000kmになっているのである。そしてなおかつ今現在年間4000kmのスケールで延長が伸びているのである。

 これが中国と日本の現実の差である。土地が社会のもので住民を立ち退かせるのに国家権力が躊躇しない共産主義社会とはいえ、これが中国と日本のインフラ蓄積努力の差であると言えるだろう。

    *   *   *   * 

 北海道も北海道自身が我が国全体にどういう形で貢献できるのかを考え、それを実行していかなくてはならない。

 食料、観光など期待のかかる項目はいくらでもある。大石さんに勇気づけられるまでもなく、やらなくてはならないことは多いのである。


【まちづくり公開スパーリング】
 北大土木工学科のまちづくりを勉強している講座から、「公開スパーリングをします」というご案内メールが届いたので、参加してみることにした。

 公開スパーリングとは、まちづくりに関して学んだ事柄をベースにして、修士一年目(いわゆるM1)が論を展開し、それをすでに多方面で活躍する社会人たちが受けて立つ、という趣旨のディベートのようなものらしい。

 元来、私の出身の学部学科ではないのだが、まちづくりとなると黙っては居られない。新進気鋭の学生たちがどのような論で社会人に立ち向かうのかは興味津々で、仕事を終えてから会場へと向かう。

 北大近くの会場ではすでに学生が30人ほど、それに社会人とおぼしき男女が20名ほどたむろしていて、なんだかわくわくしてくる。

 しかも「公開スパーリング」と銘打ったとおり、会場のセッティングでは三段のロープで四角く囲われた場所が用意されていて、そこの対角線に対決する二人のいすが用意されている凝り様である。

 今日の対決は5試合。では対決の様子と感想を述べて行こう。

☆第一ラウンド☆
 第一ラウンドは、学生がS君で対戦相手は「二条市場界隈のマドンナ」というまだうら若き建築家のT嬢。

 対象区域を札幌創成川東地区に求めて、「歴史的な歴史や履歴があるのに、それらが活かされたまちづくりがされていないのはなぜか」というテーマである。

 この対決、テーマが自分の主張になっていなくて「どうしたらいいのでしょう?」になってしまって、残念ながらお互いの立場が不明確なため、ディベートになっていない。

 私のコメントがあるとすれば、「歴史の曰く因縁だけでまちができるわけではないし、そのことを意図したまちづくりは誰が担うべきかという、語りかける対象も不明確なので、そのあたりを勉強してから再挑戦を望む」でしょうか。

☆第二ラウンド☆
 次は、「商店街の次の一手は?」という対決である。これは琴似商店街をフィールドにして、対決相手は大学卒業後に岩見沢商店街でラーメン店を経営する若大将のT君。

 実は一番この対決を注目していたのだが、残念ながらこれも凡戦。ディベートにするには、立場を明確にして問題提起をしなくちゃだめなんだよ~。

 T君の発言で「まちづくりの担い手は住んでいる人のはずなんだけど、今の商店街には人が住んでいないのが問題。商店街組合なんて実はバラバラ。アダプトプログラムはうさんくさい」というのが印象的。

☆第三ラウンド☆
 対決テーマは「都市マスは憲法ではないのですか?」で、選手は学生M君に「まちづくり界のDr.K」ことコンサルタントにお勤めのKさん。

 問題意識は「地方分権の期待を受けて作られた都市計画マスタープラン制度だが、これが義務化されて10年以上経つものの、これで町が良くなったという話を聞かないし、調査結果でも自治体があまりこれを活用していない」というもの。

 これが一番ディベートらしくて、面白く聞けたのだが、Dr.Kの方が易しめのパンチしか繰り出さないから、論点がぼやけてしまっている。

 そもそもDr.Kの方が学生さんの言い分に賛同していることもあるものだから、パンチが鈍ってるのだ。

 たまりかねてセコンドから私が乱入。乱入はレフェリーが認めれば許されるのだ。

 私の主張は「そのときの首長があらゆる政策判断の結果、今そして将来の住民が幸せになるという判断をしたのであれば、それが優先されて良いのではないか。都市マスを守った結果市民が幸せになれないとすれば、そちらの方が間違いではないか」というもの。

 まあ言葉の遊びなので、半分はそう思っているし、半分はそうは思っていない上での発言なのだが。

 すると応援したはずのDr.Kの方から逆に質問があって「そんなことをして、10年後にその結果として不幸になるとしたらどうするのか?」というもの。おいおい、こっちは加勢しているのに~(^-^;)。

 これへの反論は「それは10年前の政策判断を受けて、そのときの担当者が知恵を絞って問題の解決に当たるべきである」という当たり前のこと。

 行政の幅の広い調整内容の中で、都市マスのような憲法は大事にした方がよいのだが、おうおうにして首長の都合で変えられてしまうことも多い。

 それを首長の独断を許さずに長期的な町の幸せを計画するのが趣旨のはずだが、民選で選ばれる人の立場というものは役人とは違って重いものがあるものだ。

 この現実の狭間で制度は揺れるのだ。学生諸君、早く社会にでてこの荒波を経験してくださいな。

☆第四ラウンド以降☆
 第四ラウンドは「次の世代の農村フォーメーションは?」で、もっと農村に住むような土地利用の方策があるのではないか、という提案。

 これはでは言い出した学生君が、農村に住みたいと思いますか?というのが痛烈な反撃。

 なぜ人は農村から離れて行くのか。その理由は単に土地利用のことだけではなくて、生活を支える多くの機能が次第に脆弱になっているせい。

 榛村市長の言葉を借りれば、「六つの『通』つまり、通勤、通学、通院、通商、通婚、通信がなくなって行き、人は里へ下りる」というもの。

 魅力という攻めの要素だけで人は動くのではなく、そこに生活インフラという守りの要素があって初めて人は安心な暮らしができるのだ。その点を十分に考えてね。

 第五ラウンドは恵庭市の花の町作りを取り上げたけれど、これもまたディベートにはなりきらず不完全燃焼。

 こういう形をいつからやっているのか、と訊けば「今回が初めての試みです」という。なるほど、こういう形で回を重ねれば上手になると思うよ。

 それにしても、決定的に改善して欲しいことが何点かあったのは、
①声が小さすぎてダメ。プレゼンテーションはとにかく「聞こえること」が最低条件、

②ディベートなのだからお互いの立場をはっきりとさせて議論させること、

③手加減しないこと、社会人が優しすぎてダメ。すごんでビビらせることは不必要だが、もっと学生を黙らせるくらいの経験はあるはず。

 でも総合的には面白い取り組みであった。

 スパーリング後の飲み会にもなだれ込んで、気がつけば夜の12時半。

 学生さんたちと話していると青春が甦るわ。あ~面白すぎ。         


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ソーシャル・キャピタル考

2005-05-18 23:05:02 | Weblog
 低気圧が北海道を通過中。今日も夜の札幌は雨です。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■組織の活性化と人材育成とは
■オートリゾート~ドイツチーム の2本です。

【組織の活性化と人材育成とは】
 ある若手の勉強会で、「組織の活性化と人材育成とは何か?」ということをひとしきり議論する。

 ある者はOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が必要と言い、ある者は幹部の自覚が必要と言い、ある者は人と人との連携が必要だという。

 組織の活性化ややる気のある人材を確保、または職員にやる気になってもらうことの難しさは、今でもまだ多くの組織管理のためのハウ・ツー本が手を変え品を変えながら登場することをみても、永遠の課題だと分かる。

 いろいろな議論はあるけれど、私は組織活性化と人材育成を三つのキーワードで整理したい。

 三つのキーワードとは「個人の意志・やる気」、「個人の能力」、「人と人とのネットワーク・組織力」である。

 人材育成のための研修というのは我が組織でもそれなりに数多く行われているが、上記の三つのキーワードで表される要素のどれを強化しようとしているのかについて、案外明確にしてはいない。

 自己啓発的セミナー的な研修であれば、個人の意志・やる気ということになるだろうが、これには「ほめる」「叱る」「にんじんをぶら下げる」「成功体験を積み重ねさせる」などといったやり方がよく示されて、それぞれケース・バイ・ケースで有効な時があるだろう。

 しかし誰にも効果的な万能の方策があるわけではないので、つねにこれらの方法のどれをどのタイミングでどの程度強く行うか、ということは教科書には書いておらず、常に相手の様子をみながら面倒をみるしかない、というのが私の結論である。
 
 往々にして「自分はこうやってうまくいった」という成功体験を誰しも持っている者だが、それは常に特殊解であって、誰にでも適用可能な一般解ではない、という認識は必要だろう。

 敢えて私が、人にやる気を出してもらう良策は?と訊かれたら、「自分のこれまで生きてきた中で、何に出会ったことで自分が変わった体験を持っているか?」ということを思い出すことをおすすめする。

 今も続く趣味を最初に始めたときのきっかけはなにか?
 今の自分は誰に出会ってここに至っているのか?
 自分の存在や活動が誰かを変えた、という経験があるか?

 自分の中のそんな歴史を思い出してみて、若い頃の新鮮な感動を呼び起こしてみるのが効果的ではないだろうか。

    *   *   *   * 

 また多くの研修は実は、二番目の「個人の能力」を高めようとして行われているケースが多い。職場での制度や社会状況の講義などでは職場を運営して行く上での職業能力の向上が主眼だろう。

 しかし上記の「やる気・意志」は、雷に打たれたパウロのように劇的に変化しうるのに対して、能力のほうは日々の積み重ねや心に焼き付ける時間の経過なくしてはかなわないものである。

 だからこそ能力向上は、日頃から地道に行っておかないといざというときに役には立たず常の努力が求められるのである。

    *   *   *   * 

 そうして、一般的に研修の対象が個人に主眼をおいているのに対して、実は忘れがちなのが、組織とはそういう個人が集まって営まれているという現実である。

 組織の職員どうしが友人、知人としてネットワークになっていることによって、仕事は組織的有機的に保管しながら効率的に行われるのだ。

 1+1>2なのである。

 アメリカミシガン大学のウェイン・べーカーという人の本に「ソーシャル・キャピタル」という本があるが、この本の趣旨は「人と組織の間にある『見えざる資産』を活用する」とある。
 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478373752/250-5976136-7257814

 要は、「人と人のつきあいを大事すると営業がうまくいきますよ」ということを社会学的に述べたものである。
 
 「なんだ、そんなことか」なのだがその「そんなこと」の本質が実は案外分かっていないものなのだ。

 この本の面白い視点は、アメリカにおける成功神話は「個人ががんばること」というものであるのに対して、個人同士がつながることで組織はより多くの効用を得る、と断じているところである。

 多くの研修で、昼間は講義を聞く時間に当てながら夜は懇親会と称して酒を飲んで互いが仲良くなるということを奨励していることだろう。

 実は研修自体はこのことを重要視していながら、それらは夜の自主活動に追いやっているというのが実態なのだが、研修に参加している参加者に主催者側がそのことをしっかりとアナウンスしているか、というとそうではない例の方が多いだろう。

 ある上司が「私も研修担当者に、『研修参加者は全員泊まらせたら』と言ったんだけど、『研修終了後に帰宅できる範囲の者は返すことになっている』の一点張りだったんだよ」と言っていたが、惜しいかな、研修の効果がさらに上昇する機会を逃していると言えるだろう。

 私は最近特に、三番目のネットワークの強力な構築こそが今の職場も含めた社会の活性化に繋がるのだろうと思うようになっている。

 集めた名刺の数にこだわるのも、そのあたりに思いが強いからだろう。

 大体知らない人ばかりの会合に参加していて、一人でぽつんと料理を食べているのはもったいないではないか。

 そんなときは知らない人に話しかけて、共通の話題を探り、互いの情報を交換し、互いのネットワークを融合させるように行動するのが大人なのではないか?

 次第に社会的に高い地位につかせていただくに従ってありがたい事は、【会える相手の地位も上がって行くこと】である。

 だから高い地位にあるということは一つの能力なのであって、その能力を存分に組織のために使わないと言うことは組織や部下にとっても損失なのだ、というメンタリティが大事である。

 自分の時間は有限だが、その限りある時間の中で心を尽くしてネットワークを広げ、影響力を高めるよう努めることがリーダーには求められる。

 自戒を込めて、明日もまた名刺集めに奔走するのだ~(^-^;)


【オートリゾート~ドイツチーム】
 オートリゾート・ネットワーク協会の総会と懇親会が開かれ、道内にオートキャンプ場を整備し支援している懐かしいメンバーに会うことができた。

 現在道内に、オートリゾート・ネットワークに加盟しているオートキャンプ場の数は46カ所になった。またそれらの利用者数は平成13年度の34万人を最高にして、平成14,15年度とやや落ち込んだものの、平成16年度には32万5千人とまたいくらか増加しつつあるという。

 道内オートキャンプ場の話題としては、深川と網走のキャンプ場で今年からオートキャンプ場のインターネットによるネット予約を始めたことである。

 まだまだ発展途上かも知れないが、経営や予約の合理化・効率化が良好な経営には欠かせないので、面白い取り組みだと言えるだろう。

 今年はどこかに行けるかなあ。 

    *   *   *   * 

 5年前にドイツへ街道観光視察へ言ったチームが久しぶりに集まって一杯飲んで、いろいろと情報を交換して互いを懐かしむ。

 「ドイツへ行って一週間くらいいると、あの国の自然が本当に貧相だというのが分かりますよ」とKさん。
 「へえ、なぜですか?」

 「ドイツの農地と農地の間に森林があったりするんですけれど、地域の人たちはそこに鹿が何頭いて、狐が何頭いるかまで全部知ってるんですよ。鹿なんか名前まで付いちゃったりしている。結局人間が把握できる程度の多様さ何ですよ」 
 「なるほど」

 「日本で、北海道で、森や林の中にいて『ああ、本当に多様な自然に囲まれているなあ』というのが最近ようやっと分かってくるようになりました。時間がかかるんですねえ、そういうことが分かるのには」

 普段、当たり前にある自然への感謝を再び感じたのであった。

 日本の自然には本当に神様を感じますよ。
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国際観光旅館連盟の人たち

2005-05-17 23:16:15 | Weblog
 肌寒い春が昼のニュースになる。今年の北海道はそんな年みたいです。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■北海道の国際観光旅館連盟 の1本です。

【北海道の国際観光旅館連盟】
 今日も知人に誘われて、北海道国際観光旅館連盟の皆さんに会う。

 北海道観光の枢要な部分を担っている皆さんが一堂に会しているところへお訪ねをして挨拶をする。

 中には観光カリスマとして地域のまちづくりに優れた活動をされている方もいて、頭が下がる思い、

 阿寒で観光カリスマとして活躍されている大西さんに初めてお会いをした。

 兼ねてから阿寒では静岡県在住で良く存じ上げている女性まちづくりアドバイザーのNさんを引き合いに出して「Nさんをご存じですか?」と水を向けると「それはもう、大変お世話になっていますよ」とのこと。

 持つべきものは【影響力のある】友達で、これでなんとかお近づきになりやすいというものだ。まさに、虎の威を借る狐なのだけれど。

 「そうですか、小松さんはNさんをご存じでしたか。いやあ、最初会合でお会いしたときに参加者をぐるっと見渡して『この会合は失敗しますね』と言われたときにはびっくりしました」
 「なにが失敗だったんですか?」

 「Nさん以外は全員がネクタイをした男ばかりだったんですよ。そんなんじゃだめだ、というメッセージだったんですけどね」
 「確かに!Nさんらしいパフォーマンスですよ」

 観光に女性の視点が必要なのは当然だ。さすがはスパルタ式で有名なNさんである。掛川にいたときにスローライフでお世話になって依頼のつきあいだが、ご威光は雷のようですなあ。

    *   *   *   * 

 同じく参加者の中に、わが中・高時代の故郷である旭川のホテルの社長さんもおられた。

 私が「北海道へ帰ってきて、改めて『ホスピタリティが悪い』という声を聴きますがどうお考えですか?山の中のホテルで刺身を出すというあたりから変えられないものでしょうか?」と訊いてみた。

 するとその社長さんは「私のところなんかは山の上に山荘ホテルをやっていますけど、そういうところではもう刺身は出しません。魚を出すんでもカルパッチョ風に出すとかね。少しずつ工夫が始まってますよ」
 「それを聞いて少し安心しました」

 「旅館の料理なんかもですね、昔は『一人のお膳に料理は十品』と言われたものなんです。それでいて『冷えてる』とか文句を言われながらね」
 「はい、確かにそう言うところが多いですよ」

 「それで私のところでは料理を六品にしたんです。ただし!それにコーヒーとケーキをつけます。でもこれでお客さんは結構満足してくださるんですよ」
 「なるほど。工夫のしがいのあるところですね」

 エージェントからの圧力もあるのだろうけれど、自らの頭で考えたサービスを展開する知恵が必要なようだ。

    *   *   *   * 

 そうこうするうちに、私が開発局の人間と言うことを知ったあるホテルの社長が話しかけてきた。

 「小松さん、一つだけお伝えしておきたいことがあります」と言う。
 「おや、なんでしょう」

 「私も登別で旅館をやっておるんですが、お客さんの中にはレンタカーで移動される方がそうとう多くなってきております」
 「はい」

 「そういう方たちが高速道路を走っていて、『北海道はトンネルの中でラジオが聞こえなくなる』という苦情をおっしゃるんですよ。私も札幌近くでは良いのですが、遠くなって、白老あたりからのトンネルではそういうことを感じます。これって観光を支える施設としてはなんとかならんものなんでしょうか」
 「なるほど、遠くから来た方には不便を感じるでしょうね」

 最後には「北海道の観光のために、どうぞよろしくお願いします」と言われてしまった。なるほど、観光インフラには様々な要望があるものだ。
 
 まだまだ気づかないことも多いのである。だから人に会う意味もあるのだけれど。

    *   *   *   * 

 最後にご挨拶に来られたのが、北海道観光バージョンアップ協議会でも活躍をされているTさん。

 「小松さん、是非このサイトを見てみてくださいよ」といって差し出された名刺には札幌服装アドバイスサイトとあって、「札幌を旅するなら『これきて』ドットコム」と書かれている。

 「これは何のサイトですか?」とお尋ねすると、「本州の人が困るのは、今の時期に北海道を旅するのにはどういう服装がよいのか、ということなんですよ。ですからそれに困ったらここにアクセスしてくれると、地元の人が教えてくれるというポータルサイトです」とのこと。

 アドレスはhttp://collekite.com/ だそうだ。なるほど「これ着て」なんですね。

 こういう地道なサービスが北海道のおもてなし度合いを上げることに繋がって行くのだろう。
 よし、お互いにがんばりましょう。故郷北海道のために。  
 
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ちょっとしたノスタルジー

2005-05-16 23:26:51 | Weblog
 職場の建物の前の桜は、エゾヤマザクラもソメイヨシノもほぼ満開。一方で梅で名高い平岡公園ではまだ梅が咲ききっていないとか。

 これでは花札にもならないのですがこれが北海道。梅と桜が一緒に咲くのです。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■ああ、ノスタルジー の1本です。

【ああ、ノスタルジー】
 知人に誘われてその友人と合計6人で飲む。

 初めて会う方もいて、とにかく知らない人と飲むことはよいことだ、と思っている私にとっては嬉しい時間となった。

 初めて会う人の中に、某新聞社の記者をしているという方がいて、新聞記事作成の苦労話などを聞かせてもらう。

 「昔は記事は手で書いたものだし、書いてファックスで送ればそれでおしまいでした。校正や多少の文字数の調整などは送った先がしたものですから」
 「なるほど」

 「それが今ではパソコンでメールでしょう。何度出しても、書き直しの指示が追いかけてくるんですよ。昔よりは遙かに仕事がきつくなりましたね」
 「OA化で仕事が楽になることはないですよね」

 「そうです。それにワープロが出て、誤変換に困るんですよね」
 「分かる誤変換もあるでしょう?」

 「明らかに漢字の誤変換が分かるケースなら良いのですが、『こんしゅうにも』という日本語は『今週にも』か『今秋にも』なのかが分からなかったりしますよね。これは後ではチェックできないんですよ。でも全く意味が変わってしまいます」
 「なるほどこれは気づきませんね」
 「昔はそれはそれで、幸せでしたね」

 すると、少し年上の一人が「私が職場に入ったときは、まだコピーなんかない時代でしたから、何人にも書類を配布するときは、ガリ版に鉄筆でしたよ」ときた。
 
 「それはまた懐かしい。私の時はもうボールペン原紙が出ていましたね」
 「書き間違ったらロウを塗って修正ですよ。原稿を作ったらそれをガリ切りしてくれる女性が専用でいましてね。でも彼女らは5時きっかりに帰っちゃうから、その後の書類は自分でやる羽目になりましたよ」

 「随分古い話のように聞こえますねえ」
 「これを刷るのがまた大変。半自動の輪転機に掛けると早いんだけど、失敗すると原紙もぐちゃぐちゃ。一枚一枚手で刷ると確実だけど、これがまた時間がかかるんです」

 「どちらで刷るかが重たい判断ですね」
 「そうなんです。失敗すれば4時間の睡眠が2時間になっちゃうんだから、もうこれは係長の判断すべきことがらでしたよ。『よし、こっちで行けーっ』てね。」  

 「ファックスなんかなかったですよね」
 「ないない。だから遠くの急ぎの書類だけど、今すぐに欲しいというときは、電話口で読み上げてもらって、それを書き写すんですよ」

 「すごい!人間ファックス!」これで一同爆笑。

 それが必死に仕事をするということだった時代のノスタルジック・エピソードでありました。


    *   *   *   * 

 そう言えば、浦沢直樹さんの漫画「PLUTO(プルートウ)」が朝日新聞社主催で、第九回になるhttp://www.asahi.com/tezuka/
 手塚治虫文化賞を受賞しましたね。

 この「PLUTO(プルートウ)」という漫画は、手塚ファンなら必ず知っている鉄腕アトムシリーズの中でも人気の作品であった、「史上最大のロボット」のリメーク版である。

 しかし構想や登場人物、全体のストーリーは「史上最大のロボット」をベースにしながらも、絵や新たなエピソードの挿入などは浦沢ワールドになっている。

 漫画の中ではアトムも登場するのだが、オリジナルとはまた少し違った設定や小技で読者を魅了します。

 原作のアトムを知らなくても楽しめて、知っていれば結末に予想が立ちつつもそこに至る過程を楽しませてくれる珠玉の作品になっています。

 この年になってなお、手塚漫画に心を揺さぶられるとは、リアルタイムでアトムや鉄人28号とともに育った世代の幸せを感じますね。

 これもまたノスタルジー。
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今年もおやじの会が活動開始

2005-05-15 23:47:34 | Weblog
 書き込みを貯めてしまった日曜日の分です。三日も滞らせてしまいました。この週末はいろいろなことがありましてね。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■おやじの会の役員会 の1本です。

【おやじの会の役員会】
 夕方から私が参加する「おやじの会」の第一回役員会が中学校で行われた。

 今年は活動を始めてから6年目に突入と言うことで、もう例年の活動パターンに慣れた父親も多くなってきた。

 私の場合は、「小松さん、来年は会長ね」と言われた4月から掛川へ単身赴任となったために、とうとう会長職に就くことのないうちに子供はこの3月に中学校を卒業してしまった。

 わが「おやじの会」の良いところはOB会員を認めていることで、ここが、子供が卒業してしまうと学校とは縁が切れるPTAと一番違いの大きいところである。

 だから年を経るごとにOB会員は増え続け、次第に地域の中で父親同士が学校を媒介しながら知り合い、知人としてネットワークを形成して行くことができるのである。

 「おやじの会」としては、OB会員がこの会に居座って牛耳るのを防ぐ意味からも、会長は子供が中学校に通う現役の親とするという不文律がある。

 その代わり、副会長はOBと現役から一人ずつが一般的で、また環境部会、交流部会、広報部会という三つの部会生を取っている。

 各部会長と副部会長、並びに会計や監査までが役員とされて、大体月に一度くらいは学校に集まって会合を開いて、そのたびごとの課題について話し合う。

 私は今年はOB副会長と言うことで、いままで実質さぼった分のご恩返しをしようと思っている。

    *   *   *   * 

 さて、環境部会では学校の敷地内の花壇整備をしたり、一部でじゃが芋を栽培してこれをお母さんたちの手も借りながら、豚汁を作って子供たちと食べたりもしている。

 交流部会は、中学校のスポーツクラブと父親軍団とのスポーツ対抗試合を行っているもので、中1のときは親が圧倒していても、多くのスポーツで中学校3年には分が悪くなり、父親が子供の成長を実感する瞬間でもある。

 親の中には、昔スポーツをやっていた親も多いので、昔取った杵柄で子供と結構良い試合ができるものである。

 また、スポーツだけでなくパソコンや情報処理などの専門家の親も多いために、ホームページを作るのもお手のもの。

 全くこれだけの父親が集まるとすごい軍団である。

    *   *   *   * 

 さて今日は、今年最初の役員会と言うことで自己紹介から始まり、会長の進行で、各部会ごとの予定などを皆で検討した。

 まずは花壇整備から始まり、7月には進入お父さん歓迎バーベキューが予定され、家族ごと仲良くなるという行事が待っている。

 札幌の中学校にある父親の会はいくつかがあるが、これだけの活動を継続して実施しているところは少ないだろう。

 面白いのは学校の反応で、最初は本当に学校側が警戒して、「父親の会ができたと言うけど、どういう圧力を掛けてくるものやら」と戦々恐々としていたものだ。

 それが、「我々は圧力団体にはならない」という規約の趣旨がしっかり守られて、「ただ純粋に子供たちの教育環境の向上のため」に活動するということが知られるようになってからは、先生自らの参加も少しずつ増えてきて、今年も若くてやる気のある先生が入ってくださった。

 校長先生を筆頭に、学校側の努力にも敬意を表したい。

 今年の会長の考えの中には、スポーツ交流だけではなく、文化活動でも子供たちと交流ができないか、という願望もある。

 合唱部などは「歌を聴いてくれるだけで嬉しい」という思いもあるようだ。

 さてさて、どのような連携が取れるものか、一年がんばってみるとしますか。

 それにしても、この会の進入のお父さんの数は毎年せいぜい一桁にしか達しない。もっと多くのお父さんに参加して欲しいものだがなあ

 
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娘の高校の参観日

2005-05-14 23:20:58 | Weblog
 久々に、書き込みを三日も滞らせてしまいました。この週末はいろいろなことがありましてね。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■娘の高校の参観日 の1本です。

【娘の高校の参観日】
 下の娘が通う高校の参観日およびPTA総会、保護者懇談会があるというので、妻と二人で参加をしてきた。

 参観の授業は担任の先生が保健体育の先生と言うことで、保健の授業。

 喫煙が健康に及ぼす害について、とくとくと語られておりましたよ。

 もう時効と言うことでお許しをいただきたいが、子供たちは吸うべきではないとは、未成年の時に少しいたずらをした身としては実によく分かる事柄である。

 実際、息切れがして運動ができなくなり、「これはタバコのせいにちがいない」ということで、私自身はそれ以来一本も吸わなくなった。

 一生に一度もタバコを吸わなかったなどと言う、聖人君子を気取るつもりは毛頭なくて、失敗を自覚すれば人間は時に成長するものだ、ということではなかろうか。

 まあ失敗を失敗と思わず、成長のない人も世の中には多いのだが(^-^;)。

    *   *   *   * 

 授業参観後のPTA総会も無事に終わり、各クラスでの保護者懇談会。

 全部で参加者は先生以外に8名だったが男親は私ただ一人。父親というものは子供のこの年代の教育にはあまり参加しないようだ。

 授業参観に行くのが教育熱心だとは一概に言えないけれど、自分の娘がどんな校舎に通い、どんな先生からどんな話を聞いているのか、という娘の現場には興味がある。

 他にどんなお母さんがいるのか、というのも会ってみなければ分からないし、先生がどういう人なのか、と言うことも妻からの伝え聞きではなく、自分のその目で見て学校を自分の五感で感じるのがよい。

 そうすれば、娘との会話でもいくらかは学校の情景が目に浮かぶだろう。

 たった一度だけ学校へ行ったからと言って娘との距離が劇的に近くなるなどということはないけれど、普段から娘の生活に関心を持たない者が、ある日突然反省して娘に声を掛け始めたりしても、普段からチャンネルを形成していなくては放つ声も届きづらいに違いない。

 「父親は子供を叱らなくてはならない」などという本を読んで、突然勇気を奮って子供をしかり始めても、子供は普段と違うお父さんにとまどうばかりだろう。

 事は普段の行動や生活の延長線上にあるのである。

    *   *   *   * 
 
 「愛情の反対は憎悪ではありません。無関心なのです」とはマザー・テレサの言葉。

 子供だけでなく、社会全般に対して気力を振り絞って関心を持ち続けられれば、もっといろいろな事が分かるのでしょうね。

 物事は分かれば分かるほど、分からないことが多くなるもの。そうしてまた分からないことを増やすために勉強をするのである。

 だから物事を知っている人ほどなお勉強をするものだ。一度そう言われるくらい勉強してみたいものである。

 最近はあまり本を読まなくなったなあ…。

 娘よ、私の分も本を読んでくれー。

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感動の共有

2005-05-13 23:26:53 | Weblog
 今日も朝から快晴…、でも気温が低い。そろそろ田植えが心配になってきますぞ。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■横断的勉強会
■大人の集い の1本です。


【横断的勉強会】

 この春からある会合に参加をして、仲間の問題意識を共有するとともに、職場や仕事上のシステムを改善する方向を探ろうという勉強会に参加している。

 いわゆる職場というのはどこでも放っておくと往々にして、縦割りの範囲で事が足りてしまうという安住の地で安楽に過ごしがちである。

 そこで敢えてそれを打破するためには、組織の縦割りを超えて横断的な人間関係のなかで、ネットワークを強化しながら課題も解決して行かなくてはならない、という同志が集うているのである。

 ところがそうは言ってもなかなか忙しいメンバーが多くて、なかなか全員が一堂に会するというのは難しい。

 そのため今週は予定が一度お流れになったのだが、中心人物の一人から「集まれる人だけでも集まろう!」という発案があって、開催をすることになった。

 おまけに「第一回目は小松ペーパーをベースに意見交換すること」という指示によって、今日の午後に私のプレゼンからスタートすることとなったのである。


    *   *   *   * 

 さて、私の提出ペーパーは「職員の意識改革」という論点である。もちろん、掛川での生涯学習や榛村前市長の薫陶が影響していて、対象は公務員としての職員意識だけでなく、人間としてどう生きて行くのか、という問題意識も含まれている。

 「人脈形成をおろそかにしてはいないか?」、「情報をいただくためには情報を提供することを心がけているか?」、「組織の和を大事にしているか?」、「自分を偉いと思ったり、態度に出していないか?」、「一人の人間として、自分の健康、意志、知識、能力を高めているか?」といった点について、問題意識を述べ、それらを改革すべし、という意見である。

 15分ほどの私からのプレゼンを終えて、意見交換してみたけれど、論破しようもない正論だったようで、あまり意見も出ず。

 ただ、ではそういう人間に向けた意識改革はどうすればできるのか?と質問されて、私も一瞬困ってしまった。

 そうなのだ、どうしたらそういうふうに意識を改革してもらえるのかという具体のアクションが必要だ。

 それに対する私の答えは、「上司が強い意志を持って、ねばり強くアドバイスや指導、助言をし続けること」という簡単な、それでいて「それがなかなかできない」ものとなってしまった。

 しかしこの単純なことが常に自分の心の中にあれば、優しくそしてねばり強く自分の部下に対する目配り、気配り、心配りができるのではないだろうか。

 この単純なことを我と我が事と思うかどうかが最初なのだと思う。

 上司はつらい。教師もつらい。

 アーサー・ウィリアム・ワードという教育者の言葉に、「教師の姿」として、

 凡庸な教師は良くしゃべる
 良い教師は説明する
 優れた教師はやってみせる
 偉大な教師は心に火をつける  という言葉がある。

 ここの「教師」は容易に「上司」に置き換えられるだろう。

 凡庸な上司は良くしゃべる、偉大な上司は心に火をつける…か、くーっ、天につばをしてしまったかなあ。

 

【大人の集い】
 夜に、知人から「面白い人たちが集まる会合がありますから来ませんか」と誘われていたので、出かけていった。

 ここでは「Kの会」と呼んでおくことにするが、これがまた札幌中のすごい人の集まり。

 うちの大親分の局長を捕まえて「おぅ、この間ギー君がうちに遊びに来ていたよ」という漁師さんから、某省の出先の局長さん、会社社長から弁護士さんまで多彩な人たちが一堂に会して皆旧交を温めあっている。

 メンバーを思い出すだけでも恐ろしいのだが、まあ話が合えばただの面白いおじさんばかりである。

 会合の中に彫刻家やその作品を仲介するビジネスをしている女性がいて、その方が「旭川の彫刻博物館に荻原碌山の作品があって、これが良いんですよ」と荻原碌山の話で盛り上がった。

 荻原碌山と言えば、わが心の故郷安曇野は穂高町にある碌山美術館が本家本元である。

 荻原碌山というのは本名荻原守衛(もりえ)と言って、明治12年に現在の長野県穂高町に生まれ、フランスでオーギュスト・ロダンに影響を受けて彫刻家となり、日本のロダンと呼ばれる近代彫刻の先駆者である。【碌山美術館参考】

 「『女』や『デスペア』などはすばらしいですよね」などと言っていると、某歯医者の親分がやってきて「君たちはなぜ碌山美術館の話をしているの?僕も昨年穂高町へ行って、碌山美術館を見て感激したんですよ」と話が繋がった。

 一瞬でも関わりのある自分の町に誇りを持って勉強してみたことがこういうところでつながりに役立つとは思わなかった。持つべきものは好奇心である。

 見返りを求めずに繋がってみたい人が多くて、知的興奮の極みでありました。誘ってくださったNさんとKさんに感謝申し上げます。

 次回もまたよろしくお願いします。

    *   *   *   * 

 興奮をさまそうと、KおやじのいきつけのスナックSへと向かう。

 案の定わが尊敬すべきKおやじがいて、今日の私の職場での勉強会の話をして「自分も公務員だけど、自分の能力を活かして国民を幸せにするための手段として公務員になったはずだ、それが公務員になることと公務員でいることが目的の人が多いんですよ」と言うと、Kおやじが目をぎらつかせて、「俺も同じ目にあったよ」と言う。

 彼は実は、赤字に苦しむ某交響楽団を3年で立て直したことで有名になった辣腕の実力者なのである。

 「その楽団に行って開口一番言ったのが『君たちは音楽を何のためにしているのだ?音楽で聴いてくれる人を幸せにするためじゃないのか?』ということだったのさ」
 「なるほど」

 「そう言ってから一人ずつ呼んでは一本釣りさ。『な、分かるだろ』って一人ずつ理解させていったんだ」
 「分かりますね」

 「楽団っていうのは、変な話だけど、団員が大勢いるもんだから、演奏の時にさぼったって分からないんだよ。だから少人数編成でトリオとか四重奏とか、時にはソロで施設やら病院やらへ行かせて演奏をやらせたんだ。少人数ならさぼれないだろ?」
 「はい」

 「そうしたら、聴いている人が感動している様が直に演奏者に伝わるんだなあ、これが。」
 「それはそうでしょうねえ」

 「そしたらそういう聴衆の反応に、演奏者の方がやっぱり感動するんだよ。俺はこれを『感動の共有』って言ってんだけどな」
 「『感動の共有』ですか、いいですね」

 「そうやって、演奏者に音楽をやることの意味を再認識してもらったところで、改革案をドンと出して、それで押し切ったんだ。もうほとんど抵抗なし、さ」
 「いいですね。そこに幸せがありそうな感じですよ」

 
 自分は何のために今ここにいるのか。残りの人生で何をするためにいままで経験を積んできたのか。神様は自分に何をさせたくて、この時代に生を授けてくれたのか。 

 自分と関わる人たちを幸せにするためではないのだろうか?

 そして共感してくれる人たちを増やして、その思いを果たそうとは思いませんか?

 「思わないとできませんわな」とは松下幸之助の言葉である。



 あー、面白い一日だった。
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おもてなしの心、道民運動

2005-05-12 23:30:19 | Weblog
 今日は朝から快晴。久しぶりの天気に身も心もうきうきとしてしまいます。やっと春が来たかなあ。

 ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■観光サミットの準備 の1本です。

【観光サミットの準備】
 北海道知事の提唱で、道内の様々な観光関係団体の長が集まってこれからの北海道観光に関して気持ちと力を合わせて取り組んでいきたいというシンボルとして、観光サミットが行われることになっている。

 日時は5月23日だが、わが開発局も当然インフラ整備や地域振興の観点から観光には少なからず支援を行う官庁として声がかかり、局長が参加する予定となっている。

 開発局の観光の窓口というとこれがなかなかはっきりしないのだが、いろいろな経緯の末に、我が課が担当することとなった。

 役割を押しつけあって、野球のポテンヒットのようにしてはいけないので、担当は明確にしておく必要があるのだ。

 道庁から担当者が来て、当日のサミットの進行について説明に来たが、全体で1時間の日程であることと、出席者の発言は3~4分、最後にサミット宣言文を読み上げるという予定であるとのことだった。

 開発局関連の観光に関わる発言が3~4分とは寂しいものだが、皆そうだというので仕方がない。

 早速関係の各事業担当者を集めて、説明・情報提供とともに、資料作成を依頼した。まあ、局長がその通りに話してくれるかどうかは別にして、ある程度のたたき台を作ってご相談に伺うのである。
 もちろん、ぼろぼろにされるのは覚悟の上であるが。
 
    *   *   *   * 

 さて、観光には「攻め」と「守り」の施設づくりがある、と言うのが私の持論だが、最近ではこれに「おもてなしの心」を加える必要があると思い始めている。

 もしかしたら一期一会で終わる客かも知れず、もしかしたら永遠の常連さんになってくださるかも知れない客に対して、どのようにおもてなしをするか、というのは重要なことだが、案外観光の世界でも統一的な見解がなかったり、実践がなされていないような気もする。

 それでいて、「おもてなしの心」というのは、観光業界、観光業者の問題ではなくて、多分北海道民全体の問題なのだと思う。

 「外人さんにとっての日本の魅力の一つには、一般庶民のおもてなしの心があるそうですよ」と教えてくれた知人がいた。

 「へえ、それはどういうことですか?」
 「アジアでも他の国では、外人だと見ると相手にしない国民性のところが多いのに、日本では言葉が話せなくても身振り手振りで汗だくになって何とか意志を伝えようとする人が多いんですって。だから日本の魅力って、案外そんなところにあるんだという人がいましたよ」とのこと。

 マニュアル通りの「いらっしゃいませ!」「Hello!How are you?」よりも、まちのおばちゃんの「あら、どっからきなすったかね~?」の方が良いだなんて!

 しかしそういう道民運動がなくては、観光施設という仏を作っても、それが地域の喜びや誇り、自慢という魂が入らなくては、本当にただの風景と言うことになるのだろう。

 自ら魂を吹き込むような、遠来の友人をもてなすような心を道民全体が持つような道民運動を展開したいものだ。


 おかえりなさい!北海道へ そして皆さんの住まいへいってらっしゃい!

コメント (3)
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