札幌へ戻ってきてから伊藤滋先生主催のNPO法人都市計画家協会に加入して、まちづくり活動に参加しようと思っている。
その役員会が今回は今日の午後に帯広で開催されるというので、久しぶりに電車で帯広へと向かう。帯広なんて十数年ぶりなのである。懐かしいぞ~。
さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。
さて今日は、
■都市計画家協会の役員会とトークセッション
■これが北の屋台 の2本です。
【都市計画家協会の役員会とトークセッション】
今春加盟したNPO法人都市計画家協会の役員会が帯広で開催されることになり、特急おおぞらに乗り込んで帯広へと向かう。
この「おおぞら」、南千歳を過ぎて石勝線へ入ったところでアナウンスがあり、「これより先、線路内に動物が進入した場合、急ブレーキを掛けることがございますので、どなた様も…」
うーん、これこそ北海道らしくて良いなあ、と一人苦笑いをする。
* * * *
十数年ぶりの帯広は、駅までの線路が連続立体交差になっていて、駅舎もずいぶんと立派になっている。昔の駅とは隔世の感がある。
駅前広場もずいぶんと様変わりしていて、もう昔の景色を思い出せないのはちょっと寂しい気もする。
役員会とトークセッションは駅から徒歩10分ほどのビルの6階。
とにかくこの時期、出る会合は全て新参者の扱いだが、こんなのは慣れっこである。
役員会らしく、予算決算の説明や事業報告と今年度の事業計画などを話し合って役員会は終了。
トークセッションでは「これからの都市と農村のあり方」について6人がそれぞれの得意分野でお話をする。
ワインで有名な池田町からはワインづくりを担当されていた職員の方が、「ブドウのおしべを取り払ってヤマブドウの花粉を人工的に受粉させることを20年以上続けてやっと耐寒性に富んだ品種ができあがった」という話をしていた。
これぞスローライフ。
幼稚園の先生からは、入園したての子供たちが幼稚園の給食の中で食べられないメニューがあったのだという。それは煮物だとか豆などの混ぜご飯といった日本の伝統食で、「これはいけない」と思うところから家庭の食育が始まったのだそうだ。
家庭の食事メニューを聞き取って、お母さんたちへの料理教室を開いたのだそうで、やがて転勤して帯広を去るお母さんたちからは感謝の言葉が残されたという。
食育って家庭こそが大事なのよ。
やがて私の番で、いつもの生涯学習による地域の自立でお話をまとめました。
コーディネーターの感想は一言で「いつもながらすばらしいアジ演説をありがとうございました」というもので、アジ演説とは!
まあ、そんなところもありますけどね。
いずれにしても、帯広周辺のまちづくり仲間とも多く会えたのでよかった。これからもよろしくお願いします。
【これが北の屋台】
懇親会は、今話題の元祖「北の屋台」である。
今回はこれを最初から立ち上げに奔走して、まちづくりカリスマとなった坂本さんも参加してくださって、苦労談をいろいろと聞かせていただいた。
「北の屋台」とはまちなかにぽっかりと空いた空間に、真ん中に通りを造り其れを挟んだ両側に屋台街を作ってしまった、憩いの空間である。
しかもここは、夏岳などと言った季節商売ではなく、立派に冬も営業をしているのである。しかも連日押すな押すなの盛況で常連客も多いという。
なんでこんな施設に? 早速坂本さんにお話を聞いた。
「なぜ屋台を始めようと思ったのですか?
「最初は私ではない別な人が言い出して、私は『そんなのは絶対無理だ』と反対した側だったんですよ。それがいろいろと勉強していくうちにやれそうだという思いに至ったんです」
「それはなぜですか?」
「この屋台の勉強のために海外の屋台文化もみて歩きましたけど、世界中どこで屋台ってにぎわって居るんですよ。なによりアメリカの屋台はやたら格好良かった。そこでやってみようと言う気になりました」
「障害も多かったのではありませんか?」
「食品衛生法と道路交通法をクリアしなくてはなりませんでした」
「食品衛生法上はどうなるんですか?」
「やはり単なるグッズを売る屋台ではダメで、日本では料理を出したいと思ったのですが、飲食店の許可を受けるには三面が壁の固定した上下水道が必要でした。だから今座っているところは仮設のいすとテーブルで営業が終わると全部引っ込めるのですが、調理場は、この通路の両側に固定なんですよ」
なるほど、通りを挟んで屋台が建ち並ぶが、両側奥は固定された建物になっているのだった。
「そして道路交通法ですが、本来一定の道路幅を取らなくてはならないので、あくまでも営業中の客席とテーブルは仮設扱いとしました。だから店が終わるとこの屋根も全部調理場へたたむことができて、夜は幅の広い通路になるんです」
あ、なるほど。本当にそういう構造になっている。規則をクリアするのには知恵が必要だなあ。
「小松さん、屋台というのは狭いのがいいんです。だからここでは一軒のユニットを3m×3.3mとしました。これだと奥のお客さんがトイレに立つのに、出口の近くのお客さんは一度席を立たないと行けない。でもそのふれ合いがいいんです」
「ふれ合いですか?」
「そうです。今全国でこれをやってみたいというので指導に走り回っているのですが、『狭い』というので、店のユニットの大きさを一回り大きくするところが出たりするんです。私は『よしなさい』と言うんですがね」
「店が広いとダメですか?」
「ダメですね。この大きさで客席がコの字型に配置して、店主が客に均等にサービスできる範囲がこの大きさです。これより大きくしていすの後ろのスペースを取ったりすると、もう『すみません、どけてください』というコミュニケーションが発生しないんです。だからだめ」
「他にやってみて気づいたことはありますか?」
「ええ、北関東のある都市でも屋台を始めたんですが、そこでは6~8月は閉店していて、通年の商売ができないんですよ」
「なぜです?」
「6月は梅雨で雨が多くてダメ。7~8月は暑すぎて、クーラーがないと屋外でも飲食をしていられないんですよ、本州ではね。だから屋台はほどよく寒い北の文化だと言うことに気がついたんですよ」
「冬は寒くないのですか?」
「夏ならのれんで仕切りますが、さすがに冬はビニールで囲わざるを得ません。でも暑けりゃ冷や奴、寒けりゃおでん、と季節を味わえるのが屋台の良いところです」
「室内ではダメですか」
「やっているところもありますが、ダメですね。暑さ寒さを感じるという風情がない」
風情を楽しみに変えることができるのが屋台の醍醐味。雨の日などは天井からの雨漏りがグラスに落ちるのすら、楽しみと言えそうだ。
坂本さんの最後の一言。
「店にはいるのに、客がいるのかいないのかが分かるというのはお客さんにとって重要な要素。のれん一枚で店の内外をお約束で仕切る文化は東洋だけです。店がどんな風かをドアを開けて初めて分かるというのではドアを開ける勇気が必要でしょ?のれんだったら、足下をちらっとみればよいのですから、気が楽ですよ」とのこと。
サービスを受けるのが店という思いこみを覆して、客の楽しみ、幸せを追求したら屋台という形になったのだ。
全国のまちおこしの絶好の教師と言えるだろう。「北の屋台」必見です。
その役員会が今回は今日の午後に帯広で開催されるというので、久しぶりに電車で帯広へと向かう。帯広なんて十数年ぶりなのである。懐かしいぞ~。
さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。
さて今日は、
■都市計画家協会の役員会とトークセッション
■これが北の屋台 の2本です。
【都市計画家協会の役員会とトークセッション】
今春加盟したNPO法人都市計画家協会の役員会が帯広で開催されることになり、特急おおぞらに乗り込んで帯広へと向かう。
この「おおぞら」、南千歳を過ぎて石勝線へ入ったところでアナウンスがあり、「これより先、線路内に動物が進入した場合、急ブレーキを掛けることがございますので、どなた様も…」
うーん、これこそ北海道らしくて良いなあ、と一人苦笑いをする。
* * * *
十数年ぶりの帯広は、駅までの線路が連続立体交差になっていて、駅舎もずいぶんと立派になっている。昔の駅とは隔世の感がある。
駅前広場もずいぶんと様変わりしていて、もう昔の景色を思い出せないのはちょっと寂しい気もする。
役員会とトークセッションは駅から徒歩10分ほどのビルの6階。
とにかくこの時期、出る会合は全て新参者の扱いだが、こんなのは慣れっこである。
役員会らしく、予算決算の説明や事業報告と今年度の事業計画などを話し合って役員会は終了。
トークセッションでは「これからの都市と農村のあり方」について6人がそれぞれの得意分野でお話をする。
ワインで有名な池田町からはワインづくりを担当されていた職員の方が、「ブドウのおしべを取り払ってヤマブドウの花粉を人工的に受粉させることを20年以上続けてやっと耐寒性に富んだ品種ができあがった」という話をしていた。
これぞスローライフ。
幼稚園の先生からは、入園したての子供たちが幼稚園の給食の中で食べられないメニューがあったのだという。それは煮物だとか豆などの混ぜご飯といった日本の伝統食で、「これはいけない」と思うところから家庭の食育が始まったのだそうだ。
家庭の食事メニューを聞き取って、お母さんたちへの料理教室を開いたのだそうで、やがて転勤して帯広を去るお母さんたちからは感謝の言葉が残されたという。
食育って家庭こそが大事なのよ。
やがて私の番で、いつもの生涯学習による地域の自立でお話をまとめました。
コーディネーターの感想は一言で「いつもながらすばらしいアジ演説をありがとうございました」というもので、アジ演説とは!
まあ、そんなところもありますけどね。
いずれにしても、帯広周辺のまちづくり仲間とも多く会えたのでよかった。これからもよろしくお願いします。
【これが北の屋台】
懇親会は、今話題の元祖「北の屋台」である。
今回はこれを最初から立ち上げに奔走して、まちづくりカリスマとなった坂本さんも参加してくださって、苦労談をいろいろと聞かせていただいた。
「北の屋台」とはまちなかにぽっかりと空いた空間に、真ん中に通りを造り其れを挟んだ両側に屋台街を作ってしまった、憩いの空間である。
しかもここは、夏岳などと言った季節商売ではなく、立派に冬も営業をしているのである。しかも連日押すな押すなの盛況で常連客も多いという。
なんでこんな施設に? 早速坂本さんにお話を聞いた。
「なぜ屋台を始めようと思ったのですか?
「最初は私ではない別な人が言い出して、私は『そんなのは絶対無理だ』と反対した側だったんですよ。それがいろいろと勉強していくうちにやれそうだという思いに至ったんです」
「それはなぜですか?」
「この屋台の勉強のために海外の屋台文化もみて歩きましたけど、世界中どこで屋台ってにぎわって居るんですよ。なによりアメリカの屋台はやたら格好良かった。そこでやってみようと言う気になりました」
「障害も多かったのではありませんか?」
「食品衛生法と道路交通法をクリアしなくてはなりませんでした」
「食品衛生法上はどうなるんですか?」
「やはり単なるグッズを売る屋台ではダメで、日本では料理を出したいと思ったのですが、飲食店の許可を受けるには三面が壁の固定した上下水道が必要でした。だから今座っているところは仮設のいすとテーブルで営業が終わると全部引っ込めるのですが、調理場は、この通路の両側に固定なんですよ」
なるほど、通りを挟んで屋台が建ち並ぶが、両側奥は固定された建物になっているのだった。
「そして道路交通法ですが、本来一定の道路幅を取らなくてはならないので、あくまでも営業中の客席とテーブルは仮設扱いとしました。だから店が終わるとこの屋根も全部調理場へたたむことができて、夜は幅の広い通路になるんです」
あ、なるほど。本当にそういう構造になっている。規則をクリアするのには知恵が必要だなあ。
「小松さん、屋台というのは狭いのがいいんです。だからここでは一軒のユニットを3m×3.3mとしました。これだと奥のお客さんがトイレに立つのに、出口の近くのお客さんは一度席を立たないと行けない。でもそのふれ合いがいいんです」
「ふれ合いですか?」
「そうです。今全国でこれをやってみたいというので指導に走り回っているのですが、『狭い』というので、店のユニットの大きさを一回り大きくするところが出たりするんです。私は『よしなさい』と言うんですがね」
「店が広いとダメですか?」
「ダメですね。この大きさで客席がコの字型に配置して、店主が客に均等にサービスできる範囲がこの大きさです。これより大きくしていすの後ろのスペースを取ったりすると、もう『すみません、どけてください』というコミュニケーションが発生しないんです。だからだめ」
「他にやってみて気づいたことはありますか?」
「ええ、北関東のある都市でも屋台を始めたんですが、そこでは6~8月は閉店していて、通年の商売ができないんですよ」
「なぜです?」
「6月は梅雨で雨が多くてダメ。7~8月は暑すぎて、クーラーがないと屋外でも飲食をしていられないんですよ、本州ではね。だから屋台はほどよく寒い北の文化だと言うことに気がついたんですよ」
「冬は寒くないのですか?」
「夏ならのれんで仕切りますが、さすがに冬はビニールで囲わざるを得ません。でも暑けりゃ冷や奴、寒けりゃおでん、と季節を味わえるのが屋台の良いところです」
「室内ではダメですか」
「やっているところもありますが、ダメですね。暑さ寒さを感じるという風情がない」
風情を楽しみに変えることができるのが屋台の醍醐味。雨の日などは天井からの雨漏りがグラスに落ちるのすら、楽しみと言えそうだ。
坂本さんの最後の一言。
「店にはいるのに、客がいるのかいないのかが分かるというのはお客さんにとって重要な要素。のれん一枚で店の内外をお約束で仕切る文化は東洋だけです。店がどんな風かをドアを開けて初めて分かるというのではドアを開ける勇気が必要でしょ?のれんだったら、足下をちらっとみればよいのですから、気が楽ですよ」とのこと。
サービスを受けるのが店という思いこみを覆して、客の楽しみ、幸せを追求したら屋台という形になったのだ。
全国のまちおこしの絶好の教師と言えるだろう。「北の屋台」必見です。