北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

災害文化を考える~災害を物語で語る

2007-05-21 23:59:28 | Weblog
 今日の午後は、3ヶ月前から依頼を受けていた防災の講演会でした。

 北海道のときはそれほどでもなかったのですが、4月から変わった今の立場は都市防災を公園の立場から考えるというものなので、これは非常に大切なテーマとなりました。

 お話しの準備のためにかえっていろいろと勉強するきっかけとなり、大変ありがたかったのです。「お前、もっとしっかり勉強しろよ」というご先祖さんの声が聞こえてきそうです。

 さて、今日のテーマは「地震と津波~都市防災の盲点を考える」ということにしました。

 防災や安全・安心ということは大変に大事なことなのですが、それゆえに紋切り型の言い方で、その大事さを伝える工夫というものがこれまでは随分少なかったように思うのです。

 そこで、内閣府にある中央防災会議でも、「災害をイメージする能力を高めるコンテンツを広範かつ効果的に提供するための環境づくり」が必要である、という言い方で、国民にもっと分かりやすく災害を伝えることの重要性を説き始めています。

 そこで登場するのが、「災害文化」という単語です。

 「災害文化」とは何でしょうか。それは、「住民間に共有されている価値、規範、信念、知識、技術、伝承などによって構成」された、「災害常襲地のコミュニティに見いだされる文化的な防災策」であり、「災害の抑止や災害前兆の発見、災害発生後の対応において人々がとるべき対応」という風に表現することができます。

 つまりしょっちゅう災害に遭うところでは、災害への対処の仕方や、こういうときにはこういう被害が出ると言うことが経験的に分かっている場合があって、そう言う知恵を「災害文化」と呼び、減災や防災に役立てようという試みなのです。

 そして中央防災会議では、「歴史上の被災の経験と国民的な知恵を的確に継承」したり、「国民防災意識を啓発」したり、さらに「将来の災害対応に資する」ことなどを目的として平成15年から『災害教訓の継承に関する専門調査会』というものをつくっています。

 そしてこれまでに、「1854 安政東海地震・安政南海地震」、「1891 濃尾地震」、「1707 富士山宝永噴火」、「1783 天明浅間山噴火」、「1976 酒田大火」、「1923 関東大震災~第1編~」 が「内閣府中央防災会議」のHP上で公開されています。

 これは大変に素晴らしい内容なので、是非皆さんもホームページでご覧をいただきたいものです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、この中の「1854 安政東海地震・安政南海地震」のときを調べた報告書の中に、「稲むらの火」という物語が出てきます。

 これは、紀伊の国広村における地震津波と、濱口梧稜(はまぐちごりょう)という人物による災害対応の物語で、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が「A Living God(生ける神)」として小説を書き紹介をしたことで知られるようになったものです。

 また、この「稲むらの火」は、昭和12(1937)年から11年間国定尋常小学国語教科書(5年生)に掲載され、これを学んだ児童に感銘を与え、今日なお、災害文化を考える上で普及の教材として評価が高いものなのです。

「稲むらの火」のあらすじは、

1.濱口儀兵衛は長い間、村の名主を勤め尊敬されている。
2.儀兵衛の家は湾を見下ろす高台にあって、高台の下には村があって人口は400人。

3.季節は秋で祭りの準備がすすむ夕方の時刻。
4.この村にはしょっちゅう地震があったが、この日の地震は長くのろい、ゆったりとした地震だった。

5.儀兵衛が海を眺めると、津波を直感。下の村人を救うために、稲を刈り取って乾燥させている稲むらに火を放った。
6.「何事か」と駆けつけた村民のいた、下の村は津波によって壊滅、しかしこの火を見て駆けつけた村民の命は助かった。

7.村人はその後復興を果たし、儀兵衛の行動に対する感謝の気持ちとして彼の御魂を村の神社に祀った、というものです。

 私も名前だけは聞いたことがあったのですが、改めてこの文章を読んで感動をしました。被災する人達を助けるためには、大事な米を燃やしても構わない、という勇気です。

    ※    ※    ※    ※

 実際の濱口梧稜の活躍はこの小説よりも遙かにダイナミックなもので、夜間に津波に襲われた人達の道しるべとして稲を積み重ねた「稲むら」に火を放ったというものですし、さらには被災後の復旧・復興にも大変尽力をしたのでした。

 災害を物語で語ることで、被災時の想像力を豊かにするという試みが始まっています。

 私ももっと勉強して、災害を物語で語るということを続けたいと思うのです。

 掛川の皆さん、今回は呼んで頂いてありがとうございました。 
 
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一年ぶりの掛川訪問

2007-05-20 23:23:41 | 蕎麦打ち
 実は今日の日曜日から明日の月曜日にかけては、休暇を取っての掛川行脚。

 実はもう3ヶ月も前の、まだ北海道にいたときから「明日21日の月曜日の午後に、防災に関する講演をしてくれませんか」と、掛川市内の危険物安全協会から依頼を受けていたのです。

 せっかく掛川へ行くのなら、ということで、前日の日曜日から乗り込んで、会えるものならいろいろと懐かしい人達に会いたいものだ、と思っていたのですが、地元のスローライフの仲間達がその意を汲んでくれて、一緒にスローライフで苦労したIさんのお宅にて、野外パーティとなった次第。

 このパーティには、私の個人的な趣味から始まった、掛川蕎麦研究会の面々も集まってくれて、今日のお客さん達に自慢の蕎麦を披露するという企画もついていて、嬉しい限りなのです。

「こままささん、いろんな人達が楽しみにしていますから、たくさん来ますよ」とは言われていたものの、本当にたくさんの人達が入れ替わり立ち替わり、訪れてくれて声を掛けてくれました。

 中には、私がいなくなってからなお、話を聞きつけて一方的に私のことを知っているという、私自身が全く存じていない新しい仲間の人達やアメリカ人夫婦や静岡県庁の知人までいて、まあとにかく賑やかなことといったらなかったのです。

 なかには、「こままささんが行くなら私も行きましょう」とわざわざ東京から駆けつけてくれた大学の先生までいるしまつ。お互い、東京にいるのにねえ。

    ※    ※    ※    ※

 前回掛川を訪れたのはほぼ一年前のこと。この一年の間に、新しい公園の一部が完成したり、区画整理の道路が開通していたり、空き地にビルが建とうとしていたりと、定点観測していると、まちは新陳代謝をしながら新しい姿になろうとしている様がよく分かります。

 その変わり方は、土地利用の仕方の変化であるわけですが、変わる事への期待と変わる事への不安など、人々の思いは複雑です。

 変わるのなら良い方向に、それも関係者が譲り合いながら納得して最大の効果が得られるような形に導きたいものです。

 掛川のまちづくりは生涯学習まちづくりとして、「まちとは何か?」「まちが変わるということは何か?」という問いかけとそれへの答えの中で進められて行くと良いのですが。

    ※    ※    ※    ※

 さて、賑やかなパーティの裏方で一生懸命蕎麦を打って振る舞ってくれていたのが、わが愛すべき蕎麦研究会のメンバー達。

 蕎麦粉などの材料から、のし台、茹でる道具一式、盛りつける器、そして蕎麦つゆまで、大変な思いをして活躍してくれました。その献身的な行為は、ありがたさを通り越して申し訳なく思うほどです。

 そんな私からのささやかなお礼は、「さらしな粉」の打ち方の伝授でした。

 普通の手打ち蕎麦の会では大体が田舎蕎麦という、黒くて蕎麦らしい味のする蕎麦粉を使って打つのですが、これは比較的繋がりやすい粉を用いています。

 これに対して「さらしな粉」とは、蕎麦粉のなかでも胚芽に近くて、白くて繋がりにくい成分のところを用いる蕎麦粉で、これで蕎麦を打つと、そうめんのような色でいながら、ぐっとコシと甘みのある独特の蕎麦を堪能できるというわけ。

 ところがこの打ち方は、あまり本でも紹介されていなかったり、教えてくれる人も少ないので、なかなか覚える機会が少ないのです。幸い私はさらしな粉の打ち方を教えてくれる人がいたことから覚えることができたもので、この技術を蕎麦研のメンバーに披露したのでした。

 しかもリクエストに応じて、「天地蕎麦」と呼ばれる、粉茶を混ぜて緑色にした蕎麦粉と白いままの粉を重ねて、一本の蕎麦の中に茶そばと白い蕎麦があるという複合技まで披露してしまいました。技を見せる機会も少ないので、大サービスです。 
 
 しかし、このさらしな粉の打ち方は熱湯を使って、ただでさえ少ない蕎麦の粘りけを引っ張り出すなどかなり高度に打つ技術を必要として、田舎蕎麦なら手早く上手に打てる技術がなければなかなか難しいのです。とにかく【手早く】がさらしなのコツ。

 ところが私も初めて出会う粉なので、水加減の調整を微妙に失敗して柔らかすぎる玉になってしまいました。ちょっとお恥ずかしい。でも、ここから先は自分たちでまた挑戦してみて欲しいものです。


 本当は今回伝えたかったことは、細かな蕎麦打ちの技術よりも、一瞬一瞬の工程にあって「その瞬間に何を感じて、なにを考えているか」ということでした。

「今何を考えていると思う?」「この状態を見て何を感じる?」

 その瞬間瞬間に気づいて考えていることが分かれば、「次にどうしたら良いと思うか
?」そしてそれをどうするか、というスキルに繋がってゆくのです。

 そういう蕎麦打ちマインドを伝えたかったのですが残念ながらそこまでは行きませんでした。ぜひ次にはそれを伝えたいと思っています。

 しかし、総じて皆上手になっていて、この間の練習の成果を見せてもらい本当に嬉しかったのです。ありがとう、ありがとう。

 次に会うときにはさらに腕を上げていてくれることでしょう。私もうかうかしていられなくなりました。

 そして、あらためて今回参加してくれた多くの皆さんに感謝申し上げます。なかなか深く語るところまで行かなかったご無礼はお許し下さい。ありがとうございました。
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新宿ゴールデン街と旧四谷第五小学校

2007-05-19 22:26:59 | 東京ウォーク
 東京へ来て早速、スローライフ学会の方から「良く来たね。早速だけど5月19日にスローライフ学会のフォーラムがあるから参加してね」という手紙が届きました。

 その会場が面白いことに、新宿の風林会館というところで、紹介によるとここは元グランドキャバレーのあったところのようなのです。

 内容は、風林会館で総会を行った後に、旧四谷第五小学校と言うところへ移動して、そこで分科会を開催し、そこが終わると再び風林会館へ戻って、トークセッションを行うというものでした。

 風林会館から旧四谷第五小学校へ移動する間に、新宿ゴールデン街というまさに密集の匂いがぷんぷんする昔ながらの飲屋街を歩くというまち巡りの面白さも加わっています。

 トークセッションは、中山弘子新宿区長さんと、増田寛也前岩手県知事、さらにニュースキャスターの筑紫哲也さんということになっていましたが、筑紫さんは先にテレビで発表したように、ガンのため闘病生活に入っていて、今回は欠席の様子。

 それでも新宿でスローライフとはどういうことか、と興味津々で、また土曜日で予定もなかったので、参加をしてきました。 

    ※    ※    ※    ※

 スローライフ学会は、学会と名乗ってはいるものの、スローライフを考えたり愛好したりする人達のサロン的な会合。

 今日も約100人の人達が全国から集まってくれました。

 昼12時からの総会が終わったところで、全員が分科会のために旧四谷第五小学校へと移動しました。

 その途中で通ったのが新宿ゴールデン街。ここは戦後の時代の香りが残る、密集飲み屋街でした。



 インターネット百科事典のWikipediaによると、『東京都新宿区歌舞伎町一丁目にある飲食店街。花園神社と隣接し、第二次世界大戦後に建てられた木造長屋建ての店舗が狭い路地をはさんでマッチ箱のように並んでいる。作家、ジャーナリストが多く集まる街としても知られる。』と書かれています。

 Wikipediaにはもっと詳しいことも書かれていますが、同行してくれた新宿区の職員の方はもっと面白い裏話も教えてくれて、町歩きは先導者がいると本当に楽しいものです。

 雰囲気的にはゴミゴミしていて怪しげなため、怖そうな印象もありますが、今ではそんなことは全くないそうです。

 逆に、かつては借家人の権利が強すぎて、一度店舗を貸すと借り主がなかなか出て行かなかったのが、最近の借地借家法の改正により借り主が不当に居座ることがなくなったそう。

 そのため、新しい人に貸す機運が高まっていて、それとともに新しい店が増えて魅力が増しているそうです。

 店の面積が狭いので、すぐに満席になってしまうのですが、そんなところへ新しい客が来ると、早くに来た客から順番に「じゃ、俺次に行くわ」と抜けて行くので、回転も良いのだとか。

 今度は絶対に夜に行かなくては。

    ※    ※    ※    ※

 そうして向かったのが、旧四谷第五小学校です。

 この建物は、小中学校の統廃合により今は小学校としては使われていないのですが、関東大震災後の昭和初期に、耐震性強化の観点からつくられた極めて古い鉄筋コンクリートの小学校校舎なのだそう。

 そう言う意味では見る人が見れば、歴史的価値のある建物なのです。

 新宿では暴力団の排除活動を徹底して行っていて、そのため空きビルが増えたのだそう。そこで、テナントに入ってくれるように見学会を開催するなど、テナント誘致活動を進めたそうです。

 その結果、この旧四谷第五小学校には吉本興業の本社が入ってくることになったのだそう。この建物に目をつけるとはさすがは吉本興業。

 怪しげな面白さというものが一体どこから来るのかが分かっていると言えるのではないでしょうか。

 うーん、東京は広い。少し歩けば少しの話題、たくさん歩けばたくさんの話題が分かってきますねえ。
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千葉市と市川市の防災公園を訪ねる

2007-05-18 23:39:25 | Weblog
 今日は抱えている現場のうち、千葉県方面の現場を見せてもらいました。

 千葉県は人生でもディズニーランド以外はなかなか行く機会が少なかったのですが、じっくりと見せてもらいました。

 最初は千葉市東部の蘇我臨海地区。ここはJFEスチール(NKKと合併する前の旧川崎製鉄)の工場群があった土地です。

 一時経営が苦しくなったときに、保有資産のなかで統合できる工場を統合して、土地をまとめて様々な開発事業の種地として提供し、その代金でキャッシュフローを改善させたのです。

 千葉市としては、まとまった土地が手にはいることで、区画整理や防災公園、サッカースタジアムなど、市の面目を一新するような地区になりつつあります。

 防災公園もまだまだ建設途中ですが、災害時には広大な災害復興拠点となり、また普段は市民のスポーツ公園にもなることから、都市機能の大幅な向上に繋がることでしょう。

 この公園の中に作られているのサッカースタジアムは、ジェフユナイテッド千葉がホームとする「フクダ電子アリーナ」で、ついでにここも視察させてもらいました。

 フクダ電子アリーナというのは、ネーミング・ライツと呼ばれるもので、施設の名前に自社の企業名を入れることで宣伝になり、その代わりに広告費を支払うというものです。

 ちなみにフクダ電子は、いま公共施設に配備が進みつつある、自動体外式除細動器(AED)の大手メーカーです。

 ここはジェフ千葉のホームで、アリーナの収容人員は1万8千人ですが、新しい施設だけあって、いろいろと配慮の行き届いた施設でした。

 屋根の水は漏斗のように集められ、配管をつたって地下のタンクに貯留される設計になっているのだそうで、それは防災公園として水が必要になるときのためでもあるそう。なるほどー!

    ※    ※    ※    ※

 また周辺の区画整理地の中には、大規模な商業地区も整備されていて、イトーヨーカドー系のArioが出店して、なかなか好調なのだとか。

 内容は、二階建てのモール形式で、割とありふれているのですが、これまで千葉方面にはこうした商業集積が少なかったようで、無料駐車場も完備していることから非常に周辺の住民の皆さんには人気があるのだそうですよ。
 
 イメージとしては、屋内で雨の降らない、車の通らない商店街が人工的にできた、というものです。

 しかしここには店の配置をコントロールしたり店舗を入れ替えたりという商業を活性化させるマネジメントができるところが、既存の土地の地主による商店街と決定的に違うところです。 

 結局、それがまちなかの商店街と、こうした人工的な商店街の違いなのですが、その微妙な差をどうすることもできない商店街が多いということなのでしょうね。

    ※    ※    ※    ※

 午後は市川市へ移動して、そこでも完成した防災公園を見せてもらいました。

 一連の視察を終えて市川駅へ戻ってきたのですが、市川駅はなんと駅ビルの中がショッピングセンターになっていて、改札口を出るとすぐにお買い物ができるのでした。

 なかなかJRも商魂たくましいのですが、これでは駅を降りてからの駅周辺の商店街がやっていけない恨みもあるよう。

 駅ビルの中にショッピングセンターって、禁じ手のようなグッドアイディアのような…、うーん。

    ※    ※    ※    ※

 家路につく途中の有楽町で、ちょうど掛川の茶どころ東山の皆さんがお茶の宣伝をしているという情報を得ていたので、立ち寄りました。

 実演で揉んだ手揉みの浅蒸し茶葉を、若いイケメンお茶インストラクターの
お兄さんが丁寧に入れてくれました。

 一口飲んだその味は…、甘旨(あまうま)い!

 お茶のシロップという感じです。こういうお茶を飲んだ経験があれば絶対にお茶のファンになるのですがね。なかなか新茶の手揉み茶を飲む機会がないのが残念です。

 トップの写真は、手揉みの茶葉を一本お湯に浸したところ。本当に一枚のお茶の葉を丁寧に撚っていることが分かりますね。

 宣伝文句は「こんなお茶、飲んだことがありますか?」で、看板に偽りはありませんでした。

 掛川の皆さん、ご苦労様でした。
 
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都会を支えるシステム

2007-05-17 23:31:39 | Weblog
 今日は朝、横浜に向かうべく電車に乗り込んだのですが、途中で、JR川崎駅での人身事故に関する放送がしきりに車内に流れていました。

 放送の内容は、その事故のためにJRの横浜~東京間の各線が運転を見合わせているというものでした。

 私は同じJRでも、南部線という別な線に乗っていたのでなんとか電車は動いていて、(そうか、JRは大変だな)などとぼんやりと考えていました。

 私はこの先、東急東横線に乗り換えて横浜に向かうつもりだったのですが、まったく他人事ではありませんでした。

 JRが運転を見合わせているために、私鉄各線が振り替え輸送を行い、本来はJRで移動すべき人達がこぞって私の乗ろうとする電車の方にも回ってきたのでした。

 そのため乗り換える駅では、乗降客があふれかえり全く身動きができない状態となりました。

 先頭が一体どうなっているのかも分からず、十分ほど人混みの中で揉まれ続けていましたが、最後にはあきらめて遠回りをして、乗換駅に向かうことに。

 外は雨。傘は差していても前後左右の人の傘からしたたり落ちる雫でみんなびしょ濡れです。こんなことなら人混みの中にいた方がマシだったかも知れません。

    ※    ※    ※    ※

 遠回りをしてやっとのことで乗り換えましたが、途中の乗り換えは改札機を通らずにもうてんやわんやの状態。

 やがて自分の降りる駅へ到着して、一応「PASMO」を改札機にかざしたところ、ピッという音がして、一瞬1300円ほどかかったことが示されて通過ができました。

 「せんさんびゃく…、1300円!?」普段なら650円の区間のはず。

 PASMOは支払い履歴を機械で印字できますから、それをもって駅員さんに問いただしてみると、ちょっと奥へ入って調べた後に出てきて、「これはですねえ、途中駅を通過した記録が残っていないものですから、ずっと遠回りをして乗ったという計算を自動的にしているのだと思います」という説明でした。

 カードの中の残額で修正してもらおうと思ったところ、機械がうまく働かないようで、現金で返してもらいました。

 見逃していたら危ないところでした。PASMOも便利ですが、こうした記録の残らない不測の事態にはなかなか対処しきれないのでしょう。

 それにしても恐るべき大混乱。都会のシステムが一度狂うと、被害は甚大ですね。 
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木造密集を考える~世田谷・三軒茶屋界隈を歩く

2007-05-16 23:32:42 | Weblog
 今日は午後に、木造密集地域についてお勉強。

 今や木造密集地域の居住環境の改善は、国策ともなっていて、予想される関東地方の大地震に対する防災性を高めておくことは、もはや一自治体の問題を超えていると言えるのです。

 もっとも、火災に対する弱さや耐震性、救急活動の難しさなど、何を規準にエリアを考えるかで、微妙に国や都などの考え方に差があって、密集地区という指定のエリアは同じというわけでもありません。

 ただ大筋ではそうした地区が指定をされていて、様々な施策を使ってその環境改善に向けて努力がされています。

 しかしながら、この密集地区の改善というやつは実に難しい事業で、簡単に進んではいません。

 それには幾つかの理由がありますが、大きなものは、都市計画事業や道路整備事業のように法定事業として公が権力を発揮して進めるという性格のものではない、ということでしょう。

 あくまでも地域からの発案や、役所などからの提案に乗る、という形でしかも全員合意でなければ進められない、任意の事業なのです。

 おまけにこうした密集地区では、地主、アパートの所有・経営者、居住者という三種類の関係者がいて、この人達の全員合意が必要と言うことで、非常に手間のかかることなのです。

 さらには、区画整理や再開発事業のように、土地を有効に活用して自分の権利のある部分が価値を増す、というような経済的に大きなメリットのある事業でもありません。

 ですから、特に居住者にとっては「放っておいてくれ」という気分になるのも当然と言えば当然。今までと環境が変わるということには抵抗があるものです。

 もっとも、アパートの所有者などは、もう立て替えが必要な建物が現在の法律には既存不適格なため、そのままでは立て替えられないという事情もあって、補助金などが入って、持ち出しが少なくなるのならこの際やりたい、という人がいることも事実。

 こうした事情をくみ取りながら、関係者や地域の合意をとりつけるという、実に地道なまちづくりが木造密集対策事業なのです。

    ※    ※    ※    ※

 そんなわけで、そうした基礎知識を頭に入れながら、午後に世田谷から三軒茶屋のあたりの密集地区を歩き、この辺りで行われている事業について現地を視察してきました。

 世田谷というと高級住宅街をイメージしますが、聖徳太子の像があることで知られる円泉寺のあたりはそのいわれから「太子堂」と言われる密集地域。

 このあたりでも病院の移転などに伴う高層マンションの建築が進められ、併せて細い道路を思い切って道路事業として拡幅するという事業が進められようとしています。

 現地を徒歩で歩きながら見ていると、確かにとっても車が入るのが無理な道路がたくさんあって、地震などで多発的に火災が発生したりすると大変な様子が想像されます。

 災害さえ発生しなければ実に平和な地区でもありますが、こうしたところでは土地の境界などもはっきりとは確定していないところが多く、焼け野原などになろうものなら、まず土地の所有関係をはっきりさせてからでなければ復興事業も始められないという事情もあるようです。

 こうしたところでの事業は事が起こる前の「事前復興」とも呼んでいます。事が起こってからのことを想像する想像力が必要です。

    ※    ※    ※    ※

 三軒茶屋からの帰りは、世田谷線という電車に乗って豪徳寺まで揺られて帰ってきました。

 家並みの中を縫うように走る世田谷線もなかなか味わいがありますね。東京って不思議な景色がたくさん残っているところなのです。
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『友人力』を考える

2007-05-15 22:53:17 | Weblog
 朝から新宿、霞ヶ関、横浜、再び新宿と移動の多い一日。こういう日もあるのです。

 そう言えば、今夜は札幌の友人A君が「会おうよ」と言ってくれていたのでした。待ち合わせは西新宿駅。行くところはやっぱり思い出横町。最近はここばかりだなあ。

 A君も話題豊富な人で、いろいろな研修での面白い話を聞かせてくれます。時間をかけずにいろいろな講演会のエッセンスを教えてくれるので実に効率的です。

 話が盛り上がっているところに札幌の娘からメールが入って「インターネットがつながらなくなったんだけど、どうしたらいいの?」とのこと。

(うーむ、またパソコンのトラブルか…)と思いながら、札幌に電話をしてみましたが、様子が分かるわけもなく、お手上げの状態で電話を切りました。

 するとA君が、「札幌だったら、うちの職員にコンピューターではすごい奴がいるから彼に頼むと良いよ。よし、今電話してやる」と、紹介をしてくれたのでした。

 その人との電話の中で、「初めまして。実は娘から、パソコンの調子が悪くて、インターネットに繋がらない、という話が来たものですから、見てもらえればなあ、と思いまして…」と言うと、なんと「あ、今ですねえ、東日本でかなり大規模にインターネットがダウンしているんですよ。それじゃないですかねえ」とのこと。

 なんと、そういう事態になっているとは知りませんでした。なるほど頼りになりますねえ。

 今後も何かあったらご相談に乗ってもらえるようにお願いをして電話を切りました。今日もA君を介して心強い知人が一人出来ました。

 夜9時過ぎに家に帰ってから娘に様子を聞くと、「うん、直ったみたい」とのこと。

 離れていると、いざというときに力になれないもどかしさを感じながらも、
それならば、頼りになる友人と知人のネットワークでなんとかカバーする力をつけることも大事なのだと考えるにいたりました。
 
 できないことをうらぶれていても仕方がありません。頼りになる友人を持つ、『友人力』こそ大事な力なのですね。

 Aさん、これからもよろしくお願いします。

 うーい、今日も飲んじまった
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友達はいいなあ

2007-05-14 23:31:36 | Weblog
 仕事上の打ち合わせで、夜の9時半に本省で打ち合わせ。

 本当はもう少し早く行きたかったのですが、内部の調整が進まずに職場を出たのが夜の八時過ぎ。それでも今日中に意見交換をしておきたかったので無理を言って、遅くに本省を訪ねたのでした。

 担当の係長さんは、打ち合わせ時間が遅れるという連絡に、「時計が夜12時を回らないうちなら良いですよ」と暖かいお言葉。

 それもそのはず、もはやこの部所は連日当たり前に就業時間が午前様という過酷な状態になっているのです。

 「打ち合わせがあってもなくても帰る時間は遅いですから」こういう人達に社会が支えられているのです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、打ち合わせが終わったのは夜の11時。職場にはちょうど同期で仲の良い友人がいて、まだ仕事は山のようにあるのだけれど「ちょっと行こうぜ」と飲みに誘ってくれました。

 「終電が12時14分だから、一時間一本勝負だな。よし、有楽町のガード下だ!」というわけで、地下鉄で有楽町のガード下へと向かいました。

 折良く12閉店というお店に飛び込んで生ビールとつまみを二、三種類頼んでくだらない話に花が咲きました。

 そんななか、いろいろと私のことも心配してくれて「ちゃんと職場でやっているのか?飲みまくらなくちゃ駄目じゃないか」と、大いにアドバイスをしてくれます。

 「俺たちは流れ者なんだから、新しい職場へ行ったら古い人達の心を一気に掴まないとだめなんだ。それには飲んで飲んで飲みまくるのが一番だ」と経験談を大いに語ってくれました。

 転勤にも二種類あって、仲間の多いところへ行く場合と、たった独りぼっちで今まで行ったこともない職場へ放り込まれるのとでは、振る舞い方大いに異なるものです。

「しっかりやれよ!」「ああ、目が覚めたよ」

 友達が心配してくれる言葉は嬉しいものです。

 飲み屋はガード下が一番。鉄橋のビスが印象的なのです。
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生活の勘

2007-05-13 23:13:24 | Weblog
 午前半日は掃除と洗濯。一人住まいはすることが多いですね。

 パソコンの位置を変えました。それまではこたつのテーブルの上において、あぐらをかいて作業をしていましたが、長時間の作業になるとどうしても疲れてしまいます。

 そこで、部屋に備え付けられているテーブルの上に置いて、椅子で作業ができるようにしました。

 困るのはインターネットのLANケーブルが届かないことで、仕方がないので散歩がてらに電気屋さん巡りをして、長いケーブルを購入。これで、インターネットもばっちりです。

 やっとワイシャツのアイロン掛けの勘を取り戻しました。

 掛川のときはしっかりやっていたのに、自宅に戻るとつい奥さん任せになってしまって勘が鈍っていたのです。

 少しずつ、生活の勘を研ぎ澄ましていますよ。
 
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福岡食文化の余韻

2007-05-12 23:23:39 | Weblog
 九州出張の余韻がまだ残っていて、頭がぼんやりです。

 福岡での初日には、地元の皆さんとの懇親会があったのですが、懇親会の最後と言えばやはり博多ラーメンでしょう!

 それもお店へ行くのではなく、「せっかくだから屋台のラーメン屋さんへ行きましょう」と誘われて、長浜魚市場近くの屋台を訪ねました。

 「あそこにしましょう」と入ったのは長浜とん吉本店。本店という名の屋台ですが、店舗の本店もあるそうですよ。

 ここはもともと朝早くから働く市場の皆さんへの朝ご飯提供というニーズから屋台が始まったらしいのですが、いまではそれも文化となって、夜の様々な食の提供と博多文化を食で支える一翼を担っています。

 屋台と言っても、壁に流し台やガス台もついた、本当に本格的な移動店舗。これが日中には全くないというのだから信じられませんね。

 もっとも最近では、屋台を運んでセットすることを商売にする人も現れるようになったようで、アウトソーシングはどこでも常のようです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、念願叶って長浜とん吉さんの本格的博多ラーメンですが、これが実に美味しい。

 豚骨でも実にあっさりしていてどろりとした感じやこってりした感じがありません。実に味わい深いスープです。

 紅ショウガを入れようとしたら屋台のご主人が「入れすぎない方がいい。今は良い紅ショウガがないから、酸っぱくなっちまう」とぶっきらぼうにアドバイス。そうか、そういうものなのですね。

 「替え玉はいらないか?」と言われて、「いえ、もうお腹一杯ですから」と少し遠慮気味に断っていたら、「いいよ、サービスだ。味が違うから試してみな」と、私の丼に替え玉を入れてくれました。

 食べきれないので一緒に行った人達と分け合いましたが、なるほど、これは最初の麺とは味が違います。

 茹でたてなので、細くてやや固くて甘さがあって、最初の麺とはまた違った味わいを楽しめるのでした。そうかー、替え玉って博多ラーメンなら頼まなくちゃ駄目なんだ。

 やっぱり遠慮をしていては駄目なよう。『郷に入りては郷に従え』ですね。

    ※    ※    ※    ※

 福岡には福岡の屋台文化がありました。帯広の屋台村も有名ですが、ここまで徹底して日中と夜とが入れ替わるのは面白い姿です。

 そしてやはり屋台には触れあいがありました。この触れあいまで味わうのが真の屋台文化の味わい方と言えるでしょう。 

 あー、美味しかった。これで500円は安いわ。札幌の相場はいくらだっけ?
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